第7話

## 7


 後ろに下がりながら、なるべく距離を取りつつ、そしてなるべく金属バットの先端のほうを触るように、振り下ろされる金属バットに手を伸ばした。

「ひゃう」

 金属バットの男が、甲高い声で叫んだ。

 男の手から、黒く細長いヘビのような生き物が飛び出した。ように見えた。

「うひゃあ」

 と、僕もそれを見て妙な声が出てしまった。

 その生き物はニュルニュルと砂の上を這っていく。

 僕も金属バットの男も、きゃっ、とか、うひゃ、とか、声を出しながら、慌ててその生き物から離れた。

 充分な距離を取ると、僕と金属バットの男は安堵の息を吐いた。お互いに顔を見合わせる。そして、自身のあまりの取り乱しように、僕は思わず笑ってしまった。金属バットの男も笑っている。そうか、この男もヘビ系は苦手なんだな、と妙な親近感を覚えた。

「何だ今のは。ヘビか? アナゴか?」

 と、金属バットの男がきいてきた。

「見た感じ、ウナギではないでしょうか」

「川魚のウナギがこんなところにいるわけがねえ。ありゃあ、アナゴだろうな」

 ウナギは川の魚だったのか。しかし、ウナギとアナゴはどう違うのだろう。僕には違いがわからない。食べ物としても、泳いでいる魚としても。

「ビビりすぎてバットをどっかにやっちまった。まあいいか。よし、ちょっと待ってろ」

 男はそう言うと、自分のバイクに向かって歩いていった。

 もしかして、助かったのではないだろうか。

 なるほど、柔よく剛を制すとはこういうことを言うのかもしれない。


 北風と太陽の話を思い出していると、男が戻ってきた。

 右手に何かを持っている。黒っぽい、長い、棒のような。

「こんなこともあろうかと思ってな、用意しててよかったぜ」

 そう言うと、男は右手を振り上げて、その棒を振り下ろした。ふおんと空気を切る音が聞こえた。

 こんなことって、どんなことだろう。

「木刀と金属バット、どっちが強いと思う? 金属バットのほうが強いと思うだろ? 違うんだな、これが」

 男はなおも木刀を振り続けている。ふおんふおんと音がする。この音を聞いているだけで、息苦しくなってきた。

「じゃあ、なんで最初から木刀を使わなかったか、わかるか? なんで金属バットを使ったと思う? 金属バットのほうが軽いからだ。木刀は、重い。だから、強い」

 男がバイクに向かったときに、僕はどうして逃げなかったのだろう。いや、道路側には男がいて、僕の背後は海だ。逃げられなかった。それに、もし仮に逃げられたとしても、砂に埋もれている紳士はどうする。砂から掘り返す時間はなかった。

「準備はいいな。じゃあ、いくぜ。人間スイカ割りの続きだ。イィヤッハー!」

 頭に衝撃がきた。

 なるほど。金属バットよりも、木刀のほうが強いというのは本当かもしれない。

 いや、それよりも、あの木刀は、バイクのどこに収納されていたのだろうかと、そんなことをぼんやり考えながら、僕は死んだ。


「死んでしまいましたね。ちなみに、あの魚はウナギというらしいです」

「ウナギですか。ウナギって毒がありましたっけ? というか、川の魚らしいですけど」

「川の魚ですが、海で産卵するそうです。それに、その魚がたとえ川の魚であっても、集合意識においては、カテゴリーは曖昧になりがちです。そして、毒を持っています」

 集合意識の話はそういえばそんなことを言っていたな。要するに、連想ゲームのようになる、ということだろう。「海、魚、毒を持っている魚、ウナギ」という感じだろうか。

 しかし、冷静に考えてみれば、魚が毒を持っていたとしても、その魚を食べなければ何も危険はないのではないだろうか。つまり、僕たちの目的には合わないのでは。

「背ビレやしっぽに毒を持つ魚もいるそうですね」

「そうなんですか」

 それなら、背ビレやしっぽに毒を持っている魚でいってみるか。

 いや、待て。それは、はたして大丈夫なのか。

 金属バットをどうにかできたとしても、ナイフと木刀がある。ということは、その魚の毒であの男がすぐに動けなくなってくれないと、僕はまた殺されてしまうだろう。

 致死性が高く、かつ即効性のある毒を、背ビレやしっぽに持った魚。そんな危険な魚が望ましい。しかし、そんな危険な魚をあの男は僕に振り下ろしてくる。

 金属バットの軌道はわかっているから大丈夫だと、さっきは判断したけれど、しかし、大丈夫かどうかはどんな魚になるかによる。

 背ビレやしっぽに毒を持っている魚が、けっこうな大きさだったらどうする? それだと僕も毒に接触する可能性があるのでは?

 金属バットを振り下ろされたときに、金属バットが僕の頭に当たる距離。その長さよりも、毒を持っている魚のほうが小さいという保証でもあればいいのだが。


 しかし、ウナギが毒を持っているということを僕は知らなかった。食卓ではメジャーな魚であると知っていたのに。それでもウナギが出てきたということは、毒を持っている魚と聞いてウナギを連想する人は多い、ということなのだろうか。地球人の集合意識と言っていたから、海外では毒を持っている魚としてはメジャーなのかもしれない。

 海外のウナギ。そうだ、ウナギには電気を持っている種類がいる。電気ウナギだ。

 電気ならどうだろう。毒ではなくて。

 いや、待て。さっきの、ウナギをつかんだ男の行動を思い出せ。すぐに手を離していたではないか。

 男がウナギをつかんでいたあの短い時間に、男だけ感電してくれないだろうか。そんな都合のいい話があるわけはないか。それに、電気は、僕も危ない気がする。

 そうだ。もっと早い段階で金属バットに触れないだろうか。

 金属バットが振り下ろされる前、すなわち金属バットが男の頭上にある時点で。

 その時点でなら、男が手を離したとしても、魚がそのまま下に落ちる可能性は高い。そうなれば、電気ウナギの電気で感電するのはあの男だけ、ということになるかもしれない。

 時間が戻った瞬間に飛びかかれば、間に合うだろうか。タイミングは厳しそうだ。僕にできるだろうか。

 いや、やるしかない。


「特定の魚を指定することは可能ですか?」

「そうですね。私が見たことのある魚であれば可能です。しかしながら、私が実物を見たことがなくても、たとえば魚の名前を聞いただけという場合でも、いちおうは可能です。ただし、その場合は正確性に欠けます」

「正確性に欠ける、というのは、どういうことですか? 指定した魚ではなく、似ている別の魚になるかもしれない、ということですか?」

「そうですね。見た目の姿形に関してもそうですが、名前が似ているものになる可能性もあります。何の魚にするか、具体的に指定されますか?」

「はい、電気ウナギにしてほしいのですが」

「ウナギなら先ほど見ましたので、問題はないはずです」

「では、電気ウナギで、お願いします」

「わかりました。それでは。ひとつ、ふたつ、みっつ」



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