加害妄想

「ねぇ、これ誰?」


 シンと静まり返る教室。先程の雑音が嘘の様に思える。

 視線の先の教卓には割れた花瓶が置かれており、教師の言う『これ』には割った犯人は誰かという問いだと誰もが理解した。

 静まり返ってから十数秒。誰も声を上げず、無関係な人達は早く名乗り出て欲しそうに視線を巡らせる。


「怒らないから正直に名乗りなさい」


 まるで子供を説得する様なそんなセリフを聞いて名乗り出る程、割った彼らは悪い意味で無知ではない。

 ……『彼ら』というのも、私は犯人を知っているし、割れてから隠蔽する一連の流れを知っている。

 それなら私が『彼ら』を指名すればこの話は終わるのだけれども、生憎私にはそれが出来なかった。


「いいですか?放課後までに私の所に名乗り出てください」


 休憩終了のチャイムに救われたのか、教師は割れた花瓶を抱えて教室を後にする。居なくなったと同時に今度は雑音が教室内に溢れてくる。

 耳を傾けなくとも聞こえるそれは花瓶を割った犯人探しだったり、休憩時間を潰された不満だと直ぐにわかる。

 私はそれらの言葉を堪える様にお腹を摩った。



 §




 人の性格はそう簡単には変わらない。

 いじめっ子がいきなり真っ当な人間になれない。

 いじめられっ子はいつだって無くならない恐怖を覚えている。

 ポジティブな人がネガテイブな人を理解できない様に、私は常に見えない責任に怯えていた。


「どうしたの?今日も顔色悪いね?今にも死んでしまいそうだ」


 学校にある死角の一つで休んでいると声が聞こえた。その声に釣られる様に顔を上げれば見知った先輩の顔がこちらを覗き込んでいた。


「……死んでしまえば楽なんですけどね」


「相変わらず命の価値観が安くなったものだ」


 視線を正面に戻すと実習棟の方で多くの生徒が部活に励む姿が見え、目を閉じれば吹奏楽部のトランペットの音が聴こえる。


「それで?何かあった?」


 視線が合わなくなった先輩は私と同じ様に実習棟を眺める。私はその交わらない視線をさらに避ける様に軽く目を伏せた。


「今日、クラスメイトが花瓶を割ったんです。それを隠蔽したんですが先生にバレて犯人探しがあったんですよ。まぁ、私以外の誰かが密告して解決したんですけどね」


「へぇ?それは良かったじゃん」


 先輩からすればその事件はこれで解決してお終い。どこに私が顔色を悪くなる所があるのか不思議になり私は躊躇いながらも口を開いきお腹を摩った。


「……私、その割れた時にその場にいたんですよ」


「それで?」


「……もし、私がその時に注意していれば花瓶が割れる事はなかったんじゃないかって思うんです」


 私の言葉を聞いた先輩は少しの沈黙の後「あー」なんて理解した声を上げるや否、呆れた様に笑った。


「つまり君は、今回の事件は自分の責任なのだと思っているんだ?」


 アホらしい。私が頷くとそう先輩が呟くがまさにその通りなのだ。

 別にその時、割った犯人の他にいたのが私だけというわけではない。私以外にも複数人その場にいて、私を含め誰も巻き込まれたくないから注意しなかった。その結果、こうして教師に見つかり気まずい時間を過ごし、私以外の誰かが密告し、犯人は影で怒られたわけである。

 その話に至っては私に罪は無かった。あっても誰も止めずに傍観していた事に関して。それでも私一人の責任ではない。


 それでも考えてしまう。


「もし私がその時止めていれば花瓶が割れる事がなく、先生の犯人探しで気まずい時間を皆んな過ごさずに済んだんじゃないかって」


「考え過ぎでしょ。君が犯人で自分は悪くないと言い訳するならまだ分かるけど、自分が犯人ではないのに自分が悪い言い訳を探すなんて無駄な考えはないよ?」


 先輩に呆れられてしまうがその通りで、私は今回に限らず事ある毎に自分に罪を感じていた。

 休んでいる時に誰かが作業しているのを見ると手伝いをしなかった自分を責めた。

 真面目に掃除している時に誰かが掃除をサボっているのを見ると自分がトロトロしているのが悪いと責めた。

 友達と談笑してる時に誰かの陰口を聞いてしまうと自分とは関係ないのに無力さを感じた。

 被害妄想ならぬ加害妄想。私はどうしようもなく愚かでいようとした。


「いえ、分かってはいるんです。私は悪くない。大した罪でもないって」


「いいや分かってない。……いや、分かるまでに余分な事を考え過ぎだよ。君は不要な事を考えてしまう。答えを出すのに余分な過程と余計な答えを求めてしまう。


 さっきの話だって求められたのは『花瓶を割った犯人』

 私含めた部外者からすれば『花瓶を割った犯人が見つかった』

 君を含めた目撃者からすれば『花瓶を割った犯人を知っているから報告する』

 これでマルを貰えるのに対して君は『花瓶を割った犯人』の他に『花瓶がら割れずに済んだ方法』を勝手に付け加えて勝手に減点してるだけだよ」


 考え過ぎ。今まで何度も聞いた言葉だ。

 伝えたい言葉が纏まらず言葉がぐちゃぐちゃになる。

 続けようとした吐いた言葉が余計な言葉な気がする。

 談笑してたはずなのに後で変な事を言ったのではないかと不安になる。


「……先輩の様な普通の人には分かりませんよ」


 ほらまた余計な事を言った。


「私は先輩みたいにポジティブに考えられないんです。平均点でも百点満点の答えでも安心出来ないんですよ」


 学校に社会に人生にマニュアルは存在しない。いつも予想外の出来事に直面しては臨機応変に対応なんて出来ず、思いつく限りの対応作を考えないといけない。そうでないとうまくいかなかった時に対応できないのではないかと不安に押し潰されそうになる。例えそれがボタンひとつ押せば済む様なことでもだ。


 私だって好きでこんな考えをしているわけじゃない。好きでこんな不安を抱えたいわけじゃない。好きでこんなネガティブになったわけじゃない。


 私だって普通の人みたいに必要以上の不安を抱えたくない。余計な事で傷つきたくない。前を向いて歩きたい。


「なら前を向きなさい」


 突然頭を掴まれて前を向かされる。驚いて見ても先程の通り実習棟で部活をしている人達が見えるぐらい。


「君に足りないのは変化だ。昨日と同じ今日を過ごしてどうする?明日やろうなんて思えるのなら今から変えても大差ないだろ?」


「先輩?」


「人の性格はそう簡単には変わらない。

 いじめっ子がいきなり真っ当な人間になれない。

 いじめられっ子はいつだって無くならない恐怖を覚えている。

 ポジティブな人がネガテイブな人を理解できない様に、君が常に見えない責任に怯え続けている。


 だけど人の性格は長期に渡って変えられる。

 いじめっ子が散々叱られ、罪を犯し、罪を感じ真っ当な人間になろうとする。

 いじめられっ子は恐怖に怯えながらも幸せに手を伸ばそうとする。

 ネガテイブな人を理解出来ないのなら出来るまで教えて分からせる。

 ……君が常に見えない責任に怯えるのなら私を頼れば良い。無論私以外でも良い。君は一人で解決したがっているが誰かに頼ってラクをして良いんだ」


「それじゃあ先輩に迷惑がかかります」


「そうやって吐きそうな程顔色を悪くしているのに我慢している方が迷惑だ。同じ迷惑なら頼ってくれた方が助かる」


 解釈違いだ。普通の人にはそう思うけど、私からすれば二人が迷惑になるのなら私が我慢すれば済む事じゃないか。


「…君の事だから自分が我慢すれば〜なんて思っていると思う。それはそうかもしれないが正解ではない。何故ならその考えでは私が迷惑に思っているのが前提だから。……前提が間違っている時点で正解にはならないよ」


「じゃあどうすればいいんですか?」


「問題文の補強。分からない事は聞いて埋めるしかない。君の考えと相手の考えをすり合わせて問題文を正しく纏めて答えを出す。今君が私に聞いた様にね?私は今の質問を迷惑だとは思ってないよ」


 あっと声を心の中で漏らしてしまうがそれを口にする事はない。


「君は変われるのに変わらないのは変化に対するデメリットだけを見ているから。君は今の自分が完成体と思う事で基準を作っているけれど、それは間違ってはいないけれど遠回りだ。変化のメリットを理解すればもう少し生きやすくなるよ」


 顔を見なくとも分かる。きっと先輩は私を元気付けようとしてにへらと笑っている。だからこそ私はそんな先輩の優しさが時に辛く感じてしまう。


「……人は急には変われませんよ」


「ならゆっくり変わっていこうじゃないか。一人で無理なら私に頼らせて欲しい。なに、可愛い後輩一人導けないほど歳は食ってないさ」


「一年しか違わないじゃないですか」


 変われないと分かっていても視線を上げてしまう。

 そこには予想していた通り、にへらと笑う先輩の顔があった。

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