逃げた魚は
「寂しくなったらこの箱を開けなよ?」
そう言って先輩は私を置いて卒業してしまった。
§
桜の咲かない卒業式だった。それは別れの季節の様な秋に似ていて肌寒かったのを覚えている。
先輩は一言でいうのなら釣れない魚だった。容姿端麗頭脳明晰運動神経抜群みたいなどこぞの攻略対象ではなく、ありふれた顔なのに印象が残り、学力は普通なのに変な所で知恵が働き、全然運動が出来ないくせに手癖足癖が悪かった。
他と同じ種類の魚なのに特徴があり、釣り餌の状態をよく観察し、絶対に釣られる事なく餌だけを食べる。そんな人だった。
『後輩ちゃんは悪い人に騙されちゃダメだよ?』……どの口が言うのか。
王子様でもない先輩は庶民らしく皆んなから愛されており、誰からも一定以上の距離を保ち続ける。決して親友にはなれず、恋人にもなれず、皆んなが皆んな『仲の良い他人』だった。
——そんな先輩が私に卒業式の後に一つの箱をくれた。それは掌サイズの小さな箱で、生意気にも包装紙で丁寧に包まれていた。軽く振ると微かにカサカサと音が鳴り、手紙か何かが入っていると想像できた。
『何ですかこれ?』
『ん〜?私の可愛い後輩ちゃんが卒業後に寂しくならない様に細やかながら一度きりの贈り物をね?』
『ドラ○もんみたいな事をするんですね?』
『あっはっは!確かにそうだけどね。……少なくとも私はドラ○もんじゃないよ』
直訳すれば『私は帰ってこない』そう言っているのだけれども、先輩何処に帰ってこないと言いたいのかは分からなかった。
学校に帰ってこないのか、
私の所に来てくれないのか、
それとも——。
結局のところ考えたって仕方がない。あの先輩の言葉遊びに付き合うほど時間の無駄はないのだから。
§
どれが桜の木だったかも思い出せない夏。クーラーの効いた部屋で私はその箱を眺めていた。先輩は寂しくなったら開けろとは言ったけれど、正直言って寂しくはなかった。別に私に友達がいないなんて悲しい事があるわけでもなく、一つ上の学年になった事で私にも後輩が出来たのだ。寂しいと思う余裕もない。
「それに先輩のコレもあるからなぁ」
この箱を見る度に先輩を思い出す。周りを散々振り回しては一人楽しげに笑う先輩が目を閉じる度に思い出すし、なんならそれにイラつきを覚える時もある。
それを思い出して寂しいと思うかと問われれば……まぁ寂しいわけなんだけれも。
「……ん?つまりそう言う事?」
先輩の語る寂しさとは独り残されたからの寂しさではなく、祭りの後の静けさ的な意味だったのか?
そう考えると自然に箱の方に視線が向く。意味合いとしても合っている。何より先輩が考えそうな言い回しだ。
箱を手に取り包装紙を止めるセロテープを剥がそうとすると思わず一瞬手が止まった。先輩の考えだからおそらく開けたら時間がかかるものに違いない。今開けて寝る時間になったりでもしたら間違いなくモヤモヤする。
そう思い明後日の休日に開けようと思いセロテープから指を外すと、包装紙の裏にに小さく文字が書いてあるのが見えた。今見たら…そんな葛藤を覚えながら誘惑に負ける様にセロテープを少し剥がしてみるとそこには『エリクサーとか使えないタイプだよね(笑)』と書かれており、煽られるがままに包装紙を剥がした。
剥がしてしまったら既に先輩の掌の上だった。箱は無地のもので何処を見ても先輩の文字らしき物は見えず、完全に開けるだけとなっていた。
ここまで来たのなら開けるしかない。中ば警戒しつつ箱を開けてみると中には予想通り二つ折りの一枚の手紙が入っていた。
「……何これ?」
手に取って開くと思わずそんなとこを呟いてしまう。何故なら其処には私宛の手紙でも、次の目的地へのヒントでもなく何も書いていない。つまり白紙なのだ。
一瞬、炙り出しや水に濡らして、はたまたブラックライトとかを考えるも、お金や必要以上の手間がかかる事をしない人だった故にそれは無いと思った。勿論、それがこれのカモフラージュの可能性もあるけれどそうでないと信じた。
「つまり私の事は何とも思ってなかったってわけでしょ?」
誰とも一定以上の距離を保ち続ける先輩が唯一私にだけ何かをくれた。つまり私は少なからず先輩の特別になれたのだと勘違いしていた様だった。そう考えると不思議と腹が立つ事もなく、情けなく笑い声が溢れてしまう。
しょうもな。そう呟くと箱をゴミ箱に捨てようとするもやはり捨てられない。私はエリクサーは使えないし、なんなら換金アイテムも必ず一つづつは持つ人な為にその箱すら捨てるのを勿体ないと思ってしまった。
まったくもって情けない。白紙の紙を箱に入れ包装紙までも畳んで入れようとした時、その違和感に気がついた。
「他に何か書いてある?」
始めこそエリクサーしか読んでなかったけれど、こうして包装紙を広げて見てみると畳む時に見えなくなる様に折り目の所に文字が書いてあった。
『後輩ちゃんはいつ頃箱を開けた?』
『多分、寂しくはなかったでしょ?』
『この箱を見たら思い出すでしょ?』
『ジョーカーは使わない方が強いんだよ?』
完全に先輩の思惑通りだった。あぁそうだ。
……逆を言えば
あれ程私が意識していてこの箱を貰った時にどんな思いでいたのか。先輩は私に気だけ持たせて直接ごめんなさいも言わずにそれを無かった事にしようとした。
一体私に何を言われると思ったのだろうか?
『後輩ちゃんは悪い人に騙されちゃダメだよ?』
少なくともヘタレ小魚とは言ってやろうと思いながら湿った包装紙を箱にしまった。
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