終わった恋の話と月を見上げて泣く男たち

 トモキがアユミと別れてから1か月が過ぎた。

 あの後、アユミは程なくしてバイト先のレストランを辞め、トモキの前から姿を消してしまった。

 もう会えないとわかっているのに、トモキのスマホには、今もまだアユミの名前が消せないまま残されていた。

 あんなに好きだったアユミの事を簡単に忘れられるはずもなく、トモキの心は今も、アユミと過ごした日々の思い出と、アユミへの想いで溢れている。

 会いたくて寂しくて、押し潰されそうになる夜もある。

 できるなら、もう一度やり直せたらと思う事もある。

 自分がもっと強くて、頼り甲斐のある男だったなら、今もまだアユミと一緒にいられただろうか?

 恋に溺れて流される事のないような大人の男だったなら、アユミを不安にさせる事はなかったのだろうか?

 だけど、アユミとの恋が終わってしまった事実は変えられない。

 どんなに想っても、この想いが届く事は二度とない。

 それでも今はまだ、アユミへの想いを大切に胸にしまっておこうと、トモキは思う。

 いつかまた大切な人ができた時に、同じ過ちをくり返さないためにも。




「よぅ、やってるか」


 閉店間際、ヒロがリュウトを訪ねて来た。


「あっ……。ヒロさん……」


 ヒロはリュウトの顔を見て、静かに顎をさすりながら笑った。


「なんだよオマエ、しばらく見ないうちに、いい男になったじゃん」

「えっ?」


 リュウトはヒロの言葉の意味がわからず、首を傾げる。


「迷いが吹っ切れたような顔してるな」

「まぁ……そうですかね……」

「あがいてみたんだな」

「見事に散りましたけどね……。手を伸ばしても届かないと思っていたものに手を伸ばして、捕まえたと思ったら大事なものを傷付けて……。結局、何一つ残してやれなかった……」


 ヒロは手を伸ばして、リュウトの頭をクシャクシャと撫でた。


「人間な、生きてりゃいろんな事があるよ。傷付いた事より傷付けた事を悔やむ事ができるなら、オマエもひとつ大人になったって事さ」


 この人はどうして、何も話さなくてもわかるのだろうと、リュウトは不思議に思う。


「で、決めたか?」

「ハイ」


 リュウトは穏やかな顔でうなずいた。

 この人について行こう。

 自分の欲しいと思うものを、素直に欲しいと言える自分になるために。

 いつかは、自分が心から欲しいと願ったものに手を伸ばして、この手に掴めるようになるために。

 リュウトは、臆病な自分を隠すために偽っていた今までの自分を捨てて、ヒロについてロンドンへ行こうと決めた。



 その夜、久しぶりにトモキがリュウトを訪ねて来た。


「久しぶりだな」

「うん……。いろいろあったから」

「そうか……」


 リュウトは冷蔵庫から缶ビールを取り出し、トモキに差し出した。


「たまには一緒にどうだ?」

「おう」


 しばらく二人で黙ってビールを飲んだ。

 トモキが缶ビールを持つ手元を見つめながら、ポツリと呟いた。


「リュウの言った通りだった」

「……何が?」

「本気の恋も、依存するだけなら一緒にいてもつらくなるだけだって……」

「……」

「彼女と、別れた」

「そうか……」


 彼女の事を幸せそうに話していたトモキの顔を思い出し、リュウトは胸を痛めた。


「好きって気持ちだけじゃ、どうにもならない事もあるんだな……」

「……そうだな」


 リュウトはアユミとの別れを思い出し、小さくため息をついた。


「オレも……終わった」

「……そうか」

「オレは……傷付けただけで、何一つ残してやれなかった……。やっと捕まえたと思ったら、アイツの大事なもの壊してた。オレのせいでアイツを悲しませた……。最低だろ」

「うん……。オレもだ」

「そうか……。初めて人を本気で好きになる事はできたけど……幸せにしてやれねぇんじゃ意味ねぇな……」

「そうだな……」


 二人で黙ってビールを飲んだ。

 終わった恋を悔やみ、胸を痛める。


「オレはさ……彼女を好きになって、カッコ悪いくらい人を好きになれるんだって、初めて知った。周りが見えなくなるくらい好きになってさ……それで彼女を傷付けたのに、別れたくないって……一緒にいてくれって、初めてすがり付いた」


 トモキの言葉を聞いて、リュウトは苦笑いを浮かべる。


「カッコわりぃな……」

「うん……。めちゃくちゃカッコ悪い」


 トモキも同じように苦笑いする。


「でも……そんなに必死であがく事ができるって……カッコいいな。オレにはできなかった……」


 リュウトがポツリと呟くと、トモキは勢い良くビールを煽った。


「ビールって、こんなに苦かったかなぁ……」

「さぁな……」


 リュウトがもう1本缶ビールを差し出すと、トモキはそれを受け取り、穏やかに微笑んだ。


「オレ、今でも彼女の事が好きだよ」

「そうか……。オレもだ」

「カッコ悪いな」

「そうだな……」


 リュウトはタバコに火をつけ、静かに煙を吐き出した。


「1本くれよ」

「オマエ、タバコ吸えたっけ?」

「いや……。オレにはないものを取り入れてみようかと思って」

「なんだそれ……」


 リュウトがタバコを差し出すと、トモキは初めてのタバコに火をつける。


「オレ、ちょっとはイイ男になれたかなぁ」

「……なったんじゃねぇか?初めて欲しいものに手を伸ばして自分のものにしたんだろ?」

「失ったけどな」

「まぁな……。それでも指くわえて見てるだけよりイイだろ」

「そうかな」


 リュウトはタバコを灰皿の上でもみ消して、トモキの顔を見た。


「トモ……。オレ、ここ離れるわ」

「えっ?」

「今よりもっと、イイ男になるためにな」




 海外に行くとだけ言い残して、リュウトが日本を離れて3か月が過ぎた。

 突然生まれ育った街を出て行ったリュウトに、周りの友人たちは驚き、ハルは号泣した。

 リュウトが日本を発つ前、最後のライブで演奏したリュウトの新曲は、女性目線で綴られた恋の終わりの歌だった。

 素直な気持ちを伝えられないまま、別れの時まで強がりで自分を装い、去って行った愛しい人を心の中で呼び続けている。

 その歌を聞くと、アユミとの最後のシーンを思い出し、トモキの胸は切ない音をたてて痛む。

 そして、きっとリュウトは素直に『行かないでくれ』と言えなかった事を悔やみながら、今もまだ彼女の事を想い続けているのだろうと、トモキは思った。



『ラスト・シーン』


 繋いだ指と指のすきま 伝って

 思い出が しずくのように流れてく

 黙りこむあなたの横顔見つめ

 すれ違う鼓動 数えてた


 繋いだ指がほどけて 離れたとき

 あなたの声が『さよなら』と呟いた

 最後のキスなんて 欲しくないから

 背中越しに手を振った



『Don't let me go』素直に言えずに

 強がるだけの ラスト・シーン


 さよならも言えないで 涙をこらえていた

 遠ざかる背中 感じて

 振り返ることさえも できずにいた私を

 雑踏が呑み込んでゆく



 壊れた恋のカケラ 手のひらに集めても

 あなたが戻るわけじゃない

 ふさいだ耳の奥で あなたの声が響く

 いつかのように 優しく……



 消えない傷跡だけ 心に刻み付けて

 独りぼっちにしないで

 眠りの中で 今もあなたを探している

 迷子のような私を





 ロンドンでの生活にもようやく慣れ始めたものの、相変わらずリュウトは、言葉の壁に苦しんでいる。

 言葉がうまく通じないせいなのか、ロンドンに来てから、誰と演奏してもしっくり来ない。

 言葉がうまく通じないとは言え、一緒に活動しているのは、ヒロや、ヒロと親交のあるミュージシャンとその仲間なので、まだ若いリュウトの事をとてもかわいがってくれて、人間関係がうまくいっていないと言うわけではない。

 演奏自体には問題ないはずなのに、この違和感はなんだろう?

 他の人にはわからないかも知れない微妙な違和感が、リュウトの中で日に日に大きくなっていく。


(なんだこれ……?今までずっと、こんな事なかったのに……)



 ロンドンに来て程なくして、リュウトは21歳の誕生日を迎えた。

 その日は、ヒロに見込まれてリュウトより先にロンドンに来ていたギタリストの片桐 悠カタギリ ユウと、ヒロに祝ってもらった。

 英語がまったく話せないリュウトにとって、ユウはロンドンで初めてできた貴重な友人だ。

 リュウトはよく、ユウと食事をしながら、お互いの話をする。

 ユウはまだ18歳で、高校を3年の夏休み前に中退してまで、ヒロについてロンドンに来たらしい。

 長身のリュウトより更に背が高く、188センチもあると言っていた。

 ユウは頭がいいのか、ロンドンに来てまだ半年ほどなのに、かなり流暢に英語を話す。

 高校に通っていた頃、本当は文系の科目が得意だったのに、好きな女の子が理系だったので、彼女と同じクラスになるために理系を選択し、成績優秀な彼女に負けたくない一心でひそかに勉強して、いつも彼女と成績のトップ争いをしていたらしい。

 それでもユウは、大好きだった彼女を忘れるために生まれ育った場所を離れ、誰にも行く先を告げず、すべてを捨ててここに来たと言った。

 自分よりも少し若くて、甘く整った顔立ちをしたユウを見ていると、リュウトは時々、少し前のトモキを思い出す。

 頭が良くて人当たりが良く、照れ屋で優しいトモキとユウは、どこか似ている。

 ユウもまた自分にはないものを持っているが、恋愛に不器用なところは、自分にも少し似ていると、リュウトは思う。


「ユウ、なんでそんなに英語話せんだ?」

「リュウより前からこっちにいるし」

「英会話とか習ってたのか?」

「習ってたわけじゃないけど……。前に話しただろ。好きだった女の子が幼なじみで……家がマンションの隣同士で、物心つく前からずっと一緒にいて……両親がハーフで、英語が話せた。昔、時々教えてもらった事もあるけど……自分でネットとか使って勉強もしたし」

「ふーん……。なんで?」

「好きな子に負けたくない」


 真顔でキッパリとそう言い切るユウを見て、リュウトは、彼女と付き合い始めたばかりの頃のトモキが幸せそうに彼女の話をしていた事を思い出して、なんとも言えない微笑ましい気持ちになる。


「オマエ見てると、アイツ思い出すわ」

「誰?」

「トモってな、オレの……親友だ」

「ふぅん……。オレに似てる?」

「なんとなくな」

「だったら……ロクなヤツじゃない」


 ユウが眉間にシワを寄せて呟くので、リュウトは苦笑いをして、ユウの頭をポンポンと叩く。


「いいヤツだぞ?……ユウもな」


 リュウトの言葉に、ユウは少し照れくさそうに目をそらした。


「……オレを誉めても何も出ないよ?」

「なんかくれとか言わねぇよ」


 なんの苦労も知らないような顔をしているが、ユウもじつは、いろんなものを抱えているのかも知れないとリュウトは思った。


「なんだなんだ、男二人で何話してんだ」


 くわえタバコでお酒を片手に、ヒロが話の輪に加わる。


「たいした話じゃないですよ」

「リュウの友達が、オレに似てるって」


 ヒロは灰皿の上にタバコの灰を落とし、リュウトを見てニヤリと笑う。


「あー……。アイツか」

「わかるんですか?!」

「ドラムのヤツか」

「ハイ……」


(だからなんでわかるんだ、この人?!)


 何も言わないのに、ヒロにはなんでもお見通しのようで、リュウトは背中に冷たいものを感じる。


「アイツ、いいヤツだろ?」

「ハイ」

「素直で優しくて、人当たりが良くて、誰からも愛されて……だろ?」

「まさしくその通りです……」


 いくらライブを観た事があるとは言え、トモキとは面識がないはずなのに、なぜこんなにトモキの事を知っているのかと、リュウトは更にヒロと言う人間を不思議に思う。


「あれだな……。まともに育って、誰からも愛されてんのが当たり前になり過ぎると、愛し方も愛され方もわからない」

「え?」

「そう言うヤツに限って、いざ自分が人を愛する側になった時には、相手も自分と同じように自分の事を愛してくれてると勘違いして、周りも相手の気持ちも見えなくなるんだよな」


(こえーよヒロさん!!なんでわかるんだ??)


「いや、アイツがそうだって言ってるわけじゃねぇぞ?もしかしたらとは思ってるけどな。ユウとアイツは似てるようだけど、全然違うな。むしろ正反対だ」

「え?」

「そうだろ、ユウ?」


 ヒロがグラスを傾けながらユウをチラリと見ると、ユウが静かにうなずいた。


「そうですね……。そうかも知れません」

「正反対なのはオレかと思ったけど……」


 リュウトがポツリと呟くとヒロは笑う。


「正反対っちゃ正反対だ。でも、似た者同士だな」

「え?」


 正反対なのに似た者同士とはどういう事だろうと、リュウトは首を傾げる。


「オマエらみんな、似た者同士だ。お月さん見て泣いてんだろ」


 ヒロはリュウトとユウの頭をクシャクシャと撫でて、愛しそうに笑った。



 ヒロが立ち去ってからも、リュウトは先程のヒロの言葉の意味が気になっていた。

 リュウトはタバコの煙を見つめながら、トモキと自分に似ているところなどあっただろうかと考える。


「なぁ、ユウ」

「何?」

「さっきのヒロさんの話な……。オマエ、わかるか?」

「うーん……。なんとなくなら?」

「オレはよくわかんねぇな……」

「そう?少なくとも、リュウの友達の……トモだっけ?トモとオレが、似てるようだけど正反対って事はわかるよ」

「そうなのか?」

「オレは……まともに育って来たようだけど、実際はそうじゃないし、愛されてるのが当たり前なんかじゃないよ。だから、愛してる事に気付いて欲しくて……愛して欲しくて……大事なものを壊してしまった。それで、後戻りできないから……苦しくて、逃げ出した」

「ユウにもいろいろあんだな」

「うん。知らない方が幸せだった事も、知らないフリしてた方が幸せだった事もある」

「そうか……。ところでさ」

「ん?」

「ヒロさんが言ってた、『お月さん見て泣いてる』って……なんの事だと思う?」

「あぁ……多分あれだ。Cry for the moon」

「Cry for the moon?」

「ないものねだりの事だよ」



 ユウと別れて自分の部屋に入ると、リュウトは窓を開け、窓際に座ってタバコに火をつけた。


(ないものねだり……か……)


 リュウトは、自分にはないものばかりを持っているトモキを羨んでいた事や、ルリカと二人で手に入らないものばかりを求めてしまうと話した事を思い出す。

 そして、決して手が届かないと思いながらも、自分じゃない他の誰かを想っていたアユミを、本気で好きになった。

 自分とは正反対のタイプの優しい彼氏がいたアユミが、彼氏にないものを持っている自分に惹かれたと言った。

 だから、どちらか一人を選ぶ事はできなかったのかも知れない。

 あんなに誰かを愛したいと思ったのも、愛して欲しいと思ったのも、初めてだった。


(それも……『ないものねだり』だったのかもな……)


 ロンドンで見上げた月は、なくしたカケラを探して泣いているように見えた。


(アイツら、元気かな……。相変わらずバカばっかやってんだろうな……)


 何気なく過ごした仲間との日々の記憶は、懐かしく心地よくリュウトの心を温かくする。


(アユミ……無理して笑って……ひとりで泣いてねぇか……)


 どこでどうしているのかもわからないアユミの事を想うと、今でも胸が痛む。

 彼女の幸せな居場所を壊してしまった自分が、今更彼女を想う資格などないのかも知れない。

 月の輪郭がぼんやりとにじむ。


(泣いてんのはオレか……)


 リュウトはタバコの煙を静かに吐き出して、照れくさそうに、指でそっと目元を拭った。


(オレはこんな事で泣かねぇっつーの。煙が目に染みただけだ)


 窓を閉めてタバコの火を消すと、リュウトはベッドに横になって目を閉じた。


(ごめんな……アユミ……)





『Cry for the moon』


 遠く離れた この空の下

 見上げた月が にじんで見えた

 手の届かない オマエの事を

 愛した日々が 胸しめつける


 足りないピース 見つけられずに

 出来損ないのパズルのような

 心はいつも 満たされなくて

 求め続けた この手伸ばして


 Cry for the moon 愛させてくれ

 冷えた心が すり切れるほど

 Cry for the moon 許されるなら

 オマエをずっと 愛していたい



 甘くて苦い 恋の記憶は

 今もこの胸 焦がし続ける

 もう届かない 素直な言葉

 心の奥に 閉じ込めたまま


 目の前にある 大事なものに

 気付かないまま ただがむしゃらに

 ないものばかり 欲しがっていた

 許されないと 知っていたのに


 Cry for the moon オマエの涙

 思い出すたび 胸が痛くて

 Cry for the moon もう会えないと

 わかっていても ただ会いたくて



 Cry for the moon 愛させてくれ

 冷えた心が すり切れるほど

 Cry for the moon 許されるなら

 オマエをずっと 愛していたい





 トモキたちのバンドは、マナブの友人のカズヤを新たなベーシストとして迎え活動していた。

 リュウトが抜けた事で、バンドの雰囲気はガラリと変わった。

 いつもそこにいたはずのリュウトがいない事にトモキは違和感を覚える。

 前からずっとやっている曲も、リュウトが残して行った曲も、ベースを弾いているのがリュウトではなくカズヤだと言う事以外は何も変わらないはずなのに、今までとまったく違う感覚。

 新しいベーシストのカズヤが下手なわけでも、嫌なヤツなわけでもない。

 むしろ技術的には申し分ないし、気さくで明るく、とてもいいヤツだ。

 それなのに、演奏すればするほど、なぜか違和感が大きくなっていく事にトモキは気付いた。

 他のみんなは気付いていないかも知れない。

 もしかしたら、自分の思い違いだろうか?


(なんだ?リュウがいた時は、こんな事一度もなかったのに……)


 リュウトとは随分長く一緒にいた気がする。

 中2の秋にトモキのバンドにリュウトが加入してから、何度メンバーが変わっても、バンドが解散しても、また新しいバンドを作って、いつも一緒のバンドでやってきた。

 バンド以外の場所でも、よく一緒にいた。

 バカな話をして笑ったり、真剣な話をして一緒に考えたり、終わった恋を悔やんだり……。


(リュウとは随分一緒にいたからそう思うのかな……。違和感なんて大袈裟か……)



 ライブを控えたある日。

 スタジオでの練習を終え、いつものように食事をした後、トモキとアキラは二人でファミレスに残り、お茶を飲んでいた。


「リュウ、元気かな……」

「元気なんじゃね?便りがないのはナントカって言うじゃん」

「元気な証拠って?でも、連絡できないくらい弱ってたらどうする?」

「心配性なんだな、トモは。だいたい、リュウは自分の事なんか話したがらねぇじゃん」

「まぁ……そうだけど……」

「弱ってたら尚更、そんな姿見せねぇように隠そうとするからな。そうしてるうちは、まだ大丈夫なんだよ。リュウが自分から自分の話をするのは、多分本当にまいってる時だ」

「アキって……リュウの事、なんでそんなにわかるんだ?」

「前にも言ったろ?オレらみたいなモンにしかわからねぇ事もあるって」

「それがよくわからないんだけどな……」


 トモキはコーヒーを飲もうとカップを持ち上げて、ふと思い出す。


「あっ、そうか。だから、あの時……」

「なんだ?」

「うん……。リュウがいなくなる前に、二人で酒飲みながら話したんだよ」

「恋の話か?」

「そう。なんでわかった?」

「普段のリュウなら、自分からは絶対話したがらねぇけどな……。オレ、時々リュウからその彼女の話、無理やり聞き出してたんだ。だってアイツ、絶対一人で悩んで、なんもなかった事にしようとするじゃん」

「……なんで?」


 アキラはタバコに火をつけて煙を吐き出すと、少し考えてから話し出した。


「リュウがいねぇとこで話すのもアレだけどな……。17の時に、初めて好きになった女に裏切られたんだ。その女、リュウじゃなくてルリカさんの彼氏に近付くためにリュウを利用してさ、挙げ句の果てには、ルリカさんの彼氏を寝盗って逃げたんだよ。最悪だろ」

「なんじゃそりゃ……」

「だからリュウは、もう誰も好きになんかならねぇって。自分に近付いてくる女なんかロクな女じゃねぇからってさ」


 リュウトからは聞いた事がなかった話に、トモキは胸を痛める。


「でも……また好きになったんだろ?」

「ああ……。あれは本気だったな。前の女なんか比べモンにならねぇくらい本気だった。聞いてる方がつらくなるくらいな」

「うん……。リュウ、初めて本気で人を好きになったって言ってた。でも、傷付けただけで何も残してやれなかったって……。リュウが本気になるなんて、どんな子だったんだろうな」

「聞いた話だとなんか、今まで周りにいなかったタイプの子だったな……。普通の真面目な大学生で、小学校の先生目指してるとかって……」


(なんか……アユちゃんと似てる……?)


「小学校の同級生だけど、中学から別の学校に行って6年間寮に入ってたから、リュウのヤンキー時代知らねぇんだってさ。一緒にいるとすげぇラクだし癒やされるって言ってた」

「うん……」

「でもその子には優しい彼氏がいて幸せそうにしてるから、自分の気持ちなんか伝える気もねぇし、なんにも知らないでいいって」

「なんで?」

「その子の幸せ壊したくなかったんだろ。中卒でヤンキー上がりの自分みたいな男じゃ釣り合わねぇからって。じつはそれがリュウのコンプレックスなんだよな。『オレがトモみたいにまともだったら……』って、よく言ってたよ」

「ふーん……」


(知らなかった……)


「そう言いつつもさ……彼氏がいんのわかってんのに会いたくなるんだって言ってたな……。会いたいけど連絡先も知らねぇって。だから、店に来るの待ってるんだって」

「アキ……その子と会った事ある?」

「ああ……。チラっと遠目に見た。リュウと買い物行ったら、偶然その子がオレらの後輩に絡まれててな。リュウのヤツ、オレほったらかしてその子助けに行ったんだ」

「どんな子?」

「遠かったからよく見えなかったけど……小柄な子だったな」

「ふーん……」


(小柄な女の子なんて、どこにでもいる……)


 トモキはテーブルの上で拳を握りしめる。


「そう言えば……ユキがルリカさんのネイルしに行ったら、リュウんとこの店でその子に会ったってさ」

「ユキが?」

「ユキもリュウと小学校一緒だったからな。ネイルしてあげるって約束して、今度飯食いに行こうって言って、一度は会ったらしいんだけどな、なんか急にその子、遠くへ引っ越す事になったからって」

「遠くへ、って……」

「詳しくは知らねぇけどな。一人暮らしやめて、母親と一緒に暮らすとか?せっかくまた会えたのにって、ユキが寂しがってたよ。子供の頃いっつも一緒に遊んでたんだってさ。そう言えば……名前が同じとか言ってたな」

「ユキと同じって事は、ユキって子なのか?」

「あー、なんかな、同じクラスに同じ名前の子が3人いて、アイツ苗字がユキワタリなんてめんどくせぇ苗字だから、リュウがユキって呼び始めたんだってさ」

「ユキってそんな苗字だったんだ。中学で同じクラスになってないし、みんなユキって呼ぶから知らなかった。で、名前は何て言うの?」

「アユミだろ」




 アキラに家まで送ってもらったトモキは、部屋に入ると、力なく座り込んで膝を抱えた。


「知らなきゃ良かったな……」


 トモキはポツリと呟き、ため息をついた。


(アユちゃんが言ってた『あの人』って……リュウの事だったのか……)


 トモキにはないものを持っている、とアユミが言っていた事を思い出し、トモキは妙に納得して苦笑いを浮かべる。


(紹介してもしなくても……結局オレの付き合う子は、リュウの事好きになるんだな……。リュウは、アユちゃんがオレの彼女だって、知ってたのかな……。アユちゃんは、リュウとオレが友達だって、知ってたのかな……)


 今はもう確かめる事のできない事実が、トモキに重くのしかかる。


(オレ……二人に騙されてた……?)


 なんともない平気な顔をして、二人して自分を騙していたのかも知れない。

 初めての本気の恋に浮かれる自分を見て、リュウトは心の中で笑っていたのかも知れない。

 アユミはタイプの違う二人の男の間で、どちらにしようかと楽しんでいたのかも知れない。

 いろんな思いがぐるぐると頭を駆け巡る。

 トモキは目を閉じて、大きく息をついた。


(わかってるよ……。そんなはずない……)


 正直に自分の過ちを話し、泣きながら何度も謝るアユミは、とても嘘を言っているようには見えなかった。

 初めて本気で好きになった彼女の話をしている時のリュウトは、今までに見た事がないほど優しい目をしていた。

 リュウトは自分のせいで彼女の幸せを壊してしまったと、悔やみ苦しんでいた。

 二人とも、嘘はなかったとトモキは思う。


(こんな事ってあるのか……)


 ただ純粋に人を好きになったリュウトを責める事はできない。

 つらい気持ちをわかってくれたリュウトに惹かれたアユミを責める事もできない。


(アユちゃんを迷わせたのは……弱くて頼りないオレだ……)


 やりきれない思いで胸が激しく痛む。


『壊れた恋のカケラ 手のひらに集めても

 あなたが戻るわけじゃない』


 リュウトの作った歌のフレーズがふとよぎり、トモキは唇を噛みしめた。


(もう戻らないのはわかってるよ……。でも……こんな事なら、最初から素直に紹介してれば良かったな……)


 トモキはテーブルの上のタバコに手を伸ばして1本抜き取り、口にくわえて火をつけると、窓を開けてぼんやりと空を見上げた。


(いつかオレがもっと大人になって……リュウよりずっとイイ男になったら……リュウよりオレが好きだって、迷わず選んでくれるかなぁ……)


 もう会えない事はわかっているけれど、もしいつかまた会えたなら、その時は笑って話せるくらいに大人になっていられたらいいなと、トモキは思った。


(アユちゃん……ホントに大好きだったよ……)


 流れて行く煙の先には、にじんだ月が見えた。




 1週間後。

 トモキたちのバンドは、いつものライブハウスでライブをやった。

 ベーシストが変わった事で、客層も変わった。

 マナブとカズヤの友人が増えた事で、以前に比べるとどこかお行儀の良い客層だ。

 そうなると、リュウトがいない事で、元ヤンのアキラはやはり異端児のようだった。

 アキラもどことなく居心地悪そうにしている。

 リュウト目当ての客はガッカリした様子で、次からは来ないかも……とトモキは思う。

 違和感を抱いているのは自分だけじゃないのかも知れない。

 リュウトがいてこそ、このバンドは成り立っていたのかも知れないとトモキは思った。



 ライブの後、話があるから楽屋に残るようにとライブハウスのマスターに言われたトモキは、一人楽屋で水を飲みながらぼんやりと考えていた。


(バンド、やめようかな……)


 リュウトがいなくなってから抱き始めた違和感は、もう自分の中でごまかしきれないほど大きくなっていた。


(オレもそろそろ本気で将来考えてかないと、就職できないかも知れないし……)


 就活しないと……とは思うものの、自分は一体、何がしたいのだろうと考える。

 どんな会社に就職したいのか。

 なんの仕事がしたいのか。


(あれ……?オレってホントに……夢もなんにも持ってない……?)


 この先の人生を左右する事を『とりあえず』で決められるほど器用じゃない。

 中学を出て、とりあえず高校に行き、なんとなく大学を受験して、平穏無事な大学生活を送っているうちに、気がつけば21歳になっていた。

 みんなが行くからとか、とりあえずこれをやっておけば安心だからとか、ここを選んでおけば将来の役に立つからとか……。

 自分の意思ではなく、世間の常識や一般論に流されて生きてきた。

 可もなく不可もなく、そつなく、なんとなく。


(オレ……21年も何をやってきたんだろう?!)


 トモキが眉間にシワを寄せて難しい顔をしていると、楽屋のドアを開けて誰かが入って来るのが視界に入った。


「よぅ。そんな難しい顔してどうしたんだ?」


 その声に顔を上げたトモキは、目の前にいるはずのない人がいる事に驚いて一瞬目を見開き、そんなはずはないと再び下を向いた。


「オイオイ、オレの姿が見えてねぇのか?」


 トモキはもう一度その人をじっと見て、真顔で呟く。


「本物のヒロさんがこんなとこにいるわけないので幻かと」

「本物だけど?」

「そうですか、本物ですか……」


 トモキはまた下を向いて、3度瞬きをした。

 そして勢いよく顔を上げ、ヒロの顔を見て大声で叫んだ。


「え、えぇーっ?!」


 予想外のトモキの反応を見て、ヒロは思わず吹き出した。


「オマエ、天然なんだなぁ……。おもしれぇ!!」

「えっ?えっ?!」


 まだ混乱しているトモキの肩を叩いて、ヒロはおかしそうに笑っている。


「まぁ落ち着けって。ちょっと話そうぜ」


 それからトモキは、マスターが入れてくれたコーヒーを飲みながらヒロと向かい合っていた。

 ヒロは何を話すでもなく、トモキの顔を見てニヤニヤしている。


「あのー……ヒロさん?」


 ついに痺れを切らしたトモキが、ヒロに話し掛けた。


「いやー、わりぃわりぃ。何はさておき……なんちゅうか、アレだ。今日は前のライブの時と、えらく違ったな」

「えっ?」

「オマエらのバンドのライブは、前から何回も観てる。ここのマスターとは古い仲間でな」

「はぁ……」


 どこかぼんやりと覇気のないトモキを見て、ヒロは苦笑いを浮かべた。


「オマエもアレか……。お月さん見て泣いてるクチか?」

「え?」

「片割れなくして迷ってんな」

「片割れ?」

「オマエ、オレんとこ来るか?」


 唐突なヒロの言葉に、トモキは首をかしげる。


「オマエと一緒でな……片割れなくして、お月さん見て泣いてるヤツがいるんだよ」


 ヒロはタバコに火をつけ、ニヤリと笑ってトモキを見た。


「オマエら、相思相愛なんだな」





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