10eme. その魔法は人を笑顔に出来るもの。
「これが、わたしの魔法だよ」と、きのみさんが花のような可憐な笑顔を浮かべて言った。
帰宅すると家には、きのみさんとアオさんと、ついでに梨花も居た。
何やら女子会か何かをしていたらしくって、テーブルにはドーナツが置いてあった。
買ってきたのかと問うと、きのみさんの手作りだと言う。
確かに、料理の出来ない俺からすれば。粉と牛乳でこんな凄い物を作ってしまえるのは、魔法に違いなかった。
「クロは?」
聞いてみてから、ちょっと面白そうな言葉が浮かんだので口にしてみた。
「もしかして、デートとか?」
ドーナツを頬張っていたきのみさんと、ティーカップを口にしていたアオさん、テレビのリモコンを持っていた梨花が同時に固まった。
分かり易い反応に、俺は少し噴き出しそうになった。
「ありえないからね」
梨花がこっちを向いて、しかめた顔をした。
「せやね。この面子以外で女の子と会うなんて、ありえへん」
アオさんが震えた手で、ティーカップをそっとソーサーに置いた。彼女は京都出身らしいけど、動揺すると訛りが出てしまうのだろうか。
「そ、それより、ソラくんも女子会、参加する?」
きのみさんが、あからさまに話を逸らしてきた。俺は女子じゃないので、丁重に断りを入れた。
「女子みたいな顔なのに?」
その台詞がトサカに来た俺は、ソファにあったクッションを、思いっきり梨花に向けてぶん投げた。運動神経のいい姉は、それを見事にキャッチした。
「危ないじゃない! 万年反抗期!」
うるさい貧乳女。って言おうとしたけど、アオさんにまで飛び火しそうだったので止めて置いた。
姉の台詞を無視して、俺は自室へと戻ろうとした。んだけど、シナモンの香りが鼻についた。
振り返ると、笑顔のきのみさんが焼き立てのドーナツを、こっちに向けて団扇で仰いでいた。
砂糖の甘い香りと、シナモンのセクシーな色気が、俺の床に釘付けにさせてしまう。
さっきクレープを食べたばっかだっていうのに、涎が出てきそうになった。
あまり人前では甘い物好きを公言しないようにしてるけれど、きのみさんはこっちの前世を知っている。俺は知らないけど、前もそうだったのかもしれない。
「……きっ、きのみさん!」
「なーにぃ?」ときのみさんは笑顔で言った。
「いっ、いっこだけ。一個だけ、試食しても」
俺が言い終わる前に、きのみさんは「いいよ」と笑顔で頷いた。
出来るだけ喜びを表面に出さないように、テーブルへと足を進める。
皿に乗ったホカホカのドーナツに手を伸ばした瞬間、それを阻止するかのように、きのみさんが俺の手を掴んだ。
「その前に、お姉ちゃんに言うこと、あるでしょ?」
梨花に言う事なんざ、何もない。そう言おうとした口が、きのみさんの表情を見て止まった。
前世が魔術師だけあって、伝心術でも使えるのかもしれない。何も喋っていないのに、きのみさんが「梨花に謝りなさい」と言っているように思ってしまった。
元はと言えば、梨花が俺に余計な事を言ったのが原因なんだぞ。
でも、俺はきのみさんの料理の腕前は知っている。絶対、旨いに決まってるんだ。不本意だけど、これで美味しいドーナツが喰えるなら。
仕方ない、と俺は梨花に頭を下げた。ホイップのセンターをやっている時みたいな顔をしていたから腹が立つ。
むかつくけど、仕方ない。馬鹿姉から目を逸らし、きのみさんへと向き合った。
彼女は俺に素敵なスマイルを見せてくれた後、ドーナツをなんと三つも皿に乗せてくれた。
「ご褒美」
俺は皿を受け取った瞬間、我慢出来なくて、その場でかぶりついた。ザクっ、という食感だった。
え、これ、ドーナツだよな。って思い、かぶりついた断面を見た。
「クロワッサン!」
「その通り」ときのみさんは美しい笑みを見せた。
普通のドーナツと違って、断面が千枚の葉を重ねたような層になっていた。
嘘だろ。クロワッサンをドーナツにするとか、天才のそれかよ。サクサクの食感の後、シナモンの香りに乗って、甘みがお淑やかに広がる。
奇想天外なんだけど上品な味って、きのみさんのようなドーナツじゃないかって思った。
さっきクレープ食べたばっかだってのに、魔導士の魔法が最高過ぎたんだ。何でクロは、こんなに美人で料理も出来る人と知り合えたんだよ。
くそぅ、前世か。前世の記憶があるお陰で、こんな美味しい思いが出来るっていうのかよ。
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