第2話 川

 上水を越え、仙川をまたぐ。次は野川にかかる狭い橋だ。


 小さな橋のうえからでも見ていれば川も面白い。色々と幼い頃も、母のことも川波に乗って流れては来るが、いらぬ記憶とやらも流れていくようで、すぐに同じ記憶が同じ表情で次々と流れてくるのは、困る。芸がない金太郎のように記憶が同じ顔で、同じ表情で、からかうように流れているのだ。


 そのなかに一本の空のペットボトルが飄々ひょうひょうと運ばれてきて、小さなよどみに静かに止まった。幼い頃のコーラの味が思い出せないほど、自分自身が風化していたのだろう、それが生き物の骨にさえ見え、犬だか猫だか、人だか自分だろうか、何でも良いが、味気なく川の面白さをも一瞬で溶かしてしまう。


 だから結局、懐かしいと美しいはかぶり物で気をつけないと、野暮な勘違いが狂い咲く雑花ざっかだから、気をつけてはいたのだが、ふと手を置いた欄干らんかんに触れると、ときに姿を変えるもので、まるでバスの運転そっちのけで運転する運転手の如き記憶にもそれがあり、やはり大概間違いで、無味どころか空のコーラを両の手に持ち、探すのは懐美かいび


 橋の欄干に、だれが書いたか落書きが、川に注ぐ私の視線を切ってはくれた。

 そういえば、竜田川たつたがわはどこにある川だったろうか。たしかずっと故郷を越えた西の方だったと思う。なにを立派というかは知らないが、野川より立派な格好、絡繰からくりだったと思う。

 幼い頃の観光だった。初めて父母に連れられて、姉と手を繋ぎ、行ったのは十月の薄い紅葉だった。


 しかし、欄干の殴り書きか、道端の落書きだったか、霜と一緒に溶け出でたか、風に吹かれて飛んで来た分けでもあるまい、よみ人しらずと何故吐き捨てたか。その上それを殊更ことさらに、庶民の云々とは、野暮にも程があろうに。竜田川、錦織り、神無月、しぐれの雨。畢竟ひっきょうの念仏、極限の川原、冬に泣く、河童の涙、たてぬきにして。

 私はいま六月、水無月みなづき


 橋を渡りきったとて、道が別れている分けでもなく、続くのは一本道で、振り返って見る川も、ただただ一本の流れ。

 おまえはこの世の地獄か、世は極楽かと、記憶に問われて答えられぬが、下げて見渡す流れの川の、汚れ淀みも照らされて、綺麗などとは野暮なこと、情け無情の花の色、言葉に詰まる顔色は、色と言えども殊更に、けて見せたか老けて枯れたか、こころ、こころと心音こころねの、響く泣き声聞こえたか、渡船とせんの願いはどこへゆく、家路は昨日、流された。限りなし。




(つづく)


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