第1話 やってられないよ
「まったく、もう、やってられないよ……」
あれから五年。
高校生になった私は、憧れの名門サッカー部への入部という夢を手に入れた。
――
高校女子サッカーのタイトルを十個も持つ、日本でトップクラスの部活だ。
が、いざ入部してみると、現実の厳しさを痛感する。
部員数は五十名。
一方、試合に出場できるのは十一名。
つまり五倍弱の競争を勝ち抜かないとレギュラーにはなれないってこと。
でも私には強力な武器があった。
それは持久力。一五〇〇メートルを四分半で走ることができる。
「なに、ずるい。一種のチートじゃん。陸上部としてインターハイに出れるよ、それ」
同じクラスで一緒に入部した
だから、私はすぐにレギュラーの座を手にできると思っていたのに……。
「はぁ……」
「メル、いい加減にやめなよ。ため息、もう十回目だよ」
「麻由はこの状況に満足してるの? 私たちがこれを引っ張っていることに!」
それは重いコンダラ……じゃなくて、重いローラーだった。
「ローラーだけど?」
「ローラーだけど、じゃないよ」
相変わらずの麻由の天然ぶりに私は呆れる。
「えっ? メルはこれがローラー以外のなにかに見えるの?」
「いやいや、サッカー部でローラーはおかしいでしょ? スポ根野球漫画じゃあるまいし」
「部活の後でグラウンドにローラーかけるのは普通じゃん。私たち、まだ一年生なんだし」
そんな無邪気な麻由の横顔を、初夏の夕陽が照らしている。
今年は世界的なウイルス災害のため入学式は中止、学校や部活に通えるようになったのは六月からだった。
私は「はぁ」と今日十一回目のため息をつく。
「麻由ってお気楽でいいよね。いい、サッカーはそもそも芝生でやるものなの。土のグラウンドじゃないの」
「しょうがないじゃない。高校の部活なんだし」
「しょうがないじゃないよ。ここは天下の黄葉戸学園なんだよ。全国のサッカー少女が憧れる聖地なんだよ。ていうのに、土のグラウンドってありえないよ」
名門なのに、という理由だけじゃない。
そもそも私は土のグラウンドが嫌いなのだ。
スパイクはすぐすり減るし、ボールの痛みも激しいし、練習は埃っぽくってショートの髪はいつもバキバキ。それに土のグラウンドでいくら上手くなったって、試合が行われるのは芝。練習で上手くいくことが本番でも上手くいくとは限らない。まあ、本番に出られるチャンスがあれば、の話だけど。
「中学まで通ってたクラブだって人工芝で練習してたっていうのに……」
私が十二回目のため息をつこうと麻由を向くと、いつもお気楽な彼女の表情が強張っている。
いったい何が、と思った瞬間、背後の頭上から声が飛んできた。
「あんたたち、いつまでローラーかけてんの。そんなエリート育ちなら、さぞかしボールの扱いは上手いんでしょうね?」
ヤバい、この声は――
振り向くと、やはりキャプテンだった。
一七五センチという恵まれた体格に加えて、ボールの扱いは部活ナンバーワン。
おまけに敵の弱点を的確に突くパスセンスに長けていて、年代別の日本代表に呼ばれるのは時間の問題ではないかと噂されている。
身長の高いキャプテンの言葉は、どうしても高圧的に感じてしまう。
一方、私は一六〇センチで、麻由は一五五センチ。
この身長差を打ち消すには、強い言葉を返すしかない。
『なら、芝のグラウンドで私と勝負してみます? ただし私からボールを奪えなかったら、次の試合のレギュラーをいただきますよ』
そんな風に言ってみたい。
まさにスポ根ドラマ。
が、私にはそう啖呵を切れない事情があった。
というのも、自慢の持久力で大抵の相手ならぶっちぎることができるので、足技なんて使う機会はあまりないし、真剣に練習もしてこなかったから。
つまり、下手ってこと。
「メルはね、もっと左足を練習しなくちゃダメ」
的確な指摘に言葉をつまらせる。確かに私は左足を使うのが特に苦手だった。
「でもキャプテン。日本代表だって、利き足だけでプレーしている人もいるじゃないですか?」
「それはね、フォワードとかそういう攻撃的なポジションの話よ。いい? 考えてみてよ。右サイドバックが右足しか使えなかったら、センタリングしか上げられないじゃない?」
キャプテンが言うことももっともだ。
右サイドバックとは、フィールドの右側を守るディフェンダーのこと。私は小学生の時からずっとこのポジションでやってきた。
右サイドバックが攻撃に参加する時は、右サイドからのロングパス、つまりセンタリングが基本となる。
さらに左足が使えれば、ゴール前へドリブルしてからの左足シュートという選択肢が増えるのだ。
が、私には私の考えがあった。
「だったらそれでいいじゃないですか。センタリングさえ上げられれば」
私の脳裏に小学生の時に見た試合のシーンが蘇る。
芦屋INCAの背番号2は、敵陣深く切り込んで得点に結びつく正確なセンタリングを上げた。
私はそういうプレーがしたいのだ。
それだけで十分なのだ。
実際、少年少女サッカー時代は何度も敵陣に切り込んで、決定的なセンタリングを成功させている。
「あなたのスタミナは部員誰もが認めるわ。でもそれだけじゃダメ。今は基礎をしっかり身に着ける時なの」
本当にそうなのか?
自分の得意な部分を徹底的に磨けば、それはそれでいいのではないだろうか?
不服そうな表情を崩さない私を見かねたキャプテンは、一つため息を漏らすと私に向かって提案した。
「わかったわ。週末の紅白試合、あなたにはAチームの右サイドバックに入ってもらう。右サイドバックの桜には、あなたの代わりにBチームの左サイドに入ってもらうわ。そこで自分には何が必要なのか学ぶのね」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべたキャプテンは踵を返し、部室の方へ引き上げて行った。
「やったじゃん、メル! いきなりAチームだよ!」
キャプテンが部室に入ったことを確認すると、麻由が私の手を取って小躍りする。
まるで自分の事のように喜んでくれる麻由は本当に大切な友達だ。
「これで結果を出せれば、念願のレギュラー昇格だね、メル!」
そんなに上手くいくだろうか?
私はキャプテンが最後に見せた表情が気になっていた。
「きっと今頃、桜先輩と相談してるよ。私をギャフンと言わせる算段を」
間違いなくそうだろう。
あの笑いには、私の足を封じる策略が滲み出ていた。
「なに、暗い顔をしてんのよ。あのキャプテンに「それでいいじゃないですか」って啖呵切ったのメルじゃない。ちょっと胸がすうっとしたなぁ。ほらほら、その自信はどこに行ったの? 芽瑠奈よ、諦め……」
「ストップ!!」
私は慌てて麻由の口を遮る。
「だからいつも言ってるよね。それ言っちゃダメだって」
本当に嫌なんだから、ダジャレで私の名前を茶化されるのは。
「ちぇっ、久しぶりにあれを言うチャンスだったのに〜」
仲の良くない友達ならぶっ飛ばすところだよ? 麻由だから許してあげるけど。
「メルならできるよ、桜先輩をぶっちぎるところを見せてよ」
私だって快走したい。右サイドを一直線に。
あの時の背番号2のように、相手選手を置いてきぼりにして。
ふと空を見上げると、六月の夕陽はすっかり沈んでいた。
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