ただ彼女のためだけに

わさび醤油

第1話

転生。最近何かと話題になっているジャンルの一つ。

 くだらないと思いつつもこんな風に波乱万丈な人生を送ってみたいなと現実逃避する毎日。

 それがずっと続くのだと思っていた。死ぬまで変わらないのだと思っていた。

 けどまさか、まさか実際にこの身に起こるなんて。そんなこと。――たったの一度も考えたことはなかった。





 ――突然だが俺ことライルは転生者である。

 かつては日本で普通に学生をやっていたのだ。

 しかしある日、あのやけに気温の高かったあの日にぽっくりと死んでしまったのだ。

 理由はあまりにも情けない。閉じこもってゲームに熱中していたのだが、そのプレイ中全く飲食をせずにいたところばったりと力尽きてしまったらしい。最後の記憶は完全クリアの特殊エンディングが流れだしたことなので間違いはないだろう。

 さてそんな風に死んでしまった俺が、なんでこんな風に明らかに日本人感のない名前がこんなことを考えているのか。


「ふ、ふん! あなたがおとなりのらいるくんですのね!」


 答えは簡単。この先日引っ越してきたばかりで初めて会ったはずの少女にとてつもなく動揺してしまっているからだ。

 シレーナ。その金髪と気の強そうな目をしているその少女。

 その名前は思い当たりがある。だって、だって! こいつは! ――この女は!


「よろしくですわ!」


 ――死ぬ間際までプレイしていたゲームのヒロインなのだから!





「はあーっ」


 空を見ながら草原に寝転びため息を吐く。

 何故今まで思い出さなかったのだろうか。自分の馬鹿さにあきれ果てる。

 ライル。それはかつて日本に生きていたときにプレイしていたゲームの登場キャラの一人である。グランディア・ロードというファンタジー系のゲームなのだがなんとこのゲーム、俺が死ぬ直前にクリアしたものなのだ。

 世間的に流行っていたかといわれるとよくわからない。その辺は売り上げに興味がなかったから見ていないが自分の中ではラスト一ピースのパズルのように自身にがっしり嵌まったのだ。

 復活した魔王を倒すという目的のために旅をするというありふれた話ではあったのだが、そこに至るまでの様々な苦難、魅力的なヒロイン達、そして最後の大どんでん返し。それが自分にはなによりも楽しかった。

 人生で一番ゲームに、いや何かに没頭したと思う。家族も旅行に行ってしまっていたので完全に一人だった俺はなんとしても一人の時に終わらせようと必死になってこれに取り組んだものだ。


「……それにしてもかわいかったなー」


 先程の少女を思い出す。

 シレーナ。彼女もあのゲームのヒロインであり、俺の押していたキャラの一人であった。その強そうな目からは考えられぬような優しさを持ち、癖の強いヒロインが多かったグランディア・ロードの中で少ない癒やし枠である。

 正直彼女に会わなければかつての記憶など思い出そうともしなかっただろう。そうやって結構放置していてもう抜け落ちている部分も多いのだ。

 ゲームでは幼少期のイラストは出ることはなかったので本当にそうかはわからないが多分あのシレーナで間違いは無いだろう。

 思い返せば魔法だなんだの設定は似通っている部分が多い。転生とかいう非現実ばっかり目が行っていたので肝心のどんな世界か考えていなかった。


「……となるとここってリル村かー」


 リル村。それは主人公とシレーナが最初に出会う場所。正式名称はなく裏要素のために見た掲示板での総称である。

 何故正式名称がないのかというと、この村は主人公が冒険を始めた段階でもうすでに無くなっている村なのである。理由は簡単。魔王の手先とされる魔族に滅ぼされるのだ。

 魔王の幹部が出てくるわけでもない。何か壮大な計画が動いていたわけでもない。強いて言うのならそこに聖女の資格を持った少女――シレーナがいたことが唯一の理由。

 そう、要はこの村は彼女の過去バックボーン。いわゆる舞台装置なのである。

 彼女の過去に関しては魔族によって滅んだとしかテキストには書かれていなかったしあまり話されることがなかった。幼少期の彼女について、その村でどんな思い出があったのか。それらはほとんどシレーナの口からも語られることは無かったのだ。語られたことといえば彼女の両親について、そして隣の家の子供のライルという名だけである。

 さてどうしようか。どうやらこの村は滅ぶらしい。

 当然俺も死ぬだろう。けど、よくよく考えてみると本当にそんなことになるのかはとても疑問だ。

 魔法は前世になかった未知だったのでたくさん練習した。今の父に魔法を見せたら目を見開いて驚かれるぐらいには使えていると思う。

 俺というイレギュラーがいる中でそんなことが起こるのか。そもそもこの世界が本当にあの世界なのかまだはっきりともしていないのだ。


「……なんとかなるか」


 適当に自分を納得させる。

 悪いことばかり考えても仕方が無い。せっかくの人生だ。あんなかわいい少女と過ごせるのだから楽しく行かなくちゃな。


「らいるー? どこですのー?」


 シレーナが何処からか呼んでいる。それに軽く返事をしてそちらに向かう。その時には先程の不安などどこかにいってしまっていた。





 それからしばらく経ちシレーナと遊ぶ日が段々と増えた。元々そこまで広くない村である。隣ということもあり一緒にいる機会も多かったのである。

 外を駆け回った。セレナに少し使える魔法を見せた。最初は少し戸惑った様子だったシレーナも何回か遊べばすっかり遠慮もなくなり笑い合える関係になったと思う。

 シレーナはやはりというべきか魔法の才があった。魔法を軽く見せただけ後に、なんとなくで自身の魔力を認識することができていた。


「らいるらいる! みてみて!」


 シレーナが空中に浮いた魔力玉を操りながらこっちに見せてくる。

 自身の魔力をそのまま出すとその色で自身の適性がわかる。それがグランディア・ロードにおける設定の一つ。

 今浮かんでいる魔力の色は水色。ゲームにおいて水属性と光属性の混合であったシレーナと変わらないその属性はやはりあのシレーナであるという可能性が高まってくる。

 ちなみに俺は赤。ゲームでは火属性である。


「――ねえらいる?」

「ん? どうしたシレーナ」

「らいるはわたくしがこまったらたすけてくれる?」


 ある日。遊び疲れ、家の近くの木陰でいつものように話しているとシレーナはそんなことを聞いてきた。

 何故いきなりそんなことを聞いてきたのか。それは知らないが、とても不安そうな顔で答えを求めてくるシレーナ。俺の答えでそのかわいい顔に、さらに悲しみが出てしまうことはちょっと避けたい。


「ああ、助けるよ。絶対に」


 だから笑って返す。シレーナの不安をぬぐうために。その少女の笑顔を奪わないために。

 その答えを聞いてようやくいつもの笑顔に戻るシレーナ。先程までの曇った表情はすでに消えていた。


「ええ。ええ! じゃあそろそろかえりましょ? らいる。きょうはうちとらいるのいえといっしょにごはんをするそうよ!」


 シレーナに手を掴まれ家に向かって走る。いつものように二人で一緒に。

 そうだ。この世界がゲームの世界であるわけではない。このままなんてこと無いままきっと平和に過ごせる。もしかしたらシレーナと更に仲良くなれるかもしれない。

 両親も優しい。シレーナもいる。魔法だって使える。前よりも、ただ一人でゲームをして自堕落に生きていた日々とは全然違う充実した日常。

 そう考えながら今日という一日を終えようとしていた。このままずっと楽しく生きていけると思っていた。





 ――しかし、それはただの幻想であった。




 それはシレーナが隣に越してきておおよそ三年ほど経った日。

 その日はいつものようにシレーナと遊んでいた。少し離れていた森を二人で探検していた時だ。

 いつものように楽しく話しながら歩く俺達。笑顔のシレーナとのんびり歩いていた。

 その時、ふと何かが聞こえたような気がした。

 風で葉が揺れた音ではなかった。自然の音ではない気がした。


「ライル? 何か聞こえない?」


 シレーナにも聞こえたのかこちらに確認してくる。

 妙な不安がよぎる。この森は何か特別な生き物が住んでいるということもなく、迷子になるほど大きな森ではない。

 耳を頼りにし、慎重に歩いていると先程の音がどんどん大きく聞こえてくる。


(――っ!)


 シレーナを掴み木の陰に隠れる。声が出なかったのは奇跡だった。いや、ただ単に出せなかったのだ。


「ライル? どうし――」


 いきなり引っ張られたシレーナがこちらに問いただそうとしてくるが、すぐに口に手を当てる。そして指を指す。その音の元凶を。


「――よし。これで準備が整った」


 赤い皮膚が特徴的だった。全身が赤く染まっており後ろには翼が二枚。

 人間というにはあまりにも違いすぎており、二本の手と足しか共通点がないぐらいには人ではなかった。


「ラ、ライル……」


 震えそうになる手をシレーナが握る。とても不安そうに。どうしようもないその本能を誤魔化そうとするように。

 そうだ。シレーナが怖がっている。どうする。どうすればいい。悩め。考えろ。思考しろ。頭を――。


「さて、腹が減った。あの村の人間でも喰いにいくか」


 その言葉を聞いたときはすでに飛び出していた。手に魔力を集約させ火を呼び出す。そしてそれを怪物目掛けて思いっきり投げる!


「――ああ?」


 こちらを見ようとしてきたその怪物に炎が当たる。

 ここが森だとか関係ない。この後のことなんか考えられない。――今ここで。こいつは殺しとかなければならない。そんな予感がした。

 休むことなく炎の球を相手に放つ。放つ。放つ、放つ――!


「――あちぃなァ。一体誰だァ?」


 次の瞬間、風がすべてを吹き飛ばした。放った炎はすべて消失し、木についていた葉もほとんど残っていない。たった一度の烈風でこの辺りがさっきまでとは違う景色になってしまっていた。

 その赤い生物の姿が見える。片腕は黒く焦げているがそれ以外はまったく損傷はない。


「おい。おいおいおいおいおいィ。誰かと思えばガキじゃねぇか! なんでこんなガキに腕焼かれちまったんだあァ!?」


 激昂を露わにしこちらに目を向けてくる。赤い目。睨まれただけで縮み上がりそうなその視線。


「――なあッ!」


 翼が動いたと思ったらその瞬間には俺の体は浮き、木に叩き付けられていた。


「――がはっ」


 お腹と背中。前と後ろに尋常じゃない痛みを感じる。必死に目を動かしその怪物を見るとさっきまで俺がいた場所に立っていた。どうやら一瞬で蹴られたのか、あるいは殴られたのか。

 痛みでどうにかなりそうだ。痛い。なんで、なんでこんなに痛いんだ。


「ああァ? ああァ!? 何で息してんだァ!? 割と本気で蹴ったんだがなァ!? ――まあいいか。殺すかァ」


 こちらに歩いてくるその怪物。いつでも殺せるというようにゆっくり。自身が勝利者であると知らしめるように悠然と。

 そうだ、シレーナは。シレーナは無事か。逃げてくれたか。村に逃げてくれたのか?

 馬鹿だった。勝てると思った。一瞬そう思ってしまっていた。

 自分は転生をしている特別。イレギュラー。シレーナの過去を変えられる人間。そんな、そんな愚かな考えが心のどこかにあったのか。同年代よりも上手く魔法が使えるから勝てるだろうなんて慢心があったのか。いやあったに違いない。そうでなければこんな、こんな怯えたシレーナをほっぽといて怪物に向かうなんて出来るはずがないのだから。

 俺なんて気にせず逃げていてほしい。こんなどうしようもない考えなしなどほっといてとっとと村に知らせにいっていてほし――。


「ライル! ライルから離れて!」

「……ああ?」


 俺の前に飛び出し手を怪物にかざし、こちらを庇うシレーナ。

 なんで。なんで逃げなかった。なんで遠くに離れなかった。なんで俺なんて見捨ててくれなかったんだ。どうして助かろうとしてくれなかったんだ。


「……に、げろ」

「大丈夫。大丈夫だから!」


 シレーナが震えた声でこちらをに言う。ああ、なんて情けない。自分の傲慢でこんな優しい少女にこんな恐怖を味合わせてしまうなんて。


「――うん? 大丈夫ゥ? 何が? 何が大丈夫だってェェ~~!? ガキが一人。一人だけで? そんなに震えて何が大丈夫なんだァ!?」


 怪物が嗤う。あまりに馬鹿馬鹿しいものを見たかのようにただ嗤っている。


「ああそうだ。良いこと思いついたァ。ナぁガキども。人間ってよォー。食べるときに一番美味いのは恐怖と絶望しているやつなんだぜェ。嬢ちゃんは美味そうだなあ。……本当に美味そうだ」


 怪物は恍惚とした表情でよだれを垂らしている。なんとかしなければ。そうしなければシレーナを殺し食べようとするだろう。

 ぼろぼろの体に鞭打って強引に起きようとするが、力がまるで入らない。


「――まあとりあえず、邪魔だ」


 怪物がシレーナを横に軽く飛ばす。そして俺の前に立って目を輝かせる。


「なあおい。嬢ちゃんの前でお前を殺せばすっげー絶望んじゃあねぇか? だってお前はこんな状況でも庇われる友情があるんだろう? なあ、なあッ!!」


 焼けてない方の手のひらをこちらに向ける。魔力が収束し恐ろしいほどの勢いの風の刃が構築されていく。


「そうだなァ。全部消し飛ばすと駄目だろうし、とりあえず真っ二つにするとしようか――」


 言葉は最後まで続かなかった。怪物の腕が下に落ちたからだ。切断面が見える。とても綺麗に切られているその腕からは先程の魔力が感じられる。


「――あ? 腕が、腕が。俺の腕が!? ああっ!? どうゆうことだ!? 何で地面に落ちチまってんだァ!?」


 腕を切られ、動揺しているこの怪物。一体誰が。……まさか――。

 頑張ってシレーナの方に目を向ける。そこには片手でお腹を抑えながらも、もう片方の手をあの怪物に向けているシレーナの姿があった。

 今の一撃はシレーナの魔法なのか。ということは覚醒したのか。開化したのか。その世界を救える力に。


「あァくそ!? ……もういい。もうめんどくせえ!! 全部吹き飛ばしてやる! もう喰うのなんてどうでも良い! 殺してやる。殺してやるゾぉガキども!?」


  感情を剥き出しにしながら魔力を出す怪物。やつを中心に恐ろしいほどの風の渦が形成されていく。


「もう終わりだァ。死ねゴミどもォ!?」

「……し、れ……」


 ああくそ。もうどうしようもない。この辺を吹っ飛ばす気だ。

 シレーナに逃げろと伝えようとするがその声が決して音になることはない。俺はもう動けないが、シレーナはまだ動けそうだ。頼む、頼む。どうか、どうかシレーナだけは。俺の初めての友達だけは!


「ハハッ。はははハハハ――」


 次の瞬間、信じられないような光景を見た。

 怪物の首が空に浮いていた。空中に飛んだその首は自然現象のままに地面にごろんと転がった。残った体の魔力は放出を辞め、その場に倒れた。


「――ああ? 何で横向きに――」


 剣が怪物の頭に刺さる。言葉は最後まで続かなかった。あんなに恐ろしかった化物はあっけなく死んでいた。


「間に合ったか。だいじょ――」


 誰なのか。それを確認する前に意識が途切れる。最後の聞いた音の中に、誰かの泣く声が聞こえたような気がした。






 目が覚める。

 屋根がある。どこだかわからないが室内だ。一体自分はなんで――。


「目が覚めたか。三日ほど寝ていたよ君は」


 声のする方に振り向く。そこには一人座り心地の良さそうな椅子に座りこちらを見る男――ディペットさんがいた。

 こちらが起きたのを確認すると、コップに何かを注ぎそれを持ってこちらに歩いてきた。


「ほら。飲むがいい。疲労に効く」

「ど、どうも」


 コップを受け取るとディペットさんは再び椅子に戻る。

 コップ内のなかなかに黒い液体に一瞬飲みたくなくなるが、頑張って一気に飲み干す。……まずい。


「ふむ。体に問題は無いか?」

「は、はい」


 飲んだのを確認したディペットさんがこちらに確認してくる。

 体は問題ない。若干痛みは残っているがそのほかには問題はなさそうだ。


「ふむ。ではあと一日休めば問題あるまい。あの娘に感謝するんだな」

「娘? ……そうだ。シレーナは。シレーナは何処ですか!?」


 娘と聞いた瞬間、シレーナが脳裏によぎりつい言葉を強くしてしまう。

 そうだ。あの後一体どうなったんだ。シレーナは。村はどうなった? ――痛っ。


「落ち着け。あの魔族は葬った。シレーナ嬢ちゃんも無事だ。あの後家に返した」


 ディペットさんの話によると森から尋常ではない魔力を感じ、剣を持って向かったところ俺らにあの怪物――名称は魔族らしい――その生き物が魔法を行使しようとしていたので首を切ったらしい。

 その後は倒れてしまった俺をディペットさんの家に運び治療していたらしい。


「まあ怪我の回復は嬢ちゃんの魔法によるものが大半だ。すげえよあの娘は。幼少期からあれほどの回復魔法をみせるやつは今の聖女ぐらいしか知らねえよ」


 シレーナの魔法について褒めるディペットさん。元騎士団の彼が言うほどには彼女の才はすさまじいらしい。

 当たり前だ。シレーナはメインキャラ。この世界の中心の一人なのだ。土壇場の覚醒ぐらい不可能ではないと思える。


「私は君の両親に報告してくる。まだ疲労は貯まっている。今日は横になっているといい」


 そう言い残し、杖をつきながら家を出るディペットさん。確かにまだ疲れている感覚がある。眠気もあるし。

 言われたとおり横になって少し考える。

 今回の戦い。おそらくあの魔族がリル村の滅んだ原因なのだろう。この村にはディペットさんがいるが、彼は今片足を義足で補っている。戦えるのかもしれないがあんな魔法をいきなり放たれればおそらく対処は難しいだろう。

 今回生き残ったのだからもう安心というわけではないのだろう。

 あの魔族との闘いで確信した。やはりこの世界には魔王が、そして裏ボスたる裏神リムスは存在する。

 例えこの村が滅びなくてもシレーナは勇者と共に旅に出る。そして、世界を救うための闘いに明け暮れるのだろう。

 ということは、当然彼女も死ぬ可能性がある。どんなに才があろうとも彼女の性格を考えると無理をして死んでしまう時が必ず来る。

 それに彼女には、シレーナには死亡イベントが存在する。ゲーム内ではヒロインの内三人にしかないそのイベントだがそれが起こりうるシレーナはあまりにも死ぬ可能性が高い。

 勇者と旅をさせなければいいのかもしれない。だがそれはおそらく難しい。シレーナはメインキャラ。寄り道して仲間にするサブとは違い、絶対に必要な戦力なのだ。例え俺が死力を尽くしても運命が、この世界が必ず引きずり会わせるだろう。

 それを見ているだけで良いのか。ただ世界を救える可能性にすがってシレーナから目を背けるのか。

 ……だめだ。それは認められない。それを、それだけはしたくはない。

 自分がどんな人間なのかは理解している。嫌なことから目を背ける人間。外見が良いから、自分の好きなキャラだったからシレーナと仲良くなった人間。いずれ好きになってくれるかも知れないという下心で接していた人間。はっきりいってゴミくずだ。

 けど、そんな俺にシレーナは笑ってくれた。友達といってくれた。――守ってくれとお願いされた。

 初めての友達に、前世含め始めて友達と呼んでくれる人に出会えたのだ。その娘に死んでほしくない、幸せになってほしいと思ってなにが悪い。


「……よし」


 意識が遠くなる。とりあえず今は寝よう。

 目を閉じる。――覚悟は決まった。もう目を背けるのはやめる。





「お願いします。俺を鍛えて下さい」


 次の日。目を覚ました俺はディペットさんに頭を下げていた。顔は見えないがいきなりどうしたという目を向けられている気がする。


「……何でだ」

「強くなりたいんです。お願いします」


 ディペットさんに頭を下げ続ける。引き受けてもらうまで絶対にやめるもんか。

 しばらく無言が続く。それは随分と長く感じた。一分、十分、一時間。明確にはわからないがとにかく頭を下げていた。


「……わからんな。魔族に負けたのは気にする必要は無い。あんなの偶然だ。滅多に起こることではない」

「お願いします。強くなりたいんです。強くならなきゃいけないんです」


 理由なんて言えない。前世の記憶なんて言えるわけがない。けれど強くならなきゃいけない。俺はなんとしても強くなるんだ。


「……はあっ。なあライル。俺はもう戦えるような体ではない。そんな俺に教えを乞うて何になる?」

「時間は限られてるんです。自分だけでより、強い人に鍛えてもらいたいんです」


 そうだ。時間が無い。主人公とシレーナが出会うのは彼女が十五の頃。あと五年程度しかない。

 俺はその間に、その前までになんとしても戦えるようにならなきゃならない。

 ディペットさんと目が合う。見つめ合う。ここで目を背けるわけにはいかない。決して。


「……わかった。けど俺は厳しいぞ。投げ出させはしないからな」

「――はいっ」


 更にしばらく経ち、ついに折れたディペットさんが頭をがしがしと掻きながら了承してくれる。

 やった。強くなるんだ。絶対に強くなってやる。


「とりあえず、今日はもう帰れ」

「はい。ありがとうございました」


 そうして家に帰る。さて、どうしようか。とりあえずシレーナにはなんていうか。気づけばそれが今一番の心配事になっていた。




 それから彼は地獄のような特訓を始めた。毎日体が悲鳴を上げ、シレーナに構う余裕がないほどには辛かった。

 しかし、彼は耐え抜いた。始めて三年で魔法も剣術もディペットさんが認めてくれるほどには使えるようになっていた。

 しかし、修行の三年間で考えた。強くなるだけで良いのかと。

 ――否。そんなわけはないだろう。何のために強くなったと思っている。シレーナに危険な目に遭ってほしくないからだ。

 ならどうする。今のままここで修行を続けるのか。いずれ危機が来るのを知っているのになにもしないのか。だめだ。それじゃ足りない。

 おーけーわかった。なら話は簡単だ。――旅に出よう。



 ――ああすべては、彼女のために。




 次の日。彼の家に置き手紙が一つ。それを最初に見つけたのは彼の母であった。手紙には一言だけ書かれていた。


 “旅に出ます。心配しないで下さい”


 読んだ瞬間母は驚き、そして悩んだ。今日シレーヌちゃんにどう言おうかと。あの笑顔を曇らせなければいけないと朝から本当に憂鬱になった。

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