思い出を食む

 ふと唐突に何かを思い出す事がある。それはさして重要なものでもなんでもない。本当にどうでもいい程の些細な記憶。

 昔聞いた耳に馴染んでいた曲。

 昔読んでいた月刊誌の一ページ。

 昔見た少しシュールなCM。

 本当にどうでもいい記憶。寧ろそういった事を思い出す度に「よくそんなのを覚えているなぁ」なんて自分でも驚いたりする。昔見た映像か何かで、脳は記憶を忘れる事はないけれど記憶の引き出しが何処にあるかは古いの程思い出せないものなんてのを見た記憶がある。

 随分と職務怠慢な脳味噌だと呆れて笑うも、自分の意思とは関係無しに思い出してしまう以上どうしようもない事。


「だからきっとこの手紙の事もいつかは思い出しちゃうのかな?」


 二本の指で摘まれた今では珍しい手紙の入った封筒。昔なら遠くの人とのやりとりする為に多様されていたし、告白でもしようものなら下駄箱なんかに入れる文化なんてものもあった。

 手紙をひっくり返して見れば隅っこの方に小さく自分の名前が書かれており、中身を見せない為にハート型のシールで封がされていた。

 ……これは自分が書いた手紙。俗にいうラブレターだ。

 シールを丁寧に剥がして内容に目を通す。文章はそれなりに長くとも『一目惚れ』『好きです』『放課後に』なんてありきたりな内容で構成されていた。字こそ今見れば汚い字と笑うかもしれないが、当時は精一杯の綺麗な字で書いていたのを覚えている。


「……元気してるかな」


 手紙が今手元にある。つまり当時の自分は思い人にこの手紙を渡せなかったのだ。

 きっかけは些細な事だった。隣の席だった。登校時間が自分と同じだった。授業中と休み時間のオンオフのギャップだった。

 きっと自分はその人の事を近くで見る機会が多くて、いつのまにか好きになっていたのだと思う。

 人を好きになる。そういった感情が初めてだった為、自分でそれを恋と気がつくには時間がかかり、似た様な表現でいうのなら『喉から手が出る程欲しい』だと思う。

 胸が騒つく。喉が閉まる。目が離せない。触りたい。話したい。

 溢れる願望。それを止める理性。

 それなりに仲が良かったと自負するも、身の内の欲望を吐き出そうものならきっと間に壁が出来てしまう。それは嫌だった。

 蓋をした思い。自分達は友達でそれ以上の関係を望んでしまったらより悲しく苦しい結末が待っている。

 自制。自制。自制。

 蓋をしてロックをかけ鍵をかけ……感情が欲望が滲み出てくる。

 こんなにも自分は我慢しているのに向こうは我慢なんてしてくれない。友達と接する様に近くで話した。肩と肩が触れ合った。手と手が繋がった。

 此処でキスをしたらどうなるのだろう?

 邪な思考が脳裏を過ぎる。

 だけどダメ。この恋を叶えてはいけない。

 ……そこでこの手紙を書くことにした。

 思いついた言葉を詰めて書き、

 整理して書き直し、

 言葉の使い回しを考えて書き直し、

 文字数が少ないと書き直し、

 文字数が多いと書き直し、

 書いては書き直し、

 書き直しては書き、

 思いの丈を日記に綴る様に、

 溜まったストレスを発散する様に、

 滲み出た欲望をインクに手紙を綴り、

 そして

 破った。

 嫌われると思い破った。

 気持ち悪がられると思い破った。

 読みづらいと思い破った。

 気持ちが篭っていないと思い破った。

 怖がられると思い破った。

 書いては破った。

 破っては書き直した。

 書いて書いて書いて、

 破って破って破って、

 この気持ちを削いだ。

 この気持ちを消そうとした。

 この気持ちを無かった事にしようとした。

 そうでもしないと報われない未来がやってくる。

 そうでもしないとこの恋に身を焦がされてしまう。

 だからこの手紙を———


「——もう何年も経つというのに、しっかり覚えてるじゃん。まぁ、初恋だったしよく言うしね『初恋は実らない』って。……まぁ実らない様に実になる前に芽を摘み取ったんだけどね」


 唯一残った渡さなかった最後の手紙。これには初恋がぎっしり詰まっていて、内容・文字数・文字の書き方・封筒・シール。どれをとっても自分しか知らない思いが込められ過ぎて自分だけが胃もたれしそうになる。

 とまぁ、今となれば良い思い出だ。あの初恋があって今の自分がいる。

 あの日の思い人とはもう何年も会っていない。連絡もとっていない。なんとも思ってもいない。

 取り出した手紙を再び封筒にしまい、卒業アルバムに挟み、カバーをかける。後は本棚や押し入れに戻せば忘れてしまう。

 ……それでもきっといつか思い出すのだろう。

 昔聞いたあの声を。

 昔読んだあの字を。

 昔見たあの笑顔を。

 あれ程恋に焦がれて涙した日の事を。

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