Qⁿ

 陽が昇り朝が来る様に、沈んだら夜になる。

 六月に差し掛かれば夏を感じる様に、十月になれば肌寒さに秋を感じる。

 始まればいつか終わりがくる様に、私達はそんな日々を死ぬまでくるくる回っている。

 日課、習慣、ルーティン、伝統。

 呼び方なんてどうでもよくて、その時が来た時にふと思い出すのだ。


「……ごめん。僕と別れてほしい」


 そう、私にとってはこれがその時だった。

 テーブルを挟んで向かいに座る男性が申し訳なさそうな顔をしていた。自分に非があると思っているのか、男性の目が泳いで私の視線と交わらない。

「……そう」

 私は合わない視線を追うのに疲れて視線をテーブルに落とす。マグカップに珈琲は残っておらず、底の方に溶け残った粉を見つけては『もう少し混ぜておけばよかったな』なんて今考える必要の無いことを考えていた。

「ごめん」

 私からの質問が来ないという沈黙に耐えきれなくなったのか、男性は再び謝罪の言葉を口にした。

「いいよ別に。謝らなくたって」

 カップを手に取り、スポンジを片手に洗い始める。そういえばこのマグカップでよく珈琲を飲んだなと、染み付いた跡に今更気がついた。

「——じゃあ、さよならだ」

 そう言って私はマグカップを片手に彼とその家に別れを告げた。


 §


『ガシャン!』と鈍い音が聞こえた。視線を下げれば、先程まで持っていたマグカップが地面に落ちて割れていた。

 マグカップを見つめて数秒。「はぁ」と息を吐いては近場から石を拾ってトドメを刺す。

 粉々になったカップの欠片を、隣の砂利道に足蹴にして完全に終わらせた。

 私の恋は長続きしない。それは今回の様にフラれるだけではなく、私から別れを切り出す時もある。

 理由なんて様々だ。思っていたのと違う。飽きた。君より好きな人が出来た。僕は君に相応しくない。そんな答えが大体付き合ってから一年ペースにやって来ては、またいつの間にか恋をしたり恋されたり。そうそう、ちょうど英語のQみたいに一周して円から離れて隣の円に移るような。

 春は出会いの季節、秋は別れの季節とはいうけれど、毎回の様に付き合っては別れてを繰り返していれば、もはや振られる事に対して痛みなんて感じない。

 確率なんて半々で、私は別れると分かっているのに付き合ってしまう。「惚れっぽいのかな」なんて呟いてみるけれど後悔も不満も不安も何も感じない。

 またこの時期が来た。ただそれだけの話だった。

 近くに見えた喫茶店に入り、珈琲を飲みながら元彼の事を思い出す。彼の事は好きだった。だけど彼はそうでなかったらしい。いつもの事だとあっさりと別れたけれど、理由を聞くのを忘れていた事を思い出す。

「まぁいいけど」

 別に彼とは同棲はしてなかった。だから彼の家にある私の私物は殆ど置いてないし、取りに戻ろうと思う程大切なものも無い。

 ただ、また一人なのかと思うと肌寒さを感じ、やはり一人で生きていこうという気持ちにはなれなかった。


 §


「おや?おかえり。帰ってくるのがはやかったね?」

 アパートに帰ると、同居人である千聖が私のベットの上で携帯を弄っていた。私の姿を見た千聖は楽しそうに「もしかしてフラれた?」と呟いた。

「そうだよ。フラれたから帰ってきた」

 そう呟いて千聖の近くに腰掛けてはそのお腹の上に頭を置くと「ウグッ」とカエルの潰れた様な声が聞こえた(小説でしか知らない感覚だけど)。

 私の返答を聞いた千聖は笑いもせず、呆れもせず、私と同じ様に「あぁ、そうか。そんな時期か」と零した。

 千秋は幼馴染で私の恋愛事情をよく知っている。今回の事は最早何度目か分からないけれど、少なくとも千聖がそれだけで納得してしまうぐらいには馴染んでいた。

「相変わらず貴女の恋愛は長続きしないね。呪われてるんじゃない?」

「じゃあお祓いに行ったら来年から千聖は一人だね」

 千聖から避けて珈琲を淹れる。その事に気がついた千聖も「私のも分も〜」と語り、私は言われなくとも砂糖とミルクをたっぷり用意した。

 今日で既に三杯目の珈琲。短いスパンで飲んでいる上に既に摂取量も超えている(気がする)。

 珈琲を千聖に手渡し、隣に腰掛ける。甘い珈琲を飲めてご満悦な千聖に対して、私は自分の淹れた珈琲が今日一不味くて顔を顰めた。舌が肥えたからかな。

「元彼くん。珈琲淹れるの得意だったんでしょ?何で別れたの?」

「いつもの時期が来たなと思って別れたから理由聞いてない」

「あはは。そりゃ末期だ!」

 大笑いする千聖だけれど言い返す事も出来ない。

 私にとって恋愛とは出会いと別れがワンセットになっている。それ故に、両親からの結婚への催促をされてもゴールインするまでに至らない。

 こんな生活が何年も続いているのだから、先程千聖が言った呪いもあながち間違いではないのかとも思う。


「じゃあさ。私と付き合う?」


「……」


 千聖の言葉に珈琲を飲む手が止まる。視線を向ければ少しだけ真面目そうな表情をしていた。

「本気で誰かと付き合いたいのなら私が一番良いんじゃない?」

「本気で誰かと付き合いたいけど千聖だけは付き合いたくない」

 私は間髪入れずに千聖に返した。

「……私は、千聖と別れたくない」

「付き合っていないのに?」

「付き合っていない今だから」

 千聖とは幼馴染で、私の理解者でもある。私の恋愛事情も理解しているから、ルームシェアをしているこの部屋に居続けてくれて私の帰りを待ってくれている。


 薄々は気がついていたんだ。千聖が私の事を好きだという事。私が誰かと別れるのに慣れるのは千聖が私の側にいてくれているから。口で本気でなんて言っているけれど、実際心の中では本気になれていない。だから私から別れを告げるし、向こうからも一線超えた愛情を感じられていないと思われている。きっとお遊びなんだ。

 千聖の言う通り、私にはきっと千聖しかいないのだと思う。しかし、日々の関係が、日課に、習慣に、ルーティンに、そして呪いに。

 私が千聖を受け入れた時、私は本気になれない。それが性なのか業なのかはたまた癖なのか。

 きっと付き合って一年した頃に私は千聖とは別れる。それがどんな別れ方は分からないけれど、今日みたいにこの部屋に帰って来れなくなる。帰って来ても千聖がいない。そんな生活に私が耐えられるのか。

「どうせ今までの経験じゃダメだったんだし、別のパターンを試して見る頃じゃない?ほら、また女の子と付き合った事ないでしょ?」

 千聖が甘く囁く。既に飲み終えていたのか、空のマグカップはベットの上に落ちており、空いた両手が蛇の様に私を捕らえていた。

「……何度も一周したんだからさ、そろそろ私をそういう目でも見てよ」

 縋る声に先程の様に間髪入れない返答ができない。あぁそうだ。千聖が私の恋愛事情を知っているんだ。同様に私も千聖の恋愛事情をしっている。互いが拗らせて、開き直って、居心地がいいから気がつかないふりして、関係が壊れるのを恐れて現状維持に徹して。こんなの、何度語り尽くされた展開だよ。

 それでも、いざ自分が当事者になれば怖いものは怖いのだ。

 恋愛に限らず絶対はない。だから絶対千聖が私と別れないなんて事はない。その逆も然り。安心できるのなら現状維持の方が幸せだ。

 まぁ、そう思っていられたのが私だけなんだけどね。千聖が耐え切れずに溢した以上、もう前みたいには戻れないのだ。

 円を書いては円から外れる様に出て行ったQも幾度と連なっては始まりに戻る。四度目だったら四葉のクローバーなんて小洒落た事が言えたのに、今では数えるのが億劫だ。

 終わらせたい。終わらせたくない。

 根を張る時だ。摘み取らないで。

 珈琲を飲み干し、その苦さに顔をまた顰める。

 嗚呼あぁ、どうして決心を付けたのに、こんなにも苦くて苦しいのか。

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