死にたいは普通

「ねぇお兄ちゃん。死にたいなぁって思った時、普通ならどうするの?」


「——いや妹よ、普通の人はまず死にたいなんて思わないぞ?」


 死にたいなぁ……なんて思った。

 例えば、朝起きて髪を整えている時、どうしても直らない変なハネと格闘しながらそう思った。

 例えば、お昼ご飯の時、卵焼きを一つ机の上に落としては拾いながら溜息を吐きながらそう思った。

 例えば、少し人より考えるのが多いかなと思った時、兄から根本から否定された時にそう思った。

 今までそれを変だと思ってはいなかった。小学生の頃から男子達は口々に「死ね!」なんて言い合って、中学生の頃はアニメか何かの真似で「ぶっ殺す」なんて殺人の宣言をして、高校生になれば周りで「死にてぇ〜」なんて……


「……言ってたっけ?」


 言っていた気がする。もし言っていないのならそれはおそらく自分の口から出た言葉だったのかもしれない。

 別に本気で死にたいわけではなかった。痛いのは嫌だし怖いのも嫌。来世なんて期待していないし、天国地獄があるのならこんな事を考えている時点で地獄に行く様な気がしたから考えずにいた。

 きっと意味合い的には『消えたい』と『穴があったら入りたい』の中間ぐらい。そんな感覚で何かを考えて少しへこんだ時、心の中で『あぁ、死にたいなぁ』なんて唱えていた。それが皆んなやっている普通の事だと思ったらそうではない様で、それを知ってからは湧き上がるこの言葉に出来ない不快感・不安感を纏めて口から「死にたいなぁ」なんて吐き出していた。


「……はぁ」


「なぁに?また分からないところでもあった?それとも悩み事?それなら私が特別に相談に乗ってあげよう」


 テスト期間に入り、図書室で勉強していた所に先輩がやって来た。始めはお互いに勉強を進めていたというのに次第に躓き、気がつけば先輩の手が止まっていた。先輩も勉強をしに図書室まで来ているのだ。それに対して自分の事で手を煩わせていると考えるとやはり死にたいなぁなんて思ってしまう。

 吐き出された溜息は当然無かった事は出来ず、何でもないと答えても先輩は言ってみなさいなんて顔をする。しかし、思い出すのは先日の兄の返答。


『——いや妹よ、普通の人はまず死にたいなんて思わないぞ?』


 普通の人は死にたいとは思わない。それなら自分は普通じゃない。どこかズレている。そう考えると精神病者とか、不思議ちゃんみたいに思われそうだと思い言えなくなる。

 暫く大丈夫と説得してみるも、自分の中で溜まる負の感情が渦巻いては今まで無かった吐き気が少しだけ込み上げて来た。


「……体調悪そうだし、保健室で少しだけ休ませてもらお?下校時刻には起こしてあげるから」



 §



 その日の放課後の保健室には先生がおらず、無断でベットを借りる事となり、半強制的に寝かされる。携帯のタイマーでもかければ良いのに先輩は大丈夫と言って直ぐ隣にいてくれた。

 あぁ、なんて事だ。先輩の勉強時間を奪ってしまった挙句にこんな所に拘束させてしまった。考えれば考える程どうしようもなく感じる。涙が溢れない様にと仰向けになるも、目を閉じているから直ぐに流れて来そうになり、思わず先輩に背を向けた。


「……それで?何を悩んでいるのさ。私は君より年上で人生経験豊富だぞ?」


「一年しか違わないじゃないですか」


「一年は大きいよ?」


 そりゃ一年は大きいのだが、もっと大きな兄が答えたのだ。答えは同じではないのだろうか?


「……先輩は死にたいなぁって思った事はありますか?」


 暫く考えた後、意を決してというわけではなく単に吐き出して楽になって一人で泣きたくなりそうだったから口を開いた。先輩に背を向けているために表情は伺えず、ぽつりぽつりと声を漏らした。


「私、よく死にたいなぁなんて思うんです。憂鬱だったり、イラついたり、ほんと何でもないどうしようもない事に対してそう。別に本気で死にたいわけじゃないんです。ただ…ただ漠然と死んでしまいたいなって。それでこの前、お兄ちゃんに聞いたら普通の人は死にたいとは思わないって言われて……それで………それで、私、変なのかなって…どこかズレてて、普通じゃないのかなって思って………それで」


 不意に頭を撫でられる。先輩がどんな顔をしているのか怖くて振り向けず、胸元を強く握りしめた。


「今日、私が勉強出来なさ過ぎて、先輩の勉強の時間を裂いちゃって、また死にたいなって思って、せんぱいに心配させちゃって、それで、いまだってこんな……ここにいてもらって、こんなはなししちゃって、またしにたいなっておもって」


 でも死にたくなはい。あぁそうだ。こんなに泣きそうな程苦しくて辛くて申し訳ないというのに「じゃあ死にます」なんて行動に出せるわけもなく、きっと家に帰ってご飯を食べてお風呂に入って寝て起きれば面倒くさがりなが登校して先輩に「おはようございます」なんて言うと思う。

 あぁ死にたい。死んでしまいたい。でも本当に死にたくない。ただ、死んでしまいたいと思う程にどうしようもなかったのだ。


「……ごめんなさい………普通になれなくてごめんなさい」


 結局泣いてしまった。泣く予定はあったけど今泣くつもりは無かった。弱いなぁ私。そう思うとまた死にたいなぁなんて思ってしまう。


「別に死にたいなんて思う事はおかしくないよ」


「……え?」


 泣きじゃくる声が聞こえなくなる程、真っ直ぐな声が聞こえた。


「別に変な事じゃないよ。年間多くの自殺者がこの国で出ているんだ。それ以上に死にたいと思う人はいて、単に死なずにそこで踏みとどまって今を生きている」


「……沢山いるわけないじゃないですかこんな考えをする人」


「いるさ。日本の左利きの割合は全体のたったの一割、血液型がAB型だとか同性愛者の数も同じ割合。全体の一割に対してその悩みは一割以上ある。一割以上が普通じゃないなら一割のこれらはなんだというんだい?……それなら君は普通さ」


「ふつう…」


「あぁ普通普通。……確かに内容が内容なだけに左利きみたいに表立って言える内容じゃないかもしれない。それでもその悩みを抱える事は普通の事なんだよ。だから普通とは違うとかズレてるとか気にしなくていい」


「そう……ですか…」


 普通だ。そう言ってもらえた。散々悩んでいた。気になって気にしてしまってどうしようもなかった。

 そうか普通か。きっと兄の周りにいなかっただけだったのだろう。なんせ一割以上とはいえきっと少数だからだ。皆んな右利きだったのだろう。

 そう考えると良くも悪くも心が落ち着き、話した事、先輩には理解してもらえた事を思うと今まで溜まっていた疲れがドッと溢れては自分の中で完結する前に眠りに落ちてしまった。



「あぁそうだよ。一割以上の心配なんて普通の事さ。どれもこれも少ないだけなんだ。だから私のコレだって普通の感情なんだよ。……ははっ。左で握っても右と変わらずに暖かいじゃないか」

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