おはようのキスと初めての朝帰り

「とーちゃーん!!」


 月曜の朝、リュウトは腹部に激しい衝撃を受けて目を覚ました。


「うおっ!!いってぇ……!なんなんだよ朝っぱらから?!」


 お腹の上にはハルが乗っかって笑っている。


「とーちゃん、おはよー」

「オマエな……もうちょっと普通に起こしてくれるか……。ってか、オレ、今日休みだから。起こさなくていいから」


 リュウトがお腹からハルを下ろして布団に潜り込むと、ハルが小さな手で布団を引っ張る。


「きーちゃんが、とーちゃん起こしてきてって言ったんだもん」

「おふくろが?なんだよ一体……」

「とーちゃん」

「なんだ?」

「おはよーのちゅーは?」

「だから、しねぇっつってんだろ!!」


(ませガキめ……。しかし誰が教えんだ?!)


「じゃあだっこ」

「嫌だ、断る」

「えーっ。きーちゃんが、とーちゃん起こしたらだっこしてちゅーしてもらっていいって言った。ハル、ちゃんと起こしたよ」


(おふくろの入れ知恵か!!)


「起こし方が酷かったから却下」

「とーちゃんのけち」

「で、なんの用だ?」

「ママお熱。きーちゃんが、とーちゃんと保育所に行けって」

「はぁ?!」


 リュウトは仕方なく起き上がって着替えると、ハルを抱いて母屋へ向かう。


「とーちゃんだーい好き!!」

「ハイハイ」


 なんだかんだ言って、リュウトはハルに甘い。

 上機嫌でリュウトに抱きつくハルを見て、リュウトは苦笑いした。


(コイツは素直で正直でいいよなぁ……。好きなら好き、嫌なら嫌ってハッキリ言えて……。子供だからそれが当たり前か……)



 熱を出したルリカの代わりに、リュウトはハルを保育所に送って行く事になった。


「ママ、風邪ひいたのか?」

「うーんとね、はちどごぶ……?」

「ああ……8度5分な。そんなに熱あんのか」

「ママのほっぺ、熱かった」


 ハルの小さな手を引いて歩きながら、前から少し気になっていた事をハルに尋ねる。


「ハルはなんで、ママの事『かーちゃん』って呼ばねぇんだ?母親だし名前がルリカだから、『かーちゃん』でちょうどいいじゃん」

「ママはママだもん」

「答えになってねぇ……。ハルは自由だな」

「ちゅー?」

「違うって」


 ハルを保育所に送り届けた帰り道、リュウトはタバコを買おうとコンビニに寄った。

 コンビニから出たところで、偶然トモキを見かけて声を掛ける。


「よぅトモ、久し振りだな!」


 しかし聞こえていないはずはないのに、トモキはどこかぼんやりした様子で目の前を素通りしようとした。


「おい、トモ!!」


 ただならぬ様子に驚いたリュウトは、慌ててトモキの肩を掴み呼び止めた。


「……あ、リュウ……」


(オイオイ……朝から大丈夫か、コイツ?!しかし学校に行くにしては向きが違うよな……?)


「今から学校行くのか?」


 気にはなったものの、一応尋ねてみる。


「いや……今、帰り」

「は?」

「学校は昼から」


(今、帰りって言ったよな?!もしかして……)


 なんとなく状況を察したリュウトは、ニヤニヤ笑いながらトモキを見た。


(なんだ、朝帰りか)


「トモ、時間あるなら、うちで朝飯でも食ってけよ。それとも朝まで起きてて眠いか?」

「……えっ?!」

「ってか、オマエボーッとし過ぎてあぶねぇんだよ。跳ねられんぞ?」

「あ、うん……」


(やれやれだな……。それでホントに死んだらシャレになんねぇよ)



 リュウトはトモキを部屋に連れて帰り、母屋の台所でチーズトーストやコーヒーなど、簡単な朝食を用意した。

 朝食を持ってリュウトが部屋に戻ると、トモキは相変わらずぼんやりしている。


(放心ぶりハンパねぇ……。まさか、別れたとかじゃねぇよな?!)


 リュウトがトレイの上の朝食をテーブルに並べ終えても、トモキはボーッとしている。

 たまらずリュウトはトモキの背中を叩いた。


「おい、トモ!!」

「……えっ?」

「いいから、とりあえず食え!!」

「あ、うん……。いただきます……」


 トモキはリュウトに言われた通り、素直に食べ始めた。

 リュウトもコーヒーを飲もうとカップに口を付けてふと気付く。


(あれ?朝まで彼女と一緒だったんなら、朝飯も一緒に食ったのか?)


「なぁトモ……。もしかして、もう既に朝飯済んでたんじゃねぇのか?」

「あっ……。そうだった……」


(コイツ、マジでやべぇ!!)


「まぁ……食えるなら食え……」

「あぁ、うん」


 とりあえず朝食を終えて、コーヒーのおかわりをカップに注ぎ、リュウトはタバコに火をつけながらトモキに視線をやる。


(一緒に朝飯食ったって事は、とりあえず、別れたわけではなさそうだな……)


 リュウトがタバコを吸いながら黙ってトモキを眺めていても、トモキは無反応だ。


(って事は……ついにやったか……)



 昨日の夜、トモキは初めてアユミの部屋に上がり、夕食にアユミの作ったシチューを一緒に食べた。

 食後にはトモキがコンビニで買った2種類のスイーツを仲良く半分ずつ食べた。

 トモキはものすごくドキドキしつつも平静を装って、アユミの入れてくれたコーヒーを飲みながら他愛もない話をした。

 しばらく話をした後、掛け時計を見ると、時刻は10時になろうとしていた。


(あんまり遅くまで居座るのも良くないな……。もっと一緒にいたいけど……今日はもう帰った方がいいか……)


 トモキがコーヒーを飲み干してカップをテーブルに置くと、アユミがトモキに尋ねた。


「コーヒー、おかわり入れようか?」

「いや……もう遅いし、帰ろうかな」

「えっ、もうそんな時間?」


 アユミは振り返って壁時計を見る。


「時間経つの、ホントに早いね……」

「今日は1日一緒にいたのに、あっという間だったな……」

「うん……。すごく、楽しかったよ」

「オレも……。だから、ホントはさ……」

「ん……?」


『もっと一緒にいたいんだ』

 トモキは言い掛けた言葉を飲み込んで、笑って立ち上がる。


「いや、やっぱいいや。そろそろ帰るよ」

「えっ、なあに?」

「たいしたことじゃないから」

「えー、そのまま言わずに帰られたら、すごく気になる……。教えて」

「言わなかったら……ずっといていいって事?」

「えっ?!」


 トモキはアユミをギュッと抱きしめた。


「トモ……くん……?」

「でも、言ったら……オレ、余計に帰りたくなくなる……。それでも、いい?」


 アユミは少し驚いていたようだったが、トモキの腕の中で、小さくうなずいた。


「もっと……一緒にいたいんだ……」


 トモキが切なげに呟くと、アユミがトモキのシャツをギュッと握りしめ、小さな声で呟く。


「私も……一緒にいたいな……」

「ホント?」


 トモキの問い掛けに、アユミがうなずく。


「でもオレ……あんまり……ってか……かっこ悪いけど……全然、余裕ないよ?……いいの?」

「……うん……。いいよ……」


 恥ずかしそうに答えたその唇にキスをしながら、トモキはゆっくりとアユミを押し倒した。

 トモキは何度もキスをして、ぎこちない手付きで服を脱がせ、アユミの素肌に口づけた。

 はやる気持ちをなんとか抑えながら、アユミの体に優しく触れ、柔らかなその胸に、舌と唇を這わせる。


「アユ……好きだよ……」


 トモキは何度もそう言いながら、ありったけの愛情を込めて、まだ誰も受け入れた事のないアユミの体を優しく抱いた。

 決して上手とは言えなかったかも知れない。

 でも、本気で好きになった女の子を抱いたのはトモキにとって初めてだったし、アユミにとってトモキは、何もかもが初めての相手だった。

 すべてが終わると、二人は恥ずかしさでなかなか目を合わせる事もできなかった。


「オレ、こんなに本気で好きになったの、アユちゃんが初めて」


 トモキがアユミを抱きしめながら、照れくさそうに呟くと、アユミが嬉しそうに微笑んだ。

 それから二人は何度もキスを交わした後、幸せそうに寄り添って手を握り、朝まで眠った。

 目が覚めた時、大好きな人のいる初めての朝。

 少し気恥ずかしいような、なんとなくくすぐったいような……。


「おはよう、アユちゃん」

「おはよう、トモくん……」


 照れくさそうに見つめあった二人は、どちらからともなくおはようのキスをした。




 朝食を終えて、どれくらいの時間が経ったのだろう?

 リュウトは何杯目かのコーヒーを飲み干して、タバコに火をつけた。


「なぁ、トモ」


 相変わらず心ここにあらずの様子のトモキに、リュウトはしびれを切らして話し掛けた。

 しかしトモキは、やはりボーッとしている。


(マジでダメだ、コイツ……)


「おい、トモ!!」

「あっ……うん、そうだな」

「何がそうだな、なんだよ?」

「いや、なんだっけ?」


 リュウトは呆れてため息をつく。


「何があったかは、だいたい察しがついてるから聞くのもアホらしいが……。しかしオマエ……ひどいな……」

「えっ?!」

「大丈夫か、トモ。いくら好きな女とやったからって……その放心ぶりはねぇだろう?」

「えぇっ?!」


 トモキはあたふたと視線をさまよわせ、冷めきったコーヒーを飲んだ。


「……アイスコーヒー?」

「ちげーよ、バカ!!」


 リュウトは灰皿にタバコの灰を落として、呆れきった表情でため息をついた。


「トモもやるときはやるんだな」

「なんだよ、それ……」

「言い方変えるか?彼女とめでたく結ばれたんだな」

「まぁ……」

「死ななくて良かったじゃん。で?朝帰りの感想くらいは聞いてやるぞ?」

「…………幸せ過ぎて死にそうだ」

「出たよ、乙女的発言が……。良かったか?」

「そりゃ……本気で好きな子とは初めてだから。幸せ過ぎておかしくなりそうだった」

「そうか。そりゃ良かった」


 リュウトは灰皿の上でタバコをもみ消すと、苦笑いをしてため息をついた。


(本気の恋か……)


「リュウはさ……好きな子に会いたいとか、一緒にいたいとか……その子の事をもっと知りたいとかさ、思わないのか?」


 トモキの問い掛けに、リュウトはぼんやりと彼女の顔を思い浮かべた。


「どうかな……。本気で好きになる事なんて、まずねぇから。朝帰りもしょっちゅうだしな」

「ふーん……」

「オレの事はいいよ。どうせ、オマエみたいなまともな恋愛なんて、してねぇし。まぁ……大事にするんだな」

「うん……」

「ちゃんと、地に足つけてろよ」

「えっ?」

「本気の恋もいいけどな……。まわりが見えなくなるような……依存するだけの恋愛なら、やめとけ。最初は良くても、お互いにだんだんつらくなるだけだから」

「うん……」



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