第3話 音

 歩きもしたし、逃げもしたが、まだ流れの音が聞こえる。

 過ぎた川の音なのでその姿は見えない。くわえて先から吹き出した風の音もする。風に流されてくる川の音が幻音のように、またそよぐ。


 目に見えないからといって、何も無くなったわけではないと、凄味を利かし強拍きょうはくに打つ者が、真にあるものなのか、やはり幻じみたものなのかは、こちらの得手勝手えてかってで、耳を澄ますも、振り切るのもいいが、やはり流れる音の深追いそのものは追惜ついせきにも似ているし、それを浪の音に蝉蛻せんぜいするのもよいだろう。


 そんな間抜けな面持おももちで歩を進めれば、色でないものはすべて昇華し去り、風に流れて風に消えるか、音と流れて音と消えるか、どちらでも結句、同じことなのだが、牡蠣かきの殻なる牡蠣の身のと、有明ありあけが時の詩を聴いたとしても、遠い遠い言葉の波の源は得てして違うもので、よく見たのかと一瞥いちべつ三寸、またコーラと真昼の月です。

 幻音の暴流、耳にとどまらず、変華へんげの色、目にとどまらずして、染め上げるのみ、その模様。



 こんなところをほっつき歩いて何をしていると、生活を急かす突然の雨が、逃げ場をふさぐぐ。仕方が無いので濡れている。

 梅雨時に、かつて自分でいた種の刈り時を忘れて過ごせば、自分を縛るつたにも縄にもなる。夢であってくれたらどんなにいいか。音のように風のように、最低でも雨滴あまつぶのごとく、透けて見えるものであったらどんなにいいかと、弱音もでる。


 ただ人はみな弱いのだ、その弱さが人それぞれであって、その違いをひとりあげつらっても、突然の雨に濡れる夢中説夢むちゅうせつむと無縄自縛、夕餉ゆうげの臭いも熱も夜のうちに消え、鈴のもしずまるだろうと煩界ぼんかい測度しきたく。朝に夢から覚めない者は本当はいなくて、夢の中で夢を説くも、夢をくもけぬか、見えぬか明々百草頭めいめいひゃくそうとう



俗門未識栴檀香(俗門、未だ栴檀せんだんの香りを識らず)

擬托良縁益自傷(良縁にたくせんとするも、益々ますます自らいたむ)

誰愛風流低格調(誰か愛せん、風流にして格調のひくきを)

共憐時世倹器用(共に憐れむ、時世じせ器用のけわしきを)

敢將十指誇鍼巧(あえて十指をはりたくみなるを誇る)

不把双眉闘画長(双眉そうびをば長く画くことを闘わさず)

毎恨年年圧金線(つねに恨む、年々金線をして)

為他人作大袈裟(他人の為に大袈裟を作るを)


 梅雨空を見る。




(つづく)




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