第3話

## 3


「死んでしまいましたね」

 と誰かが言った。

 気がつくと、僕は、砂の上に体育座りをしていた。正面には海が見える。見上げれば、満月が見えた。

 僕のすぐ隣には同じ格好で月を眺めている男性がいた。

 この男性が話しているようだ。

「脳には痛覚がないらしいのですが」

 男性は顔だけをこちらに向けて微笑んだ。その顔と声で、この男性が砂に埋もれていた紳士だとわかった。

 砂に埋もれていた紳士は、想像していたよりも大きかった。すわっていても背が高いのがわかる。おそらく僕よりも頭二つ分くらいは背が高いだろう。

 そこまで背が高いと、いったいどのような格好で砂の中に埋まっていたのかが気になってくる。直立の姿勢で垂直に埋まっていたのだろうか。それとも横に寝そべった姿勢で首だけを起こしていたのだろうか。

「予想よりも痛かったです。それにしても、災難でしたね」

 と、紳士は言葉を続けた。

 思い出した。そういえば、僕は死んだはずだ。

「あなたも、僕のあとに? というか、ここはどこですか?」

 辺りを見回すと、まだあの砂浜にいるようだ。しかし、あの金属バットの男の姿は見えない。

「ご安心を。ここには彼はいません。ええ、わたしもあなたのあとに、あなたと同じように、殺されてしまいました」

 やはり、僕は死んだのか。そして、この紳士も。


 特別な感情がわいてこない。

 殺されたのに、許せないだとか、悲しいだとか、そんな感情は何もなかった。

 死ぬと感情がなくなるのだろうか。

「そして、ここどこかといいますと、ここはまだ地球の海の砂浜です。ただし、わたしたちが先ほどまでいた地球の海の砂浜とは次元の違う場所になります。ですので、わたしたちに危害を加えた彼は、ここにはいないのです」

 どういうことだろう。天国とか地獄とかとは違うのだろうか。

「そうですね。死後の世界のひとつ前の場所とでも言うとわかりやすいでしょうか。わたしとあなたは死んでしまいましたが、わたしはこのまま死ぬつもりはありません。迎えが来ますので」

 頭に衝撃を受けたせいだろうか、いまいち話の内容が入ってこない。砂に埋もれていた紳士は、いったい何を言っているのだろうか。死んだのならば、もうすでに死んでいるのでは?

「あなたはどうですか? このまま死にますか? それとも、生きますか?」

 砂に埋もれていた紳士はそう言って僕の目を見つめる。

「死にたくはないです。僕は、まだ、死にたくありません」

「しかしながら、生きるという選択をすると、死ぬよりもつらいことになるかもしれません。それでもよろしいですか?」

「はい。構いません。僕は、生きたいです」

「わかりました。では、あなたが死ぬ前の時間まで、時間を巻き戻します」

「そんなことが可能なんですか?」

「もちろんです。地球の皆さんは、されないのですか? 時間の操作を?」

「いや、そんなことができるなんて聞いたことないです」

「そうなんですか。それならば、説明するよりも実際に体験していただいたほうが、早く理解していただけるでしょう。ただし、注意点が一つございます」

 砂に埋もれていた紳士の顔に浮かんでいた穏やかな微笑みが消えた。冷たい月のような目で僕を見つめる。

「生きる選択とは、すなわち死なないという選択でもあるのです。つまり、この時、この場所では、あなたは死ねなくなるということでもあります」

「あの、すいません、それはつまり、どういうことですか?」

「具体的に説明しましょう。たとえば、時間をさかのぼったとして、もう一度、金属バットの彼に殺されたとします。しかしながら、あなたは死なないという選択をしておりますので、またここに、今わたしとあなたがお話をしている、この場所に戻ってきます」

 砂に埋もれていた紳士は一度月を見上げてから、また僕に視線を戻した。

 波の音が聞こえない。死ぬと、音も聞こえなくなるのだろうか。しかし、紳士の声は聞こえる。

「そこからまた時間をさかのぼって、そしてもしまた金属バットの彼に殺されますと、またここに戻ってきます。あなたが金属バットの彼をどうにかしない限り、その繰り返しになるでしょう。死ねない、というのは、つまりそういうことなのです」

 ぞっとした。

 時間を巻き戻すということは、ただ単純に生き返れるものだと、甘く考えていた。

 砂に埋もれていた紳士の言っていることが本当なら、もしかしたら、これから何度も、あの金属バットの男に殺されるかもしれない、ということだ。もちろん、あの男をどうにかできれば、これ以後は一度も殺されることなく生き返れるかもしれない。

「大丈夫ですよ。わたしができうる限りのサポートをいたしますので」

 そうだ。この紳士は時間を巻き戻すことができる。そんな人が味方についてくれるんだから、どうにかならないはずはない。うまくいかないわけがない。


 しかし、その前に一つ確認しておきたい。

「死ねないというのは、もしかして、もし仮に生き返ることができたとしたらの話ですけど、この先もずっと、それが続くんですか?」

「いえいえ、そんなことはありません。その点はご安心下さい。詳しく説明すると少々込み入ったお話になってしまいますので、簡潔に申し上げますと、あなたが、あの時あの場所で、つまり金属バットの彼に殺された砂浜で、金属バットの彼に殺されることがなければ、あなたの時間は今までどおりの進み方に戻ります」

 なるほど。つまり、僕があの金属バットの男に殺される前の時間に戻って、そして金属バットの男に殺されるのを阻止できれば、すべて解決、何も問題は残らない、ということだ。

「ちなみにですけど、もし、僕があなたを置いて逃げたら、どうなりますか? やっぱりそれはまずいですか?」

「わたしのことはご心配なく。本心を言えば、もちろんわたしのことも助けていただけますと非常にありがたいところではございます。しかしながらですね、あなたは彼から逃げられますか?」

「バイクですからね、逃げられないと思います。すいません、一応そこも確認しておきたかっただけです」

「わかりました。今後のために、はっきりさせておきましょう。あなただけが助かれば、それでオッケーです。そして、先ほど申し上げましたとおり、あなたが助かるまでは何度でも、わたしはできうる限りのサポートをするつもりです」

「わかりました。ありがとうございます」

 はっきり決めることができた。初対面の僕にここまでしてくれるこの紳士を、助けよう。

「それでは、準備はよろしいですか?」

「はい、大丈夫です」

「では、月の中心を見ていてください」

 僕は言われたとおり月の真ん中を見つめる。

「それでは目を閉じてください」

 僕は言われたとおり目を閉じる。さっきまで聞こえなかった波の音が聞こえてきた。

「今から三つ数えます。三つ数え終わったら目を開けてください。目を開いたときには時間が巻き戻っております」

 紳士は一呼吸おいて、言葉を続けた。

「それでは、いきますよ。ひとつ、ふたつ、みっつ」


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