残り九十五話 マスク
Iくんには付き合っている彼女がいた。
彼女はいつもぱっちりとしたアイメイクをしている可愛い子だったが、I君はその鼻から下を見たことがない。
彼女は季節や体調に関係なく常に大きなマスクをしていたからだ。
付き合う前や付き合いたての頃は特に何も思わなかったのだが、二人で出かけたりするようになると彼女が常軌を逸したレベルでマスクを取らないことに気づいてしまった。
外を出歩いている時はもちろん、食事のときでさえマスクを取らず、マスクの下から食べ物をねじ込むように食べるのだ。
何かコンプレックスがあるのかな、とか、まさか口裂け女とか、とか、色々なことを考えたものの当たり前だが答えは見つからない。
どうしても気になったIくんは、ある時彼女にどうして口を隠すのか尋ねた。
最初はどうしても嫌がっていた彼女だったが、やがてどうにも粘るIくんに根負けして口を開いた。
「頭が変だって思わないでね」
彼女はそう言うとゆっくりと口元からマスクを外した。
何が出てくるのかと内心ドキドキしていたIくんだったが、そこにあったのは普通の――むしろ普通より整った口元で、Iくんは安堵と共に拍子抜けしてしまった。
(なんだ、何もおかしくないじゃん)
むしろ彼女がマスクを取っても美人の部類であることが確定してIくんは上機嫌になった。
しかしそんなIくんに反して彼女は辛そうに俯いた。
「あのね、時々私、口の中に人が見えるの」
その言葉にIくんは思わず声を上げかけた。
何を言ってるんだ。
おかしいのか、と言いかけて、先ほどの彼女の言葉が頭を過る。
それにしたって――
ふと。
初めて目にした形のいい唇。その奥に並ぶ白い歯。
その奥から覗く一対の目がじっとIくんを見つめていた。
後日Iくんは彼女と別れたという。
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