第3話 私のパスはキツいわよ(紅白戦後半)

 前半が終了してベンチにメンバーが集まると、キャプテンが私を向いて切り出した。

「メル、お疲れ様。じゃあ後半は交代で、代わりの右サイドバックには……」


 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!

 こんな消化不良のまま終わってしまうのは嫌だ!


 だから私は叫んでいた。

「キャプテン、私の真価は後半に発揮されるんです。お願いですから、後半も私を使って下さい!」

 後で考えると、相当生意気なことを言ったものだと思う。

 でも、それだけ必死だったのだ。

 あんなに必死な桜先輩を見ていると、私だって必死のプレーで答えたいという気持ちが溢れてくる。


「ふうん、じゃあ後半は死ぬ気で走ってくれるのね」

「もちろん死ぬ気で走ります!」

「私のパスはキツいわよ」

「光栄です!」


 どんなSMスポ根だよ、と思いながらも、私はキャプテンに向けた眼差しから力を抜かない。

 こうなったら根比べだ、と思った瞬間、ふっとキャプテンの表情が崩れた。

「わかったわ。後半も頑張って頂戴。それでいいですよね、先生?」

 顧問の先生を向くと、お前たちにまかせたと静かにうなづくだけだった。


 よし、やってやる!

 これでダメだったら、私に未来はない。



 サイドが変わって後半が始まった。

 桜先輩も前半と同じポジションだ。そして私の右足を狙って執拗に詰めてくる。

 しかし時間が経つにつれて、私はあることに気がついた。

 桜先輩の後ろを守る左サイドバックが疲れてきて、桜先輩と動きを合わせられなくなってきたのだ。


 つまり、桜先輩の背後にはぽっかりとスペースが空き始めたということ。


 これを活かさない手はない。

 私はある作戦を思いつく。

 前半に左足のパスを試みてわかったことがあった。桜先輩は私の右足だけに集中していて、左足はノーマークだったのだ。


 それならば。


 センターバックから来たパスを、勢いを殺さず前方に飛ぶように左足にちょんと当ててみよう。どこに転がるかなんて出たとこ勝負だ。

 試しにやってみると、ラッキーなことにボールは小さく弧を描いて桜先輩の頭上を越えて行った。

 転々とするボールは、ぽっかりと空いた先輩の背後のスペースへ。


 よっしゃ、もらった!


 ダッシュした私は桜先輩と入れ替わり、フリーでボールを保持する。

 ボールの行方を追って顎が上がってしまった先輩は、反応が一瞬遅れてしまったのだ。その隙を私は見逃さなかった。

 しかし喜びも束の間、前方からはサイドバックが慌てて詰めてくる。後ろからは桜先輩。この状況を一人で打開できる足技は、残念ながら私にはない。

 しょうがないので右足でパスを出して、中盤のキャプテンにボールを預ける。そしてラインに沿ってスプリント、つまり全力疾走を開始した。


『私のパスはキツいわよ』


 さあ、どんなパスが来るんでしょうね。

 楽々追いつけたら心の中で笑ってあげるから。そんなものなのかと。

 そう思いながらキャプテンをちらりと見る。目が合った瞬間、彼女の必殺スルーパスが炸裂した。


「ええっ、マジ!?」


 それは、必死に走らないと追いつけないコース。

 でもこれに追いつければ決定的なチャンスを作れる、本当に必殺のスルーパスだった。


「こんちくしょう!」

 血の味がしそうな限界状態の肺に必死に空気を送り込む。

 手を振って、足をフル回転させて、私はボールが外に出てしまうギリギリのタイミングで追いついた。

「でも、これでラインは突破した!」

 私は、オフサイドの反則をもらうことなく、ディフェンスラインの背後へ抜け出ることに成功したのだ。


 ドキドキと心臓が高鳴る。

 私とゴールとの間には、相手センターバックとゴールキーパーしかいない。その二人の鬼気迫る表情が、自分がどんなに危険な位置にいるのかを物語っている。

 

「まずはセンタリング!」


 私は右足でボールを保持しながら中に切れ込み、センターバックが寄せて来る前に右足を振り抜いた。

 味方フォワードが待つゴール前ではなく、もう少し自陣側のポッカリと空いたスペースに。

 ボールは弧を描きながら飛んでいく。


「キャプテン、今度はあなたの走りを見せてもらいますよ!」


 これはチームプレーではなく、私怨にまみれたブレーだったかもしれない。

 でも、私は感じたんだ。

 さっきキャプテンと目が合ったアイコンタクトの時に。

 ――『最後は私に戻せ』と。


 その感覚が正しかったことを証明するように、キャプテンはゴール前のスペースに走り込んでいた。

 身長一七五センチの長身が躍動する。と同時に、ショートの髪が頭の振りに合わせて綺麗に広がった。

 高く跳んだキャプテンは、私のセンタリングを空の上からヘディングでゴールに叩き込んだのだ。

 まるで青空から獲物を狙う鷹のように。


 ゴール!


 うわっ、超気持ちいい!

 これだよ、サッカーは!

 私はこの瞬間のためにサッカーを続けてきたんだ。

 


 まだまだやれる。

 もっともっと走ってやる。

 試合再開の笛を聞きながら、私の中でアドレナリンが増産されるのを感じていた。

 

 しかし、そこから先は地獄だった。

 ディフェンスラインの背後に抜けることができるようになった私は、何度も何度もスプリント全力疾走を試みる。

 が、パスが来るのは三回に一回くらいなのだ。

 まあ、そりゃそうだ。いつも同じところにパスしていたら、それはキラーパスとは言わないし、相手だって警戒してしまう。


 中学までのクラブだったら、パスが出されてから走っても楽々追いつけた。

 でも今は違う。キャプテンのスルーパスは本物だ。最初から死ぬ気で走らないと追いつけない。

 そういえば小学生の時に見た芦屋INCAの試合でも、背番号2は何度も何度もスプリントしてたっけ。それでも背番号10からパスが来たのは数回だけだった。そのたった数回のために、チームのために、背番号2は献身的に右サイドを駆け上がっていたのだ。


「いや、違う!」


 チームのためなんかに私は走らない。

 あのゴールの瞬間のためなんだ。

 今なら分かる。あれは私のサッカーのすべてだ。さっきのゴールで心からそう感じた。


 とはいえ、さすがの私も毎回万全の状態でスプリントできるわけではない。

 後半三十分。

 ほんのわずか出遅れてしまったスプリントに、キャプテンから鋭いスルーパスが飛んで来る。


「ごめん、キャプテン。これは追いつけない」


 そんな弱気が横顔に表れてしまったのだろうか。

 無意識のうちに手の振りを弱めてしまったのだろうか。

 それを見抜いたキャプテンから檄が飛んでくる。

 最も言われたくない言葉と共に。


「死ぬ気を見せろ! 芽瑠奈、諦!」


 言ったな、その言葉を!

 キャプテンでも許さない!

 だから絶対追いついてやる。


 それが悲劇の始まりだった。

 外に出ようとするギリギリのボールに思いっきり足を伸ばす。

「ぎゃっ!」

 が、ほんの一瞬間に合わなかった私はボールの上に乗ってしまい、派手に転倒してしまったのだ。

「痛たたたた……」

 思いっきり右足を挫く。

 フィールドに転がった私はしばらく立ち上がることができなかった。

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