ジェラシーとジレンマ

 それからしばらくして、なかなか捕まらなかったトモキとなんとか連絡を取り、やっと次のライブに向けての話が進み始めた。

 久し振りにスタジオで練習をする事になったその日、リュウトはスタジオに行く前に、いつものファミレスでトモキと一緒に食事をした。


「最近忙しいんだって?」

「ああ、うん。バイト先の子が3人もいっぺんに辞めちゃってさ。新人の子に持ち場を任せられるようになるまで人手が足りないって、オレずっとシフトに入ってたから」

「そうか。大変だったんだな」


 久し振りに会うトモキは、前のようにぼんやりはしていなかった。

 でも機嫌は良いので、彼女とうまくいっているのだろう。


「あれから、うまくいってんだろ?」

「うん」

「そうか。それは良かった」


 リュウトがタバコに火をつけると、トモキはそれをじっと眺めながら呟く。


「なぁ、リュウ。やっぱりさ、彼氏が学生だと頼りないのかな……」

「なんだよ突然?」

「いや……。彼女と食事したりするじゃん。でもオレの彼女、お互い学生だからって、自分の分は自分で払うとか言うから」

「堅実だな」

「でもさ……もっと頼ってくれてもいいのにって、オレは思うんだよな」

「そうか?オレはいいと思うぞ。実際、学生なんだから」

「そうかなぁ……。ってか、オレがガキだからなのかな……。食事代だけじゃなくてさ、なんかこう……もっと彼女をちゃんと引っ張って行けるようになりたいって言うか、もっと安心して頼ってもらえるようになりたいって言うか……」

「そういうの、オレにはよくわかんねぇよ」


(贅沢な悩みだな……。好きな女と一緒にいられるんだろ……。それ以上何が必要なんだよ……)


 好きな女の子を、堂々と『彼女』だと言えるトモキを羨ましく思いながら、リュウトは彼女のくれたマスコットを何気なく眺めた。


(アイツ……どうしてるかな……)


 アイスコーヒーを飲みながら、トモキがリュウトの手元のマスコットを見て尋ねる。


「そんなの付けてたっけ?」

「ああ……もらったんだよ。ペットボトルの紅茶のオマケらしいな」

「そうなんだ。誰にもらったんだよ」

「友達だよ」

「ふーん……。女の子だろ?」

「まぁ、そうだな」


 どこか歯切れの悪い返事を不思議に思いながら、トモキはじっとリュウトを見た。


「なんだよ」

「いや……。リュウ、その子の事、好きなのかなーって」

「はぁ?そんなんじゃねぇよ」

「ふーん……?じゃあ、どんなんだよ?」

「どんなもなにも、友達だよ」

「へーぇ」


 含みを持たせた返事をして笑うトモキを、リュウトはにらみつける。


「なんだよ?言いたい事があるならハッキリ言え」

「別にぃ。リュウにも恋の季節がやって来たのかなーって思っただけだよ」

「だから、違うって言ってんだろ。オマエと一緒にするな」


 リュウトは苛立たしげに、灰皿の上でタバコの火をもみ消して舌打ちをした。

 否定しながらも、自分は端から見てそんなに分かりやすいのだろうかとリュウトは思う。


(アキだけじゃなくトモにまで言われたらおしまいだな……)



 食事を終えてスタジオに向かうと、先に到着していたアキラとマナブが、久し振りに会うトモキに駆け寄って来た。


「久し振りだなぁ、トモ!!」

「オマエ、なかなか連絡つかないから心配したんだぞー!」

「ごめんごめん、バイト忙しくて……」

「とか言って、彼女とベッタリだったんじゃないだろうなぁ?」

「……いや、彼女とも会ってたけど……バイトがめちゃくちゃ忙しかったのはホント」

「これからライブに向けて忙しくなるけど、大丈夫なのか?」

「ああ、うん。もうバイト先も落ち着いたから大丈夫だよ」


 スタジオに入ると、チューニングを済ませ、とりあえずいつもの曲を何曲か練習して、新曲の相談をする。

 リュウトが作ってきたその曲に歌詞はまだついていなかった。


「詞はどうする?リュウが書くのか?」

「考えてはいるけどな……」

「こっちの曲は?」

「それはもうだいたいできてる」

「じゃあ、この2曲は次のライブに間に合うように完成させて……」



 スタジオでの練習を終え、4人でファミレスに向かった。

 食事を済ませてきたリュウトとトモキは飲み物と軽食を注文した。


「4人揃って来るの、久々だな」

「ああ。前の時は、トモが先に帰ったから」

「そうだっけ」

「愛しいハニーがスマホ握りしめて、トモからの電話待ってたんだよな」

「リュウ……。なんか今日、トゲがないか?」

「そうか?オレはいつも通りだぞ?」

「そうかなぁ……」


 しばらく会っていない間に何があったのだろうと、トモキはリュウトの様子を窺う。

 リュウトはまた、マスコットを眺めて、心なしかぼんやりしているように見えた。

 元々、自分の事を多くは語ろうとしないリュウトだが、今日はいつもに増して自分の事に触れて欲しくなさそうにしている。

 そして、リュウト自身は気付いていないのかも知れないが、時折マスコットを眺めながら、小さくため息をついている。

 トモキは、今まで見た事のないリュウトの様子が、アユミに片想いをしていた頃の自分になんとなく似ていると感じた。


(やっぱり好きな子でもできたのかな……?)



 アキラとマナブが食事を終え、4人でお茶を飲みながら、次回のライブについてしばらく話した後、話はトモキの彼女の話題になった。


「トモの彼女ってどんな子?」

「どんなって……。大学生だけど……」

「かわいい?」

「うん。かわいいし、優しくて気遣いのできるいい子だよ」

「オマエ……全力でのろけるな……」

「デートとか、二人でどんなとこ行く?」

「うーん……。モールでブラブラしたり、水族館にも行ったな。最近は彼女の部屋で映画のDVD観たり……一緒に飯食ったり……」

「いいなぁ、彼女の手料理か!」

「オマエ、彼女の部屋に入り浸ってんじゃねぇのか?」

「入り浸ってるわけじゃないけど……。たまに、泊まったりはする」

「トモはかわいい彼女とラブラブなんだな。いいよなぁ、この幸せ者!」


 アキラとマナブは、トモキの彼女の話に興味津々の様子で冷やかしている。


(アホくさ……)


 リュウトは小さくため息をつくと灰皿の上でタバコの火をもみ消し、コーヒーを飲み干して立ち上がった。


「オレ、帰るわ」

「どうしたんだよ、リュウ?」

「今日は疲れた。帰って寝る」

「じゃあ、オレがトモ送るよ」

「悪いな、アキ。そうしてやってくれ」


 いつもと様子の違うリュウトに、マナブも不思議そうな顔で首をかしげる。

 珍しく途中で抜けるリュウトを見送り、アキラはリュウトの複雑な心境を察した。


「なぁ、アキ。今日のリュウ、おかしくないか?」


 トモキがアイスコーヒーを飲みながら尋ねる。


「リュウもいろいろ複雑みたいだからな」

「複雑?」

「まあ、リュウは絶対に認めないけどな」

「それってやっぱり、恋の話?」

「どうだかな……。本人が認めないんだから、オレからは何も言えねぇよ。ただな、トモ」

「何?」

「リュウは、トモが思ってるほど強くもないし大人でもない。オレらが思ってる以上に繊細で傷付きやすいんだよ。そういうの、絶対に見せようとはしないけどな」

「そうなのか?」

「トモにはわかんねぇ事もあるよ」

「なんだそれ……」




 リュウトは部屋に帰ると、部屋着に着替えてタバコに火をつけた。


(アホらしくて、トモのノロケ話になんか付き合ってられねぇんだよ……)


 幸せそうに彼女の話をするトモキを見ていると、彼氏のいる彼女を想っている自分が惨めに思えて、無性に苛立たしかった。

 リュウトは彼女のくれたマスコットをじっと見つめて、ため息をついた。

 今頃彼女はどうしているだろう?

 優しい彼氏と幸せな時間を過ごしているのかも知れない。

 彼氏といる時の彼女の心には、自分の存在など微塵もないのだろう。


(情けねぇ……)


 会いたくても、会いに行く事もできない。

 すぐそばにいる時でさえ、彼女の心の中には彼氏がいる。

 それなのに自分は、どうしてこんなに彼女を想っているのだろう?


(こんな事、やめちまえばいいのに……)


 リュウトはタバコの火をもみ消すと、どことなく彼女に似たマスコットを指ではじいて、布団に身を投げ出すように横になった。


(他にも女なんていっぱいいるのに、よりによってなんでアイツなんだろう……。好きになっても、どうにもならねぇのに……)




 翌日、仕事が終わる頃にアキラが訪ねてきた。

 二人でいつもの居酒屋に足を運び、ビールを飲みながら食事をした。


「リュウ、つらそうだな」

「何が?」

「彼女の事だよ」


 リュウトはタバコに火をつけ、ため息混じりに煙を吐き出した。


「別になんともねぇ」

「ホラ、またソレだよ」


 アキラはリュウトの顔をじっと見て、ため息をついた。


「オレだって話聞くくらいはできるって言っただろ?壊れる前に吐き出しちまえよ」

「壊れねぇよ」

「昨日、トモもマナも、心配してたぞ」

「何をだよ」

「オマエの事だよ。なんかおかしいって」

「オレはただ、アホらしくてトモのノロケ話に付き合ってられなかっただけだ」

「トモの彼女の話に、彼女の事、重ね合わせてたからか?」

「しつけぇな…そんなんじゃねぇって……」


 リュウトは苛立たしげに舌打ちをして、ジョッキのビールを煽る。


「この前さ、一緒に買い物行った時……アレ、例の彼女なんだろ?」


 思いがけないアキラの言葉に、リュウトはバツが悪そうな顔で目をそらした。


「オマエ、見てたのか……」

「見てたよ。あの後、何かあったのか?」


 リュウトは観念したようにため息をついた。


「バイクに乗せて……飯食いに行っただけだ」

「それから?」

「しばらく子供の頃の話とか……どうでもいい話をしてさ……。なんとなく、彼氏はどんなヤツか聞いた」

「どんなヤツなんだ?」

「大学生で、優しくて……アイツの事、すげぇ大事にしてくれるんだってさ」

「ふーん……。それで?」

「幸せそうな顔して彼氏の事そんなふうに話すくせに、オレの事、優しくて頼りになって、いい親父になりそうだ、って……。オレ、全然そんな事ねぇのにさ」

「そうか?オレもそう思うぞ。それで?」

「だったら……彼氏と別れて、オレのとこに来るか?って、思わず言ったら、驚いてたよ……。すぐに冗談だって言ったけどな。そんな冗談タチ悪いって言われた」

「なんだよ、冗談なんて言う必要ねぇじゃん。それがリュウの本音だろ?」

「情けねぇじゃん。本気にもしてもらえねぇのにさ……。もう二度と言わねぇよ……」


 苦々しくため息をつくリュウトを、アキラは黙って見ていた。


「片想いか……。切ないな」

「つまんねぇだろ?こんなバカらしくてどうしようもねぇ事、やめちまえばラクになれるってわかってんだけどな……」

「……わかってんのにやめらんねぇのは……マジで好きだからだろ。やっぱさ、ちゃんと彼女に好きだって言えよ」

「バーカ、言わねぇよ」


 リュウトは苦笑いをしてタバコに口をつけた。


「言ったって、言わなくたって……どうにもなんねぇよ。だったらオレは……」


 言いかけた言葉を飲み込むように、リュウトはビールを煽る。


(リュウ……好きだって言って、彼女と今みたいに笑って会えなくなるのが怖いんだな……。何も言わなくても、次はいつ会えるかもわかんねぇのに……)


 話を聞く事しかできない自分を歯痒く思いながら、アキラは黙ってビールを飲んだ。


「先にも進めねえ、後ろにも戻れねぇ……。身動き取れなくなってんじゃん……」

「だっせぇな、オレ……。いっその事、潔く死んじまうか。アイツに斬り殺されるなら、それも幸せかもな」

「えっ?!」


 リュウトの過激な発言に慌てふためくアキラを見て、リュウトは笑った。


「バーカ……命じゃなくて、この気持ちをだよ。アイツがさ……なんもかも断ち切ってくれたら……こんなバカみたいなオレの気持ちも、幸せに死ねるんじゃねぇかって……」

「なんだよ……。そんなん、リュウ全然幸せになれねぇじゃん……」

「いいんだよ。最初からオレの付け入る隙なんかどこにもねぇし……オレには無理だってわかってたんだから。でもさ……アイツに、そんな事できねぇと思うんだよな……。だから……オレは、オレの中でこの気持ちが死んでくのを待つしかねぇんだ……」

「気がなげぇよ……。その想いが死ぬ前にリュウ自身が天寿をまっとうしたらどうすんだよ」

「幸せな生涯なんじゃね?」



 翌日の夜、リュウトは部屋でギターを弾きながら、新曲の歌詞を考えていた。

 考えても考えても、頭に浮かぶのは彼女の事ばかり。

 自分らしくもない甘い言葉に嫌気がさして、リュウトは頭をグシャグシャと掻き乱す。


(なんだこりゃ……。激甘我慢大会か?!)


『好きだ』

『会いたい』

『抱きしめたい』


 自分の頭の中は、そんな言葉で溢れかえっているのだと現実を突き付けられたようで、その甘ったるさに思わず目をそむけたくなる。


(オレ……意外と女々しいのか……?)


 どうにもならない想いを抱えて悶々としている自分が、なんだか情けない。


『タンデムシートに オマエを乗せて

 愛しい温もり 背中に感じ

 このまま 遠くへ連れ去れたらと

 走り続けた 行く宛もなく』


『この腕の中 オマエを強く抱きしめられたら

 怖くはないさ 明日の光を失う事さえ』


 ギターを弾きながら浮かんだフレーズを、ペンを手に取り走り書きでメモすると、リュウトは思わず赤面した。


(なんだかな……)


 リュウトはギターを傍らに置き、タバコに火をつけて頬杖をついた。

 考えても仕方ないのに、彼女の事ばかり考えている自分が情けなくてため息が出る。


(自然に死ぬのを待ってるなんて……地獄だ……。殺してもらえねぇなら……自分の手で殺してしまうしかねぇんだよな……)


 日毎に増していく胸の痛みを、どうすれば消す事ができるのだろう?

 自分の事を好きだと言ってくれる別の誰かを好きになれれば、こんな気持ちはキレイに忘れられるだろうか?

 タバコを吸いながら考えていると、ドアをノックする音がして、誰かがドアを開けて入ってきた。


「リュウ、いるー?」

「なんだ……オマエか……」


 振り返ると、訪ねてきたのはヤンキー時代の仲間のミカだった。


(当たり前か……。アイツがここに来るわけなんてねぇもんな……)


 かなり明るい茶髪に派手な化粧をしたミカが、いつものように靴を脱いで部屋に上がり込み、ピッタリ寄り添ってリュウトの隣に座る。


「久し振りだねー、元気?」

「別に、普通だよ」


 時々部屋に来ては、欲望の赴くままに体を重ねるだけの関係。

 お互いに、何人かいるそんな相手のうちの一人に過ぎない。


「そう?なんか元気ないよ」

「だったら元気出るように慰めろよ」


 リュウトの言葉を聞いたミカが、少し意味深な笑みを浮かべてリュウトに抱きつく。


「なぁにリュウ、甘えてんの?ミカに会えなくて寂しかった?」


 リュウトはほんの少し黙って考えた後、タバコの火を消してため息をつく。


「バカ言うな。やっぱ帰れ」

「えー、なんで?せっかく久々にリュウとしようかなーと思って来たのにぃ」

「どうせ男と別れて、体が寂しくなっただけだろ?新しい男が見つかるまでの繋ぎとか……そういうの、もういいわ」

「急にどうしたのよ?」

「なんかもう、めんどくせぇ。別にオレじゃなくたって、他にも行く宛あんだろ?」

「なにそれ、変なの……。そんなに全力で拒否られたら、こっちもその気なくなったわ。もう、頼まれてもしてあげないからね」

「それはこっちの台詞だ、バーカ」

「ひっどー……。もういいよ。じゃあね」

「おー。もう来なくていいぞ」

「なんだよ、リュウのバカ!!」


 ミカが怒って部屋を出て行くと、リュウトは一人ため息をついた。


「バカでけっこう……」


 リュウトは小さく呟いて、テーブルの上に置かれたままのマスコットを手に取り握りしめる。


(相手なんか誰でも良くて、都合が良くて……愛もない体だけの関係なんて、もう要らない……。今オレが欲しいのは……アイツだけだ……)


 お互いに好きでもない相手と体を重ねて、なんの意味があるのだろう?

 自分を愛してくれる誰かを無理して好きになろうとしても、きっとそれは意味がない。

 自分が好きだからこそ、相手にも自分を愛して欲しいと願うのだとリュウトは気付いた。

 簡単に手に入るものほど、自分にとっては価値のないつまらないものばかり。

 逆に、自分が欲しくて欲しくて堪らないものほど、どんなに手を伸ばして欲しがっても、この手に触れる事すら難しい。


(こういうの……なんて言うんだっけか……)



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