アンダーライン
自分が恵まれているかそうでないかを考えた時、前者と言える人は一体いくらいるのだろうか。百円玉を自動販売機の下に落として恵まれなかったと思う人もいれば、今日の食事にありつけた事に恵まれたと感じる人もいる。要するに人それぞれの価値観なので理解し合うことはできない。
かくいう僕だって例外ではない。僕の人生は恵まれている。例え、今こうして病院のベットに寝かされて、呼吸器を付けてないと息も出来ず、なんなら病気であと数時間もしない内に死んでしまうとしてもだ。
「カツキ!」
「お兄ちゃん!」
「かっちゃん!」
ベットの周りには家族が、友達が集まってくれていた。ただでさえ苦しくて声も出せないというのに僕は皆んなに向けて笑ってみせた。
僕は恵まれている。こうして沢山の人に看取ってもらえる。それ程までに恵まれた環境に居続けたのだ。それが最後の最後まで誰かがいてくれる事に何の文句があるのか。
「——ゔっ!」
体が痛み、呻き声を漏らすと同時に皆んなの目から涙が流れる。
次第に弱まる鼓動。あぁ、僕はもう直ぐ死ぬんだ。……死ぬ前にお礼を言わないと。
「……あ…りが…………と……。」
最後の力を振り絞ったからか、それとも最後の一仕事を終えたからか、体が一気に緩み、意識がすーっと離れていく。成る程、これが死なのか。確かに死ぬかと思うと怖かったけれど、皆んなと一緒なら怖くなかったかな?
「………残念ながらご臨終です。」
「カツキ‼︎」
「う、うわぁぁぁあ‼︎」
……家族が、友人が泣き崩れる声と音が聞こえる。……何で?
苦しい。苦しい苦しい苦しい…体も痛い…それなのに……手も、手も足も目も口も動かない!待ってお父さん何処に行くの?お母さん僕の事も抱きしめてよ!皆んな何で僕から目を逸らすの?待って僕はまだ死んで———。
§
ギロチンで首を刎ねられると数十分ほど意識があるという。
絞首刑で首を吊られている十数分の間意識があるという。
勿論正確のところは分からない。ギロチンの実験では繰り返す反応としてそう捉えられており、絞首刑に至っては落ちて紐が伸び切った際に首の骨を折るというもの。十数分なんて単に確認のためにとも考えられる。
……では人が事故死ではなく病死や老死した際いつ死ぬというのか。
体を生かすのは心臓であり、
己を生かすのは脳であり、
人を生かすのは心である。
心臓が止まった時、体が死んだと伝わる。
脳が働くのを辞めた時、死んだと伝わる。
人から忘れられた時、その人が完全に死んだとされる。
無論、こんな話はただの空論。
なんせ『死人に口なし』なのだから。
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