ぬるま湯に咲く華

 人生とはどれ程ぬるま湯に浸かっていられるかどうかである。……これは私の持論だ。

 人間、生まれて死ぬまで約八十年。環境が良ければもっと長く生きることができる。逆に環境が悪ければ産まれてすぐ死ぬ。……いや、産まれる前に死ぬ。

 かくいう私、永遠トワは長寿を期待された名を授かれ、普通に産まれ、普通に育ち、普通に大人になった。

 特筆する事が少ない青春時代。

 部活では成績が振るわず泣くこともなく引退。

 思い人に振られても引きずることもなく進級。

 なんとなくで選んだ職場に躓く事もなく就職。

 全てに置いて平凡。全てに置いて普通。

 両親からはそれが良いと言われた。

 他人からはつまらないと言われた。

 そんな人生を可もなく不可もなく、私の考える当たり前の人生だと思っていた。

 波風を立てず、中立で、当たり障りのない人生。決して幸福とはいわないけれども、不幸だというわけでもない。

 刺激が無い分、私は自分の名前の如く永遠に生きれるのではないかと錯覚すらしていた。


「じゃあ永遠はなんの為に生きてるの?」


 数少ない友人である華が私に問いかける。手に握られたコップからは結露した側面から止めどなく水滴が垂れ、テーブルを濡らしていた。

「飲み過ぎだよ華」

「飲まなきゃやってらんないだよ」

 そう言って口元にコップを傾けるも、中にあったのはほぼ氷水のお酒であり、それを不服に思った華は店員さんに追加のお酒を注文した。

「……華、それラストオーダーにして今日は帰ろう。かれこれ二時間は飲んでるよ。明日が休みだからって飲み過ぎは体に毒だって」

「良いんだよ。ど〜せ、家に帰ったってだ〜れもいないんだから。それに、私はお酒を飲む為に生きて、仕事をして、お金を稼いでるんだからさ〜」

 酒は自分の血液だ。そう言う様にきたお酒を受け取っては嬉々としてそれに口をつけ始める。

「——ッア〜‼︎あ〜美味しい!」

「……幸せそうで何よりだよ」

 こうなると華は呑むのをやめない。それは経験であり、完全に酔い潰れてから私が家に送り届けるまでがワンセットだと知っているからだ。過去に一度、途中で抜けて帰った事がある。その時は大通りの真ん中で大の字になって朝まで眠っていた事もあり、友人として流石に心配になり、最後まで付き合う様になった。

 ……別に華に付き合う必要はなかった。華は私と違って友人も多い。それに私が誘いを断っても嫌な反応もせずにすんなり退いてくれる。そんな物分かりの良い数少ない友人が頻繁に私を誘ってくれるのだ。月一ぐらいで付き合うのなら良いと思ったからだ。

 水浸しになりつつあるテーブルをお絞りで拭き、お酒が来る度に店員さんに空のコップとお皿を渡し、華の愚痴を聞く。

 私からは多くは語らず、大半は相槌で相手の気分を整えて相手に語らせる。職場での飲み会で身につけた技術だった。

 もう何杯目かも分からない華の飲酒。対して私はだいぶ初期から烏龍茶に変えてシラフで居続ける。上司の面倒事に対して程よく耐える為に重宝しており、上司の為に身につけたのか華の為に身につけたのかもはや分からない。

「すみません、ラストオーダーのお時間になりましたので……」

 気がつけば終わりの時間まで華に粘られてしまっていた。「今回もかぁ」と苦笑いが浮かぶものの、仕方ないと華に視線を向ける。

「うへへへへ〜」

「……すみません、お冷や二つで」


 §


 外の空気が新鮮だと月一に感じる。

 酔っ払った華に肩を貸しながら帰路を歩く。タクシーを呼ぼうにも、言動が怪しい華と割り勘するのも一苦労なのでいつも私が立て替えるからお金がいつも足りない。いい酔い覚ましだ。そう自分に言い聞かせるしかない。

「……あれ?永遠、お酒は?」

「もう店じまい。これから帰るところ」

「あぇ〜?もうそんな時間?」

 お酒を飲むは辞めない癖に、飲めない状況と分かるとすんなり諦めるのは華の良い所だと思う。……まぁ、飲み過ぎないでもらうのが一番なんだけれども。

「華、歩ける」

「ん〜……もうちょっとこのまま」

「分かった」

 夜道を歩く。時折すれ違う車のライトが華の顔を一瞬だけ照らす。

「……いい加減禁酒したら?」

「無理だって。言ったでしょ?私はお酒を飲むの為に生きて、働いて、稼いでいるんだから」

「けれど散々愚痴を吐いて、そこまで顔色を悪くするまで飲んで。……あんまり良い生き方とは思わないよ」

 すると「良い生き方…ね」と華が言葉を呟き、足を止める。一瞬、つんのめりそうになるものの堪えて「華?」と視線を向ける。


「じゃあ永遠はなんの為に生きてるの?」


 居酒屋で問われた質問を再びされる。ただ違ったのは周りの賑やかな喧騒がなく、シンと静まった夜の重さが強く感じた。

「永遠、私は知ってるよ?始めの数杯だけしかお酒を飲んでない事。会社の奴らとおんなじ飲み方してる」

「……私が酔ったら誰が華を家まで送るのさ?」

「私一人で帰れるよ」

 帰れたら大通りの真ん中で大の字になって寝る事などないのだけれども。言葉を飲み込み、私は華から視線を逸らした。

「ねぇ永遠?永遠は何故、人は働くのだと思う?お金を稼ぐのだと思う?生きるのだと思う?」

「……将来、平穏な老後を迎える為に?」

「それじゃ蝉と一緒だよ。人生の殆どを土の中で過ごし、残りの余生を異性と交尾して死ぬ。そんな生き方だよ」

「言い過ぎじゃない?」

「いや、言わな過ぎだよ。永遠に限らず殆どがそうだ。何の為に働くのかを考えず、今後の為にとただ稼いで、体が動かなくなる頃にお金を適当に使い始める。皆んなそうだよ」

 違うとは言えなかった。なにせ的を射ていたのだ。寧ろど真ん中過ぎて『何を当たり前な事を言ってるのだ?』とすら思っていた。

「私はね永遠。老後の事なんて何にも考えてないよ。将来やりたい事なんて無いけど、体が衰える前に美味し物を沢山食べたい。お酒も好きだから沢山飲みたい。けれど食費に極振してるからお金がすぐになるなる。だから私は働いているの」

 永遠はどうなの?そんな視線が私に向けられる前に零れ落ちる。

「永遠、花は枯れて散る為に咲くんじゃないんだよ。花は咲いてから枯れて散って、種を落とすまで全部の為に咲いてるの。……私はその為に綺麗に咲き続けて自分にお酒で水を与えてるの」

 そう語る華はどことなく誇らしげで、自分には無い生き方だとほんの少しだけ関心して笑った。

「良い話だけど、それじゃ根腐れしちゃうよ」

「じゃあ永遠がそれを管理してよ」

 少し真剣な華の声に笑い声が止まる。まるで告白の様な台詞。職場なら笑って流していたけれども、環境が悪いのか上手く笑えない。

 小さく深呼吸をする。ゆっくり、深く、けれども自然に。

 返事がない事に疑問を持った華が私の名前を呼ぶ。私は深呼吸を辞め、半ば強引に引きずる様に足を動かし始める。

「華は気が付いてる?私は華とは一ヶ月に一度しか会ってない事。毎回お酒をセーブさせるのに失敗してる事。毎回支払ってるからこうやってタクシーに乗れずに歩いて華を家まで送り届けてる事」

「ごめんて」

「確かに私は何で生きてるのだとか分からない。何の目的もなく入社して、不平不満が少ないからその会社に居続け、使う予定もないから貯金も沢山ある。きっと老後も何の趣味もなく、何となくで長生きして何となくで死ぬんだと思う」

 そんな人生楽しいのか?

「人生楽しくないよ。ぬるま湯に浸り続ける様な毎日。けれどそんな人生で満足している自分がいる。変に歳だからと焦燥感に駆られる事もなく、変にチャレンジする気もない。面白みもない代わり映えのない毎日だよ」

 そんなの

「つまらない?良いんだよ。皆んなそうしてる。皆んな歳をとって、焦ってたのがバカらしくなって、何となくで生きていける様になる。私は他人よりそれに気がつくのが早かっただけ。慣れるのが早かっただけ」

 毎回華に肩を貸して歩いているが、その度に息の切れ具合に自分の衰えを感じ、心のどこか隅っこで『体力作りしないとなぁ』なんてするつもりのない予定の候補をあげる。

「だから私は月一でしか華の誘いを受けないし、本気で華の飲酒を止めないし、会計も気にせず私が支払ってる。タクシーに乗らないのだって普段より少し食べ過ぎだから申し訳程度の運動のつもり。……私にとって華と飲むのは人生の中の刺激としてはあるけど、いつもの日常の一部でしかないんだよ」

「………何それ」

「いつもの日常だから華の限界も何となく分かるし、どんなに泥酔して愚痴を吐いても嫌とは思ってない。それでもって何処かで酔い潰れる方が心配だからこうして家まで送り届けてる。……私はね、華が根腐れしても変わらずに接する事に決めてる。だから華が私を誘う限り、月一……まぁ、限界そうな時に相手してあげるよ」

「……何だよそれ」


 そうこう歩いているうちに華の家の前まで辿り着く。着いた事を知らせると、華から鍵を受け取り家の中に入る。

 華の部屋は物で溢れかえっており、恐らく明日纏めて掃除するのだと思った。

「……散らかり具合から見て七、八十パーセントぐらいだったかな?」

「私の限界値を予測しないでおくれ……」

「潰れる前だから良かったじゃない。明日には直ぐに片付くよ」

「……じゃあ、今日も泊まっていってくれる?」


「華は散らさせないよ」


「いくじなし」

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