第7話 進化
神一と真王と源爺の三人は、次の週の土曜日から、火の技、水の技の修行の為に、日本海の孤島へと出向いていた。火炎や、爆薬などを使える場所は、人の近寄らない孤島しかなかったからだ。
「先ずは、火の技から始めよう。前にも言ったが、基本には風の技があり、それに味付けしたのが火や水の技だ。火の技は、風に火や爆発物を乗せたものだ。高温、爆発と破壊力
は真王の雷撃にも、引けは取らないだろう。欠点は火炎の素になる油や爆薬の量が長時間は持たない事と、爆薬や油は、使い方を一つ間違えば自爆の恐れがあるという事だ」
源爺は風を起こすと、つむじ風を作って粉状の火薬を風に乗せた。
「着火させるぞ! 風の盾で防いでみろ!」
言うが早いか、源爺が、つむじ風の回転速度を上げると、粉塵摩擦が起こり吸い込まれた火薬に引火して、巨大な火炎竜巻が神一達を襲った。彼らは、最高レベルの風を竜巻目掛けて放ち、火炎を防いだが爆発的な火炎が生み出した数千度の高温は、それを突き破りジリジリと髪の毛を焦がした。
「熱い!」神一はあまりの熱さに後方に飛びのいた。
「真王、大丈夫か?」
神一が、真王の身体を気遣って振り返ると、彼女は、更に後方に退避していて、涼しい顔で神一を見ていた。
「逃げ足が速いんだな、真王は」
「馬鹿ね。あんなのまともに受けたら真っ黒こげに成っちゃうわ」
「お前、あの火炎の威力を知っていたのか?」
「当然でしょ。風の里での最後の一年間は、土、火、水の技も一通り習ったって言わなかった?」
「聞いてないよ! ……」
神一は、ふてくされて真王を睨んだ。
「神一、火炎の威力は、生半可な風の盾では防げないぞ。まして、爆発物を使用されたらその比ではない」
「では、どうすればいいんですか?」
神一は源爺の言葉を待った。
「それは自分で考えてみろ。火に強いものはなんじゃ?」
神一は答えを待つつもりが反対に問われたので、慌てて頭脳を回転させた。
「……火には水でしょうか?」
「その通りだ。水は、火を消すことが出来るし、爆発の緩衝材にもなる。但し、大量の水を使える力が無いと実戦には向かない。いわゆる焼け石に水じゃ」
「それが、水神の技ですね」
「そう、だが、水神の技はそれだけじゃない。彼らは、水を凍らせることが出来る。相手を凍りつかせ、動きを封じて氷の剣で襲う。火や風に比べ重量で勝る水の破壊力も侮れないぞ」
「そう考えると、僕の風の技が一番弱い気がするんだけど」
「うん、お前の技は、全ての使い手の基本形だ。それを土台にしての、火の技であり、水の技だ。だからこそ、風の技に精通すれば、それが、最強ともいえるんじゃ、竜の風や、危険であるが風牙(ふうが)はお前独自の技だからしっかり精度を上げていかねばならん。 本来、風の使い手は、宗家の守り人なんじゃ。雷と風が一体になって初めて最強の力を出せると言われている。水神を破るためには、お前たちの一体の技を完成させなければならんだろう」
三人は、火の技の訓練に数時間を掛けてから、海の見える丘の上で腰を下ろし、簡単な食事をとった。
「真王、お前の雷撃だが、本物の雷を受けても身体は何ともないのか?」
「さあ、やった事ないから分からないけど、まだ限界は感じないから大丈夫だと思う」
神一は、真王との二身一体の技の事を既に考えていて、色々と探ろうとしている。
「神一、真王の身体は特異体質とはいっても所詮、生身の人間だ。本物の雷撃は、今の数百倍の威力があるだろうから、体に良い事は無いはずじゃ。私の知り合いに北風博士という科学者がいて、特別なスーツの考案を依頼しているところだ」
「スーツ? それが出来れば限界を超える技が生まれるかもしれないですね。ついでに、耐熱、耐電、耐撃のスーツがあればいいんですが」
「うん、その事も先方には伝えてある。どんなものが出来るのか楽しみだな。さあ、もうひと頑張りするか」
源爺が腰を上げると、水の技の訓練が始まった。
「水の技は、風に水を乗せる。かなりの重量の物を動かす為には、強い精神力が必要だ」 源爺は、海の断崖の上に立つと、風を起こした。風が舞い、渦巻となって高速回転すると、海面に竜巻が音を立てて現れた。更に風の勢いが増すと、海水を轟々と吸い上げ、水の竜巻になった。
源爺は、その水の竜巻を龍のように変化させると、神一目掛けて突進させた。不意を突かれた神一は、咄嗟に風の盾で防ごうとしたが、水の勢いに負けて弾き飛ばされてしまった。
起き上がろうとした神一の身体を水龍が飲み込み、彼は、水の中に閉じ込められて息が出来なくなった。苦し紛れに風破を放ったが、ボンと白い泡が立っただけで、吹き飛ばす事は出来なかった。
彼は、水の中でもがきながら、真王が源爺に詰め寄っている光景を夢のような感覚で見ていた。そして、意識が無くなりかけた瞬間、水龍は砕け散った。
「ゲホーッ」神一が、水を吐き倒れ込んだ。
「神ちゃん、大丈夫! おじいちゃんのばか! ここまでしなくていいじゃない」
真王が、神一に駆け寄り抱き起しながら、涙にうるんだ目で源爺を睨みつけた。
「神一、これが水神との闘いだったら、お前は死んでいた。彼らの力はこんなものではあるまい。自分の非力を思い知ったか!」
源爺の厳しい叱責を浴びて、神一は座ったままガックリと首を垂れてしまった。
「神ちゃん……」
真王が神一の傍に座り肩に手を乗せて顔を覗き込んだ。神一は、暫くそうしていたが思い切ったように顔を上げた。
「源爺、俺は、ここで一から修行したい。真王と皆の事をお願いします」
「そうか、その言葉を待っていた。食料と必要なものは後で届けさせるから、命懸けで頑張るんだ!」
「いやよ、神ちゃんが残るなら私も残る」
神一の腕を取って真王が訴えるような眼で神一に迫った。
「真王、お前迄留守になったら、大阪の街を誰が守るんだ」
神一が、真王の手を取って優しく諭した。
予定を変更して、夕方近くになると迎えの船が来た。テントや当座の食料などを下ろすと、源爺は神一と修行の中身の打ち合わせをしてから、真王を振り返った。
「おじいちゃん、ちょっと先に船に乗っていて」
真王は、源爺を先にやって、神一と別れを惜しんだ。合わせた唇を離すことが出来ずにいた二人は、源爺のしゃがれ声に引き離され、真王は船と共に海の彼方へと消えて行った。
次の日から、神一の苦闘が始まった。彼は先ず、自分の得意技である風破、風牙(如何なるものも切り裂く風の剣)、竜の風、のパワーアップの修行に取り組んだ。彼は、懸命に修行に励んだが、大した成果も無く一月が過ぎた。それからも、修行に励んで見たが、力に変化は無く、途方に暮れた神一は、これ以上は無理だと修行を止めてしまった。
“どうすれば限界を破れるのか”神一は、その事ばかりを考える日々が続いた。朝から晩まで考え抜いて、眠れぬ夜が幾日か続いたある夜の事、疲れ切った身体を横たえていた彼が、悲鳴を上げて、のたうち回った刹那、【風は力なり、力は心中にあり】という心の章の一文が頭に浮かんだ。
「力は、俺の心の中にあるというのか?」
神一は、そう呟いて、むっくりと起き上がり、心の章にあった瞑想法を試してみようと安座して目を閉じた。
時間は既に午前二時を過ぎていて、海鳴り、風にそよぐ木々の葉音、虫の声等、心を落ち着かせてゆくと、色んな音が彼の耳に次から次へと入って来た。
更に精神を集中させると、今度は、一つ一つの音が消えてゆき、最後には無音の世界になった。彼の意識は、広大な心の世界へと降下していった。
自我の世界から、無意識の世界へと抜けて更に降りると、大きな河のようなものが見えてきた。その河を流れているのは、水ではなく、過去の自分の思念や行動の全てのデータが刻まれた人間生命の情報の河である。そのデータの河は時に逆巻き、濁流となって流れていた。――人生は、この過去世の宿業によって左右されていくという。
神一が、その自身のデータの河に入ると、自分の二十年の人生が、映画の早送りのように映像となって、神一の中で逆再生されていく。赤ん坊の頃を過ぎて更に遡ってゆくと、その先の、前世へと足を踏み入れていった。
そこには、真王と睦まじく暮らす自分の姿があった。二人は前世でも夫婦だったのだ。 ――夫婦は二世という、縁の深い男女が手を取り合って、悠久の時の流れの中を、永遠に生死を繰り返してゆくのだろうか。
更に遡ると、四百年前の自分の人生が見えて来た。時は戦国時代、風の里の最盛期の頃でもある。
風の里では、信長が攻めてくるとの報が入り、館で合議が行われていた。中央に真王(この時代の)が座り、その横に神一が控えている。彼は、宗家の風の守護者で、夫婦となって、五代目当主の彼女を支えていた。
攻め入る信長軍に、神一の風の技が炸裂する。その力は今の神一の比ではなかった。火の者、水の者、土の者、それぞれの最強の技が信長軍を撃退する。
最後は、真王の止めの雷撃が、完膚なきまでに信長軍を打ちのめした。自ら雲を起こしての雷撃は、今の真王の数百倍の威力があった。何か、鎧のようなものを身に纏っていて、戦いを終えた彼女に疲れの色は見えない。四百年前でも、雷撃から身を護る、それなりの工夫があったのだと神一は思った。
神一の意識が、データの河の深みへと潜っていくと、そこには、自身のドロドロした思念、感情、悪心等の、おぞましいものが蠢いていた。そこを突き切って更に降りてゆくと、厚い暗黒の世界が広がっていた。
その一部から黄金の光が噴出して上方に注がれていた。その穴から暗黒の雲を突き抜けると、眩いばかりの光の世界が忽然と広がった。その光は、この大宇宙をも創り運行する根源のエネルギー、スペースエナジーの世界で、人間生命の母であり、力の源なのである。
神一の思念が、その黄金の光の海に抱かれると、凄まじいパワーが轟々と音をたてて、わが身に流れ込むのを感じた。そして、全ての生命への慈しみの心が彼を満たして、何とも言えぬ幸福感に包まれていた。
次の瞬間、神一は、安座して瞑想している自分を発見して、現実の世界へと戻っていた。
彼は、自分が体験した不思議な事がらが、夢ではなかったかと疑ってみたが、自身の身体に満ち溢れる力を実感して、それが真実であったと確信した。
彼は、テントから出ると海岸に向かった。折りしも真っ赤な朝日が昂然と昇って神一の身体を包んだ。彼は、海辺の砂浜に立ち、前方の岩山目掛けて、風牙、風破、を立て続けに放った。数十メートルの岩山は、風牙の風の剣で真っ二つに切り裂かれ、風破を受けると木っ端微塵に吹き飛んで、海面に無数の水柱が上がった。その、凄まじいパワーは、四百年前の自分にも引けは取らなかった。
神一は、更に、雷雲発生の修行の後、宗家の守護者としての二身一体の技を練磨して、三カ月の修行を終え、大阪へと帰った。
「真王、今帰ったよ」
神一が、部屋に入ると真王が怪訝な顔で彼の顔を見た。
「何その顔?」
「顔? ああ、この髭か。だって、三カ月も髭を剃らなかったら、こうなるだろう」
神一の顔の髭は伸び放題で、浮浪者のようだった。
「という事は、お風呂も入ってないのよね?」
「無人島なんだから当然だろ、水浴び程度だ」
「いやだ。早く着替えて、お風呂に入って頂戴!」
真王は、神一を風呂場へと追い立てて服を脱がせ、鼻をつまみながら、それを洗濯機へと放り込んだ。
「綺麗に洗ってよ。でないと、一緒に寝ないから」
真王の甲高い声を聴きながら、神一は、湯船の中でくつろいでいた。
久しぶりに、真王の手料理とビールを少し飲むと一気に疲れが出て、眠気が襲ってきた。
「疲れたでしょう、ゆっくり休んで」
真王の声を耳元で聴きながら、彼は深い眠りについた。
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