依存する恋とおしゃれをしたい女心

 夜もすっかり更けた頃。

 トモキはいつものようにバイトを終え、一足先にバイトを終えて帰宅していたアユミのマンションを訪ねた。

 最近は自分の家に帰るよりも、アユミの部屋で過ごす事が当たり前のようになっている。


「ただいまー」


 玄関のドアを開けて出迎えたアユミを、トモキはギュッと抱きしめる。


「はぁ、今日もハードだった……」

「お疲れ様」


 トモキは部屋に上がると、アユミの作った料理で遅い夕飯を取る。

 アユミは課題のレポートでもやっているのか、本やパソコンで何かを調べながら、せっせとペンを動かしている。


「アユちゃん、レポート?」

「うん。来週提出だから」

「そうなんだ」


 食事を終えたトモキは、食器をキッチンに運ぶと、アユミのそばに座る。

 しばらくは黙ってアユミの様子を眺めていたトモキが、アユミの肩を抱き寄せ、甘えたような声で耳元で囁いた。


「アユちゃん……ちょっと一休みしない?」

「トモくん……私、今忙しい」

「えーっ……。ちょっとだけ」


 トモキはアユミの髪を撫でながら、頬やこめかみにキスを落とす。

 そして、いつものようにキスをしてアユミの服を脱がせ、首筋に唇を這わせた。


「ちょっと待って、トモくん……」

「ダメ……もう待てないよ」


 トモキはアユミの肌を撫で、体のあちこちに舌を這わせた。

 最初は抵抗していたアユミも、次第にその快感に抗えなくなる。

 気が付けば、いつものようにトモキに腰を引き寄せられ、体を重ねていた。



 情事のあと、しばらく黙っていたアユミが、小さくため息をついた。


「ねぇ、トモくん……。私たち、このままでいいのかな?」

「え?」


 いつになく真剣な表情のアユミに、トモキは驚いてアユミの顔を見つめる。


「それ、どういう事?」

「最近トモくん、全然家に帰ってないんじゃない?ほとんど私の部屋にいるよね」

「そう言われてみればそうかな……」

「私たち、学生だよ?」

「うん」

「学校とバイト以外は、ほとんどトモくんとこの部屋にいるのって、おかしくない?」

「アユちゃんは……オレといるの、嫌?」

「トモくんといるのが嫌とか、そんなんじゃなくて……。お互いに自分の時間も大事にした方がいいんじゃないかと思うの」

「オレはアユちゃんが好きだから、少しでも長く一緒にいたいけど」

「私は……友達と遊んだり、図書館に行ったりもしたいし……。部屋で一人でゆっくりしたい時もあるよ。友達と電話で話したり、友達とお泊まり会したりとか……。最近、そういうのにも、全然誘ってもらえない」


 どこか悲鳴にも近いものを感じて、トモキはため息をついた。


「オレがいると……迷惑?」

「だから……そんなんじゃなくて……!!」

「じゃあ、いいよ。アユちゃんがそう思ってるなら……オレはここにいても仕方ないから」

「トモくん!!」

「自分ちに帰るよ。おやすみ」


 トモキは服を着て荷物を持つと、振り返りもせずにアユミの部屋を後にした。



 何日ぶりかに自分の部屋に帰ったトモキは、ベッドに身を投げ出して大きなため息をついた。

 自分はアユミと一緒にいられるだけで幸せだと思っていたのに、いつの間にか、自分と一緒にいる事がアユミとって負担になってしまっていたのかと思うと、トモキはやりきれない気持ちで胸が痛んだ。

 付き合い始めた頃は、ただそばにいるだけでドキドキして、手を繋ぐ事さえためらっていた。

 初めてキスをした夜は、急にキスなんかして、嫌われなかっただろうかと不安になった。

 そして、初めてアユミを抱いた夜。

 大好きなアユミが初めての相手に自分を選んでくれた事や、この手でアユミを抱いている事が嬉しくて、幸せ過ぎて、おかしくなってしまいそうだった。

 初めて二人で朝を迎えた時は照れくさくて、隣に大好きなアユミの温もりがある事が幸せだと思った。

 アユミを想う気持ちは、今も何ひとつ変わっていないのに……。

 トモキは、いつかリュウトに言われた言葉を思い出す。


『本気の恋もいいけどな……。まわりが見えなくなるような……依存するだけの恋愛なら、やめとけ。最初は良くても、お互いにだんだんつらくなるだけだから』


 好きだから、一緒にいたい。

 好きだから、アユミを抱きたい。

 ただそれだけなのに、いつの間にこんなふうになってしまったんだろう?


(ただ好きだから一緒にいたいと思うのは……そんなにいけない事かな……?)




「こんにちはー」

「おぅ、ユキ。久しぶりじゃん」


 その日の夕方、小学校時代からの友人のユキが店にやって来た。


「今日はどうした?」

「ルリカさんからご予約いただきました」

「そうか」


 ユキは中学時代のヤンキー仲間だ。

 一応高校には入学したものの、1年の途中で中退し、通信講座でネイリストになる勉強をして、今はこの店の客や友人などを中心に、ネイリストの仕事をしている。


「ルリカさんは?」

「ハルのお迎え。もう帰って来るだろ」


 ユキにコーヒーを出してしばらく話していると、ルリカがハルを連れて帰ってきた。


「ああ、ユキ。お待たせ」

「いえいえ」

「ママ、ユキちゃんに爪キレイにしてもらうの?」

「そうだよ」

「いいなぁ。ハルもしてほしい」


 おしゃれをしたいと言うあたり、やはりハルも女の子だなとリュウトは妙に感心する。


「ハルはまだ小さいからね。もっと大きくなったらしてもらいな」

「ハル、早くおっきくなりたいなぁ……」

「爪、キレイにして欲しいから?」


 ハルの呟きを聞いて、ユキが尋ねる。


「うん。それから、おっきくなったら、とーちゃんと結婚する」

「だってさ。良かったね、リュウ」


 ハルの言葉に、ユキはおかしそうに笑う。


「言ってろ……」


 相変わらずのハルのプロポーズに、リュウトはため息をついた。


「じゃあリュウト、あとは頼むね」

「わかった」


 ルリカとハル、ユキが裏に下がってしばらくすると、今日最後の予約客が来店した。

 近所に住むその常連客を、リュウトはいつものように世間話をしながら接客した。



 リュウトが最後の客を送り出し、店の看板の灯りを消して、シャッターを下ろそうとした時。


「こんばんは」


(えっ……この声……)


 ずっと聞きたかったその声に、リュウトは慌てて振り返った。

 嬉しくて弾みそうになる声を抑え、リュウトは平静を装って話す。


「……よぅ。久しぶり」

「久しぶりだね」

「今帰りか?」

「今日はバイト休みだったから、久しぶりに図書館に行ったの。読みたい本もあったし、調べ物もしたかったから」

「学生らしいな」

「それから新しい雑貨屋さん見てたら、あっという間にこんな時間になっちゃった」

「女は雑貨屋好きだよな……」

「見てるだけでも楽しいんだよ。宮原くんは、お仕事終わるところ?」

「ああ。飯でも食いに行くか?」

「うん」

「店閉めて片付けるから、中でちょっと待っててくれるか」

「うん」


 リュウトが片付けをしている間、彼女は店の隅にある椅子に座り、ヘアカタログを見ていた。


「こんな髪型、憧れるなぁ……」


 彼女がポツリと呟くので、リュウトは少し手を止めて、横からそのページを覗き込む。

 少し明るい髪色に、ふんわりと柔らかなゆるいウェーブ。

 どこか頼りなさげで、いかにも男ウケしそうな髪型だとリュウトは思う。


「あー……。似合うんじゃねぇか?雰囲気には合ってる。彼氏は喜ぶだろ」

「なんで?」

「男ウケしそうな髪型だから。実際、若い女の客が、それっぽい髪型にしてくれって、よく注文すんだよ。今度、やってやろうか?」

「ふーん……。そう言われると、なんか……」

「じゃあやめとけ。今のままでいいじゃん」

「私、地味でしょ?たまにはこんなおしゃれな髪型にも挑戦してみたいよ」

「そうか?そのおしゃれな髪型を維持しようと思ったら、毎日めんどくせぇぞ?」

「……やめとく」

「なんだよ。そんなガッカリすんな。気分だけでいいなら、髪、巻いてやろうか?」

「ううん。宮原くん、もう仕事終わったんだし今日はいい。また今度、お願いしようかな」

「おぅ」


『また今度』と言う事は、『また会える』と言う事だと、リュウトは少し口元をゆるめた。


「今度、オマエにちゃんと似合って、めんどくさくない髪型にしてやる」

「ホント?」

「ああ」



 彼女と話しながら片付けをしていると、自宅に繋がるドアが開いた。


「お疲れ、リュウ。私帰るね」


 ルリカのネイルを終えたユキが、リュウトに声を掛けに来た。


「おぅ、お疲れ。終わったか」

「うん、今日のはかなりの自信作!!ルリカさんもめちゃくちゃ喜んでくれた」

「へぇ。姉貴が絶賛って事は、また激しいんだろうな……」


 閉店後の店の中に見慣れない女の子がいる事に気付いたユキは、さりげなく彼女を見ると、リュウトのそばに来て小さな声で尋ねる。


「リュウの彼女?」

「ちげーよ」


(そうだったらどんなにいいか……)


「じゃあ、誰?」

「オマエ、小学校の時、同じクラスでよく一緒に遊んだ酒井って覚えてる?」

「ああ、うん。酒井ちゃんね。覚えてるよ」

「これ、酒井」

「えぇっ?そうなの?」


 驚いたユキが、彼女のそばに来てまじまじと顔を見つめる。


「わぁ、ホントだ!久しぶりだね!!私ユキ。覚えてる?」

「あっ……ユキちゃん?!覚えてるよ!」

「懐かしいね、元気だった?」

「うん。ユキちゃんも元気そうだね。すごく大人っぽくなってるからビックリしちゃった」

「ユキは、大人っぽいって言うよりはケバいんだろ?」

「うるさいよ、リュウ」


 久しぶりの再会に、彼女とユキは、手を取り合って喜んでいる。


「今から飯でも食いに行こうかって言ってんだけど、ユキも行くか?」

「行きたいけど、この後約束があるんだ。でも今度一緒に行こうよ。酒井ちゃん、連絡先教えて?」

「あ、うん」


 二人はスマホを出して連絡先を交換し始めた。


(こういう時、女同士は気兼ねなくていいよなぁ……)


 リュウトは二人を残して、タオルを洗濯に出すため店の外に出た。

 店内では、相変わらず女子二人が楽しそうにおしゃべりをしている。


「酒井ちゃん、名前どんな字だっけ?」

「あ……。私、今は酒井じゃないの」

「そうなの?」

「小学校卒業前に両親が離婚したから……。中学からは母親の姓になってね」

「今は?」

やま代理だいりだい山代ヤマシロ。歩くに美しいで歩美アユミ

「同じ名前だもんね。私の名前はわかるよね?雪を渡る愛の弓で、雪渡 愛弓ユキワタリ アユミね」

「覚えてるよ。同じクラスで3人も、アユミがいたんだよね」

「そうそう。だからみんな苗字で……ってなったのに、私は苗字がややこしいから、ユキでいいだろって。リュウが言い出したんだよ」

「そうだったね。もう一人は……鈴村 亜由美スズムラ アユミちゃんだよね。『スズ』とか『鈴ちゃん』って呼ばれてた」

「考えたら、酒井ちゃんを歩美ちゃんって呼んでも良かったのにね。これからはアユって呼ぼうかな?」

「うん。なんか嬉しいな」

「じゃあ、また近いうちに連絡するから、御飯食べに行こうよ」

「うん」

「私、今ネイリストやってるんだ。よく、リュウのお姉さんとか、このお店のお客さんのネイルもやらせてもらってるの。今度、アユにもやってあげるよ」

「ホント?嬉しい!」

「じゃあ、私そろそろ行かないと。またね!」

「うん、またね」


 ユキが手を振って店を出るのと入れ替わりに、リュウトが戻ってきた。


「女子トーク終わったか?」

「うん。楽しかった。今度、ネイルやってくれるんだって」

「へぇ。ああいうの、やっぱり酒井も興味あるのか」

「女の子はみんな興味あるんじゃない?おしゃれしてキレイになりたいって思うよ」

「……好きな男のために?」

「うん、まぁ……。それもあるけど……やっぱり自分のためでもあるよ。どうせなら、少しでもかわいくなりたいもん」

「そういうの、オレは男だからわかんねぇよ。別に飾り立てなくてもそのままでいいのにって思うけどな。化粧とかガッツリしなくても、身だしなみ程度でじゅうぶんだ」

「ふーん……。宮原くんはそういうタイプの子が好きなんだね」


 彼女の思わぬ言葉に内心ドキッとしながら、リュウトはなんでもないふうを装う。


「別に……深い意味はねぇよ」


(そのままのオマエがいい……とか言えねぇって……)


「好きな人のために無理しても、一緒にいる事がつらくなっちゃったら……仕方ないもんね」


 どこか切なげにうつむく彼女の様子に、リュウトは眉を寄せる。


(コイツがこんな事言うなんて珍しいな……)




 トモキは今日も、バイト先のレストランの厨房で、休める事なく手を動かしていた。


「三好さん、追加お願いします」

「了解」

「三好くん、お手空てすきでターメリックライスのスタンバイお願い」

「了解」

「アラビアータあと何分で上がりますか?」

「上がったよ」

「三好さんすみません、オーダーミスでした!カルボナーラ最優先でお願いします!!」

「了解」


 人気のレストランだけあって、ディナータイムは目の回るような忙しさだ。

 次から次へと新たなオーダーが入り、休む間もなく手を動かしながら、頭の中は作業の優先順位や効率の良さを考える事でいっぱいで、余計な事を考えなくて済んだ。

 ディナータイムのピークを過ぎてしばらく経った頃、やっとバイトを終えて控え室に下がったトモキは、椅子に座りため息をついた。

 今日は、ホールにアユミの姿はなかった。

 夕べ、あんな形でアユミと別れた事が気になってはいたものの、何から話せばいいのか、これからどうなるのかと考えると、アユミときちんと向き合える自信がなかった。

 姿が見えない事で、不安もあるが、ホッとしたような気もする。


(今頃どうしてんだろ……。友達と遊んだり、一人でゆっくり過ごしたりしてんのかな……。オレといるより……その方が楽しいのかな……)


 トモキはアイスコーヒーを飲みながら、賄いに作ってもらったオムライスを食べる。


(アユちゃんの作ったオムライスの方が、ずっとうまい……)


 人気店の名物オムライスのはずなのに、今のトモキにとっては、アユミと二人で食べるアユミの作ったオムライスの方が、ずっと美味しく感じる。


(オレは……アユちゃんの事が好きだから、一緒にいたいだけなんだ……。アユちゃんさえいてくれたら……他に何も要らない……)



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