隣の下っ端さん

「実は私、悪の組織の一員なんだ」


 学校をサボった平日。ベランダで先輩から貰った煙草を咥えながら変わらぬ日常を眺めていた時、隣からそんな声が聞こえた。

 長い黒髪に黒のタンクトップを着た女性。口には俺と同じ煙草を咥えていたが、それよりも頬に付いた少しだけ赤く滲んでいたガーゼに目が行った。

 学生である身の為、ご近所付き合いがあまり出来ていないからパッと名前が思い出せずにいた。だからこそそれを誤魔化す様にめいいっぱい煙を吸って時間を稼ぎ、それでも思い出せなかったので「美人女幹部ですか?」と返した。

「あはは。ただの下っ端だよ。上に真っ黒の戦闘着と身バレしない様にマスクを被るんだよ」

 内緒だぞ?と笑う下っ端さん。何で俺にそんな事を教えてくれたのかは分からない。けれど、その真偽は割とどうでもよくて、退屈凌ぎにはちょうどよかった。

「橘花君はヒーローは好きかい?」

 不意に自分の苗字を覚えられていた事に驚き煙草を落としそうになる。慌てて抑えると、下っ端さんは「悪の組織の情報網は凄いんだぞ」と楽しそうに笑ってみせた。

「苗字だけなら分かるでしょ。入居時に挨拶をしたし、表札だってかけてる」

 実際、表札を掛けていたかは記憶にないが、なんとなくマウントを取られたら嫌だったのでそう答えると、下っ端さんはけらけらと笑いながら二本目の煙草に火を付けた。

「……どっちかといえば俺はヒーローは嫌いですよ」

「どうして?」

「だってヒーローは何をしても許されてしまう風潮があるじゃないですか」

 悪の組織が街をめちゃくちゃにする事が悪だとして、ヒーロー達は力を持ってそれに対応する。その力というものが大きく括って『暴力』『権力』といったものだ。

 街を守る為なら暴行を許される。街の破壊をある程度許される。万人を助けさえいれば一人二人助けそびれても許されてしまう。悪が許されなくて正義は何をしても良い。そんな都合の良い存在がなんとなく嫌だった。

「下っ端さんはヒーローが好きですか?」

「好きなら悪の組織の一員になったりしないって」

 確かにそれもそうだ。吸った煙草も根元まで来ると火を消し、まだ会話が続くと思って二本目に火を付ける。そこでふと、下っ端さんの顔の怪我の事を思い出すかの様に話の流れで触れてみる。

「その顔の怪我もヒーローにやられたんですか?」

「ん〜。あぁそうだよ。私達はファンタジーの的じゃないから無限に生まれる訳じゃなくて、同志を募った人間の集まりだからね。因みにこれは乱戦中に背後から襲い掛かった時に蹴られた時のやつ」

 これは背後を襲おうとした下っ端さんの悪さか、それともそれに対応できたヒーローを褒めるべきか。

「大丈夫そうな辺り、実際の変身ヒーローとかじゃないんですね?」

 詳しくは知らないが、変身ヒーローは変身後にステータスが爆上がりしてるとどこかで聞いた事を思い出す。確か拳一つではトンの威力が出た様な。それを受けてもなお、下っ端さんの頭が吹き飛んでないのはそういう事なのだろう。

「私達の戦闘服もある程度の無茶が出来るぐらい強くしてくれるけど、実際には変身したヒーローと互角にやりあえるのはリーダー格以上の人達のスーツだけだよ」

 しかし、それを否定するかの様に下っ端さんは語る。自分達ではヒーローに勝てないのだと。

「……ずっと疑問だったんだけどさ、何で変身前に倒さないの?」

 特撮とかの変身前や変身中に攻撃してはいけない御約束(一部演出の為を除く)というもの。変身中まではただの人間なのだ。倒そうと思えば倒せるのにそれをしない。番組とかならまだ分かるけど、こうして現実としているのならやった方が効率がいいだろう。

「単純な事だよ。変身した姿じゃないと意味がないからだよ」

「意味がない?」

 聞き返してみると下っ端さんは煙草を消しては視線を下に落とす。釣られて視線を落とすと、近くの保育施設の広場で子供達が遊んでいる姿が見えた。

「変身前の姿が知られている人ならまだいいけど、知られていない人の場合、仮に倒したとしても次が来るんだよ?」

「次?仲間の事ですかる」

「二代目だよ。代わりのヒーローが当たり前の様に登場する。そのヒーローが二代目だと知っているのは私達だけ。一般人達は変身前がどこの誰かは知らなくても、自分のよく知っているヒーローには変わらないから」

 何度も変身前に倒しても周りから見れば一般人への暴行止まり。その間に新しい人が選任されて下っ端さん達の前に現れる。

「それに厳しい戦いになるとしても、私達は変身したヒーローに勝たないといけない。そうじゃないと周りに本当にそのヒーローを倒したのだと認知してもらえない」

 それは偽物の可能性。実は他の現場に行っていた為本物の登場が遅れたと言い訳でもされたらまた戦わないといけなくなる。

「それって悪の美学ってやつ?」

「単純な近道だよ。ただその分坂が急なだけ。長く時間をかけていいのなら片っ端から変身前に襲い掛かって倒し続ければいいし、卑怯な手を使ってもいい。それをしないのは一番手っ取り早いのが変身後を倒す事だからね」

 倒したら報酬がめちゃくちゃ貰えるからねと笑うと、携帯の音が鳴る。聞いた事のない着信音だと感じていると、下っ端さんは携帯の画面を見たら渋そうな顔をして「ごめん、招集がかかったから行かないと」と言って飲むはずだったのかすっかり緩くなった珈琲を俺に投げ渡してくる。

「下っ端さん、俺も下っ端さんみたい悪の組織の一員になれますかね?」

「君は悪の組織に入る前に、学校とか行ってもっと良い所に就職した方が良いよ」

 笑いながらそう言って部屋に戻る瞬間、タンクトップで露わになっていた下っ端さんの背中は沢山の傷が出来ていた。

 暫くして『バタン』と扉が閉まる音が近くで聞こえた。きっとこれから何か悪い作戦を決行するのだろう。そしてまたヒーローと戦うのだと思う。

 二本目の煙草を吸い終わり、ぼんやりと平和な街を見下ろす。この街の平和を守っているのがヒーローなのは何となく理解はしている。

 それでも俺はそのヒーローを応援しようとは思えず、応援するのなら学校をサボった俺と会話をしてくれた弱くて悪くて格好いい下っ端さんを応援したいと思った。

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