第118話 正解か不正解か

 誰かの為にする事は何の意味もない。それが私の考えだった。



 私には友達がいた。いや、勝手にそう思っていただけだろう。でも、その時は友達だと本気で心から思っていた。だから、その人が座ろうとしたら椅子を引かれてわざと転んだり、給食をわざと溢されて制服を汚したりするのを黙って見ていられなかった。




『そんなことは何も意味がありません。やめてください』



 そう言って現場を見たら無理に止めて、そうならないように釘を刺して、私はただ、頑張ったのだ。一生懸命に守ったのだ。欲しいのは感謝でも無いし、物でもない。ただ、大事な友達なだけだったのだ。


 だけど、そのせいで矛先が私に向いてそれで虐められて、友達と思っていた人は虐める側に回って……辛かった。自分のしたことは意味のないことで、友達なんてただの他人。


 誰かの為にする事なんて全部が間違っていると思った。


 あの勇気も、自己犠牲も何もかも無駄。意味のないごみのような物。友達も全部信じるべきでない。全てを否定された気分で彼と出会った。


 彼と会って話して、背中を見て、全部が報われた気がした、凍った心が解けていった。自分のしたことは無駄なんかじゃなくて、ごみでもなくて、私が一番欲しかったことを言ってくれた。


 嬉しかった。途轍もなく嬉しかった。


 それで、私は済まなかった。彼が欲しくなってしまった。ハーレムでの良いと思った時期もあった。だけど、彼が皆に取られて自分から離れる可能性を感じた瞬間に私は恐怖した。


 そして、私は今、彼と二人になった。



 同じベッドで彼と寝ている。昨日の夜はずっと彼と抱き合った。変な意味ではなく、そのまんまの意味だ。甘えるようにずっと一緒でそのまま眠りについた。


 彼は皆と言う事を一言も発しなかった。いや、私が言わせなかったのだ。


 皆……アオイ先輩も萌黄先輩、火蓮先輩。三人には本当に申し訳ないと思っている。恨んでいるだろう。彼と両想いだったのに私がそれを崩したのだから。


 あの人たちを私は信頼しきれなかった。信じる心の強さが私に無かった。あんなに一緒に楽しい時を過ごして、後輩としてお世話になって、互いに背中を預けて一緒に戦ったのに、信じられなかった。また、裏切られる可能性を捨てきれなかった。


 私の醜さを強く感じる。信じることを何処かで拒絶している。私は拒絶して、恐怖して、それを未だに克服できずにいる。


 でも、もし、克服できたなら……


 ……いや、もう遅い。何もかも捨てた私にそんな事を考える理由も権利も意味も、何もない。


 私はベッドから起きて朝食を作り始めた。




◆◆



 俺はずっと考えていた。どうしたらいいのか。どうするべきなのか。

 彼女もきっとみんなの事を考えていて、きっと彼女にとっても三人は大切な存在なのは間違いない。だから、説得しよう……と簡単に考えるわけには行かない。

 彼女は捨てると言った。それが本心から言っているのか、それとも嘘なのか、無意識で言って本当は違うのか。


 だけど、本当は捨てられないと思っていると、俺は考えている。でも、それは結局、俺がそう考えたいだけなのかもしれない。俺が彼女をここまで追い込んでしまった。これ以上、彼女に負担を掛けるべきでないのか。



 このまま、二人か、それとも皆か。


 でも、どちらにしても……きっと、今のままではいけない。彼女の事をもっと知らないと。何を想って、何を考えて、どれだけ不安で仕方なかったか知らないと。心から語り合って前に進まないと。


 いつまでも、このままではいられない。


 初めてだ、ここまで自分の行動に自信が無くなったのは、正しいのか、正しくないのか、彼女の為になっているのか、自己満足でしかないのか。


 不安で仕方ない。仕方ないけど……俺は……彼女と話すことが……




◆◆




 私は朝食を作っていた。すると、十六夜君が意を決した……いや、違う。不安を宿した眼で私に話しかける。



 少し、話しがしたいというのでベッドに互いに腰かける。



「あの、朝からいきなり、申し訳ないんですけど……」



また、皆なのかと私は思った。どこまでいっても彼は皆を忘れることが出来ないのは分かっている。だから、言えない様にしてしまった、促していた。彼にはこれ以上自分の醜い部分を見せたくはなかった。


もう、手遅れかも知れないけど、それでも見せたくはない。でも、抑えきれずに負の感情が顔や雰囲気に現れる。


彼は敏感だからそれに気づいたはずだ。でも、止まらなかった。



「貴方の事を教えてください」



彼は私の眼を見て言った。皆でない事に安心をした。



「私のこと、ですか?」

「はい」

「……えっと、銀堂コハクです。年は十六……好きな食べ物はパフェで、でも基本的に嫌いなものは無くて……」



彼に聞かれるがままに私は自分の事を話した。知っているであろうことから順々に。ある程度話していくと彼が聞いた。



「俺に対する、不満を教えてください。気を遣わず、心の底から言ってください」

「……心の底からですか?」

「はい……皆のことでも……」

「っ……」



不安定な私にとって、その言葉は禁句だった。言わない方が良いと思ったけど言ってしまう



「私は、ずっと不安でした……十六夜君は私より、皆を優先するから、私を大事にしてくれるのは嬉しいですけど、いつかあなたは皆を理由に私を捨ててしまうんじゃないかって」

「……」

「皆のこと、先輩たちの事は私も好きです……でも、多分、私は信用が出来ないんです。先輩達も裏切ってしまう考えが頭からこびりついて、いつか、ハーレムになって三人が私を裏切ったら、嫌いになって、貴方は私から去ってしまう。それが怖くて、怖くて、たまりませんでした……」

「……」

「それが暴走して、歯止めがきかなくなって……貴方が居ない生活も人生ももう考えられないんです。自分が異常で馬鹿で臆病なのが原因だと分かっています。でも、貴方がずっとずっと居ないと側にいてくれないと、私は生きられないんです…‥」



……言ってしまった。自分が異常であることを言ってしまった。行動で彼は既に分かっているはずだ。でも、自分でそれを自覚しながら言ってしまうと。


違った恐怖が湧いてくる。もう、彼に嫌われてしまったのではないか。重すぎる女で一緒に居るのも苦痛で二度と顔も見たくない女と思われていないか。怖くて、怖くて、すがるように彼に彼に抱き着いてしまった。



「お願いッ、私から、私から、離れないでッ……何でもしますからッ。何でも、何でも、エッチな事でもします、働かなくてもいいです、ご飯だって毎日美味しい物を作ります、不味かったら作り直します、だから、嫌いならないでッ、お願い、お願いッ……」


自分でも自分が分からない。何が何だか分からない。ただ、私は子供のように言いたいことを言って、したいようにしている。自分勝手が過ぎると分かっている。でも、恐怖には勝てない……


私は彼の胸に体をうずめていた。彼からの反応がなく、気になって彼を見た。恐怖か、嫌悪か、嘲笑か、憎悪か、軽蔑か、彼の顔は絶対どれかだと思っていた。それほどの事をしてしまった、言ってしまった自覚があるから。


でも……違った。彼は、どの表情でもなく、ただ泣いていた。これはきっと彼の悔しさや弱さだった。彼の瞳からぽろぽろと涙が溢れていた。


初めて見た。彼の弱さを。泣いているところを見た事はあった、だけど、弱さを見たのはこれが初めてだった。



「ごめんなさいっ……俺が貴方を追い込んでしまった、みんな幸せって考えて、自分の都合で動いてしまった。それで、中途半端で貴方を傷つけた……」

「……っ」


彼は私より私を抱きしめた。私を逃がさないと彼が想っていると感じた。


「これ以上、傷つけるわけにはいかないのに、今すぐにでもあなたを幸せにして、安心させてあげないといけないのに……でもッ、俺はッ、皆を捨てきれない。こんなに貴方が俺を想ってくれて、追い込んでるのに……俺はクズでどうしようもない、バカでどうしようもない……」

「……」



彼は泣いていた。手が震えていた。体が震えていた。弱さに打ち抜かれて、自分を自虐して。それでも、彼は私を抱き続けた。



「本当に、ごめん……でも、俺も貴方が居ないと生きられない。皆も貴方も秤になんて掛けられない程に俺の中で大事なんだ。絶対に離せないし、離したくないんだッ」

「っ……」


痛いくらいに抱きしめられた。彼も私と同じなんだと感じた。彼も弱さを見せたくない部分を見せてくれた。彼は皆が忘れられない。でも、私も離したくない。全部が彼は欲しくて、どれか一つかけても彼は満足できない。


欲張りな人だ。我儘な人だ。私と同じ人だ。


「絶対に後悔させない、年老いて、死ぬときになっても満足して死ねるくらい、幸せにするから、貴方の、銀堂コハクの人生を、俺にくださいッ……」



そして、ズルい人だ。それを言われたらもう、私には何も言えない……彼の愛は知っていたつもりだった。


だけど、ここまでとは思わなかった。自分の方が強いと思っていた。でも、彼の愛の強さは……私以上なのだと分かってしまった。



言葉に、その重みが、乗っていた。まるで何年も私に想いをよせていたように。大きな感情を抱き続けたように、その大きな彼の愛に私は包まれた。


彼は私から離れない。私も彼から離れない。


異常な関係だと思った。それでも、これでいいと思ってしまった。



「はい……貴方に私の人生を捧げます……」



正解なのか不正解なのか、私には分からないけど。それでいいと私は思った。



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