第5話 好きになっちゃった!?
夏休みに入ると私の足首も癒えて、元通りに練習ができるようになった。
私はそのスタミナを買われて、背番号22を付けさせてもらう。基礎練習の成果もじわじわと表われてきた。そして週末にはBチームのメンバーとして、紅白戦に出してもらえることになった。
「私、がむしゃらに走りますから、右サイドに縦ポンをお願いします」
紅白戦の前に先輩方にお願いする。
縦ポンというのは、相手のディフェンスラインの裏のスペースに落とす山なりのパスを示すことが多い。
その作戦は見事に的中した。
Aチームのディフェンスラインはより攻撃的な位置に設定されている。黄葉戸学園伝統のパスサッカーを貫くためだ。つまり、ディフェンスラインとキーパーとの間には広大なスペースが空いているということ。縦ポンを蹴りやすい状況となっている。
ちなみにパスサッカーとは、パス回しを中心にして攻撃を組み立てるサッカーを示すことが多い。選手間の距離が近いほどパスの成功率が上がるため、フォワードとディフェンダーとの距離をいかに縮めるかが鍵となり、ディフェンスラインがより攻撃的な位置になるのだ。
私の狙いは、Aチームのディフェンスラインの裏にぽっかりと空いたスペース。試合開始からガンガン走って、何度も何度もラインを突破することに成功する。
疲弊するAチームのディフェンスライン。その位置はじわりじわりと守備的にシフトしていく。
そうなったらこっちのもの。相手のディフェンスラインが守備的になれば、相手フォワードとの距離が開いてしまう。つまり、守備の密度や圧力が全体的に下がるということ。そうなればBチームだってボールを保持できる。Aチームと同レベルのパスサッカーを展開することが可能になってきた。
「しばらく守りに専念するか……」
このような状況になったら私の出番はない。
縦ポンを出すスペースはないし、こちらの守りも密度が下がり始めて、Aチームにとってスルーパスを出しやすい状況になっているからだ。
Aチームの守備的中盤はキャプテン。背が高いこともあってどこにいるのかすぐに分かる。こちらを向いてプレーしている時はかなり危険な存在だ。いつ、決定的なスルーパスが飛んできてもおかしくない。
一方、桜先輩はAチームの右サイドバックを守っている。ポジションが完全に対角なので、対戦することがない。怪我をした紅白戦の時の借りを返したいところだが、残念ながら別の機会となりそうだ。
膠着状態で両チーム無得点のまま、前半は終了した。
「後半は、三十分を過ぎたらまたガンガン走ります!」
私は先輩方に告げる。
後半も終盤になれば全員が疲れてくる。特にAチームのディフェンスライン。だって前半にあれだけ引っ掻き回してあげたんだもん、足が止まる可能性だってある。
そうなったらこっちのもの。また引っ掻き回してあげる。
私の作戦はまたもや的中した。
Aチームのディフェンスの足が止まりかけたところに縦ポンを出してもらい、好き勝手に私は走り回った。センタリングだって上げ放題。背の高いキャプテンは、私のセンタリングをカットすることに奔走する。
「あーあ、キャプテンがBチームだったらなぁ……」
ことごとく弾き返されるセンタリングを見ながら、私は口惜しく感じる。
でもそれはしょうがない。部内で一番身長が高いのはキャプテンなんだから。
結局、得点は入らぬまま後半も終わってしまった。
0対0の引き分け。
Bチームとしては上出来の結果だった。
「メル、紅白戦良かったよ!」
ボールや道具を片付けて、先生が運転するマイクロバスに乗ると、隣に座った麻由が話しかけてきた。
「でも無得点だった」
「Aチームだって無得点だったじゃない。Aチーム相手に引き分けなんて上出来だよ」
今日はたくさんセンタリングを上げることができた。
その中の一つでもゴールに結び付けることができれば、勝てたかもしれないのだ。
――キャプテンさえいなければ……。
センタリングをことごとく跳ね返されたのが本当に悔しい。
「どう? 足の状態は?」
麻由は私の足首の様子を気にしてくれている。彼女の心遣いは本当に嬉しい。
「走る分には問題なかったよ。思いっきり踏ん張れるかと言われると、ちょっと恐い気もするけど」
バスに揺られながら足首をグルグルと回してみた。
疲れはあるが痛みはない。もう大丈夫だろう。それよりも、今にもつりそうなふくらはぎの方がヤバい。
「またAチームに入れればいいね」
「うん。そうだね……」
それには桜先輩という壁を乗り越えないといけない。
この前は戒めという意味でAチームに入れてもらえることができたが、次は実力でその座を勝ち取らないといけないのだ。
『こんなに苦労して掴んだレギュラーの座なんだもん。メルに奪われたくない』
夏休み前の桜先輩の言葉が脳裏に蘇る。
でも……。
やっぱり私はAチームで試合に出てみたい。
キャプテンからのスルーパスを受けて、キャプテンにセンタリングを返してみたい。
怪我をした紅白戦の時のように。
そこには必ず、素晴らしいゴールが待っているはずだから。
学園に戻って片付けを終えた私たちは、部室で着替えて校門を出る。住宅街に差し掛かった時、公園の方からなにやら話し声が聞こえてきた。
「今日はメルにやられっぱなしだったなぁ……」
ええっ? 私のこと!?
誰? 話してるのは!?
麻由と一緒に立ち止まると、キャプテンと桜先輩がこちらに背を向けてベンチに座っている。
ベンチの隣には二台の自転車。きっと市営グラウンドからの帰りなのだろう。恰好もジャージのままだ。
「麻由、先に帰ってて」
小声で小さく手を振ると、麻由も「じゃあね」と手を振った。
私は先輩たちに見つからないようトイレの影に隠れる。壁に寄りかかりながらスマホをいじっていれば、傍目にも怪しまれないだろう。
「あのスタミナはチートだよね。でも味方になれば、こんなに心強いことはない。だからね、私、先生に進言しようと思ってる。公式戦でのメルの起用を」
「それ本気で言ってる? 香月」
えっ、キャプテンが私の起用を?
こんな光栄なことはないが、桜先輩は不服のようだ。
「だってあれだけ走れるんだよ。使わない手はないよ」
「でも、そしたらどうなるの? 黄葉戸のパスサッカーは?」
「その伝統を活かすためにメルを走らせるんだよ。今日のBチームを見たよね」
今日、私は試合開始からガンガン走った。
きっと、その時のことを言ってるんだろう。
「前半からメルに走られた結果、どうなった? 痛感したよね、ディフェンスラインを作っていた桜なら」
「ずるずるとラインを下げざるを得なかった。悔しいけど」
「でしょ? それを今度は私たちがやるのよ、公式戦で。相手のラインが下がればこっちのもの。黄葉戸のパスサッカーの出番よ」
いやぁ、照れるなぁ……。
私の足が、そんなにAチームを苦しめていたなんて。
ちなみに『ラインを下げる』とは、ディフェンスラインをより守備的にシフトするということ。Aチームとしては、不本意な選択だったに違いない。
「でも、他のみんなが納得する?」
「みんなには私が説得する。ロンドンオリンピックの男子サッカーの話をしたら、みんな納得してくれると思う。桜は覚えてる? ロンドンオリンピックのこと」
ロンドンオリンピック?
それって何年前? って、今私はスマホをいじってるフリをしているんだから、本当に調べればいいんだ。
すると、二〇一二年とネットに書いてあった。
(てことは、八年前か……)
私は小学一年生だった。なでしこジャパンがワールドカップ制覇した翌年だ。全く記憶にない。
「ロンドンオリンピックって、ぜんぜん覚えてないんだけど」
「私たち小学三年生だったもんね。でも私は覚えてる……」
キャプテンの声が途切れた。
トイレの影からチラリと様子を覗くと、キャプテンは晴れた青空を見上げていた。
「日本はね、今までの戦い方を変えてカウンター勝負に出たの。足の速い選手にすべてを託して」
へえ~、そんなサッカーやってたんだ。
そういう話を、私はあまり聞いたことがない。
「中でも速かったのが
気になるのはキャプテンが言う「速い」という意味。
私はスタミナはあるが、特にスピードがあるというわけではない。
「今でも強烈に覚えているのは、予選リーグのモロッコ戦。中盤からの縦ポンに走り込む井長選手が、本当に最高だったんだから」
今日の試合でも、私は何度も縦ポンを出してもらった。
その時の井長選手がどんな風に最高だったのか、私も参考にしたい。
「何がすごかったかと言うと、井長選手はディフェンダーの背後から走り始めたの。なのに、するするっとディフェンダーを追い越しちゃって、キーパーが寄せる前に打ったのよ、絶妙なループシュートを。それが入った時は鳥肌が立ったわ。そして真剣に思ったの、井長選手が日本選手で良かったって」
活き活きとしたキャプテンの声から、当時の興奮が伝わってくる。
もしかして今日の試合でキャプテンは、私が味方だったら良かったのにって思ってくれたのかな?
そうだったらとても嬉しい。
「でもね、井長選手は準々決勝で怪我をしてしまったの。それが原因かは知らないけど、日本はその後二連敗で、残念ながら四位。もしあの怪我がなかったらって、どうしても思っちゃうのよね。そしたら日本はメダルを取れていたかもしれないのよ? メキシコオリンピック以来の」
いやいや、キャプテン。
その時のなでしこは銀メダルだったんじゃないですか?
確か、ワールドカップ優勝直後のオリンピックでは、メダルを取ったと聞いたような気がするんですけど。
「つまりね、何が言いたいかというとね、桜。走れる選手は確実に武器なの。それを使わない手はないの。私たちはもう三年生で後が無いんだから……」
私の足が、先輩たちの運命を握るかもしれない?
それは光栄なことだけど、責任も重大だ。
トイレの影で私の心臓はドキドキと脈打ち始めた。
「みんなが納得してくれたら、メルを右サイドバックで使ってみたい。そしたら桜には左を守ってもらうことになると思うけど、いい?」
ええっ、私が桜先輩のポジションを奪う!?
まあ、私は右サイドバック以外はできそうもないから、レギュラーに抜擢されるってことは結局そうなるんだけど……。
すると桜先輩はクスクスと笑い始めた。
「いいよ、別に私は左サイドでも」
「ありがとう桜。桜だったら納得してくれると思ってた」
「あら、私は香月の提案に納得したわけじゃないよ。だって香月の本心は、別のところにあるんでしょ?」
「えっ?」
桜先輩の予想外の切り返しに、キャプテンが声を詰まらせる。
ていうか、キャプテンの本心って……何?
「好きになっちゃったんだよね、メルのことが」
「ちょ、ちょっと、何言ってんのよ、桜」
「分かるよ、香月のことだったらなんでも。ほら、顔が真っ赤だよ」
いきなり何言ってるんですか? 桜先輩。
思わずスマホを落としそうになったよ。
でも、それってどういうこと?
声だけ聞いているといろいろとヤバい。
想像が私の脳を破壊しそうなんですけど。
「メルがAチームで出た時の紅白戦、香月の目がキラキラしてた。すっごい活き活きしてたよ」
「い、いや、あ、あれは、メルがどこまで追いつけるかなって……」
「私にはそんな風に見えなかったなぁ。もうぞっこんって感じだったよ」
「いやいや、どんなにキツいパスを出しても追いついてくれるからさぁ……」
「それに私にはそんな瞳、見せてくれたことないじゃない」
「そ、そんなことないって。私は今だって桜のことが……」
ええっ!?
キャプテンと桜先輩って、そんな仲だったんだ……。
なんだか聞いちゃいけないような展開になっててどうしよう。
「ふふふ、冗談よ。私も香月のことが好き。でもあの時、メルに嫉妬しちゃった」
「ほら、桜にはちゃんと優しくパスしてあげてるじゃない。桜は桜、メルはメルよ」
「まあ、そういうことにしといてあげるわ」
キャプテンから私へのキラーパス。
それに桜先輩が嫉妬してたなんて、なんか複雑な気持ち。
でも、ちょっとだけ分かるような気もする。
だってあの時、キャプテンのパスに追いつくことで私の居場所ができたような気がしたから。上級生ばかりのAチームの中で、唯一の私の居場所が。
パスがきつければきついほど、その土台は強く頑丈になっていく。
また、受けてみたいなぁ、キャプテンからのスルーパス。
公式戦でそれができたら最高だろうなぁ……。
しかしそんな想いは、残念ながら叶うことは無くなってしまった――
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