右サイドを駆け上がれ!
つとむュー
プロローグ
「おおっ!」
私の目の前を一人の女子選手が駆け抜ける。
――背番号2。
激しい息遣い、流れる汗もよく見える。
「すごいね、パパ!」
私たちの席は前から三番目。
試合に連れて来てくれたことへの感謝を込めて、私は横に座るお父さんを見上げた。お父さんも興奮しながら、背番号2の選手を視線で追っている。
女子サッカーなでしこリーグ一部、芦屋INCAの試合。
少年少女サッカークラブに入ったばかりの小学四年生の私、
「ねえ、パパ?」
試合を観ながら、疑問に思っていたことがあった。
「なんでゴール前にはぜんぜん人がいないの?」
そこにはキーパーだけがいて、それ以外の人はいないのだ。
まるで、がら空きの空間。
それがずっと不思議だった。
敵のチームの守備は、どうやら五人のようだ。
ゴールキーパーと、ディフェンダー四人。
ゴール前にはキーパー。それは理解できる。唯一手が使えるのはキーパーだから。
しかし、ディフェンダー四人のポジションが理解できないのだ。彼女たちはほぼ横一列になっていて、キーパーから三十メートルも離れたより前線で守っていた。
「あのゴールにボールを入れれば一点なんだよね? だったら、みんながゴール前で守っていればいいのに?」
五人がゴール前でがっちりと守っていればいい。
そうすれば、点は入りにくくなるような気がする。
あんなに間を空けていたら、攻めやすくなっちゃうんじゃないの?
「あははは。あれはね、メル。オフサイドっていうルールがあるからなんだ」
――オフサイド。
少年少女サッカークラブでもよく聞く言葉だ。
でも始めたばかりの私にとって、まだ意味がよく分からないチンプンカンプンな言葉だったりする。
「オフサイドっていうのはね、待ち伏せ禁止のルールなんだ。敵チームのゴール前にぽっかりとスペースが空いているよね。あれって実は、安全地帯なんだよ」
安全地帯!?
あれが!?
そんな風に私には思えない。
「ええっ? それって変だよ、パパ? だって、あそこに行って攻めればいいじゃん」
「でも、ボールよりも先にあの場所に行ったらダメなんだ。ほら、見ててごらん」
お父さんが指さす方を見る。ちょうど敵のディフェンダーが横一列を保ったまま、前に走り出すところだった。
すると味方が取り残される。安全地帯とお父さんが言った敵のスペースに。
その瞬間、味方からその選手に向けてパスが放たれる。「これこれ、私が言ってるのはこういうチャンスだよ」と思った瞬間、ピピーっと主審の笛が鳴った。
「あれがオフサイド。ボールよりも先にあのスペースにいたから、反則になっちゃったんだ」
取り残された選手は、がっくりとうなだれながら自陣へ戻っていく。
せっかくのチャンスだったのに……。
うーん、これがオフサイドってやつなのか。
まだよくわからないけど、あのぽっかりと空いた空間が特別ということは分かったような気もする。
「じゃあ、パパ。ボールよりも先に行ったらダメなら、どうやって攻撃すればいいの?」
「簡単だよ。ボールよりも後に行くか、ボールと同時に行っちゃえばいいんだ」
ボールと同時に!?
果たして、そんなことができるの?
「ほら、メル。ボールの後に行く攻撃が見れるよ」
お父さんが指さす方を見ると、味方の選手が、敵の安全地帯に向けて山なりのボールを蹴り上げた。
「あれはね、縦ポンっていうんだ」
――縦ポン。
これは初めて聞く言葉だ。
「敵の安全地帯に向けてボールを蹴って、それをめがけて攻撃の選手が走る。そうすれば、ボールよりも後だから反則にはならないんだよ」
そうか、そういう手があったか!
お父さんの言う通り、攻撃の選手はそのボールめがけて走り出す。
しかし、その選手が追いつく前にディフェンダーの選手が追いついて、ボールは自陣まで蹴り返されてしまった。
「ああ……」
私がため息を漏らすと、お父さんが解説してくれる。
「ボールの後から走り出すと、やっぱり敵の方が先に追いついちゃうんだよね」
じゃあ、どうしたらいいの?
「それを打開する方法がある。さっき言った『ボールと同時に行っちゃう』方法。ほら、見ててごらん、今やろうとしてるから」
ボールと同時に行く攻撃が今から見れる!?
私の胸は、期待でなんだかドキドキしてきた。
ボールは味方の背番号10が持っている。
すると背番号2が、サイドのラインに沿って走り始めた。
激しい息づかいが、また私の目の前を駆け抜けて行く。
「ああやって、守りの選手が後ろから走り始めるんだ」
「なんで後ろからなの?」
前には攻撃の選手が何人もいるのに?
「加速をつけるためなんだ。ほら、見ててごらん」
背番号2は走るスピードをどんどん上げる。
するとお父さんは背番号10の方を指さした。
「今度は10からパスがでるぞ。すごいパスが」
背番号10が前を向くと、地を這うようなパスが炸裂した。
「おおっ!」
スタジアムが歓声に湧く。
そのパスは、敵味方入り混じった人々のわずかな隙間を通す、速くて直線的なパスだった。
「ああいうパスをスルーパスって言うんだ。選手の間を抜いて、しかも走る味方に合わせる。すごく高度なテクニックだよ」
と同時に、背番号2が敵の安全地帯に突入した。最大限の加速をまとって。
もはや敵は追いつくことができない。
「こうやってボールと同時にラインを越えればオフサイドにはならない。ラインっていうのはね、ディフェンスの四人が横並びになっている線のこと。ディフェンスラインとも言う」
確かに審判の笛は鳴らなかった。
背番号2とボールは、敵の安全地帯への侵入に成功したのだ。
スタジアムの歓声は次第に高まっていく。
「こういう状態を『裏を取った』と言う。ディフェンスラインの背後の空間への侵入に成功したって意味なんだ。その証拠に歓声がすごいだろ?」
確かに周囲の歓声がすごい。
背後からも「いいぞ」とか「行け!」という声が飛んでくる。
見回すと立ち上がっている人もいた。
背番号10からのパスを受けた背番号2は、ゴールに向ってドリブルを開始した。
敵のディフェンスが慌ててゴール前に戻って行く。
「次はセンタリングだ。背番号2は、ゴール前に走りこむ味方に向けてパスを出すぞ。これをセンタリングって言うんだ」
背番号2は大きく手を振る。そしてディフェンダーが寄せる前に右足を振り抜いた。
右サイドから放たれたそのパスは、地面を這う弾道ではなく、弧を描いて宙を飛んでいく。
するとゴール前に走りこんでいた味方フォワードが、地面を蹴って宙に舞ったのだ。
「行けー!」
横を見るとお父さんも叫んでいた。
「おー!」
私も一緒に声を上げる。
するとフォワードは背番号2からのセンタリングをヘディングで合わせた。
鋭くコースを変えたボールは、キーパーの前でバウンドし、キーパーの手をすり抜けてゴールネットを揺らしたのだ。
『ゴール!!!』
スタジアムがどっと歓声に湧く。お客さんも総立ちだ。
私とお父さんも一緒に立ち上がり、ハイタッチを交わした。
すごいすごい、こんなプレーが間近で見られるなんて。本当に胸のドキドキが止まらない。
「ねえ、パパ。私、あの背番号2のようなプレーをしてみたい。何ていう選手なの?」
「
「私、遠賀選手みたいになりたい。あんな風に走ってみたい!」
「あははは、本当にメルは走るのが好きなんだね」
その日から彼女は、私の憧れの選手となった。
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