コンクリートの上にて
私は、近所にある小学校に電話をかける。もちろん苦情を言うためだ。
先日、家の前の砂利が敷き詰められた駐車スペースを、思い切ってコンクリート仕立てにしようとした。車1台分の狭い駐車場だが、砂利の隙間から生えてくる雑草をこまめに引っこ抜くのは、この年になるとかなりの重労働だ。
そんなに広くはないから自分でやろうかとも思ったが、調べてみるとかなり面倒そうだったので業者に頼むことにした。
コンクリートを流し込むくらい安いもんだろうと思っていたが、出された見積もりは桁一つ違っていた。
私は若い業者に文句を言ったが、相場はこれくらいだと一歩も引かない。納得はいかなかったが仕方がない。これで仕上がりにヒビでも入っていれば、しっかりとクレームを入れてやろう。
そうして始まった作業は、思ったよりも時間がかかった。私は小憎たらしい若造の顔を必要以上見ずに済むよう、家の奥へ引っ込んでいた。
やっとコンクリートが流し終わったようだ。駐車場の前にはビニール紐が横に張られ、うかつに通行人が乾く前のコンクリートを踏まないようにしてあった。
あとは固まるのを待つだけだ。出来栄えはその時に判断するとしよう。
そう思ってリビングで過ごしていると、外から子供の声が聞こえてきた。というのも、我が家の前の道は通学路になっていて、毎日大勢の子供がここを通るからだ。
私は子供が嫌いだ。理由はうるさいからだ。気を紛らわすために好きでもないテレビの音量を大きくする。
ようやく静かになってきた。外が真っ暗になる前に玄関へ向かう。コンクリートの調子を見るためだ。
しかし私は扉を開けたまま絶句することになる。
「絶対にあんたんとこのガキがやったんだ!どう償うつもりだ!」
電話越しの教師に向かって私は語気を荒げた。
「ですから、一応児童たちに聞き取りは行いますので」
先ほどから、この教師からは 謝罪の意が全く感じられない。そのことが私をさらに苛立たせていた。
ドアを開けた私は開いた口が塞がらなかった。固まる前のコンクリートに、文字が書かれていたのだ。バカとかアホとか、いかにも小学生が書きそうな文句が通学路側から届く範囲にびっしりと広がっていた。
中には”鬼じじい”というものもあった。以前家の前の道でずっと遊び回っていたガキどもを怒鳴りつけてやったことがあるから、その報復ではないかと思った。
結局、小学校からは金はもらえなかった。それをやったと申し出る児童が居なかった以上、代金をお支払いすることはできませんというふざけた電話が一本かかってきただけだった。
あのバカ高い費用をまた負担して工事をやり直せというのか!
腹が煮え繰り返りそうだったが、これ以上あの文字たちを見ていると頭の血管が数本は切れてしまいそうだったので、先に業者に電話することにした。
次の日、業者はすぐにやってきた。
来たのはあの腹立たしい若造だった。
だが、そいつはコンクリートの悲惨な状況をみて、生コンクリートの費用だけでやり直しますよと言ってきた。
私のむかっ腹はこの意外な一言でかなり落ち着きを取り戻した。
駐車場のコンクリートは再びきれいな状態へと戻った。前回の明細を見るに、費用はかなり破格であると分かった。
そうして後はコンクリートが乾くのを待つだけになった。小学生の下校時には、鬼のような顔をして窓からじっと外を見ていたため、今日は誰も家の前で立ち止まることはなかった。
後でまた学校には文句の1つでも言ってやろうと思っていたが、かなり疲労が溜まっていたようだ。私はそのままリビングで眠ってしまった。
目を覚ますと、外は真っ暗になっていた。駐車場の様子は明日確認することにしよう。私は夕飯を食べ、寝支度をして早々に二階へ上がった。
次の日、私は玄関から外へ出た。
コンクリートは綺麗に固まっていた。最悪の状況も覚悟していたため、私はかなりほっとしていた。
が、その時私は一つのくぼみを見つけた。
大きなくぼみの周りに、小さなものが4つ。猫の足跡だ。
駐車場の真ん中にポンと一つだけついている。散々嫌な思いをしてやっと綺麗になったというのに。私は今度は、全身から力が抜けるような気持ちになった。私は動物も大嫌いだ。
しかし相手は猫なのだ。怒りのやり場もない。それに、これだけのためにまたあの若者に工事をやり直してくれと頼むのも気が引ける。そう思って肩を落としそのくぼみを見つめていると、不意にある違和感がおそってきた。
なぜ、足跡は一つだけなんだ。
コンクリートに動物の足跡がつくことはよくあるだろう。私も他人の駐車場がそうなっているのを見たことがある。
しかし、そういう時は大抵いくつか足跡が続いているものだ。猫はここから入って、ここへ抜けていった。そうわかるようになっているはずである。
だが、私の駐車場に残された猫の足跡は1つだけだ。右か左か、前足か後ろ足かも分からないが、たった1個だけがハンコのように綺麗にポンと残されている。
この猫は一体どうやってこの柔らかいコンクリートのど真ん中に器用にこれをつけていったのだろう。
そう思うと私の体を包んでいた感情はとたんに色を変えていった。ふっと笑いが溢れる。不思議さの中に、なぜだかあたたかい気持ちがわいてきた。こんな感情になるのは妻と別れて以来いつぶりだろうか。
私はこの奇妙な足跡を、ここに残しておくことに決めた。
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