第5話 散歩

 実際、時間つぶしの散歩なのか、あるいはとち狂った記憶の往来おうらいにすぎないのか、後悔の中を廻っているのか、はたして単に情緒の散歩ですむのか、はっきりと分からなくなってきたが、やはり気持ちは継ぎぎではあるが、愚癡はしぼり出さざるを得ず、汗のようにポタポタと落ちる。梅雨の雨に混ざるも、調合が上手くいかないのか、水が油を嫌うように、はじかれて浮いて漂う。

 歯磨きのチューブから中身を搾り出すことに、かなりのコツと力が必要なように、雑巾を絞って汚水を搾り出すのにも力がいるのだ。そんなふうに愚癡をポタポタと落として歩いている。


 散歩はそんなものではない。

 初めの一歩の際、そんな気はさらさらなかった。ただただ時間をつぶす人生の無駄使い程度のものだったろう。体力の浪費と活力のわずかな増殖を望んだはずだったろう。しかし歩くということを、目的もなく自由に歩くと言えば爽快であるが、それは彷徨さまよいと同じことで、さらに時間潰しとなると、かえって時間との闘いとなるのは不思議だ。

 後悔と愚癡、過去だけならまだしも、馬鹿げたことに先の不安とまで闘っている。過ぎたことを運に任すなら、まだ情に救われもするが、先のことを運、不運で味付けることほど無味乾燥な非力さはない。


 中途半端にも、ここまで年食い潰してきて知ってるだろう、いずれにせよ運は尽きるんだと。減り始めたら大変な勢いでさ、何をしても止められず、寝ている間も目減りしていくが勿論もちろん、皆がいつかは尽きるものと、人生に愛想を振りまくも、時間は時節、時節に欲しがるだけで、特に何もしないから、満ちては欠けるを繰り返す月、ただ流れ続ける川が、特に何も得はしないが勝つだけで、それは運に関わらず、左右されるつもりもなく、呆れるほど真っ直ぐ進んでいくからだ。散歩とは、そういうものでなければ迷う。必ず負ける。




(つづく)



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