揺れる心と切なさを抑えきれない夜

 片付けを終えたリュウトは、彼女を連れて店の外に出た。


「腹減ったな……何食うか……」

「宮原くん、今日は私が出すよ?」

「いや、それはいい」

「でも……」

「前も言ったろ。そん代わり、常連になるくらい店に来いよ。予約して帰ってもいいぞ?」


 素直に『会いたい』と言えない代わりに、リュウトは彼女に『店に来い』と言う。

 それがリュウトにとって精一杯の、彼女との不確かな約束だった。

 彼女は笑ってうなずくと、リュウトを見上げて遠慮がちに言った。


「でもやっぱり……今度、コーヒーくらいは奢るね」

「わかったわかった」


 それから、二人で近所のトンカツ屋に行って食事をした。

 食事をしながらリュウトは、どことなくいつもと違う彼女の様子が気になった。

 いつもより明るく見せようと、無理をして笑っているような、痛みを我慢しているような。


(なんかあったか……)


 さっきも、彼女にしては珍しくネガティブな事を言っていたなと思いながら、リュウトはあえて何も聞かなかった。

 食事を終えて店を出ると、彼女をまっすぐ家まで送ろうかと思ったが、リュウトは思い直して立ち止まる。


「オイ」

「ん?」

「缶コーヒー、奢れ」

「え?」

「ちょっと、寄り道しようぜ」


 リュウトは彼女を連れて、昔よく遊んだ公園に足を踏み入れた。


「わぁ……懐かしい……」

「だろ?」


 並んでベンチに座り、ここに来る途中の自販機で彼女が買った缶コーヒーを飲む。


「昔、ここでよく遊んだね。学校の帰りに寄り道して、よく先生と親に叱られたっけ」

「うちは叱られなかったけどな」

「そうなの?叱られてもまた寄り道して、また叱られて……。ここでみんなといるの、すごく楽しくて、大好きだった」

「たいした遊びもしてないのにな」

「うん。それでもあんなに楽しかったの、なんでだろうね?」


 笑って話す彼女の横顔を見て、リュウトは小さくため息をついた。


「なぁ……。無理して笑う事ないぞ」

「え?」


 リュウトの言葉に驚いた彼女が、リュウトの方を見た。

 リュウトは正面を向いたまま、コーヒーを飲んでいる。


「無理なんか……してないよ」

「そうか。笑いたい時は笑えばいいし、泣きたい時は泣け。言いたい事は言えばいいし、聞きたい事は聞けばいい。痛い時は大丈夫って言わないで、痛いって言え。そうしないと……自分で自分がわからなくなる」

「宮原くんもそうなの?」

「さぁな」

「宮原くんって……私よりずっと大人みたい」

「……そうでもねぇ」


 彼女は缶コーヒーを持つ手元をじっと見つめながら、ポツリと呟いた。


「ねぇ、宮原くん……大人になるって、難しいね……」

「そうだな……」


 それからしばらくの間、二人で黙ってコーヒーを飲んだ。

 何を思っているのか、彼女は目の前に広がる懐かしい風景を通り越して、もっと遠くを見つめているようだった。




 バイト先から家に帰ったトモキは、ゴロリとベッドに横になった。


(アユちゃん……)


 昨日別れてから1日しか経っていないのに、アユミに会いたくて、どうしようもない。


(これからオレたち……どうなるんだろう?)


 もし、別れようと言われたら……?


(ダメだ……。そんなの耐えられない……)


 好きで、好きで、どうしようもない。

 会いたい。

 一緒にいたい。

 できることなら、この腕の中に抱きしめて、離したくない。


(アユちゃんは……オレの事、もう……好きじゃないの……?)


 トモキは居ても立ってもいられなくなり、勢いよくベッドから飛び起きると、家の外へ飛び出した。


(オレは……アユちゃんが居ないと……!)


 トモキは通い慣れた彼女のマンションへと、暗い夜道を走り抜ける。

 マンションの下に着いたトモキは、彼女の部屋に灯りがついていない事に、少し不安になる。


(もしかして……他に男がいる……?)


 だから、急に一緒にいる事が嫌になったのだろうか?


(まさか……アユちゃんに限って……)


 トモキは急いでマンションのエントランスを通り抜け、アユミの部屋のチャイムを鳴らす。

 しかし、やはりなんの返事もなかった。


(帰ってない……)


 どこに行っているんだろう?

 誰と一緒にいるんだろう?

 今夜は帰って来ないつもりなのだろうか?


(アユちゃん……どうして……オレから離れて行こうとするの?)


 アユミの事を想う気持ちが、トモキの思考を狂わせる。

 トモキはもう、どうにかしてアユミを繋ぎ止める事しか考えられなくなっていた。




「そろそろ帰るか」

「うん」


 公園を出たリュウトと彼女は、マンションまでの道のりを、二人で黙って歩いた。

 彼女の住むマンションが近付いてきた頃、彼女はリュウトを見上げて、微かに笑みを浮かべた。


「宮原くん、ありがとう」

「オレは礼を言われるような事は、なんもしてねぇぞ」

「ふふ……。いつもそう言うよね。宮原くんといると、時々、子供の頃に帰ったみたいな気分になる」

「なんだそれ」

「誉め言葉だよ」


 彼女は笑ってそう言うと、マンションより手前の道端で立ち止まった。

 その角を曲がってほんの少し行けば、マンションの前に到着する。


「送ってくれてありがとう。ここで、大丈夫だから」


『あなたは彼氏じゃない』

 そう言って線を引かれたようで、リュウトの胸がズキンと痛む。


「そうか。じゃあ、またな」


 リュウトは右手をあげて、彼女に背を向けた。


(彼氏じゃない事くらい……そんな事……このオレが一番よくわかってるってんだよ……)




 トモキはアユミの部屋のドアの前にうずくまって、アユミの帰りを待っていた。

 もう、どれくらい経っただろう?

 30分なのか、1時間なのか。

 それとももっと長い時間なのか。

 実際は5分か10分なのかも知れない。

 けれど、いつ帰って来るのか、ひょっとすると帰って来ないかも知れないアユミを待つ事は、今のトモキにとってはとても長い時間に感じられて、ただ胸が痛くて、苦しくて、どうしようもなかった。



「……トモくん……?」


 帰って来たアユミが、ドアの前でうずくまっているトモキの姿に驚いて声を掛けた。


「アユちゃん……!!」


 待ちわびたアユミの声に、トモキは顔を上げて立ち上がると、アユミの体を強く抱きしめた。


「アユちゃん……アユちゃん……!」

「トモくん……。とりあえず……中に入って?」


 アユミは玄関のドアを開け、トモキを部屋に入るよう促した。

 部屋に入ると、トモキはアユミを抱きしめた。


「……アユちゃんが好きだ……」

「トモくん……」

「好きなんだ……。だから、オレから離れて行かないで……」

「……」

「アユちゃんはもう、オレの事、嫌い……?」

「嫌いなんて言ってないよ……。私も……トモくんが好きだよ。でも……」

「でも……?」

「……私、もう……どうしていいか……わからないよ……」


 アユミの目に涙が溢れる。


「どうして……?好きだから一緒にいたいって思うのは、そんなにいけない?オレはアユちゃんが好きだから一緒にいたいんだ。アユちゃんがいてくれたら……それだけでいい……」


 トモキは涙で濡れたアユミの頬に口付ける。


「アユちゃん……。好きだ……」


 トモキはアユミの首筋に唇を這わせ、強く吸った。

 もつれ込むようにしてアユミをベッドに押し倒し、激しく唇を重ねる。


「好きだ……どこにも行かないで……。オレだけのアユちゃんでいてよ……」


 トモキはアユミの服をたくし上げ、肌に唇を這わせた。


「やっ……トモくん……やめて……!」

「好きだ……」


 抵抗するアユミの体を押さえ付け、何も言えないように唇を塞いで、トモキは激しく貪るように、強引にアユミを抱いた。

 アユミを離したくない。

 ずっと、自分だけを見ていて欲しい。

 アユミを想う気持ちが空回りして抑えきれなくなり、誰よりも大切なはずのアユミの心を傷付けている事に、トモキは気付いていなかった。



 ベッドの上では、アユミがうつむいたまま涙を流している。


「帰って……」

「アユちゃん……」

「もう、帰って!!」


 アユミは乱れた服を胸元でギュッと掴んで、涙声で叫んだ。


「私は……こんなトモくんが好きなんじゃない……。こんなトモくんとは……一緒にいたくない……」

「アユちゃん……オレは……」

「お願い……もう、帰って……。これ以上……トモくんを嫌いになりたくない……」


 泣きながら声を絞り出すアユミを、トモキはもう一度抱きしめた。


「ごめん……。好きだよ……」



 アユミの部屋を出たトモキは、家に向かって歩きながら、ため息をついた。

 遠くの灯りがにじんで、その滴が頬を伝う。

 ずっと一緒にいられたらと思っていたのに、この手で大切な人を傷付けてしまった。


(もう……一緒にはいられないのかな……)





 リュウトが彼女と会って、数日が過ぎた。

 あれから毎日、リュウトは彼女の事をもう忘れようと考えている。

 どんなに想っても、どうにもならない。

 これ以上想っても、自分が惨めになるだけだ。

 このまま友達のふりをして、彼女とは必要以上に関わるのはよそう。

 そうすればいつかは、この想いも枯れて行くだろうと、リュウトは思った。


 その日最後の客を送り出したリュウトは、いつものように看板の灯りを消し、シャッターを閉めようとしていた。


「こんばんは」


 背後から掛けられた小さな声に振り向くと、そこには彼女がいた。


「……よぅ。今帰りか?」

「今日はバイトが休みだったから……学校帰りにまた図書館に寄ったの」

「そうか。やっぱ学生らしいな」

「そうでもない。借りたの料理の本ばっかりだし……」


 彼女は図書館で借りた本を入れたトートバッグを広げて見せる。


「……見事に料理本ばっかだな……」


 きっと、借りてきた料理本を見ながら、彼氏に手料理を作るのだろうと、リュウトは小さくため息をつく。


「どうしたの?」

「いや……なんでもねぇよ」


 こんなに些細な事で、妙な嫉妬をしてしまう自分が情けないと思いながら、リュウトは彼女から目をそらした。

 きっと、部屋に帰れば彼氏の事で頭がいっぱいになるのだろう。

 借りてきた料理本を見ながら、彼氏にどんな料理を作ろうかと考えるのだろう。

 もう、深く関わるのはよそう。

 どんなに好きになってもどうしようもない彼女を、これ以上好きになって、惨めにならないためにも。


「……帰るんだろ?」

「……うん」

「……じゃあまたな。気を付けて帰れよ」


 リュウトは素っ気なくそう言うと、彼女に背を向けて、店のシャッターを下ろした。


「……うん、またね」


 彼女の声が、どことなく寂しげに聞こえて、リュウトは歩き出した彼女を呼び止めた。


「……なぁ」

「……え?」


 振り返った彼女に、リュウトはバツの悪そうな顔で呟いた。


「……やっぱ……飯でも……食いに行くか」

「うん……」


 リュウトが片付けをしている間、彼女は店の隅の椅子に腰掛けて待っていた。

 何を話すでもなく、リュウトは黙々と片付け、彼女はヘアカタログの雑誌をめくる。


(ダメだ……さっき、もうやめようって思ったそばから……オレって意志がよえぇ……)


 だけど、寂しげに立ち去ろうとする彼女を、どうしても一人で帰す事ができなかった。

 優しい彼氏がいるはずなのに、どうして自分に会いに来たのだろう?

 偶然通りかかっただけなら、あのまま別れても良かったはずなのに……。


(考え過ぎか……。用もないのにオレなんかに会いに来るはずがない……)


 頭の中で、いろんな思いがぐるぐると巡る。

 店の片付けを終えて外に出ると、リュウトは彼女の肩に掛けられた、重そうなバッグに目をとめた。


「本、重いだろ。置いてけば。後で帰りに寄ればいいし」

「あ、そうだね。そうさせてもらおうかな」


 少しでも長く一緒にいる事の口実のように、リュウトは彼女から、本の入ったトートバッグを預かった。


「マジで重いんだけど」

「うん。少し借りすぎたかな」

「あー……店の鍵閉めたから家に取りに行くのめんどくせぇな。オレの部屋に置いて来るか」

「え?わざわざ面倒じゃない?だったら私、そのまま持ってくよ」

「いや、オレの部屋はそこだから」


 リュウトが庭の離れを親指で指し示すと、彼女は驚いた様子で見ている。


「……離れ?」

「おぅ、オレの部屋。ちょっと待ってろ」


 リュウトは彼女のバッグを部屋に置いて、彼女の待つ店先まで戻った。


「さぁ、今度こそ行くぞ。酒でも飲むか?」

「少しなら?」

「知ってるよ」


 二人で居酒屋に足を運び案内された席に座る。


「前に一緒に来た時と同じ席」

「そうだったか?」


(コイツも覚えてるんだな……)


 自分と一緒に過ごした時の事を覚えてくれているんだと思うとなんだか嬉しくて、リュウトは少し口元をゆるめた。


「今日は何飲む?」

「何がいいかな……」

「甘いヤツだろ」

「うん。あ……これにしよ。カルアミルク」

「カルアミルク?コーヒー牛乳みたいな甘いヤツだろ」

「宮原くんみたいにビールとか大人なお酒飲めないもん」

「無理して苦手なもん飲まなくてもいいんじゃね?好きなもん食って飲めば。料理は?食いたいものあったら言えよ」

「このだし巻き卵美味しそう」

「じゃあ、だし巻きと……唐揚げととん平焼きははずせねぇな」


 リュウトは店員を呼んで、いくつかの料理と生ビールとカルアミルクを注文した。

 リュウトがタバコに火をつけながら、どことなくいつもと違う彼女の様子を窺っていると、注文したお酒が運ばれて来た。

 二人で軽く乾杯をしてお酒を喉に流し込むと、彼女はリュウトに微笑む。


「甘くて美味しい。コーヒー牛乳みたい」

「飲みすぎんなよ、よえーんだから」

「うん」



 それから、運ばれてきた料理とお酒を口にしながら、二人で他愛もない話をした。


「だし巻きうまいな」

「うん。どうしたらこんなふうにできるのかなぁ……。私、あまり上手に作れないんだよね」

「ふーん……」


 上手に作って彼氏に食べさせたいんだなと、また些細な事で変に嫉妬してしまう。


「オマエの作ったもんなら、焦げてようが崩れてようが、なんでもうまいって言って食ってくれる相手がいるんだからいいじゃん」


 リュウトは思わずそう言ってすぐ、今のはトゲがあったかなと後悔する。


「何それ……。そんなにひどくないよ……」

「オマエの料理なんか食った事ねぇから知らねぇよ」


(ああ……まただ……。何言ってんだオレは……)


 彼女は少しうつむいて、お酒を飲んでいる。


(怒ったかな……?)


「宮原くんには、さぞかし料理上手な彼女がいるんでしょうね」

「は?いねぇよ、そんなもん」


(何言ってんだ、コイツ?)


「モテるんでしょ」

「……オレの事はいい」

「なんで?」

「なんでも」


(オレのしてきた事は、恋愛なんて呼べねぇからだよ)


「ふーん……」


 やはりいつもとは明らかに様子の違う彼女の事が気になって、リュウトは思いきって尋ねる。


「なぁ……なんかあったか?」

「え?」

「今日、なんかおかしいぞ。元気ないし……」

「宮原くんに……私の事、わかる?」

「……さぁな。何回か一緒に飯食っただけだからな。彼氏みたいにいつも一緒にいるわけじゃねぇし……全然わかんねぇよ」

「……そうだよね」

「でもな……オマエがなんか悩んでるって事だけは、わかる」


 彼女は少し驚いたようにリュウトの目を見た。


「……彼氏の事か?」


 リュウトが静かに尋ねると、彼女はそっと目をそらした。


「聞くくらいなら……できるぞ?」

「……こんな事、宮原くんには話せないよ」

「なんで?」

「だって……。私自身が、どうしていいかわからない」

「それは一人で迷ったり悩んだりしてるからだろ。オレにもそういう事はある……」


 リュウトはタバコに口をつけ、静かに煙を吐き出した。


「無理に話せとは言わねぇけどな。話したい事は話せばいいし、話したくなければ話さなくていい。聞いて欲しけりゃ聞いてやる」


 リュウトの言葉を聞きながら、彼女は黙ってお酒を飲んだ。


「ねぇ、宮原くん……」

「なんだ?」

「好きなのに一緒にいてつらくなるって……どうしてだろう?」


 どこか思い詰めたような彼女の表情を、リュウトはじっと見つめる。


「好きだからじゃねぇのか?」

「好きだから?」

「好きじゃなかったら……一緒にいたいなんて思わねぇよ。でも、好きだけじゃ、どうにもならねぇ事もあるだろ」

「うん……。そうだね」

「一緒にいない時も、どうしてるかなとか……会いたいなとか……相手の事考えられるっていうのも幸せだと……オレは思う」


 まるで彼女を想う自分の気持ちを話しているようで、リュウトは急に恥ずかしくなり、ジョッキのビールを煽った。


「ホラ、飲んで食って元気出せ」

「……うん」


 彼女が微笑むと、リュウトも穏やかに笑みを浮かべた。


「そんなことないって言うかも知れないけど……やっぱり、宮原くんは優しいね」

「どこがだよ……。オマエの彼氏の方がずっと優しいだろ?」

「優しいけど……全然違う優しさだと思う」

「タイプが正反対とか?」

「うん」

「ふーん……。じゃあ、相当イイヤツだ。オレはイイ男だけど、イイヤツじゃないもんな」

「なあに、それ……。自分で言っちゃうんだ」

「自他共に認めるイイ男だからな」

「宮原くんが言うと、そんな気がする」

「そんな気がするんじゃなくて、実際そうなんだよ」


 軽口を叩きながら、次第に笑顔になる彼女を見て、リュウトは少し複雑な気持ちになった。

 今なら付け入る隙もあったはずなのに、どうしてそれができなかったんだろう?

 彼氏との今の関係に悩んでいるなら、彼女を励ます必要なんかないのに……。

 むしろ、悩むくらいなら彼氏と別れて、自分のところに来いと言えばいいのに……。


(オレはいつから、こんなイイヤツになっちまったんだろう……)



 食事を終え、しばらくお酒を飲んだ後、そろそろ帰ろうかと店を出た。


「あー……。降ってきたか……」


 外は強い風が吹き、激しい雨が道路を叩き付けている。


「どうする?」

「どうする?って……傘もねぇしな。オマエ、少し走れるか?」

「うん」

「じゃあ、うちまで走るぞ。コケんなよ」


 リュウトは彼女の腕を引いて、雨の中を走り出した。

 家に着くと、とりあえずリュウトは自分の部屋に彼女を連れて入った。


「ホラ、これで拭け」


 大きめのタオルを彼女に投げて渡し、自分も濡れた髪や服をタオルで拭いた。


「もう少し雨が小降りになったら送ってやるから、その辺適当に座ってろ」


 リュウトはコーヒーを入れ、カップを彼女に差し出す。


「酔い醒ましだな」

「うん」


 彼女はリュウトの部屋を見渡し、ギターやベースが立て掛けてある場所をじっと見ている。


「そう言えば……宮原くん、小学校の頃からやってたね。……ベースだっけ?」

「ああ。5年からな」


 リュウトはタバコに火をつけ煙を吐き出すと、今、この部屋に彼女がいる事を不思議に思う。


(なんか成り行きで部屋に入れちまったけど……まぁ……深い意味はねぇし……)


 どちらにしても、彼女から預かった本を取りに戻る予定だったのだから、こんな事なんでもないと、自分に言い聞かせる。

 リュウトは少し居心地の悪さを感じながらコーヒーを飲んだ。

 ほんの少し酔いが回った頭で、ぐるぐるととりとめもない事を考える。


(ただの雨宿りだ……。コーヒー飲んで、雨がマシになったら送ってくだけだ……。コイツには、彼氏がいるんだから……)


 優しい彼氏に愛され幸せそうに微笑む彼女は、どんなに想っても決して自分のものになる事はない。

 手を伸ばせば触れられるほどすぐそばにいるのに、たとえ抱きしめたとしても、この手で彼女の幸せを壊し傷付けてしまうだけだろう。

 彼女を想う事はもうやめようと決めたはずなのに、伝える事のできない想いが、錆びたナイフのようにリュウトの胸を深くえぐり、鈍く痛めつける。


(なんだ、コレ……)


 経験した事のない胸の痛みに戸惑いながら、リュウトはそっと彼女の横顔を見た。


(思いきり抱きしめたい……)


 その時、先程の強い雨風で乱れた髪を整えようとした彼女の首筋に、赤いアザのようなものをリュウトは見つけた。


(ん……?アザ?虫に刺された跡?)


 しかしよく見ると、それはそのどちらでもない事にすぐに気付いた。

 きっと、愛し合った時に、彼氏が彼女の首筋に唇を這わせ強く吸って、自分だけのものだと印を残したのだろう。

 脳裏に浮かんだその光景に、自分以外の男に彼女が抱かれているのだと言う現実を突き付けられたようで、胸の痛みを更にかきたてる。


(優しい男のふりなんてオレらしくねぇ……。気持ちを抑えて友達面して笑うなんて、柄でもねぇ事……もうやめてしまえ……!!オレは……欲しいものは力ずくでも手に入れる……!)


 リュウトが狂いそうなほどの激しい嫉妬にさいなまれていると、彼女の鞄の中でスマホが鳴った。


「あっ、電話……」


 リュウトは、鞄の中からスマホを取り出そうとする彼女の手を掴んで、それを制した。


「……出んな」

「えっ……」


 驚いてリュウトを見つめる彼女を強い力で引き寄せ、その腕の中に抱きしめた。


「宮原くん?!」

「彼氏に言っとけ……。人に見られるような場所に、キスマークなんかつけんなって……」


 リュウトは彼女の頭を引き寄せ、強引に唇を塞いだ。


「オレんとこに来い……。彼氏よりももっと、オマエの事、愛してやるから……」


 そう言ってリュウトは、キスをしながら彼女を押し倒した。


「……ダメだよ……だって……」

「彼氏がいるからか?」

「うん……」

「ダメって事は、オレの事が嫌いなわけじゃねぇんだろ。オレの事がイヤなら、もっと本気で拒めよ」

「宮原くんの事、嫌いなわけない……。でも……私は……彼の事、好きなの……」

「オレの方がオマエを愛してやるって……幸せにしてやるって、言ってもか?」

「そんなの……わかんないよ……」


 彼女の目から涙がこぼれ落ちた。


「迷うくらいなら、オレにしろ。絶対後悔させねぇから」


 リュウトは彼女の頬を両手で包み込むと、涙を親指で拭って、唇に優しくキスをした。


「オマエが好きだ……。オマエじゃなきゃ……ダメなんだ……」


 彼女は伸ばした腕を、おずおずとリュウトの背中にまわした。


「ダメだってわかってるのに……気付いたら私、宮原くんに会いたいって……思ってる……」

「ダメなんかじゃねぇよ。オレだっていつもオマエに会いたいって思ってる」

「でも……私には、彼がいるんだよ?私は……彼の事、好きなんだよ……?それなのに……」

「もう、なんも言うな。今は……オレの事だけ考えてろ」


 リュウトは彼女の唇を自分の唇で塞ぎ、慣れた手付きで服を脱がせると、大きな手ですべてを奪うように、彼女の体を愛撫した。


 彼女のすべてが欲しい。

 優しい抱き方なんて知らない。

 ただ、この手で、この体で、彼女のすべてを、心から愛したい。

 この腕の中にいる今だけは、心も体も、おかしくなってしまうほど、自分でいっぱいにして欲しい。


(彼氏の事なんか忘れて……オレのものになればいい……。オマエが愛してくれるなら、オレは一生オマエだけを愛してやるから……)























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