第10話 水神軍団
年の瀬も迫った十二月の中頃に真王に送られて旅立った神一は、電車を乗り継いで兵庫県へと向かい、小さな町でレンタカーを借りて山間部へと入っていった。そこから、いくつか山を越した所に水神(みずがみ)の秘密基地があるはずだった。
彼は、あと一山越せば目的地というところで車を降りて、歩いて山道に分け入った。
一時間ほどで山の頂上まで来ると、見渡す限り、山々の峰が薄青く幾重にも重なっていて、山深さを感じさせた。
十二月の兵庫の山中は風が冷たく、今にも雪が舞いそうな曇り空だった。彼は、双眼鏡を取り出して、麓の辺りを観察すると、衛星写真にあった白い大きな建物が三棟建っている広い場を見つけた。
神一が時間を見ると既に十五時を回っていた。彼は、そこで簡単な食事をとり、夜を待った。待ちながら、衛星写真を見て潜入経路を検討したり、敵と遭遇した時の対応などを考えて準備を整えた。
辺りが暗くなって、雪が舞いだした山道を神一は用意していた暗視ゴーグルをつけて下りて行った。
三十分ほどで、例の白い建物の裏山に辿り着いた。建物は三棟あって、双眼鏡で辺りを見回すと人影は無かったが、窓のカーテンの隙間から明かりが漏れているから、人が居るのは確かだった。
神一は、暫く様子を見ていたが、何の動きも無いのに痺れを切らし、風を操って一つの建物の屋上へと飛び上がった。
屋上のドアは開いており、彼が、最上階である五階から、各階の様子を見て回っていると、三階の明かりのついた部屋から話し声が聞こえてきた。彼は、辺りを見回してから、廊下の薄暗い隅で聞き耳を立てた。
「親父、稲妻の娘が風の息子と二人で、土鬼と、火王を倒したそうですよ。こちらに来るのも時間の問題だと思います」
「そうか、彼女は宗家の娘だ。宗家としての力を、身に着けてしまったのかも知れんな」
「彼らがどんなに強くても、闇の力を取り込んだ、私達の敵ではありません。それに、刺客軍団を大阪に派遣していますので、近い内に吉報が聞けるでしょう」
「うむ、だが、油断は禁物だ。宗家の力を侮るでないぞ。わしも十七年前、宗家夫婦と戦ったが、火王と土鬼が居なかったら危なかった……」
神一は、話の内容から、二人が水神親子である事が分かると、沸々と怒りが込み上げてくるのを覚えた。その時、神一の気の乱れを天真に感づかれてしまった。
「誰だ!」
天真の叫び声と同時に、神一の前の壁が砕け散ったかと思うと、数本の氷の槍が身体をかすめて窓側の壁に突き刺さった。神一が逃げようとした時、今度は水神の父、一鬼(いっき)が廊下へ出てくるなり水龍を出現させると、いきなり神一を飲み込んだ。次の瞬間、天真の姿が見えて、その手から冷波(何でも瞬時に凍らせる冷気の波)を放ち、その水龍を神一諸共凍らせると、神一は身動きはおろか息さえできなくなった。苦し紛れに風破で氷を粉砕したが、水神親子の水龍と冷波で、再び氷漬けにされて、駆けつけた軍団に捕らえられてしまった。
神一が目を覚ますと、彼は椅子に縛り付けられていて、その部屋には、中央に水神親子が陣取って、その両サイドに、迷彩服を着てライフル銃で武装した十名ほどの軍団が控えていた。
「噂をすれば、影か。風、久しぶりだな。会えてうれしいよ」
神一をを見て不敵な笑い顔を見せた天真は、五年前の貴公子のような雰囲気は消えて、浅黒い顔は、般若のような険しさが浮かんで別人のように変わってしまっていた。
一方、父の一鬼は、まだ五十代のはずだが、病人のような青白い顔をしていて、目だけがギラギラと、くぼみの奥で光っていた。
闇の力(ダークエナジー)に魅入られた人間は、その姿までも悪魔のように変えてしまうのかと、神一は思った。
「お前が風の息子か、俺たちの動きを探りに来たんだな。水の章は渡さん、欲しければ力ずくで取れ! だが、今のお前では俺たちの敵ではない。少しがっかりだな」
一鬼は、しゃがれているが、病的なイメージからは想像できないような力強い声で言って、落胆の色を浮かべた。
「貴方達の目的は何ですか? 水の章に固執するのはいいとしても、強力な軍団は何の為なんです? 宗家の復讐を恐れているとも思えませんが」
神一が落ち着いた口調で聞いた。
「そんな事を聞ける立場か!? まあいい、冥途の土産に聞かせてやろう。我が水神家の目指すところは、この水の技を持って日本中、いや世界中の人間を跪かせることだ。邪魔をする奴は容赦なく殺す!」
「軍団は、どの位いるんです?」
神一がしつこく聞くので、一鬼は少し顔を歪めた。
「ふん、この十年俺が手塩をかけて育てて来たんだ。今は、そのメンバーが全国に散らばって鼠算式に弟子を育成している。テロの一つや二つ、何時でも起こせるぞ」
彼はそこまで言うと、天真と席を立って「始末しろ!」と軍団に指示し、部屋を出て行った。
神一は、縛られたまま軍団達に囲まれて外へ連れ出された。彼らは杉林の中に入って行き、その中の杉の巨木に神一を縛り付けると、五メートルほど下がって銃を構えた。
「天真様の話だと、お前はかなりの風の使い手と聞いたが所詮、水神家の敵ではなかったようだな。可哀想だが死んでもらうぞ!」
軍団のリーダーらしき男が合図の手を振り下ろそうとした瞬間、何処からともなくつむじ風が巻き起こり神一を包んだ。その刹那、軍団の銃撃の音が何十発も山に轟いて、つむじ風が去った後には神一の姿は消えて、切れたロープだけが残っていた。
「逃げたぞ! 探せ!」
軍団が、蜘蛛の子を散らすように神一の行方を捜して走り去ると、杉の木の上から神一が風に乗ってゆっくりと下りてきた。
彼は、地上に下りると、目を閉じ、胸の前で印を結んで気を集中させた。
すると、彼の前方に風が舞いだして、その風は、徐々に激しさを増していった。土煙を上げ、木々をへし折り、それらを巻き上げて凄まじい竜巻になると、彼は、それを更に巨大化させて、終には天にも昇る大竜巻に成長させた。
神一の風の奥義“竜の風”で、彼はこの竜巻を自在に操ることが出来た。
その竜巻は、数百年物の杉の大木をなぎ倒し、砂塵や大きな石までも巻き上げながら水神軍団の建物のある方向へと進んでいった。
「全員、地下に避難しろ!」
軍団達は、突然の大竜巻に驚いて、我先に建物の地下へと逃げ込んでいった。
凄まじい暴風が荒れ狂い、竜巻が暴れまわって去った後には、建物は無残に崩れ、何本もの大木が建物を串刺しにしていて、彼らのアジトは壊滅的な打撃を受けていた。
「やってくれたな。これがあいつの本当の力か……」
「……」
水神親子が呆然となっている頃、神一は竜巻に乗って遠い山々を越えていて、その日の夜には大阪に帰っていた。
神一が大阪に着き、我が家へ帰ろうと夜道を急いでいたその時、前方に青い稲光が走った。空に雷雲は無く、神一は真王の仕業だと感じて、風に乗って現場へと急いだ。
街外れの公園では、真王が二十人ほどの、風の技を身に着けた刺客に囲まれて交戦中だった。
神一は、刺客たちの真ん中に降り立つと、風の盾と風破を使って、次々と敵を倒していった。更に、残りの刺客に立ち向かおうとした時、彼らは悲鳴を上げてバタバタと倒れた。真王が風御を操り、小石を彼らの顔面に浴びせたのである。刺客は全員倒され警察に逮捕された。
警察の聴取などが終わって、神一達が家に帰ったのは二十三時を過ぎていた。
「神ちゃん、早かったわね。お風呂沸かすわね、ご飯は食べたの?」
真王は何もなかったかのように、いつもの笑顔になっている。
「病院の帰りに襲われちゃって。本格的な雷撃も使えないし、相手が多かったから助かったわ」
「あいつらは風の技もしっかりしたものだった。喫茶店を襲ったやつらとはレベルが違うようだ」
「そうね。でも、これで暫くは攻撃してこないと思うわ……」
真王は、不意に神一に引き寄せられて、濃厚なキスを受けた。神一がヒートしてくるのを「後で」と言って彼の腕から離れた。その時彼女は、神一の手首や身体に傷があることに気づいた。
「さっきの傷ではないわね。水神達と戦ったの?」
「うん、戦ったというより、不意を食らって氷漬けにされて、捕まってしまったんだ」
「それで、よく無事に帰られたわね……」
真王の顔が厳しくなって、その目が張り裂けそうに見開かれた。
「そんなに怒るなよ、無事に帰って来たんだから」
「この戦いは、私達二人の、どちらが欠けても勝てないのよ! 一つ間違えばあなたは死んでいたわ。そんな軽率な事でどうするの!」
真王は語気を強めて言うと、その大きな目から涙が溢れた。
「ごめん、ごめんよ。もう無茶はしないから……」
神一は、帰す言葉も無くて、首を垂れてしまった。その日から真王は口を利いてくれなくなった。
次の日、父に呼ばれて行くと源爺も顔を見せていて、神一は二人にも、こっぴどく叱られた。
「それで、何か分かったのか?」
源爺が、厳しい表情を崩さないで聞いた。
「はい、彼らは闇の力を手に入れたと言っていました。冷波というどんな物でも瞬時に凍らせる技を見せられましたが、底知れないパワーを感じました。それから、武装した軍団が全国に散らばり、命令一つで何時でも動ける体制をとっているようです」
「そうか、そこまでの体制を組んでいるのか。それに、闇の力を使うとなると、一筋縄ではいかんな……」
神一の父が、顔を曇らせた。
「父さん、闇の力とはどういうものなんですか?」
「うん、お前の風の力は、この宇宙に存在する善の力であり、光の存在だ。そして、その真反対の力が闇の力だ。そのパワーは善の力と同等だと聞いている。人間を不幸へと誘う悪魔の力だ」
「やはりそうですか。久しぶりに会った天真は悪魔のような形相になっていました」
「闇の力は、使えば使うほどに、我が身を破壊していくからだろう。悪魔の虜になった人間はこの世で破壊の限りを尽くす。そして、最後には自身の心や身体までも破壊していくんだ」
神一は、闇の力に恐怖を抱いて、ぶるっと身体を震わせた。
「神一、土鬼と火王親子から連絡があって、来年早々こちらに合流してくれるようだ。それまで、刺客退治に全力を挙げてくれ。くれぐれも慎重にな」
「分かりました」
源爺の指示を受けて、神一は自室へと戻った。部屋では真王が夕食の準備をしていたが、相変わらず口は利いてくれず、重苦しい空気が流れていた。
「なあ、いい加減機嫌を直してくれよ。これじゃあ、何にも手に着かないよ」
神一が、泣きそうな顔で懇願すると、真王が料理の手を止めて振り返った。
「もう無茶しないわね。今度あんな事したら離婚よ! わかった?」
小さな子にでも言い聞かせるように、背丈の低い真王が、両腕をグンと伸ばして神一の両のほっぺを引っ張った。
「分かった、分かった、痛い! 分かったから」
神一が涙目で謝るのを見て、真王に、いつもの笑顔が戻った。
今までは、兄貴分の威厳を持って真王に接していた神一だったが、最近では、真王に頭が上がらなくなっていた。それは、彼女に宗家としての自覚が芽生え、精神的な成長となって現れたという事なのだろう。その夜、二人は仲直りのラブをして、抱き合って眠った。
次の日から神一は、アパートを中心とした、そこかしこに防犯カメラを設置し、刺客の動きを探った。彼らが動くのは夜が多いはずと、自室で映像をチェックして不審者が現れるたびに飛び出して、片っ端から問い詰めた。
泥棒あり、酔っ払いあり、と色んな奴が網に掛かったが、刺客の場合は口より先に風の技やら、拳銃、ナイフ、日本刀等で攻撃してくるので分かりやすかった。
だが、彼らの実力では神一に敵うはずもなく、ボコボコにされた後で全員警察に引き渡された。
格闘シーンを全部ビデオに撮って提出したので、警察でも彼らの存在を認めざるを得なくなり、その重い腰を上げた。
年が明けて、土鬼、火王親子が、大阪に引っ越してきて、水神軍団の刺客狩りは、大いに進み、五十人余りを捕まえて終了した。
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