死体の上を歩く
『コッ‼︎』
小さく重い音が私の鼓膜を一瞬叩いた。
それは車がちょっとした段差で車体が揺れた音に酷く似ており、履き慣れている靴が足を止めた。
「……リスだったな」
いや、小さなウサギだったのかもしれない。
私が呟いたのは目の前に転がる『ソレ』の総称だった。
数分前、学校から帰る途中に小動物が草むらから飛び出してきた。別に田舎では偶にある事で対して驚きもせず、元気よく走る姿を見ていた。
おそらく反対側の草むらに移動したかったのか、ソレは道路の上を小さな体を最大限に使って駆け抜けようとしていた。
それが今さっきの事だ。
道路を走る車にはソレが見えなかったのか、はたまた避けるだろうと思っていたのか減速や回避行動をする事無く真っ直ぐに道路の上を走った。
車体の下、運転手の死角。私だけがその車に潰されるその姿を見ていた。
脚の付け根から後頭部に向けて避ける様に半回転。
バッティングマシーンから打ち出される球の様に体が数回転。
ダメ押しというかの様に後輪がそれを止めた。
地面に伸びる赤い線を視線がなぞる。そうして視線が止まり、動かなくなったソレを見て私は初めてソレが車に潰されて死んだ事を理解した。
思い返せば今まで私は多くの死を見ていた。
それは今日食べた牛丼だった。
それは道端で烏に啄まれた狸だった。
それは名前も知らない親の知人だった。
しかし、そのどれもが死だとしても、今回私が見たのは死ぬ瞬間。全くの別物に感じた。
実際に牛が加工の為に殺される所を見た事はないけどその中身はよく見た事がある。
ソレの何倍も大きくそして無残に死んでいる狸の死骸も見た事がある。
誰かが死んだ話は聞いても知るのは大抵後の話。
私が初めて目にした死は本当に一瞬で、呆気なく、当たり前の様な景色でした。
この時思い出すのは誰かが言った『死ぬ瞬間が一番美しい』。それは生への執着としての意味合いらしいけどそんなのは感じない。誰かが何かを殺そうとすれば感じるかもしれないけれどそれは置いておこう。
とにかく、こうして私の初めての死の目撃を経験した訳ですが何かが変わったかときかれれば何も変わりませんでした。
何故かと問われればそれはあくまで生き物が死んだだけに過ぎないから。
別に飼っていたペットが死んだわけでも、仲の良い友達が死んだわけでもありません。隣の席に座った人が虫を潰して何かを思いますか?
……あぁいえ、別にソレを虫を扱いしているわけではありません。要は自分と関わりが薄いからこそ興味関心が薄かったといったわけでしょう。
寧ろ、何故虫が潰されて死ぬ事を気に止めないのに、人や動物が死んだらそんなに重く捉えるのでしょうか?些か生き物の命に対して差別をしているのではないでしょうか?
もっと虫が殺されて嘆くべきでしょうか?
人や動物は平等に当たり前に死ぬべきでしょうか?
「……なぁんて」
どこぞの魔王みたいな考えが過ぎると私はソレを横目に足を進めた。
§
数日後、毎日同じ道を通るだけあって、ソレを何度も気に留めてしまう。
あんな骨を剥き出しにしていたソレは誰かに撤去されるわけでもなく、数多のタイヤに潰されて今や影も形もない。道路に伸びた赤い線も雨風に晒されて、土埃を纏ったタイヤによって目を凝らさないと死体があった事すら忘れそうだ。
きっと数日もすれば私はソレの事を忘れるのだと思うし、あの『コッ‼︎』というか段差に乗り上げて車体が揺れた音も忘れてしまうのだろう。
だって今日食べた牛丼もあの日と変わらず美味しかったのだから。
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