『彼氏』と『彼女』
その日トモキは待ち合わせの駅前広場で、そわそわしながら彼女が来るのを待っていた。
(だいぶ早く着いちゃったな……)
待ち合わせ場所に着いてしばらく経った頃に腕時計を見ると、時刻はまだ待ち合わせの15分前を指していた。
(服とか……髪型とか……おかしくないかな……)
指で毛先をつまんだり、服のシワを伸ばしてみたり……。
そして、手で胸を押さえてため息をついた。
(初めてのデートだからって……オレ、どんだけ緊張してんだろう……)
バイト先で知り合った、最近付き合い始めたばかりの彼女。
この恋の始まりは、トモキの一目惚れに近かった。
実はトモキは、彼女が同じバイト先で働き始めた頃から思いきって告白するまで、1年以上も片想いをしていた。
それまで、女の子と付き合った経験がなかった訳じゃない。
むしろ、女の子から告白される事が多かったトモキは、中学生の頃から割と途切れる事なく彼女がいた。
ただ、『付き合っている』とか『彼女』とは言うものの、奥手なトモキはどういったタイミングで彼女に触れていいのかがわからず、いつまでも『仲の良い女友達』と同じレベルから進展しない事に業を煮やした彼女が、別の男を好きになって去って行くと言う事が何度かあった。
歴代の『彼女が好きになった別の男』の中には、高い頻度でリュウトがいた。
ヤンキー時代もその後も、見るからに男っぽいリュウトに、女の子は魅力を感じるのだろう。
女の子は俺様で強引な男にときめくのかも知れない、とは思っても、それは自分には全くない要素だった。
一番の親友だからと思い、彼女ができるとリュウトに紹介してきたものの、何度もその彼女の心をリュウトに奪われてきたトモキは、その度にどう頑張ってもリュウトには勝てない自分を情けなく思い、悔しい思いをしてきた。
もちろん、リュウトに悪気も非もない事は、トモキ自身が一番よくわかっていた。
でも、今度の彼女は絶対にリュウトに奪われたくない。
女の子の方から告白されて付き合った事はあっても、トモキが自分から告白して交際を申し込んだのは初めての経験だった。
だからこそ、今度の彼女には自分だけを見ていて欲しい。
リュウトだけじゃなく、他の誰にも彼女を取られたくない。
(彼女だけは、誰にも渡さない……)
待ち合わせ時間の5分前。
トモキが腕時計を見て、足元に視線を落とした時、小走りに近付いてくる人影を見つけた。
「お待たせ……」
彼女は控えめにそう言って微笑んだ。
(かっ……かわいい……)
「ごめんね。待った?」
「いや、オレもさっき来たとこだから」
初めてのデートに緊張し過ぎて随分早く着いてしまい、30分近くその場所に立っていたなんて事は、カッコ悪くて彼女には言えない。
「その服……似合うね」
トモキが照れくさそうに呟くと、彼女も照れくさそうに少し頬を染めて微笑んだ。
「ありがとう……」
お互いに照れて、向かい合ったままうつむいてしまう。
(ダメだダメだ……。こんなんじゃ、今までと同じだ……。ってか、今までよりひどいだろ……)
気を取り直して、トモキは顔を上げ、彼女の顔を見た。
「行こうか」
「うん……」
「まずは……昼飯かな……。何食べたい?」
「何がいいかな……。三好くんは?」
「そうだな……」
(ここはオレがリードしないとダメなところか……。何がいいかな……)
「少し先にカフェとかいろいろあるから……歩きながら考える?」
「うん、そうだね」
「じゃあ、行こう」
休日の人混みの中を、トモキと彼女は少しぎこちなく並んで歩く。
通り過ぎるカップルたちは、楽しそうに手を繋いだり、腕を組んだりしている。
(思いきって、手……繋ごうかな……。いや、でもいきなりって言うのもな……)
どうしようかと迷いながら、結局トモキは彼女の手を握る勇気がなくて、そのまま歩いた。
悶々としながら歩いていると、ちょっとお洒落な店構えのオムライス専門店を見つけて、トモキは彼女の方を見た。
「オムライス専門店だって。いろんなオムライスがあるんだ。オムライス、好き?」
「うん、好き」
「じゃあ、ここにしようか」
「うん」
二人で店内に入ると、店員に壁際のテーブルに案内され、向かい合って席に着いた。
(お……落ち着かない……)
彼女とはバイト先の仲間たちと一緒に食事に行ったりした事はあっても、二人きりで向かい合って座るのは初めてだ。
トモキはメニューに視線を落とし、すぐ目の前にいる彼女にドキドキ高鳴る胸を落ち着かせようと、彼女にはわからないように静かに深呼吸をした。
「いろいろあるな……。どれもうまそう」
「いろいろありすぎて迷っちゃうね。三好くんは何にするの?」
「オレは……あっ、これうまそう。ハッシュドビーフ添えだって。これにしようかな。
「うーん……。これにしようかな……。ツナとしめじのクリームソース」
トモキは店員を呼び、それぞれのオムライスのサラダとドリンクの付いたセットをオーダーした。
「お飲み物は何になさいますか?」
「オレはアイスコーヒーで。山代さんは?」
「私はアイスレモンティーでお願いします」
「かしこまりました」
店員がテーブルから離れると、トモキは向かいに座っている彼女を見た。
(ずっと片想いだったけど……今は、オレの彼女なんだよな……)
トモキの視線に気付いた彼女が、照れくさそうに笑って尋ねる。
「どうしたの?」
「あっ、いや……」
(君がオレの彼女になった事に深く感動してました!!……なんて言えるわけねぇ!!)
「あのさ……」
「うん」
「呼び方……なんだけど……」
「呼び方?」
「バイト先では今まで通りでいいんだけど……二人の時はさ……別の呼び方にしたいなって……」
トモキが照れくさそうにそう言うと、彼女は恥ずかしそうにうなずいた。
「うん……」
「なんて呼ぼうかな……。山代さん、
「アユミとか……アユとか……」
「じゃあ……アユ、ちゃん?」
「うん……。私は……三好くんの事、なんて呼べばいいかな……」
「オレはトモキだから……みんなトモって呼ぶけど……」
「じゃあ……トモ、くん?」
「ハ、ハイ……」
(わぁ、なんだコレ!!めちゃくちゃ照れくさい!!って……オレは中学生か!!)
二人が淡くて甘い空気に戸惑っていると、店員がドリンクを運んできた。
店員がテーブルから離れると、二人はまた照れくさそうに目を合わせた。
「じゃあ……改めてよろしく……アユちゃん……」
「こちらこそよろしくね……トモくん……」
お互いに真っ赤になりながら、慌ててストローに口を付けてドリンクを飲み込んだ。
顔を上げてアユミの方を見ると、アユミも同じようにトモキの方を見ている。
「なんか……照れちゃう……ね……」
「うん……」
(こんな些細な事でドキドキし過ぎだろ……。オレ……今日、心臓もつかな……?)
それからお互いの事やバイト先での事などを話しながらゆっくりと食事を楽しんだ二人は、この後どこに行こうかと相談した。
「行きたい店とか場所とか……ある?実はオレ、あんまりこういうの、慣れてない……」
「なんか、ちょっと意外かも……」
「えっ……」
(どういう意味?)
「三好くんモテるって、バイト先のみんなが言ってたから……」
「そんな事ないけどな……。みんな大袈裟……」
「あっ……」
「ん?」
「三好くん、じゃなくて……トモくん……だったね……」
「うん……」
(ああもう!!かわいすぎるだろ!!)
「徐々に慣れてこうよ、お互いに」
「うん」
「じゃあ……今日は、そこのモールでも行ってみる?なんか面白い店でも探そうよ」
「うん、楽しそう」
「そろそろ出ようか」
トモキが伝票を持って立ち上がると、アユミも慌てて立ち上がる。
レジでトモキが会計を済ませて外に出ると、アユミはトモキの服の裾を控えめに引っ張った。
「トモくん……あの……私、自分の分、払うよ?」
(今時珍しく控えめな子なんだな……)
「いや、ここはいいや。初めてのデートだし、オレが出しとくよ。でも……」
「ん?」
トモキは服の裾をつまんでいるアユミの手を、思いきってそっと握った。
「こうして、歩こう?」
「……うん……」
(めっちゃ緊張する……!!けど……う……嬉しい……!!)
お互いに真っ赤になりながら、二人は少しぎこちなく手を繋いで歩き出す。
「手、ちっさいな……アユちゃん……」
「そう……かな……。トモくんの手が、大きいんじゃない……?」
「そう……かな……」
相手の何気ない言葉や行動、握った手の柔らかさや温かさに、いちいちドキドキする。
(恋の始まりってこんな感じなのかな……。今まで付き合った子とは、こんな事なかった……)
初めて自分から告白して、交際を申し込み、付き合い始めた。
そして、初めて自分から手を伸ばしてその手に触れた。
「どうしよう……」
トモキが思わず声に出して呟くと、アユミは少し見上げるようにしてトモキの顔を見た。
「えっ……どうしたの?」
「いや……。なんでも……」
(ドキドキし過ぎてヤバイ!!幸せ過ぎておかしくなりそうだ!!……とか、言えねぇ!!)
その後も、いろんな店を見ながら手を繋いで歩いた。
ひと休みしようと入ったカフェでアイスコーヒーを飲みながら、トモキは照れながらも真剣な面持ちで、アユミの目を見て話した。
「お互いにさ……学校とかバイトとか、いろいろ忙しいけど……できるだけオレは、アユちゃんとたくさん一緒に過ごしたいな……って思う」
「うん……」
「今度さ……どこか行こうよ。遊園地とか、水族館とか……動物園とか……。どこがいいかな……」
「じゃあ……今すぐは決められないから、ゆっくり相談して、決めようね」
「そうしようか」
しばらくしてカフェを出た二人は、また手を繋いで他愛もないおしゃべりをしながら歩いた。
一人ならなんでもない事も、アユミと一緒だと嬉しくて楽しくて仕方がない。
見慣れたはずの街の景色さえ、アユミがそこにいるだけで鮮やかに色付いて、キラキラと輝いて見える。
(……人を好きになるって……こういう事なんだな……)
トモキは胸の奥が温かくなるのを感じながら、アユミの華奢な手を握る手に力を込めた。
「ん……?どうかした?」
「いや……その……幸せだなぁって……」
トモキが照れながらそう言うと、アユミも恥ずかしそうに頬を染めてうなずいた。
日が暮れて辺りが夕闇に染まり始めた。
トモキは腕時計をチラリと見て、ためらいがちにアユミに尋ねた。
「今日は、バイトだっけ?」
「ううん、休みだよ」
「じゃあ……もう少し遅くなっても、大丈夫?」
「うん」
「良かった……」
ホッとしたトモキは、心の声を思わず口に出して呟いた。
「えっ……」
「あっ……!」
(またやっちまった!!)
トモキは照れて前髪を指先でつまみながら、ポツリポツリと話す。
「まだもう少し……アユちゃんと一緒にいられるから……良かった……って……」
トモキの言葉を聞いて、アユミは嬉しそうに笑う。
「トモくんって……私が想像してた感じと、随分違うね」
「えぇっ……?!」
(どうしよう……アユちゃんもやっぱ、オレみたいな弱くて頼りない男より、リュウみたいなワイルドでカッコいい男がいいのか?!)
トモキが不安そうな声をあげると、アユミは慌てて補足をした。
「あの……悪い意味じゃないの……。こんな私が、トモくんみたいな人とちゃんと付き合えるのかなって、少し心配だったの……」
「えっ?!」
「トモくんモテるって聞いてたから、すごく女の子の扱いに慣れてたりしてとか……バイト先でのトモくんしか知らなかったし……。私、男の人と二人きりになるのとか、慣れてなくて……」
「そうなの?オレの実態にガッカリしたとかじゃなくて……?」
「うん……。むしろ、私が思ってよりずっと、トモくん優しくて……安心した……」
「なんだ……良かった……」
トモキがホッとした様子で呟くと、アユミがクスクス笑ってトモキを見上げた。
「実態って……。面白い事言うんだね」
「あ……」
(マジでかわいいっ……!!オレもう……どうすればいいんだぁっ!!)
ドキドキが激しくなって、トモキは思わず赤くなった顔を隠すように両手で顔を覆う。
「トモくん……?」
「ごめん……大丈夫……」
(オレ……カッコわりぃ……)
トモキはひとつ咳払いをして、アユミの手を握り直した。
「夕食……どこ行く?食べたいもの、ある?」
「何がいいかなぁ……。トモくんは?」
「じゃあ……歩きながら決めようか」
夕食を終えて、トモキはアユミをマンションまで送った。
トモキは別れるのが名残惜しくて、アユミの手をなかなか離せなかった。
「今日は、すごく楽しかった」
「オレもすごく楽しかった。アユちゃん……」
「ん……?」
少し首を傾げて見上げるアユミを、トモキは思わず抱き寄せる。
「え……」
驚いてトモキのシャツをギュッと握りしめたアユミを、トモキは強く抱きしめた。
「オレ……アユちゃんの事、すげぇ好き……」
「トモくん……」
トモキはドキドキしながら、アユミの額にそっと口付けた。
フワフワと浮き足立つような気持ちで家に帰り着いたトモキは、部屋に入るなりベッドにドサリと倒れ込み、先ほど腕の中に抱きしめたアユミの温もりを思い出していた。
(ちっちゃくて……柔らかくて……かわいかったな……アユちゃん……)
自分に似合わず、いきなりアユミを抱きしめて額にキスをした事を思い出すと、トモキは急に恥ずかしくなって足をバタつかせ、枕に顔をうずめた。
(幸せ過ぎて死にそうだ……)
始まったばかりのアユミとの恋は、トモキにとって初めての、本気の恋だった。
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