女友達と女性不信
数日後。
夕方、珍しく客足が途切れ、予約客もなかったので、ルリカがハルを迎えに出かけた。
リュウトがぼんやりとイスに座ってコーヒーを飲んでいると、店に一人の若い女性が入ってきた。
「すみません……予約してないんですけど、大丈夫ですか?」
「いらっしゃいませ……どうぞ」
初めての客を珍しく思いながら、リュウトはその女性客をシャンプー台に案内した。
シャンプーを終え、女性客の濡れた髪をタオルで拭いていると、ハルを抱きかかえたルリカが帰ってきた。
「おかえり。……ハル、どうかしたのか?」
「ちょっと熱があるみたいなんだよね。リュウト、あと頼むわ」
「それはいいけど……。ハル、大丈夫か?」
リュウトが頭を撫でてやると、ハルは少しつらそうにリュウトの顔を見た。
「後で行ってやるからな。ちゃんとママの言う事聞いて、大人しく寝てろよ」
「とーちゃん……ハル、プリンほしい……」
「わかったよ。後でな」
熱があってつらいはずなのに、リュウトにだけは甘えるハルを見て、ルリカは苦笑いする。
「ちゃっかりしてるわ。じゃあリュウト、あとよろしく」
「ああ」
ルリカがハルを連れて自宅に繋がるドアから裏に下がると、リュウトは慌てて女性客の元へ戻った。
「すみません」
髪をタオルで包んでカット台に案内して鏡を見ると、その女性客は鏡越しにリュウトの事をじっと見ている。
(ん……?なんだ?)
「あの……何か?」
「あっ、ごめんなさい。もしかして……宮原くん?」
見覚えのないその女性に、普段呼ばれ慣れない『宮原くん』と言う呼び方をされ、リュウトは驚いた。
(えーっと……誰だっけ?)
困ったように顔をしかめているリュウトを見て、女性客は微笑んだ。
「わからないよね……。最後に会ったの、小学校の卒業式の日だから……。私、4年から6年まで同じクラスで……放課後よく一緒に遊んだの。
リュウトは遠い日の記憶を手繰り寄せる。
(確かに……よく一緒に遊んでた友達がいたな)
髪を櫛で梳きながら、リュウトは鏡に映るその女性の顔をまじまじと見た。
「あ……もしかして、
「うん」
「いやー……全然わからなかった。久しぶりだな。確か、遠くの私立中学に行って寮に入ったって……」
「うん。中高一貫の女子校にね……。大学進学を機にこっちに戻ってきたの」
「そうか。で、今日はどうする?」
「あっ、そうだったね。後ろ、10㎝くらい切ってもらって……あとは宮原くんに任せるよ」
「大雑把だな……。まぁいいけど……」
リュウトは彼女の髪をブロック分けして櫛とハサミを動かす。
「宮原くん、美容師さんになったんだね」
「ここ、母親がやってる店なんだよ。姉貴も美容師だし」
「そうなんだね。あの……ところで宮原くん……」
「ん?何?」
「さっきの……奥さんと娘さん?」
「はあっ?」
リュウトは思いもよらない彼女の問い掛けに驚いて大声をあげた。
「勘弁してくれよ……。そんなわけねぇだろ……」
「違うの?さっき、あの子が『とーちゃん』って言ってたから、てっきり宮原くんの子供なんだと思って……」
(ほら見ろ!!知らないやつが見たら見事に誤解されてんじゃねぇか!)
「違うっつーの……。アレな、オレの姉貴と、その娘のハルってんだ。ハル、父親がいないうえに母親がめちゃくちゃ厳しいもんだから、オレに甘えてベッタリなんだよ」
「なんで『とーちゃん』?」
「リュウトの『ト』だけ取って『とーちゃん』なんだろ」
「ふーん、そうなんだ。宮原くん、ハルちゃんの事、かわいくて仕方ないでしょ」
「かわいいっちゃかわいいな。毎日プロポーズされてる」
「そうなんだ。相思相愛なんだね」
「勘弁してくれよ。ハル、まだ2歳だから」
ハサミを動かしながら、何年も会っていなかった子供の頃の同級生にそんな話をしている自分を、リュウトはふと不思議に思う。
中学から別の学校に進み遠くに住んでいた彼女は、中学時代に荒れていた自分を知らない。
まるで無邪気に遊んでいた子供の頃のように、自然に話し掛けてくる。
(昔の同級生に会ってこういう反応、めちゃくちゃ新鮮だな)
その後も髪を切ったりセットをしたりする間、二人で他愛もない会話をした。
セットが終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。
(なんかいつもより時間かかっちまった……)
いつものように髪を切りながら、なんでもない会話をしていただけなのに、時間が過ぎるのがあっと言う間だったような気がした。
「家、この近くなのか?」
「うん。そこのコンビニの少し先。ここからだと、歩いて15分くらいかな」
「なんだよ、結構かかんじゃん。この辺、最近物騒なんだよ。遅くなったし、送ってくか」
「え……そんなの悪いよ。それにお店もあるし忙しいでしょ?」
「いや、ちょうど閉店時間だし。それにほら、コンビニに行くから、そのついでに」
「コンビニって……」
「ハルのプリン。店のシャッターだけ下ろして行くから、ちょっと待ってな」
「うん、ありがとう」
リュウトはシャッターを下ろすと、店の片付けを後回しにして、彼女と一緒に外に出た。
リュウトの自宅から5分程の場所にあるコンビニを通り過ぎ、その先にあると言う彼女の住むマンションに向かって、二人で並んで歩いた。
「宮原くん、背高いね。どれくらいあるの?」
「180くらい」
「小学校の頃はそんなに大きい方じゃなかったよね」
「そうだったかな……。中1の秋から中3の春にかけて177くらいまで一気に伸びて、その後も18くらいまでジワジワ伸び続けて、気が付けばいつの間にか180」
「そうなんだね。私は中高6年間女子校だったから、急に男子の背が伸びたりとか、そういうの見られなかった。私もみんなと同じ中学に行きたかったなぁ」
「そうか……?思春期の男なんて、ろくなもんじゃねーぞ?」
もし同じ中学に通っていたら、荒んでいく自分を見た彼女もきっと、他の友人たちと同じように距離を置いたのだろうとリュウトは思う。
彼女には、自分の荒れていた過去を何も知らないままでいて欲しい。
今まで誰に対してもそんなふうに思った事はなかったのに、リュウトは偶然再会した昔の同級生に対してそう思った事を、不思議に思った。
「わざわざ送ってくれてありがとう」
「ああ……」
(もう着いたのか……。思ってたより近かったな……)
「宮原くんのお母さんの店だって知らずに偶然寄ったんだけど……まさか宮原くんに髪切ってもらえるなんて」
彼女は嬉しそうに笑って髪に触れた。
「美容師だからな。いつでも切ってやるから、また来いよ。……あっ」
「どうかしたの?」
「悪い……。スタンプカード、渡すの忘れてた。作って店に置いとくから、近くまで来るついでがあったら寄ってくれよ」
「うん、そうする」
なんとなくこのまま別れるのが惜しいような気がして、リュウトは柄にもない事を考えている自分に気づいた途端、無性に照れくさくなり、思わず首の後ろを押さえた。
(なんだ……オレらしくもない……)
「じゃあ、またな」
「うん。ありがとう、またね」
リュウトが軽く右手をあげて帰ろうとすると、彼女も微笑みながら小さく手を振った。
数歩進んだところで、リュウトは足を止めて振り返る。
「……今度、飯でも食いに行かないか」
突然のリュウトの言葉に少し驚いた様子だった彼女が、笑ってうなずいた。
「じゃあ、カードの事もあるし、近いうちにまた寄るね」
「ああ……。じゃあ、またな」
リュウトは照れくささを隠すように、今度こそは彼女に背を向け、少し足早に来た道を戻った。
(なんだコレ……。なんでこんな柄にもない事やってんだ?)
歩きながら、リュウトは自分らしくもない言動に戸惑った。
(単純に懐かしかったし……童心に帰れて楽しかったと言うか……。アイツには……オレに対する偏見がないからかな……)
彼女と過ごしたほんの短い時間には、他の女の子たちと一緒にいる時には感じた事のない居心地の良さと、強い自分でいる必要のない安心感があった。
(昔もホワンとした感じだったけど……中身はあんまり変わってないのかもな……。見た目は随分変わったから、全然わからなかったけど……)
ハルのプリンを買うために立ち寄ったコンビニでも、先ほど別れたばかりの彼女の事を考えている自分に気付いた。
(どうかしてる……。オレがヤンキーだった事を知らない同級生なんて他にいないから、それが新鮮だっただけだ……)
誰に言い訳する必要もないのに、自分の不可解な言動や思考を打ち消すように、リュウトはいくつもの言い訳を頭の中に並べる。
(なんか調子狂うな……。今日は酒でも飲んで寝よう……)
買い物かごにプリンをふたつ、ビールとつまみを適当に放り込み、レジで注文したタバコと一緒に会計を済ませコンビニの外に出ると、リュウトは店の片付けを後回しにしていた事を思い出した。
(やっべぇ……。姉貴にバレたら殺される……!!)
何よりも恐ろしいルリカの鬼のような形相を思い浮かべたリュウトは、慌てて家路についたのだった。
(店ほったらかして出掛けたの、姉貴にバレなくて良かった……)
急いで店の片付けを終えたリュウトは、一度自分の部屋で着替え、ビールを冷蔵庫にしまってから、ハルのために買ってきたプリンを持って自宅の母屋に向かった。
「お疲れ、リュウト」
キッチンでタバコを吸いながら夕飯の支度をしていたサツキが、少し振り返ってリュウトに声を掛けた。
「お疲れ。ハルは?」
「あれから熱がかなり上がったみたいだね。さっきルリカが体温計見て絶叫してたから」
「風邪か?」
「さぁね。あんまり熱が高いようなら、今夜は救急外来に連れてった方が良さそうだね」
サツキは火のついたタバコの先を水に付けて、吸い殻を灰皿に捨てると、冷凍庫からアイス枕を取り出してリュウトに渡した。
「どうせ、ハルの様子見に行くんだろ?ついでにそれ持ってって」
「ああ」
「ホントにアンタ、ハルの事好きだよねぇ」
「はぁっ?!違うっつーの、逆だろ!!」
「照れんなって。いいじゃん、ハルもアンタにベタ惚れだし。18くらいの年の差、今時珍しくないよ」
「うるせぇな!スケバン主婦!!」
「オマエには言われたくないよ、激ヤンベーシスト」
「……もういいや」
リュウトは言い返す気力もなくなり、サツキから受け取ったアイス枕とプリンを持って、ルリカとハルが使っている部屋へ向かった。
(うちってもしや、ヤンキー家系なのか……?ハルの10年後が心配だ……。母親も祖母も叔父も元ヤンって…相当ヤバイよな……)
サツキが結婚しても長続きしないのは、元ヤンゆえの気の短さが原因なのかも知れない。
ルリカとリュウトは、異父姉弟だ。
ルリカは父親似なのか、サツキにもリュウトにも、あまり似ていない。
最近は新しい男を連れて来なくなったものの、サツキはまだ40歳になったばかりだ。
(おふくろって、今のオレと同じ歳の頃には既に二人も子供がいたって事か……)
サツキの若さを考えると、新たな父親が出来て弟か妹が誕生するのではないかと、時々不安になる事もある。
それでも、若い頃に苦労してきた母親が幸せになれるのなら……と思うのだが、サツキは付き合う相手と長続きしない。
(まさか……姉貴もそれが原因で、結婚せずに子供を産んだとか……)
「ハルの様子どう?」
部屋の中で、ハルは赤い顔で息を荒くして布団に横たわっていた。
ルリカは心配そうに、つらそうなハルの顔を覗き込んでいる。
リュウトはアイス枕をルリカに差し出した。
「うん……。今、39度超えてる。なんだろう。今朝は元気だったと思うんだけど……」
ルリカはアイス枕にタオルを巻いて、ハルの頭の下に入れる。
「39度か……。救急外来、連れてく?」
「その方が良さそうだね」
リュウトが枕元に座って顔を覗き込むと、ハルはうっすらとまぶたを開いてリュウトを見た。
「とーちゃ……」
「ハルのプリン、買ってきたぞ。今日は特別にふたつも買ってあるからな」
「あ……とう……」
(ああ……ありがとうって言ったんだな)
リュウトが頭を撫でてやると、ハルは布団から小さな手を出して、リュウトの手を握る。
「ん?なんだ?ここにいろってか?」
ハルがうなずくと、ルリカは苦笑いした。
「こんな時までリュウトがいいのかぁ……。リュウトさぁ、責任取ってハルが結婚できる歳になったら嫁にもらってやってよ」
「はぁ?!さっきおふくろにも同じような事言われたよ……。やっぱ親子だな。冗談はいいから、今のうちに飯でも食って来いよ。オレ、ついてるから」
「ありがと、そうするわ。ハルが食べたいって言ったら、プリン食べさせてやって。あと、そのマグにスポーツドリンク入ってるから、時々飲ませてやってよ」
「わかった」
ルリカが部屋を出て行っても、ハルはリュウトの手を握って離さない。
(ハルの手、熱いな……。こんなに熱が高いんだな)
「ハル、プリン食べるか?」
ハルは小さく首を横に振る。
(食べる元気もないか……)
「じゃあ……コレだけでも飲んどかないとな」
リュウトはストローマグに入ったスポーツドリンクをハルに飲ませた。
(なんちゅうか……嫁と言うよりは、やっぱ娘だと思うぞ?オレ、ホントにハルのオヤジみてぇだ)
スポーツドリンクを飲んだ後、しばらくリュウトが手を握っていてやると、ハルは寝息をたて始めた。
(良かった……。寝たら少しは体ラクになんだろ……)
リュウトはハルの寝顔を見ながら、時折頭を撫でてぼんやりと考える。
(子供……かぁ……。考えたら姉貴も二十歳でハル産んだんだったな……)
ヤンキー時代の仲間の中には、既に結婚して子供がいる者がいれば、離婚を経験している者もいる。
(元ヤンだからな……。考えたら、なんでも周りより早いうちに経験してる……)
ご多分に漏れず、リュウトもかなり早熟な少年だった。
中学に入学するなりルリカのヤンキー仲間に可愛がられ、特別優遇(?)されたリュウトは、当たり前のようにヤンキーになった。
タバコも酒も、すぐに教えられた。
初体験は中1の夏、相手は2つ歳上のルリカの仲間で、もちろんヤンキーだった。
付き合っていたわけでもなく、ただ『なんとなく』その場の雰囲気に流され、相手にリードされるだけの初体験だった。
(オレのが4歳も若かったとは言え、トモの初体験と変わんねぇな……)
何度となく経験するうちに相手をリードできるようにもなったが、ヤンキーの仲間うちでは、誰かと誰かがくっついたり別れたりを、早いサイクルで繰り返している事に気付いた。
昨日は自分の彼女だった人が、明日には先輩の彼女だったり、今日は後輩の彼女だった人が明後日には自分の彼女だったりする。
(結局、誰でもいいんだよな……)
元の鞘に収まる事もしょっちゅうだし、そうかと思ったらあっという間に別れたりする。
最初のうちは、付き合った相手の事を大事にしようとか、もっとお互いに好きになれたらと思っていたリュウトも、そのうち段々バカらしくなって、求められるもの以外は与えなくていいと思うようになっていった。
本気で好きになる事も、好きになってもらう事もない。
(トモみたいに……純粋に誰かを好きになったりすることは、オレには一生ないのかも知れないな……。好きになったって、裏切られただけだったし……)
17の時、歳上の彼女がいた。
珍しくリュウトが好きになった相手だったが、しばらく付き合った頃、彼女の目当てはリュウトではなく、当時ルリカが付き合っていた彼氏に近付く事だと気付いたのだ。
結果、ルリカとリュウトの目を盗んで、彼女はルリカの彼氏を寝盗って逃げた。
そんな事があってから、リュウトの女性不信がひどくなった。
(所詮、オレに近付いてくる女なんて……みんなろくな女じゃない……)
ハルの手を握りながら、リュウトは苦笑いを浮かべて、ハルの頭を愛しそうに撫でる。
(ハルは……そんな女になるなよ……。オレみたいなつまんない男につかまんじゃねぇぞ……)
なんの見返りも求めず、目論見もなく、純粋な気持ちでまっすぐに、好きだと言ってくれるハルは、正直かわいい。
ただそれは、身内としてであって、できればハルにはまともに育ってもらいたいし、幸せになって欲しい。
(あーあ……。こんな事考えてるあたり、いよいよオヤジだよ……)
『相思相愛なんだね』
彼女が何気なく言った一言を、ふと思い出す。
(バーカ……。そんなんじゃねぇよ……)
柔らかく微笑む彼女の笑顔を思い出して、リュウトは思わず笑みを浮かべた。
(ガキの頃、酒井の事、ちょっと好きだったんだよな……。大人しい感じだったけど芯は強くて、誰に対しても優しくて……ホワンとしてて……。うちの家にはない雰囲気だったもんな……)
彼女の持つ柔らかな空気は、リュウトにとって憧れでもあったし、一緒にいると楽しくて、自分も優しくなれそうな、そんな気がしていた。
(もしオレがヤンキーにならずに、トモみたいにまともに育ってたら……もう少しましな恋愛もできたのかな……)
リュウトはそんな思いを打ち消すように、静かに首を横に振ってため息をついた。
どんなに悔やんでも過去には戻れない。
それは痛いほどわかっている。
やり直せないなら、すべてを受け入れて前に進むしかない。
(オレのヤンキー時代を知らない酒井と偶然会って……子供の時みたいでちょっと楽しかったからって、こんな事考えてるなんて……おかしいよな……)
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