作には短く消すには惜しく

通行人B

進路希望

「そろそろ別れよっか」

 

 午前十時頃の話だ。出かける予定も無いけどした化粧も二人で食べた朝食も程よく消化し、すっかり頭が覚醒した頃に私は愛する人にそう言われた。

 

「…理由を聞いても?」

 

「ん~、まずは時期。私は大人で君は学生。私の生活はなんら変わらないけど、君はもうすぐ受験だ。今の生活を続けたら間違いなく志望校には行けない」

 

 断言しよう。そう涼しい笑みを浮かべる彼女は髪を掻き上げると左耳のピアスを光り、不意に何もない耳に触れるように前髪を弄った。

 

「二つ、大人の持論と言うのも癪に触るけど君はまだ若い。私は色々経験してこうなっているけど君はそうじゃない。未だに恋愛経験の少ない君がこのまま私以外を知らないまま終えてしまうにはあまりにも勿体無い」

 

 彼女の長い腕と指が伸びた先には私ではなく見慣れた銘柄の煙草とライター。それを掴むと私に構わずに一本抜き取ってはそれに火をつけた。

 

「フッー。…三つ、君と付き合ってもう二年と経つ。最近、私といて物足りなさを感じているんじゃないか?」

 

「それは…それは、貴女が私を子供扱いしてるから」

 

「そりゃそうさ。私は大人で君は学生。結婚の出来る歳とはいえ、私が手を出すのは些か世間体が悪くなる。…これでも私は二年間我慢した方だよ?」

 

 私の青春を貴女色に染め上げておいてどの口がそれを言うのか。それに手を出していないみたいな事言っているようだが、手を出していないのは外であって家の中ではあんなにも――。

 

「…私に飽きたんですか?」

 

「いや?今でも私は君の事が大好きだし、あと数年待てばもっと楽しくなりそうだと思ってるよ」

 

「だったら!」

 

「だからこそ君と別れた方が良いと思ったんだ。このままじゃ、君の未来を食い散らかしそうだからね」

 

 舐め回すような視線に唾を飲み込む。

 口に咥えた煙草が蛇の舌みたく垂れる。

 長い指と短い爪がカリカリと机を引っ掻く。

 後は飲み込むだけだというのに今更逃げ道をチラつかせる彼女の性格の悪さに吐息が漏れそうになる。牙を立てず食む様に舐る様に私の反応を楽しんでいる。

 

「…貴女には行く宛はあるんですか?」

 

「確かに此処は君の家だけれどもどうとでもなるよ。親戚等はみんないないけど職場の人に頼めばアパートの一室ぐらい借りる事も造作でもないよ」

 

 一瞬でもマウントが取れたらと思ったけどそうはいかなかった。それどころかその問いを答えとした様に彼女は納得し、持っていく物を呟き始める。

 

「…そう泣きそうな顔をしないの。君みたいな綺麗な娘は私みたいに恋人には困らないよ」

 

 そう言って微笑む彼女は煙草とライター、携帯をポケットに突っ込むと迷わずに玄関に向かってしまう。「待って!」と慌てて後を追いかけた途端、口に含んだ煙を吹きかけて来る。

 

「君はこれから夢を叶えてたくさん恋をして幸せになるんだ。振り返っちゃダメだぞ?」

 

 彼女は下駄箱に置いてあった二人の写真にキスをしては写真片手にいなくなる。

 残された煙草の煙は彼女の様にいやらしく纏わりついてはいつの間にか消えてしまった。

 

 

 §

 

 

 別にその学校じゃないといけない理由は無かった。夢があったわけでもやりたい事、なりたいものがあったわけでもない。ただ彼女がそこに通っていたという理由だけでそこを目指していた。

 特別優秀でもないありきたりな大学。そこでは少しだけ盛んな科目が人気だったそうな。

 教鞭を振るう四、五十を超えそうなハゲの言葉には抑揚を感じず、スピーカーから流れているのかとも疑ってしまう。

 

「一緒にご飯食べに行かない?」

 

 彼女の言う通り私に友人は出来た。差し障りのない普通の女の子。男友達がいないわけでもないけど馴れ馴れしい関係でもない。

 

「そうだね。私の講義も終わったし外で食べに行こっか?」

 

 

 街中で彼女を見かけた。まるであのまま散歩に出ていたかの様に見慣れた姿で見間違いなんかしなかった。歩き煙草はしてないにしろポケットが煙草の箱型に膨らんでおり、左腕には見たことある様な笑みを浮かべる見知らぬ女性の姿。

 数年前まで彼処に私が居たのに。愛していたのは嘘だったのか?

 そんな過ぎた事に過剰反応する程弱くはない。女の嫉妬程醜いものはないとすっかりテレビで洗脳済みだ。

 

「ねぇ早く行こ!」

 

「うん。そうだね」

 

 別に彼女を軽蔑したわけでも嫌いになったわけでもない。

 ただ少し、煙草の煙が目に染みやすくなっただけだ。

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