カミサマ

「———カミサマ」

 子供が目の前の存在をそう呼んだ。が『神様』なのか『上様』なのか。どちらが相応しいかなんて分からない。ただ言えるのは、は『神様』や『上様』でもどちらをとっても相応しく、また相応しくはなかった。もしかしたらただのあだ名かもしれない。

『神様』とは信仰としての象徴として崇拝・畏怖されるもの。

『上様』とは妻の尊称。

 ならばの容姿は神々しい女性としてみるか、又は禍々しい女性に似たナニカとしてみるか。

「———カミサマ」

 またその名を呼んだ。するとはまるで自分が呼ばれたのだと察してか、目の前の小さな子に目線を合わせた。

「なぁに?」

 聞こえたのは男性とも女性ともとれる中性的な声。決して神々しくも禍々しくもない。至ったてある意味ありふれた声だった。

「カミサマも何処かに行っちゃうの?」

 その問いには小さく笑い、そのまま地べたに膝をついて座る。正座の形を見せると、話を聞いて貰えると察したのか子供も同じ様に地べたに座った。始めこそ同じ様に正座をしようとするも上手く座れず、仕方なくという様に膝を抱えて座った。

「カミサマも何処かに行っちゃうの?」

 また同じ事を呟く。すると先程同じ声で「どぉして?」と声がした。

「皆んな居なくなったから」

 は子供の背後を覗くと「あ〜」と声を漏らしては「大丈夫」と呟く。

「何処にも行けないよ」

『行かない』ではなく『行けない』そんな言葉を聞けば大人なら疑問に持ってしまいそうな所に対して、子供は何の疑問も持たずに「本当?」と聞き返し、も「本当だよ」と返した。

 暫く二人の間に沈黙が流れる。耳をすませばざぁざぁと何処からか雨の降る音が聞こえ、パキッパキッと軋む音が聞こえた。正確にはラップ現象と似た音なのだけれども、子供にその違いが分かるわけでもも『いつもの事だ』と言わんばかりに気にしない様子だった。

「……皆んなに会いたいかい?」

 は呟く様に聞いた。はあくまで話す話題の一つのつもりで聞いた様だが子供はそうはいかず、次第にその飴玉みたいな大きな目からポツリ、またポツリと大粒の涙が溢れ始めた。

「……会いたい。……会いたいよぉ」

「———そうか」

 まるで言葉選びに失敗したかの様な焦り。目の前で泣き始める子供には焦る様に半身を乗り出してしまう。

「みんなに会いたいよカミサマ…」

 さて、自分が『神様』なら奇跡の一つでも起こして再会させれたのかもしれない。『上様』なら母親の様に優しく抱擁してあげれたのかもしれない。だがはそのどちらでもないと証明するかの様に腕を組み、考えていた。

「おかぁさん…おとぉさん…」

 考えている間にも子供の涙は溢れる。子供の涙に弱いのか、は何度も立ち上がろうとしては座り直し、素晴らしい解決策を模索する。

 しかし、は暫くして大きく溜息を吐いた。

「家に帰るといい」

「……カミサマ?」

 家に帰れ。その字面を見れば突き放す様な言い方だけれども、の声は柔らかく、『神様』の様に導き、『上様』の様に諭した。

 子供は涙を拭うと立ち上がり、に向けて手を振った。



「……はぁ」

 長い沈黙の後、カミサマは溜息を吐いた。足が痺れた様に正座を崩して胡座あぐらに変えるとその膝の上で頬杖をつく。

 子供がいなくなって数刻。大きな音と地響きを終えた。子供がいなくなって見えやすくなった景色は何も無かった。正確には先程まで辛うじてあったソレらが完全に無くなっていた。

「……ね」

 改めてその名を呼ぶカミサマは立ち上がり、自分の出れる範囲まで歩を進め、何も無い世界を見つめた。

 どんよりとした空気、絶えず振ってくる雨、それすら乗り越える土臭さ。そんな見ていて気持ち良いものではない世界の空気をめいいっぱい吸い込んだ。

「ばあぁぁっっかじゃねえぇぇぇの!何がカミサマだ!ふざけやがって!」

 何も無い世界に声を荒げ、地団駄じだんだをするカミサマは側から見ても『神様』でも『上様』にも見えない。ただの人にしか見えなかった。

「何だこの結果は?オマエ等は救われたのか?こんな所に人を、オレ達を閉じ込めやがって!」

 カミサマのいた所は当たりが一望出来る山の先のやしろであり、言い換えれば何処からも見える所に建てられた社だった。カミサマと呼ばれた割には社は古びており、もう数年もしない内に壊れそうなのが、先程の地響きで大分早まった気配を感じていた。

 部屋の中は当然の様に雨漏り等がしており、その雨風に晒さられるように赤黒くも白い何かが揺れた。

 ……カミサマがその社に来たのは本の数年前だった。カミサマはそれまで村に住む一人の人間だったし、それまではカミサマではなくてちゃんとした自分の名前があった。

『今回はお前のお役目だ』

 祖父母からそう告げられるやつ否や、カミサマは村の住人達に詳しく事情も聞かされず、死装束しにしょうぞくを着せられた。それから山に連れていかれ、付き添いの大人達を見れば直ぐに分かった。


 ……あぁ、生贄か。


 詳しい事情は分からなかった。強いて言えば祖父母等大人達が夜中にこぞって話し合いをしているのを何となく知っていたからだ。大人になってから言い伝えられる伝統か、はたまた自分の知らないところで飢餓が予想されていたか、はたまた山の社にカミサマ《バケモノ》がいたのか。

 そうして抵抗する気も起きずに連れていかれた先で見たのがそのナニも無い惨状だった。争った跡、暴れた跡、逃げようとして失敗した跡。自分の前任の跡に身震いをした。

『ここから出てはいけない』

 そうとだけ言って大人達は去っていき、呆然と残されたその人は、無常に過ぎていく時の中を過ごさないといけなくなった。食べ物が無ければ飲み物も無い。社から逃げ出そうにも道中の跡が怖くて雨水と苔や木をしゃぶった。次第にこの社には自分以外いないと察し、過酷な生活をしていると呆れた笑い声が出た。

 生贄・人柱・供物。どれをとっても碌でも無い。何故こんな目に遭っているのかと考えても答えてくれない。自問自答しても答えが出ないのならいつかは心が病んでしまう。それこそ前任と語り合う程には。


「……カミサマ?」

 そんな時、山にやって来た一人の子供がそう呼んだ。久しぶりのまともな会話相手に辿々たどたどしくなるも、子供に近寄れば「本当にカミサマはいたんだ!」と嬉しそうに笑っていた。

 子供曰く、昔からの言い伝えでこの社にはカミサマが存在しており、村の発展に伴い、供物を捧げるというもの。ただ、村といっても一つではなく、各村ではそれが人だったり動物だったり、作物だったりと様々で、偶々自分のいた村が供物の対象が人であっただけだった。しかし、社は神聖な所と扱われているため誰も中に入るどころか近寄りもせずに言い伝えだけが残ってしまった。


『この社にはカミサマなんていない』


 そう伝えた子供は翌日、頬を腫らしてやって来た。きっとたれたのだろう。子供打つ程信仰している事に恐怖し、仕方がなく、罪滅ぼしとして自分をカミサマと考える事にした。

 カミサマと考えてからというもの、何をすることもない日々。飢えに慣れ、一人に慣れ、空模様で天気を察し、動物達の気配で何かを察した。時折、例の子供がやって来ては話し相手になるものの、食べ物等は受け取らず、少し話しては暗くなる前にと帰るように促した。


 髪も女性の様に長く、体の筋力も落ちて細くなり、陽の光も殆ど浴びない為に肌が白くなっていくある日、大きな揺れが世界を襲う。大きな波が全てを飲み込む。きっと先程まで泣いていた子供も皆んなの所に行けただろう。

 言い伝える相手も居ない世界。一人のカミサマは社で己の分からぬ責務に従い、またぼんやりと時を待った。

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