親友とコンプレックス
スタジオで練習をした日から1週間が過ぎた。
あれから何事もなく、リュウトはいつも通りに仕事をこなし、ルリカに命じられてハルのお迎えに行ったり、相変わらずハルに熱烈なプロポーズをされたりしていた。
約束をしていた訳でもないので彼女と会うこともなかったが、前までしょっちゅう顔を出していたトモキも、最近は忙しいのか顔を見せていない。
(トモ、最近来ねぇな……。大方、彼女と盛り上がってんだろうけど……)
夕方になり、ルリカがハルを迎えに行っている間に、店にアキラがやって来た。
「よう」
「おう」
「予約してねぇけど、いける?カットとカラーして」
「いいぞ。今日はもう予約もないからな」
アキラをシャンプー台に案内して、リュウトは慣れた手付きでシャンプーを始める。
「あれからどうよ?」
「何が?トモなら来てないぞ」
「いや、トモじゃなくて、リュウだよ」
「オレ?」
アキラの言葉の意味がわからず、リュウトは首をかしげる。
「この間さ……スタジオ行ったじゃん。あん時、リュウの様子がいつもと違ったから」
「えっ?!オレは普通だぞ?」
「そうか?リュウ、気付いてないんだな」
リュウトはシャワーからお湯を出して、シャンプーを流した。
「なんだそれ……。自分の事くらいわかってるつもりだぞ?」
「リュウは素直じゃないから。いつもならトモが気付くとこなんだろうけどさ、今アイツ、彼女でいっぱいになってるじゃん」
「トモはまぁ、そうだけど……。オレの事に関しては、まったくわからん」
アキラをカット台に座らせ、いつものようにカットを始めると、アキラは鏡越しにリュウトの顔を見ていた。
「なんだよ?」
「いやいや……。リュウさぁ、好きな女でもできたのか?」
「はぁっ?!」
アキラの言葉に驚いたリュウトは、慌てて櫛を床に落としてしまった。
「やっぱりか……」
「なんだよそれ?」
「オレだって、リュウとは付き合いなげぇからな。わかるんだよ。で、相手は?」
「んなわけねぇだろ。オマエ……余計な事言うと坊主にするぞ……」
リュウトが低く呟くと、アキラは身震いする。
「すみませんでした……。お願いだから坊主はやめて下さい……」
「わかればよし」
リュウトが手際よくアキラの髪を切っていると、ルリカとハルが帰宅した。
「ただいまー」
「とーちゃんただいま!!」
「おかえり」
「おかえりなさい」
「アキラ来てたんだ。いらっしゃい」
「あっ、アキちゃん。こんにちは」
ハルがペコリと頭を下げると、アキラはハルに笑いかけた。
「ハル、今日もかわいいなぁ。オレのお嫁さんになる?」
「ハルはとーちゃんと結婚するの」
「リュウよりオレの方が優しいけどなぁ……」
「だっせぇ。2歳児にフラれてやんの」
「アキラにはハルはやらん」
「ルリカさん厳しい……」
「リュウト、もう少ししたら店閉めといて。ハル、行くよ」
「はぁい。バイバイ、アキちゃん」
ハルが手を振ると、アキラは嬉しそうに手を振り返した。
「オマエ、子供好きだよな」
「かわいいじゃん。ハルは赤ちゃんの時から見てるから、余計にかわいい」
「オヤジみたいだな」
「オレも早く子供欲しいなー」
「そうか?オレはハルの子守りでじゅうぶんだな」
他愛もない話をしながらカットを済ませ、カラーを終える頃には、外はすっかり暗くなっていた。
店の片付けを終えたリュウトが、アキラに声を掛ける。
「飯でも行くか?」
「軽く飲もうぜ」
「いいな。いつもの居酒屋行くか」
居酒屋に着いていくつかの料理と生ビールを注文すると、二人はタバコに火をつけた。
運ばれてきた生ビールで乾杯して、ジョッキのビールを勢いよく喉に流し込む。
「やっぱジョッキで飲むビールはうまいな。ここ、久し振りだ」
そう言ってアキラはおいしそうにビールを飲んでいる。
「そうか。オレは少し前に来たな」
リュウトが呟くと、アキラはジョッキを置いてタバコに口をつけた。
「誰と?」
「……友達と」
「友達?」
「そう、友達」
友達、と念を押しながら、リュウトは彼女と一緒にこの店に来た事を思い出す。
(一緒に酒飲んで……飯食って……どうでもいい話をして……家まで送って……)
そして帰り道で転びそうになった彼女の腕を掴んで引き寄せた事を思い出したリュウトは、慌ててジョッキのビールを煽った。
「なぁ、リュウ。なんでも溜め込むの、オマエの悪い癖だぞ」
「なんの事だ?」
「さっきも言ったじゃん。好きな女でもできたのかって。オレ、リュウのそういうの、なんとなくわかるんだよ」
「……そんなんじゃねぇから」
リュウトはボソリと呟いて、タバコに口をつけると、ため息混じりに煙を吐き出した。
「ほら、それな」
「え?」
アキラは運ばれてきた料理に箸をつける。
「オレらみたいなモンしかわからねぇ事ってあるじゃん。いくら仲良くても、トモには言えない事とか、いろいろあんだろ?」
「どうかな……」
「オレにだって、聞くくらいはできるぞ?」
リュウトはしばらく黙って料理を口に運んでいたが、ジョッキのビールを勢いよく飲み干しておかわりを注文した。
ビールのおかわりが運ばれて来ると、リュウトは手元を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……気になるヤツがいる」
アキラはいつもと様子の違うリュウトを見て、やっぱりと言うような顔をした。
「気になるんだ」
「ああ……。でも、そいつ、男いるから」
「そうか……。ここに一緒に来た『友達』か?」
「そう。小学校の同級生なんだよ。偶然、うちの店に来てな……。中学から別の学校行って、6年間寮に入ってたんだってさ」
「じゃあ、その子は中学時代のリュウを知らないんだ」
「ああ……。だからなのか……一緒にいると、すげぇラクだし、癒やされるって言うか……」
「ふーん……。どんな子なんだ?」
「普通の大学生だな。オレみたいな男には縁が無さそうな、真面目な子だよ。小学校の先生になりたいんだってさ」
リュウトは他人事のようにそう言って、ため息をついた。
「好きだって言えばいいじゃん」
「そんなんじゃねぇよ……」
「無理すんなって。もしかして……まだあの事、引きずってんのか?」
リュウトはアキラの言葉を聞いて、静かに首を横に振る。
「引きずってるわけじゃねぇけどな。あんな女には、なんの未練もねぇし。ただ……もう誰かを好きになんかならないって……そう思うだけだ」
「引きずってんじゃん。リュウ、傷付くのが怖いんだろ」
「傷付くのが怖いわけじゃねぇけどな……。今は逆に……アイツを傷付けたくないだけだ。アイツには優しい彼氏がいてさ……幸せそうにしてるんだから、それでいいんだ」
「でも、気になるんだろ?」
「他の男がいるのわかってんのに、今頃どうしてんのかなとか……会いたいとか……彼氏の前ではどんな顔するんだろうとか思うなんてさ……情けねぇだろ?」
「そうか?好きなら思って当然だろ?」
「オレの柄でもねぇ……。だからもう、いいんだよ。アイツには何も言うつもりもねぇし」
「リュウ、その子に惚れてんだな」
「そんなんじゃねぇって……」
それから二人は、静かにジョッキを傾け、料理を口に運んだ。
リュウトはハッキリと『好きだ』とは言わないが、リュウトがどれ程彼女を想っているかが伝わって、アキラはもう何も言えなかった。
「少しはスッキリしたか?」
「さあなぁ……。元々、悩んでねぇし。オレみたいなヤンキー上がりには似合わねぇよ。オレがトモみたいなマトモな好青年なら、考えたかも知れねぇけどな」
リュウトが自嘲気味に笑うのを見て、アキラは心の中で呟いた。
(一番の親友のトモが、リュウの最大のコンプレックスなんだよな……)
「ラッコ、かわいかったね」
「うん。かわいいのに、すごくいっぱい食べるんだって。ビックリだね」
「人だけじゃなくて、動物にも見かけによらないのがいるんだなぁ」
トモキとアユミは、二人で水族館に来ていた。
しっかりと手を繋ぎ、楽しそうに笑いながら、たくさんの魚や海の動物たちを見て歩く。
巨大水槽の前に並んで立ち、水槽の中を泳ぐ魚たちの姿に夢中になっているアユミの笑顔を見て、トモキは幸せそうに微笑んだ。
(アユちゃん、すごく楽しそうだ……。良かった……)
イルカショーを楽しんだ後、トモキはそろそろ昼食を取ろうと、レストランの場所を確認するために館内のガイドマップを見た。
「そろそろお腹空いた?」
アユミがトモキを見上げるようにして尋ねる。
「うん。フードコートがあるみたいだよ。ハンバーガーとかラーメンとかお好み焼きとか、いろいろあるな……アユちゃん何食べたい?」
「お弁当はどう?」
「ん?弁当屋はないみたいだよ?」
「あるよ」
「えっ、どこに?」
トモキはガイドマップに目を凝らし、弁当屋を探す。
「ここに」
アユミがニコッと笑って、自分を指さした。
それから二人は、広場のテーブルの上にアユミの手作りのお弁当を広げて、昼食を取る事にした。
(彼女の手作り弁当って憧れてたんだよな……。それもアユちゃんが作ってくれるなんて……!!)
お弁当箱の中には、おにぎりや卵焼き、タコさんウインナー、ハンバーグ、パプリカやブロッコリー、ニンジンなど彩りの鮮やかな温野菜をマヨネーズで和えたサラダが詰められていた。
「うわ……すっげぇうまそう!!」
「あんまり期待しすぎないで……。ハードル上がっちゃうから……」
「ね、食べてもいい?」
「どうぞ、召し上がれ」
「いただきます!!」
トモキが嬉しそうに笑って、ハンバーグを口に運ぶ。
「どうかな……?」
「めちゃくちゃうまい!!」
「良かった」
緊張の面持ちでトモキの顔をじっと見ていたアユミが、ホッとした様子で微笑んだ。
「アユちゃん、料理得意なんだ」
「そんな事ないよ。節約のために自炊はしてるけど、料理し始めたのも大学に入って一人暮らし始めてからだし……。図書館で料理の本借りて来て、勉強したりしてる」
「家庭的……」
「そんなんじゃないよ。家賃と学費は親に出してもらってるから、生活費くらいはできるだけ自分で、って思って」
「そうなんだ」
(しっかりしてんだな……。オレ、そんな事、今まで考えた事もなかった……)
トモキが少し黙ったのを見て、アユミはわざといつもりより明るく笑って、トモキにおにぎりを差し出した。
「トモくん、おにぎり食べて。梅と昆布と鮭、どれが好き?」
「あ……鮭がいいな」
アユミの作ったお弁当を食べながら、トモキは自分はまだアユミの事をよく知らないと気付いた。
今までトモキは、アユミの事を好きだと想う気持ちで頭がいっぱいで、あまり深く考えた事がなかった。
子供の頃の話や、自分と出逢う前の事、将来の夢、そして、自分の事をどんな風に想っているのか……。
あまり自分自身の事を多くは語らないアユミの事を、もっと知りたい。
そしてアユミにも、もっと自分の事を知りたいと思って欲しいし、知って欲しい。
トモキはふと、リュウトがいつか言っていた言葉を思い出す。
『知らなくてもいい事とか、知らない方がいい事もあると思うんだ。だから、知りたいとは思わないし、知ろうとしない』
好きな女の子の事を知りたいとか、一緒にいたいと思う事は、子供じみているだろうか?
自分よりも数段大人びているリュウトは、こんな風に誰かを想ったりはしないのだろうか?
(でも、オレはやっぱり……リュウみたいに大人にはなれない……。最初はオレの片想いで、見てるだけで幸せだったけど……付き合い始めてからは、もっと話したいとか会いたいって思うし……今はもっと一緒にいたいし、もっとアユちゃんの事を知りたい……。オレ、どんどん欲張りになってきてる……)
夕方になり、水族館を堪能した二人は、外に出て海辺を散歩する事にした。
「水族館、すごく楽しかった」
「オレも」
手を繋ぎ、海沿いの遊歩道をゆっくり歩いた。
(一緒にいると、時間経つのが早いな……)
暮れていく空と夕陽に照らされた海を眺めながら、トモキは繋いだ手に力を込める。
「どうしたの?」
「ん?」
「トモくん、急に黙っちゃったから」
「ああ……うん……。なんか、一緒にいると時間経つのが早いなーって」
「そうだね」
しばらく歩いたところで、二人は並んで遊歩道のベンチに座り、海を眺めながら他愛もない話をした。
「オレ、アユちゃんといるとホントに幸せ」
「嬉しいな……」
トモキはアユミの肩を抱き寄せ、愛しそうにアユミの髪を撫でた。
(幸せだな……)
しばらく二人で肩を寄せ合って海を眺めた。
空との境目がぼやけ始めた遠くの水平線を、トモキは黙って見つめている。
陽が暮れて、時折肌を撫でる海風が冷たくなって来た頃、トモキは少し冷えたアユミの唇に、優しくキスをした。
そっと唇を離すと、ゆっくりとアユミがまぶたを開き、少し恥ずかしそうに目を伏せた。
トモキはアユミの手を握り、優しく笑う。
「冷えて来たし、そろそろ行こうか」
「うん……」
そしてまた二人は手を繋ぎ、駅に向かって歩き始めた。
トモキが指を絡めて手を繋ぎ直すと、アユミは照れくさそうに笑った。
電車を降りて、そろそろどこかで夕食を取ろうと言う流れになった。
美味しいお弁当のお礼に、夕食はトモキがご馳走すると言うと、アユミは遠慮して『自分で払うから』と言った。
「だって、お互いまだ学生だから。会う度にご馳走になってたら、気が引けちゃう」
トモキはアユミの何気ない気遣いが嬉しいと思う反面、なんだか自分が頼りない気がした。
(こんな時、オレがリュウみたいに社会人だったらまた違うのかなぁ……。早く安心して頼ってもらえるようになりたい……)
「じゃあ……夕食、どうしようかな……」
「トモくん、何食べたい?」
「なんだろう?特にこれと言って……」
「じゃあ……シチュー、好き?」
「うん」
突然のアユミの問い掛けにトモキが不思議に思っていると、アユミがためらいがちに呟いた。
「昨日ね……シチュー、たくさん作ったの。良かったら……うちで、一緒に食べる?」
一瞬、アユミの言葉の意味がわからなくて、トモキは呆然としていた。
「え?」
「あの……トモくんが嫌なら、どこかのお店で食べてもいいんだけど……」
「あっ……、全然嫌じゃない!!」
「ホント?」
「うん、むしろ嬉しい!!」
「じゃあ……行こ?」
二人でアユミのマンションへ向かって歩いている間、トモキは急にドキドキし始めた。
(部屋で一瞬に食事するって……二人っきりになるけど……いいのかな……?)
アユミから傘を借りた日に、衝動的にアユミを抱き寄せてキスした事を思い出すと、本当にこのまま部屋で二人っきりになってもいいものかとトモキは考えた。
あの時は『まだ心の準備ができてない』とアユミに言われ、我に返って思いとどまった。
でも、アユミの方からトモキを部屋に招いたと言う事は、アユミにもそれなりの覚悟ができていると言う事なのだろうか?
それとも、単純に一緒に食事をするだけのつもりなのか?
もしまた暴走して、アユミを押し倒してしまったら……。
(ヤバイ……。オレ、止められるかな……?)
「あっ……」
マンションの下に着いた時、アユミが小さく声をあげた。
「どうかした?」
(やっぱり、オレと二人っきりになる事に、身の危険感じたとか……?)
「パン、もうないの忘れてたの。買って来なきゃ……」
「オレ行ってくるよ。今日は歩き回ったから、疲れてるだろ?」
「いいの?」
「いいよ。ご馳走になるから。一番近いコンビニ、どこ?」
「この道を渡って左に曲がってまっすぐのところ。ここから5分もかからないと思う」
「うん、わかった」
トモキは教えられた通りの道を歩き、コンビニへ向かった。
コンビニに着くと、食パンの他にも何かデザートをと思い、種類の豊富なコンビニスイーツの中から、生クリームの乗ったプリンとティラミスを選び買い物かごに入れた。
レジに向かいかけて、トモキは立ち止まる。
(用意……しといた方がいい……?)
しばらくお菓子のコーナーで商品を選ぶふりをしながら、トモキはぐるぐると思い悩む。
(いや、でも……用意周到過ぎると、『それが目当てだったの?!』的な……?でも、なかったらなかったで……困るよな?いい雰囲気になってから、ないからやっぱダメとか……。逆になくてもいいって言われても、お互いまだ学生だし、後々困った事になってもな……)
悶々としながら、陳列棚に並んだチョコレートやガムを、適当に買い物かごに放り込んだ。
しばらく考え込んだ後、トモキは決断した。
(どっちにしろ、それが今日じゃなくたって、いつかは要る!!……多分、そのはず……。よし、思い切って、今、買ってしまおう!!)
そして、買い物かごを見てギョッとした。
(オレはどんだけ菓子を食うんだ?!)
無意識のうちに放り込んだたくさんのお菓子のうちのいくつかをかごに残し、その他の商品をさりげなく陳列棚に戻した。
(はぁ……。オレ、かっこわりぃ……。リュウと違って、こういうところがガキなんだよな……)
そして、シャンプーや化粧品などのそばに並べられたソレを思い切ってカゴに入れると、平静を装ってレジを済ませ、足早に店を後にした。
(き……緊張した……)
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