第19話 百歳の真王

 神一と真王がアフガニスタンから帰ると、破壊された風の里の家は綺麗に片づけられていて、小さな家が建っていた。火王や土鬼達が気を利かして建ててくれたのだ。

 風の里に穏やかな時間が流れて、神一と真王に、本当の平和が訪れたかのように思えた。


 だが、帰国後、数日すると、真王が体調不良を訴えるようになった。疲れやすく、だるいと言っては、床に臥せる事が多くなったのである。神一は、病気知らずだった真王の身体の変化に胸騒ぎを感じ、急遽、ドクターヘリを呼んで、真王を大阪の大学病院へ連れていった。

 検査に数日かかり、そして、診断結果が出た。


「真王さんの身体は、電撃の使いすぎによる老化です。持って一月でしょう」

「老化? 一月? ……先生、何かの間違いでしょう。この間まであんなに元気だったのに……」

 神一は、しばらく医師の言葉が頭に入って来なかった。付き添ってきた神一の母、正子の眼に涙が溢れ、嗚咽を堪えるように泣きだした。

「それで、治療の方法は無いんですか?」

 神一は、母の押し殺すような泣き声を聞きながら、自分も泣きだしそうになるのを懸命に堪えて、すがるような眼で医師を見つめた。

「非情なようですが、老化に効く薬はありません。真王さんは、二十三年間で百年分生きたのです」

「そんな……」


 診察室を出た神一の足は重く、真王の病室への距離が長く感じられた。神一が部屋へ入ると、眠っていた真王が目を覚ました。

「神ちゃん、先生の話はどうだった?」

「……」

「そう、悪いのね」

「いや、そんな事は……」

「はっきり言って! 自分の身体の状況も聞けないの?」

 穏やかだった真王の顔色が瞬時に変わり、落ち込んだその目が神一を睨んだ。 

「分かった、言うよ。君の身体は、電撃の使いすぎで、百歳のお婆さんの身体になっているそうだ。あと、いくらも……」

 神一はそこまで言うと、堪えきれずに声をあげて泣きだした。その神一の手を取った真王の顔は優しさを取り戻していた。

「……あなた、泣かないで。これも運命かもしれないわ。天真と言う宿敵を倒す事も出来て、両親の想いも遂げる事が出来た。私の使命が終わったのね」

「俺はどうなるんだ。真王無しで、これからどうやって生きていけばいいんだ?」

「ごめんね。……あなたと結婚出来て私は幸せだった。何も思い残す事は無いわ」

「やめてくれ! 僕がお前を死なせない。僕の赤ちゃんを産んでくれるんだろ、元気になったら子供を作ろう。きっと可愛いぞ」

 流れる涙で、真王の顔がぼやけた。

「心配するな。この命に賭けて、お前を死なせはしない」

 神一は、何か当てがあったわけではなかった。ただ、どんな事をしても真王を死なせないと心に誓ったのである。神一は、涙を拭いて笑みを浮かべながら、彼女の手を強く握りしめた。

「母さん、真王を頼んだよ」

 神一は、源爺への報告の為に病院から自宅へと戻った。源爺は喫茶“ウインド”に居た。


「源爺、真王は余命一月の診断を受けました。彼女の身体を治す風の技は無いんですか?」

「あと一月だと! 本当なのか? ……何という事だ、……可哀想に」

 源爺の顔に驚きと絶望の色が浮かんだ。

「あの真王ちゃんが、どうして?……」

 話を聞いていたママの風花が、信じられないという顔で涙ぐんでいた。

「申し訳ありません。僕が付いていながら、彼女の体調の変化に気づかなくて……」 

「いや、あの子に重い荷物を背負わせたのは、このわしだ。やっと、その荷物を下せるところまで来たというのに、それが悔しくてならん。お前が、傍に居てくれて本当に良かったと思っている。……解決法があるか分からんが、風の書物を調べてみよう」

 源爺はそう言って自室に閉じこもると、風の里から持ってきた古い書物を紐解き始めた。


 神一は、探偵事務所にいる父に、涙目で報告して病院へと戻っていった。

 数日すると、真王は一日の殆どを眠り姫のように眠り続けていた。神一はたまらなくなって、屋上へ飛び出すと、声を上げてオイオイと泣いた。

 泣きながら、彼の脳裏に四百年前の真王の姿が浮かんだ。そして「彼女も短命だったんだろうか?」との疑念が湧いてきた。

 神一は、真王の病室に戻ると、母に、四百年前の真王の人生の中に、蘇生の鍵が無いか見てくると告げて、部屋の隅に安座して目を閉じると、心の奥へと潜っていった。


 彼は、無意識層の、自分の過去の人生が刻まれたデータの河まで下りると、四百年前の自分の人生へと遡っていった。そして、その人生を早回しのよう見ていって、宗家の摩耶(真王の過去世の名。雷撃を操る、風の五代目宗家)が病気になる場面を見つけると、そこから詳しく見ていった。それは、信長の軍を蹴散らした直後の事である。


 風の里の二人の家で、摩耶が、病の床に就いていた。

「摩耶、体の具合はどうだ?」

 風の神一郎(この時代の、神一の名)が枕元に座って摩耶を気遣った。

「あなた、大事な時にすみません……」

 摩耶は、やつれた青白い顔を布団から見せて、その声は弱々しかった。

「宗家の技は特異体質とは言え、直接、雷を体内に取り込む荒技だ。無理が祟ってしまったのかも知れんな。ともかく養生をせねばの。里の守りの事は心配いたすな」

 神一郎は彼女の命が幾ばくも無いことを、薬師から聞いて知っていたのだが、努めて平静を装い、優しく声を掛けて、障子の外に消えていった。

 彼は、その足で里の長老を訪ねて、宗家の病状を涙ながらに報告した。

「そうか、宗家はそんなに悪いのか……。黄金の泉の力を借りるしかないようじゃな」

「黄金の泉? 何です、それは?」


 神一郎も知らない黄金の泉とは。神一はゴクリと唾を飲み込んで物語の行く末を追った。


「わしがまだ若かった時の事じゃ。初代様が戦いで大怪我をされて、命が危なかった時があっての。彼は死期を悟り、死ぬ為に、この里にある龍牙洞に入ったのじゃが、それが、数日経って元気になって戻ってきたのじゃ。初代様は龍牙洞の奥深くにある、その泉に身体を浸すと傷が癒えたと言っておられた。

 じゃが、その場所は誰も知らんし、迷路のような洞窟の中で迷えば死するしかない。あそこに入って出て来た者は初代様だけじゃ、行くなら死を覚悟せねばならん。

 神一郎、お前にその覚悟はあるか!?」

 長老の鋭い眼が神一郎を見据えた。

「無論です。宗家、いや、愛する妻の為ならこの身は惜しみませぬ。どうせ助からぬ命なら、我ら夫婦の運に賭けとうございます!」

 神一朗の凄まじい気迫に、長老は深く頷いた。

「よし! 分かった。よいか、初代様は風が導いてくれたと言っておられた。一つのヒントにはなるじゃろう。心して行くがよい!」

 次の日、神一郎は、背負い籠に摩耶を後ろ向きに縛り付けると、多くの里人たちが手を合わせて見送る中、松明を手に龍牙洞へと姿を消していった。


 龍牙洞の中は、数キロに渡って幾つもの穴が交差していて、迷路のような構造になっていた。

 洞窟に入って数時間が経つと、松明は燃え尽きて真っ暗な中を進まねばならなかったが、日頃の修行のお陰で、神一郎には周りの景色が手に取るように分かった。彼は、長老が教えてくれた風の流れを読みながら奥へ奥へと進んでいった。

「摩耶、寒くは無いか?」

「大丈夫です……」

 だが、その声はかすれて神一郎には届かなかった。彼は、背負い籠を下ろすと、彼女に口移しで水を飲ませ、自分の背中に直接彼女を背負った。互いの温もりを感じながら二人は更に奥へと進んだ。


 どれだけ歩いただろうか、神一郎の逞しい足にも疲労を感じ出した頃、背中の摩耶の力が抜けてずしりと重くなった。

「摩耶、しっかりせい! もうすぐ黄金の泉ぞ!」

 だが、摩耶の体温は徐々に下がって、返事は帰って来なかった。神一郎は涙ながらに虚空に訴えた。


「風の神よ! おわすならば我妻の命を助け給え!!!!」


 神一郎の声が、洞内を震わしたその刹那、前方の岩が崩れて、黄金の光が漏れ出した。

「おお!!」

 神一郎は、両手でその岩をかき分け、中へと入っていった。

 そこは、数十メートルの高さの大きな空洞になっており、その下に黄金の光が輝き渡っていた。

 彼は、冷たくなった摩耶を下ろすと、一気に、その黄金の泉の中へ彼女の身体を浸した。

黄金の泉は、水ではなかった。光の泉だった。その黄金の光は、摩耶を包み込むと、その体内へと染み透り、全細胞を活性化させていった。

 仮死状態だった、摩耶の心臓が力強く打ち始めた。そして、摩耶の死人のような青い顔に徐々に赤みがさして、終にはピンク色になってくると、摩耶が静かに目を開いた。

「おお! 摩耶、摩耶、分かるか? 私だ、神一郎だ!」

「神一郎様!」

 二人は、ひっしと抱き合って、生きていることを確かめるように激しく唇を合わせた。


神一は、二人が、風の里を繁栄させて、長寿を全うした事を確認してから、病院の真王の部屋に、浮上してきた。

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