第5話

## 5ー1


 目を開けると、白い閃光が見えた。

 今回は心の準備ができていた。すぐに金属バットが振り下ろされるのはもうわかっている。

 僕は、振り下ろされた金属バットを両手で受け止めた。

 しかし、金属バットは止まらない。

 おかしい。いくら全力で振り下ろされたとはいっても、金属バットとはこんなにも重量感のあるものだっただろうか。

 いや、これは金属バットではない、と気づいたときには僕は砂の上に倒れていた。

 首が背中の中に埋もれてしまったかのような感触がした。

 何か重いもので頭を叩かれたということは理解できた。

 金属バットの男が走っていくのが見えた。

 身体が動かない。全身の感覚がない。息ができない。

 薄れつつある僕の視界には、砂の上で跳ねまわる大きな魚の姿が見えた。

 月の光を反射して美しく輝いているあの魚は、何だろう。

 もっと魚のことを知っておくべきだったかと、そんなことを思いながら、僕は死んだ。


「死んでしまいましたね。ちなみに、あれはクロマグロという魚のようです。ツナともいうらしいです」

 マグロか。

 僕は魚類にはまったく興味がない。マグロといえば切り分けられた赤身しか思い浮かばなかった。なるほど、ツナもマグロだったのか。

「あれはさすがに重すぎますね」

 と、僕は感想を言った。

「重すぎましたか」

「確かに食べ物としての魚の中では、マグロもツナもかなりメジャーではありますが」

「別の魚にしましょうか」

「はい、お願いします」

「わかりました。それではまた同じようにお願いします。ひとつ、ふたつ、みっつ」



## 5−2


 上体を左側に倒しながら、右手を伸ばす。振り下ろされる金属バットにかろうじて触れた。

 これなら、たとえ重い魚になったとしても、頭に直撃することはないはずだ。頭にさえ当たらなければ、おそらく死ぬことはないだろう。

 振り下ろされた金属バットが砂にぶつかった音がした。その音には重い響きがあった。

 右脚に強烈な痛みを感じた。

 先ほどのマグロと同じくらいの大きさの魚が、僕の右脚の付け根のあたりに噛みついていた。

 サメだ。

 魚に詳しくない僕でも知っている。ホオジロザメだ。

 ホオジロザメは僕の右脚をくわえたまま、勢いよく上体をはね上げる。僕の身体は宙を舞っていた。

 砂の上に背中から落ちた。息が詰まる。

 金属バットの男が悲鳴を上げながら走っていくのが見えた。

 ホオジロザメがこっちに向かってくる。

 逃げないと。

 そう思ったときにはすでに僕の目の前にホオジロザメの口があった。

 砂の上でもホオジロザメはこんなにも機敏に動けるのかと、そんなことをぼんやり思いながら、僕は死んだ。


「死んでしまいましたね。ちなみにあの魚はホオジロザメというらしいです」

「知ってます。確かに、魚といえばこれだと言われれば納得するくらい、メジャーな魚ではあります。映画でも有名な人食い鮫ですし」

「そうですね。地球の皆さんの集合意識から抽出しましたので、人を襲う凶暴な個体になってしまったのでしょう。しかしながら、ホオジロザメというのは、本来は人を襲わないようです」

「え、そうなんですか。人に限らず見かけたものを次から次に食い散らかしていくイメージがありますけど。まあ、確かに映画の影響でそう思い込んでいるのかもしれませんが」

「人間が被害に遭うこともごくまれにあるようですが、その場合でも、積極的に人間を襲ったわけではなく、ホオジロザメがご飯を食べようとしたらそこに人間がいた、あるいは人間のことをホオジロザメがご飯だと勘違いしてしまった、というようなケースが大半のようですね」

 そうなのか。たった今ホオジロザメに襲われた身としては、ホオジロザメが人間を襲わないと言われても、とうてい信じられない。

 いや、待てよ。ということは、

「魚になるとはいっても、本物の、というか実際の、現実にいる魚ではなくて、大多数の人が思い浮かべる魚になる、ということなんですか?」

「おおむねそのとおりです。しかしながら、大多数の人が思い浮かべるものの影響を大いに受けはしますが、それで実際の魚とまったく違うものになる、ということはありません。たとえば、現実に存在しない魚、空想上の生き物などが現れることはありません」

 実際の魚の性質ではありつつも、多くの人がイメージする魚の性質もあわせ持つ、ということなのだろうか。

 少々ややこしい。しかし、この特性は、なにかうまく利用できないだろうか。

「少し考えさせてもらってもいいですか?」

「ええ、もちろんです。時間だけはいくらでもありますので。それこそ永遠ともいえる時間が」

 紳士は穏やかに微笑んでいる。

 こんなことを永遠に繰り返すかもしれない、と想像したら、吐き気が込み上げてきた。


 紳士から目を逸らして、月を見上げた。

 僕は深呼吸をした。

 まず、落ち着こう。そして、考えよう。

 永遠に繰り返すと決まったわけではない。

 さっきのホオジロザメだって、僕ではなく、あの男が先に食べられていたら、僕たちは助かっていたかもしれない。

 そうだ。あの男が先に襲われてくれれば。そして僕たちには被害が及ばなければ。そうなればいい。そうなるためには、どうなればいいのか。何の魚なら、僕たちは助かるのか。

 しばらく考えてみたが、いいアイデアは何も思い浮かばなかった。

 ただ、一つだけ、思いついたことがある。あの男も含めて、誰にも危害が及ばない魚にしてもらう。

 しかし、その後どうするのかという問題がある。気は進まないが、そこは僕がどうにかするしかない。金属バットがなくなるだけでも充分だと、そう思わないといけないだろう。

 それに、自分の持っていた金属バットが魚に変われば、あの男だって動揺するはずだ。そのタイミングで襲いかかれば。そして首でも絞めれば。

 もうこうなったら、あの男を殺すことだって考えよう。さすがにそれはまずいだろうか。いや、そんなことを言っている場合ではない。正当防衛だ。

 しかし、仮にあの男を殺すことになるとしても、できることなら魚に殺されてほしい。さっきのホオジロザメのように。僕が直接どうこうするのではなくて。

 そのためには、金属バットが、何の魚になればいいのか。

 やっぱり何も思い浮かばないまま考えがループしてしまう。

 とりあえず、一度は試してみるか。誰にも危害が及ばないような、たとえば、そう、小さい魚で。

「どの魚にするか、こちらから指定することはできるんですか? たとえば、小さい魚にしてください、というようにお願いすることはできますか?」

「どのような魚にするか、ということでしたら、それは可能です。ただし、あくまでも地球の皆さんの集合意識から抽出したものになりますので、集合意識の中の小さい魚が、実際に小さいかどうかは保証の限りではございません」

 僕たちが思い浮かべる小さい魚が、実際に小さいとは限らない、ということなのだろうか。

 本当に小さい魚で大丈夫だろうか。

 不安はあるが、しかし、やるしかない。

「では、小さい魚でお願いします」

「わかりました。それでは。ひとつ、ふたつ、みっつ」



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