キスの余韻と恋の病
「はぁ……」
トモキが、今日何度目かのため息をついた。
リュウトはアイスコーヒーを飲みながら、黙って横目でトモキを見ていた。
「……はぁ……」
トモキは頬杖をついて、どこか遠い目をしている。
向かいの席でリュウトがジーッと見ている事に気付きもしないで、トモキはまたため息をついた。
「はぁ……」
(またかよ……)
リュウトの仕事が終わる頃、トモキがやって来て、一緒に食事をする事になった。
いつものファミレスに行って席に着くなり、トモキはため息をついた。
トモキはぼんやりと何かを考えている様子で、上の空でメニューをめくっては、時折ため息をつく。
何か悩みでもあるのかとリュウトは思ったが、トモキの顔を見る限り、そういう訳ではなさそうだ。
とりあえず料理を注文して、ドリンクバーでアイスコーヒーをグラスに入れて戻って来ると、トモキはまたため息をついた。
そして、いつもは入れないガムシロップを、大量に入れた。
(なんだ……?)
リュウトは訝しげにトモキの顔を見た。
「……はぁ……」
「あーっ、もう!!さっきからなんだよ!!」
ついにしびれを切らしたリュウトが、トモキの額を指で
「えっ……何が?」
「無意識か!!」
リュウトは少しイラついた手つきで、タバコに火をつけた。
「さっきから何度ため息ついたと思う?オレが数えただけでも15回だ!!」
「えっ……?!」
(なんだコイツ?!)
心ここに在らずと言った様子のトモキは、リュウトの指摘に驚いている。
「なんだよ、今日はため息大会なのか?!オレも一緒になってため息をつけばいいのか?!」
「いや……そんなつもりじゃないんだけど……」
「じゃあなんだよ?!」
「うん……」
視線を泳がせるトモキ様子を見て、リュウトはピンときた。
「なんだ……女か……」
「えっ……」
図星を指されたトモキは、急にあたふたと落ち着かない様子で、慌ててストローに口をつけてアイスコーヒーを飲み込む。
「あっま……。なんだコレ?!」
「テメェが入れたんだろうが!!」
「オレが?!」
「そうだよ!!」
(ダメだコイツ……)
今度は呆れたリュウトが大きなため息をつく。
「彼女となんかあったのか?」
「えっ……いや……」
「あったな」
リュウトはタバコを灰皿の上でもみ消すと、ニヤニヤしながらトモキの顔を見た。
「やったか」
「えっ?!」
「彼女とだよ」
リュウトの言葉に慌てふためいたトモキは、全力で首を横に振る。
「何言ってんだよ!!まだ付き合い出したとこだから!そこまではいってない!!」
「じゃあ……キスか」
「……!!」
トモキがまた視線を泳がせるのを見て、リュウトはニヤリと笑う。
「キスだな」
「いや……キスって言っても……おでこだし」
「はぁ?!」
いちいち付き合いたての中学生のような反応をするトモキに、リュウトは思わずため息をついた。
「オマエさ……いくつだよ?!」
「ん?二十歳だけど」
「知ってるっつーの!!オレが言いたいのはだなぁ……」
しゃべる気力もなくなって、リュウトはまたため息をついてアイスコーヒーを飲む。
「アホらし……。やめた」
「なんだよ?!」
「つまりトモは、彼女とラブラブで幸せだって言いたいんだな」
「はぁ?!言ってねぇし!!」
「いや……。言葉にしなくても、オマエのその緩みきった顔を見てたらまるわかりだ」
「なんだよ、ソレ?!」
「実際、そうなんだろ?」
「ラブラブって言うか……」
トモキはリュウトから視線をそらし、アイスコーヒーを飲む。
「あっま……。ダメだ、入れ直してくる」
トモキがアイスコーヒーを入れ直して戻って来ると、注文していた料理がちょうど運ばれてきた。
「なぁ、リュウ……」
トモキは箸を持つ手元に視線を落としたまま、リュウトに話し掛ける。
「なんだ?」
「オレ……ヤバイかも……」
「は?何が?」
リュウトはカツを口に運びながら答える。
「彼女の事が……好き過ぎて死にそうだ……」
「……っ!!」
トモキの言葉にリュウトはむせて咳き込んだ。
「はぁっ?!」
「昨日、彼女と初めてデートしたんだけど……すっげぇドキドキしてさ……。彼女がめちゃくちゃかわいくて……オレもう……ヤバイ……」
「何がヤバイんだよ」
「好き過ぎて……幸せ過ぎて、死にそう……」
「……とにかくヤバイんだな……」
「こんな気持ちになったの、初めてだ……」
「ふーん」
リュウトは呆れ果てて適当に返事をすると、もう何も言うまいと箸を進める。
(付き合いきれん……。さっさと食って早いとこ帰ろう)
「何してても彼女の事で頭がいっぱいでさ……なんかこう……胸がいっぱいって言うか……食べ物が喉を通らないって言うか……」
「ふーん……って、オマエはダイエット中の恋する乙女か?!いらねぇなら、オレ食うぞ」
「ああ……」
大好物の海老フライをリュウトに取られても、トモキは何も言わずぼんやりしている。
(……マジでダメだコイツ……重症だな……)
「オマエさぁ……今からそんなんで、大丈夫なのか?」
「え?何が?」
「付き合ってたらさ……そのうち、するだろ」
「えぇっ!!」
真っ赤になって慌てるトモキを見て、リュウトはため息をついた。
「なんだよ、その反応は……。ガキじゃねぇんだし、付き合ってるって事は、そのうち彼女と、するんだろ?そのつもりだよな?」
「……まぁ……いずれは……?」
「トモ……死ぬなよ。いや……死んでも本望か?」
「なんだよソレ?!」
トモキはやっと、皿の上の冷めきった料理に箸をつけた。
「ああっ、海老フライがない!!」
「オマエ……バカだろ……?」
数日後。
リュウトはまたいつものように、ルリカにハルのお迎えを命じられ、保育所からハルの手を引いて帰宅した。
家の前まで来ると、ハルが、繋いでいたリュウトの手を引っ張る。
「とーちゃん、だっこ」
「は?なんでだよ。もう着いたじゃん」
「だっこー!!とーちゃんだっこしてー!!」
「なんだよ……。甘えただなぁ、ハルは……」
仕方なく抱き上げてやると、ハルは嬉しそうにリュウトに抱きつく。
「ハル、とーちゃんだーい好き!!」
「ハイハイ」
「ハル、おっきくなったら、とーちゃんと結婚する!!」
「ハイハイ……」
(日課なのか?もう聞き飽きたって……)
無邪気なハルのプロポーズに適当な返事をしていると、ハルがリュウトの顔を覗き込む。
「ハイは1回でしょ」
「オマエは……」
ルリカと同じ事を言うハルに、リュウトはガックリと肩を落とす。
「もう、だっこおしまい」
下に下ろすと、ハルはリュウトの足にしがみついてイヤイヤと首を横に振る。
「やーだー!!」
「やだじゃない。オレまだ仕事あるし」
「まだとーちゃんのだっこがいいもん!!」
「わがまま言わないの」
「じゃあ、もう1回だけ!」
「しょうがねぇなぁ……」
リュウトはやれやれと苦笑いをしながら、ハルを抱き上げる。
「とーちゃん、ギューは?」
「オマエなぁ……」
「ギューは?」
「ハイハイ……」
(しょうがねぇなぁ、ハルは……)
リュウトがギューッと抱きしめてやると、ハルは嬉しそうに笑う。
「とーちゃんだーい好き!!ハルがおっきくなったら、絶対結婚しようね!!」
(もういいって……)
「ハルがおっきくなる頃には、オレもうオッサンだぞ?もっとイイ男見つけろよ」
「とーちゃんはオッサンじゃないもん!!」
「今はな……」
「ハルはずーっと、ずーっと、とーちゃんだーい好きだよ」
「そりゃどうも」
(こんなにオレの事を好きだって言うの、後にも先にもハルだけだろうなぁ。……結婚はできないけど……)
「とーちゃん、ちゅーは?」
「するか!!」
家の前でハルとそんなやり取りをしていると、後ろでクスクス笑う声がした。
(なんか……笑われてる?)
リュウトが振り返ると、おかしそうに笑う彼女がそこにいた。
(あ……酒井……)
その瞬間、ハルがリュウトの頬に小さな唇でキスをした。
「あっ!!オイ、ハル!!」
「やったー!!ハル、とーちゃんと結婚の約束したー!!」
「なんだそりゃ?!もう、だっこおしまい!!」
(キスが結婚の約束って……。誰がそんな事を教えるんだ?!)
こんなところを彼女に見られて、リュウトは無性に恥ずかしくなる。
ハルを下に下ろすと、リュウトは彼女に向かって軽く右手をあげた。
「よぅ」
「やっぱり、相思相愛」
「マジで勘弁してくれよ、もう……」
「結婚式には招待してね?」
「だから……。もういいや……」
リュウトがため息をついて頭をかくと、ハルがリュウトの手を引っ張る。
「ねー、とーちゃん。この人だあれ?」
「あー……友達だ」
(めんどくせぇなぁ、もう……)
ハルがまた何かを言い出す前に、リュウトはハルに家の中に入るよう促した。
「ほら、ママが待ってるぞ」
「はぁい」
ハルが返事をして家の中に入ると、リュウトは彼女の方を見た。
「カード、作っといた。どうせヒマだから、コーヒーでも飲んでけよ」
「うん、ありがとう」
店の中に入ると、ルリカが驚いたようにリュウトを見た。
「お客さん?」
「小学校の同級生。この間来てくれた時に、カード渡し忘れたから」
彼女はルリカに頭を下げる。
「そうなんだ。ハルは?」
「家の中に入った」
「じゃあ、あと頼むわ。今日はもう予約も入ってないし、もう少ししたら閉めて」
「わかった」
「じゃあ、ごゆっくり」
ニヤニヤしながら裏へ下がるルリカを見て、リュウトはため息をつく。
(絶対、なんか変な誤解してるだろ……)
リュウトは忘れないうちにと、スタンプカードを彼女に渡した。
そして、イスに座るように彼女に言って、カップに注いだコーヒーを渡す。
「ハルちゃん、かわいいね」
「ませてるだろ?」
「ふふ……。でも、かわいい。ホントに宮原くんの事が大好きなんだね」
「父親がわりみたいなもんだからな」
「確かに、ちょっとパパっぽかったかな」
コーヒーを飲みながら、他愛ない話をする。
(はぁ……。なんか、コイツといると、すげぇラクって言うか……癒やされる……)
「この後、時間あるのか?」
「ん?大丈夫だけど……」
「飯でも行く?」
「うん」
「じゃあ、そろそろ店閉めるから、片付け終わるまで少し待っててくれるか」
「いいよ」
リュウトはルリカに言われた通り店を閉め、片付けを終えて彼女と外に出た。
「すぐ近所に居酒屋あるんだ。少しくらい、飲めんだろ?」
「少しなら」
「よし、じゃあ行くか」
リュウトは彼女と並んで歩く。
「オマエ、ちっちぇーな。背、いくつだよ?」
「151センチ」
「伸びなかったか」
「うん。中2から伸びてない」
「小学校の時と、あんまり変わんねぇな」
「それ言わないで。背は伸びなくても、ちゃんと成人したんだからね」
そんな話をしているうちに居酒屋に着いた二人は、店の奥の壁際の席に通された。
「何飲む?やっぱ甘いやつか?」
「うん、甘いのしか飲めない」
「カシスオレンジくらいにしとくか」
「うん、そうする」
リュウトは店員を呼んで、カシスオレンジとビール、それからいくつかの料理を注文した。
注文したお酒が運ばれて来ると、二人で乾杯をしてグラスを傾ける。
「はぁ……。仕事の後のビールはやっぱうまいな……」
「宮原くん、大人……って言うか、ちょっとオジサンっぽいよ」
彼女はおかしそうに笑う。
「そうか?まぁ……実際、叔父さんだからな」
「ハルちゃんの?」
「そう」
お酒を飲みながら、運ばれてきた料理を口に運び、他愛ない話で盛り上がる。
「酒井は大学生なんだろ?」
「そうだよ」
「なんの勉強してんだ?」
「小学校の先生になりたいなーって」
「へぇ、すげぇな。向いてそうじゃん」
「どうかな……?6年生の時の担任の……」
「
「そう。山崎先生みたいな先生になりたいなぁって思って」
「そうなんだ、確かにイイ先生だったな」
「宮原くんは?やっぱり、お母さんやお姉さんの影響で美容師になったの?」
「そんなとこだな」
(うちで生きてくには、それ以外に選択肢がなくてな……)
「いいなぁ……美容師。憧れちゃう」
「なんで?」
「なんとなく……」
「なんだソレ」
リュウトは笑いながらタバコに火をつける。
「宮原くん、すっかり大人だねぇ」
「あ?」
「私のまわり、タバコ吸う人って、あまりいないから」
「そうか……」
(彼氏……とか……タバコ吸わないのか……)
リュウトがそんな事をなにげなく考えていると、彼女の鞄の中でスマホがなった。
「鳴ってんぞ」
「あ、ホントだ」
彼女はスマホの画面を見て、小さく微笑んだ。
「彼氏か?」
「あっ、うん……」
(やっぱ……いるんだな……)
「メール?」
「そう」
「返事、しなくていいのか?遠慮すんな」
「うん……じゃあ……」
彼女は手短にメールを打って送信する。
すると、程なくしてまた受信音が鳴った。
彼女はメールを確認すると、スマホを鞄の中にしまった。
「いいのか?」
「うん。友達と食事してるって送ったから。帰ったら電話してって」
「そうか」
(まぁ……友達……だしな……)
彼女に『友達』と呼ばれて嬉しいような、なのになんとなく寂しいような……。
そんな不可解な感情がリュウトの中に湧き上がった。
(なんだコレ……)
リュウトはビールを煽るように飲み干すと、小さく苦笑いを浮かべた。
(『男友達』のオレと一緒じゃ『彼氏』も不安だろ……。コイツを……早く『彼氏』に返してやらねぇとな……)
「そろそろ帰るか。彼氏、待ってんだろ?」
「うん」
リュウトがレジで会計を済ませて店の外に出ると、彼女は鞄の中から財布を出した。
「いくら?半分払うよ」
「いや、オレは一応、社会人だしな。勤労学生に払わせんのもアレだし……今日はオレが誘ったから奢っとくわ。そんかわり、またうちの店に来いよな」
「常連になるくらい?」
「おう」
「じゃあ、お言葉に甘えて……ご馳走さま」
「素直でよろしい」
リュウトの言葉に、彼女はおかしそうに笑う。
「遅くなったし、送ってくわ」
「ありがとう」
二人で並んで歩いていると、リュウトは彼女の足取りが少しふらついている事に気付いた。
「オマエ、酔ってんのか?」
「そんな事はないと思うけど……。あ、でもやっぱり少し、足元がふわふわするかも」
「酒よえーな」
「あんまり飲む機会ないから」
「そうなのか?そこ、段差あるぞ。気を付けろよ」
リュウトが言ったそばから、彼女は段差に足を取られて転びそうになる。
「危ねっ」
転ばないようにリュウトが彼女の腕を掴んで引き寄せると、小柄な彼女の体は、リュウトの腕の中にすっぽりと収まった。
(ちっちぇーな……)
「あ……ごめん……。もう、大丈夫……」
思いがけず抱きしめるような格好になった事に気付いたリュウトは、平静を装って彼女から手を離した。
「気を付けろよ……。怪我でもしたらどうすんだよ。オレ、責任取れねーぞ?彼氏に恨まれるしな」
「うん」
それからなんとなく、ぎこちなさを残して、リュウトは彼女をマンションまで送り届けた。
「またな」
「うん。ありがとう」
リュウトはさっさと彼女に背を向け、右手をあげた。
どういうわけか、腕に残る彼女の感触に、鼓動が早くなる。
キスをしたわけでも、抱いたわけでもない。
ただ一緒に食事をして、送り届けただけなのに……。
ほんの少し、腕を掴んで引き寄せただけだ。
それなのに、腕の中に残る彼女の体の小ささや手のひらに残る柔らかい感触が、リュウトの心を捕らえて離さない。
(なんだコレ……。ガキか、オレは?!)
家に着くまでの道のり、リュウトは不可解な自分の感情を打ち消そうと、何度も自分を戒めた。
(アイツには彼氏もいるし……オレの事なんて友達としか思ってないんだ……)
何度も心で同じ言葉をくり返すのに湧き上がる感情を、どうにか抑えてしまおうと、リュウトはそのすべてを否定した。
(第一、オレが誰かを好きになるなんて、あり得ない……)
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