ひこうきの夜
ポンとやさしい音が聞こえて、ぼくは目をさました。ふと見あげると、シートベルトのマークが光っている。
ひこうきの中は真っ暗だった。
となりを見ると、ママはねむっていた。後ろにすわっているパパとおねえちゃんも、他のお客さんもほとんどねむっているようだ。
夏休みにはじめて海外旅行に行くことになった。行き先はハワイだ。ぼくはひこうきにのるのもはじめてだった。
ハワイまでは何時間もかかるらしくてママは少し心配そうだったけど、ぼくはやっとあこがれのひこうきにのれると分かり、ワクワクしてしかたがなかった。
ママはぼくを窓がわにすわらせてくれた。無事にひこうきが飛んだ後、ぼくは窓から町がどんどん小さくなっていくのを見ていた。ぼくはずっとそれを見ていたかったのだが、町はすぐに遠ざかり、ひこうきは海の上を飛びはじめた。しかもそのうちに日がしずみ、窓の外はあっというまに暗くなってしまった。
がっかりして窓を閉めると、ママに声をかけられた。言われるまま前の座席についていたテーブルをおろしていると、外国人のキャビンアテンダントのおねえさんがやってきた。おねえさんは英語で話しかけてきた。
ぼくはきんちょうした。ひこうきを降りるまでは、英語を話すことなんてないと安心しきっていたからだ。
「晩ごはん、お肉とお魚どっちがいい?」
ママがぼくに問いかける。ぼくはおねえさんの方を見ずに、お肉がいいと答えた。
ママはおねえさんに何やら話しかけている。ぼくは窓をしめてしまったことを後悔した。これじゃあ窓の外にきょうみがあるふりをして逃げることもできない。
テーブルにトレーがのせられる。ひこうきを降りてからがんばればいいやと思っていると、ママに肩をたたかれた。
ふりかえると、おねえさんがぼくの方を見ながら何か話しかけている。ぼくは全身に力がはいった。でも、目の前に出されたそれを見てすぐにきんちょうがほぐれた。
おねえさんはぼくに小さなひこうきをプレゼントしてくれたのだ。ママにうながされて、お礼をいった。
がんばって英語をつかってみたが、消えそうなほど小さな声になってしまった。うまくしゃべれず、はずかしく思いながら顔をあげると、おねえさんは大きな目をほそくして、にっと笑ってくれた。
その後はがっかりすることなんて一つもなかった。ひこうきの中で食べるごはんはぼくが予想していたのとはちがって、あたたかくておいしかった。
食べ終わった後は、ママにテーブルの上についている小さなテレビの使い方を教えてもらった。なんとそこではぼくがみに行きたいと思っていたアニメ映画がやっていた。これは最近映画館ではじまったばかりのやつだった。ぼくはひこうきはすごいなと思った。
映画をみた後はゲーム画面にしてもらって、ぼくはしばらくそれをやっていたが、その先は覚えていない。そこで寝てしまったようだ。
今はいったい何時なんだろう。
ポツポツといくつか小さな明かりが見える。でもその光は僕からは遠いとこにあって、この辺は真っ暗だった。
ぼくはもう一度ねようと思って目をつむった。しばらくそうしていたけど、ねむけは全然やってきてはくれなかった。そのうち体がいたくなって、ぼくはどうしようもなくまたテレビをつけた。
ゲームにはあきてしまった。がんばっていろんなボタンを押していると、また映画の画面にもどることができた。でもそこにあったのは外国の映画ばかりで、どれもみたいとは思わなかった。
ずっと下のほうにいくと、ぼくも知っているアニメがあった。しかたなくそれを再生してみたけど、実は何度もみたことがある話だったのでぼくはまたたいくつしてしまった。
まだ着かないのかな。そう思って閉めていた窓をあけてみた。
窓のそとはあいかわらず真っ暗だった。
ぼくは顔を近づけて、目をこらして外をみた。うっすらとひこうきの羽が見える。その下には雲が広がっているようだ。
ぼくは感動した。なんたってぼくは今雲の上にいるのだ。そうしてじっと窓の外を見ていると、ひこうきの羽の部分に小さなでっぱりがあるのが分かった。
あれは一体何だろう。ぼくはそれをよく見ようと、手で目のまわりをおおった。
そのでっぱりはよく見ると、ちょっとずつ動いていた。暗くてよく見えないが、どうやら鳥みたいな形をしているようだ。鳥、というよりはあれに近いな。ぼくは図鑑で見た空を飛ぶ恐竜を思い出した。
ツバサらしき部分をぺたぺたと動かしながら、ひこうきの羽の上をゆっくりとはっている。ぼくはおもしろくなって、それの観察をつづけた。
それは羽の先からじりじりと機体の方へ近づいてくる。かと思えば、その場でぐるぐると円を描くようにしてとどまっている。機体に近づくほど、姿がみえるようになってきた。ツバサの間には鳥にしては大きな頭がついていて、先ほどまでは見えなかったが、よく見ると下半身には二本の足があるようだ。
まるで小さな子どもに大きなツバサをつけたような形をしていた。
あれは何という生き物だろう。ぼくは夢中になってそいつを見つめていた。こんなところにいるのだから、やはり鳥の仲間かな。
ぐるぐるとその場で回転していたそれは、ふいに動きを止めた。そしてその頭らしき部分をヒョイと上げた。
そいつはあたりを見回している。頭を左右にぶんぶんふり回し始めたのを見て、そう思った。そしてそれは、ある一点を見つめるようにしてピタリと止まった。
ぼくはそいつと目があったと感じた。
頭をこちらに向けたまま、機体にむかってほふくぜんしんを始めた。ぼくはそれがこちらにやってくると思った。そいつが羽のねもとに近づいていく。ぼくは必死に顔を窓にくっつける。移動してしまったせいでかなり見づらくなってしまったのだ。もはやここからは見えそうにない。どこか開いている窓はないかと思ってシートベルトを外し、席に膝立ってうしろをふり返った。
でも、みんな窓を閉めてしまっているようだった。開いているのがないかと必死に目をこらす。すると僕より10個くらい後ろの席の窓が下半分だけ開いているのが分かった。
その部分を、じっと見つめた。どのくらいたったかわからないが、ふいに何かがその外がわで動いたのが見えた。
あいつだ、あいつがこの機体にへばりついている。ぼくはドキドキしながら座り直し、窓の外を見た。怖いというよりは、どんな生き物だろうというワクワクが勝っていた。
耳をすますと、ゴーというひこうきの音にまじって、ぺたぺたという音が聞こえてきた。あいつがもうすぐそこまで来ているのだ。ぺたぺたという音はたまに上の方へ、下の方へいったりきたりする。ぼくを探しているのではないかと思った。
ぼくは窓をノックしようと思った。聞こえるかわからないが、もしかしたらよってきてくれるかもしれない。コンコンと窓をたたいてみる。ぺたぺた、という音がぴたりと止んだ。
すると次の瞬間、バタバタという今までにはないような音がなりひびいた。それは一気にこちらへむかってくるようだ。ぼくは窓の外をじっと見つめた。音はぼくの真横まで近づいてくる。
その時、ぼくの真後ろから腕がのびてきた。その手はそのまま窓のフタをつかみ、すっとそれを下ろした。
ぼくはびっくりしてふり返った。さっきの外国人のおねえさんが通路から身をのりだして窓を閉めたのだ。
ぼくは怒られると思った。でも、おねえさんはぼくを見て人差し指を口にあて、おもちゃをくれた時みたいににっと笑った。そして、寝ているママをおこさないよう気をつけながら、ぼくの外れたシートベルトをなおしてくれた。
おやすみなさい。英語だが、そう言われたような気がした。
ぼくはうなづいて目をとじると、さっきとはちがってすぐに眠くなってきた。
目を覚ますとひこうきの中は明るくなっていた。
「もうすぐ着くよ。窓あけてみな」
ママがにこにこしてそう言った。でも、ぼくはまぶしいからいいと断った。ママはふしぎそうに首をかしげた。
ひこうきをおりる時、出口のところであのおねえさんが立っていた。おねえさんは笑顔でみんなに手をふっていた。ぼくはおねえちゃんみたいに元気にふりかえすことはできなかった。
昨日のあれは何だったのだろう。ぼくは窓を閉められる直前、真っ白な指が見えたのを思い出した。爪がとても長かったけど、あれはにんげんのものだったと思う。
帰りのひこうきは、絶対に通路がわにすわらせてもらおう。なまぬるい外国の風が、ぼくを笑うようになぜていった。
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