第10話 九王沢さんの決意

 涼花が自室で就寝中、何者かに襲われたと言う。


 僕たちに同時に電話が掛かってきたのは、ほとんどその直後であったようだ。


 状況はよく判らないが、二人ともパニックで話が要領を得なかった。


 当然だが涼花など、電話口で泣きじゃくるばかりだ。もうこの場所に居たくない、とにかくここを出たいと、涙ながらに九王沢さんに訴えていた。


 突如、見知らぬ人間に寝こみを襲われた涼花のショックは、計り知れない。


 だがとりあえず、不幸中の幸いなのは、涼花が深刻な怪我を負わなかったようだ、と言うことだ。



「あの、それで折り入ってお願いがあるんですけど…」


 涼花を預かってもらえないか、と香名子さんが切りだしたのは、そのときだ。


「朝までで、いいんです。…本当、今の様子じゃ眠れないと思うので」


 涼花はようやく警察に事情を話せたが、とても家にいられる状態じゃないらしい。こうなれば事情が事情だ。僕たちは一にも二も無く、涼花を受け入れることにした。


「問題ありません。大丈夫です。わたしたち、明日まで泊まっていますし、チェックアウトも遅いですから」


 電話は児玉さんに替わった。香名子さんに申し出にくい指示をしたのは、彼女のようだ。

 九王沢さんに不調法をしきりに謝る声が聞こえる。すぐに車を回してこちらへ向かう、と児玉さんは言った。


「お詫びにお二人の分の宿泊料金も、こちらで負担させて頂きますので」


 に、してもあわただしい。児玉さんは涼花にここで一晩、越させてから、次の朝すぐに迎えに来るらしい。


 九王沢さんはその足で、涼花を安全なところに移したらどうか、と提案してみたが児玉さんはどうしても明日は、涼花を家に起きたいようだ。


「午後には、弁護士が到着しますので」

 の、一点張りだったそうな。


 香名子さんの言う通りだ。どう言う理由かは分からないが、児玉さんもどうしても明日、涼花の遺産相続を済ませたい考えなのだ。


 これにはさすがに九王沢さんも、悲痛そうに眉をひそめていた。

「ひどいと思います。…だってすうちゃんが、かわいそうです」



 それからフロントに事情を説明し、夜間の通用口で涼花を迎えた。


 涼花は僕たちを見るなり、声を殺して泣き崩れた。気丈に見えるがやっぱり、十六歳の女の子だ。


 よほどショックだったのか唇は蒼褪あおざめ、目は泳いでいたが、本当に目立った怪我がないのが、幸いだった。


「実は今年に入ってから悪質なファンに、継続して嫌がらせを受け続けていまして」


 ちなみに児玉さんだが、ストーカー被害と決めつけていた。実際警察にもそう、話したらしい。


「中に一人、とても悪質な人がいるんです。涼花にプレゼントを送り返されたのを逆恨みしていて。顔と名前を警察に報せておきました。…ここへ来ていることは極秘のはずだったんですが、全くどこで漏れたのか」


 いくら涼花に嫌がらせするのが趣味でも都内からこの奥久慈までやってくるものなのか、と僕などいぶかってしまうが、一般常識と芸能界の常識は違うものらしい。


 狙い出すと、地の果てまで追うのが芸能人のストーカーなのだそうだ。



 僕たちはやっと泣き止んだ涼花を、部屋まで連れて行った。


 温かい飲み物を淹れ、涼花の呼吸を鎮めながら、根気よく話を聞きだす。


「どうやら揉み合ってる最中に紐で、首を絞められたみたいです…」


 九王沢さんが直ぐに、涼花の頸筋についた索条痕の赤い腫れを発見した。


 襲撃犯は涼花の部屋に侵入すると、寝込みを襲ってきた。


 驚いて起き上がろうとする涼花の首を、細い紐のようなもので締め上げ、突き飛ばして逃げたらしい。


 不幸中の幸いだが、人を脅かすような、凶器は持っていなかったようだ。後で分かったが、襲撃犯が使った紐は涼花がいつも首にしている例のメキシコ彩陶の鈴につけられていたものだったのだ。


「眠ってるときはいつも、ペンダントをしているのですか?」

「たまに…です。どうしても寂しくて、しょうがないときがあるから」


 その土の鈴は、涼花にとっては正しく、お母さんの代わりなのだ。


「他にされたことは?」

「憶えてません」


 警察に聞かれたのを思い出したのか、涼花は自分の身を庇って、ぶるぶるとかぶりを振った。


「わたしいつも横に丸まって寝るんです。でもそのときは、そっ、とですけど無理やり仰向けにさせられたのが、分かりました」


 で、驚いて飛び起きたら出し抜けに紐で頸を絞められたと言う。


 はっきり襲われてから夢じゃないと分かったようだが、犯人はそれまでも、涼花の耳の下や、襟足の辺りの髪を撫でるように触っていたらしい。変態である。


「絶っ対ストーカーだ!」

 僕が声を上げると、

「…すうちゃんもそう思っているのですか?」

 心配そうに聞く九王沢さんに、涼花はどこか歯切れの悪い顔だ。


 何か気がかりがあるらしく、自分のバッグからスマホを取り出すと一枚の写メを見せてきた。


 そこに一見、格闘家と見紛うような体格の、パーカー姿の人相の悪い若い男が映っている。


「児玉さんが通報したのはこの人です。…名前は貴崎尚文きさきなおふみさん、わたしが映画に出る前、子役のときから、応援してくれていたんですけど」


 付きまといがエスカレートしたのは今年初頭、職を喪ってからと言う。


 涼花の専属マネージャーになりたいと色んな場所に現われ、警備員と揉めたりもしている。涼花も突然、腕をつかまれたことがあったらしい。


「おっきな人です。一九十センチくらいあって、遠くからでもすぐ分かるんです」


 でも、と、涼花は言う。部屋に入ってきた暴漢は、それよりはずっと背が低く、締まった身体つきをしていたようだ。


「すうちゃんは犯人と、揉み合ったんですよね?」

 涼花は不審そうに頷いた。


 九王沢さんが、不思議に思うのも分かる。一九十センチの男と揉み合ったら涼花、抵抗できるわけがない。


「涼花ちゃん、公称一五五センチAB型のうお座だもんね?」

「…AB型うお座関係ないですよね?」


 公式HPに載っているプロフィールを思い出して言うと、涼花にストーカーを見るような目で突っ込まれた。


「それに…わたしの勘違いかも、なんですけどすごく不思議なことがあるんです」


 靜子の家は、ホテルのように来賓用の部屋にもそれぞれ内鍵が掛かるような仕様にされているらしい。涼花はきちんと、鍵をかけて寝たのに、と言うのだ。


「それは確かな話ですか?」

「はい。…そ、そう言われると習慣でやっているので、いつもはっきり、憶えているわけじゃないんですけど」


 その晩は特に、誰ともこれ以上接触したくなかったから、掛けたはずだと言う。


 真夜中だったが階下でまた酒盛りが続いていたのだ。あのガラの悪い男と酔っ払い親父、夕食前に涼花に、また絡んだらしい。


「危険な目に遭わないうちに、うちに移籍しろ、ってうるさくて。うちはバックもちゃんとしたところがついてるから付きまとわれても大丈夫だから、って。バックって、暴力団のことですよね?」

「うっ、それは…」

 僕に聞かれても困る。しかし涼花、ぶっちゃけ過ぎだ。まあた知りたくもない、業界の裏側を垣間見てしまった。



「すうちゃんの話が本当なら、また密室ですね…」


 九王沢さんの言う通り、また謎が増えた。そして密室の謎だけではない。明日の遺産相続手続きまでこれ以上、事件は起きないはずだった。それがにわかに暗雲掻き曇った。


 順当な相続者である涼花が、命を脅かされたのだ。このまま涼花を明日、あの家にただ戻してしまっていいものなのだろうか。


 内風呂を借りて身体を温め直すと、涼花はすぐに眠りに就いた。よっぽど安心したのだろう。



「このままだとすうちゃん、また危ない目に遭うかも知れません」


 思いつめた顔の九王沢さんは、涼花に布団をかけ直した。僕には九王沢さんの考えていることが判った。

「涼花を、助けてあげたいんだね?」

 僕は即座に意を察した。


 九王沢さんは、はっとした顔をした後、意を決したように頷いた。


 テレビや小説の名探偵じゃあるまいし、九王沢さんだって、大学生の女の子だ。背中を押してもらいたいのだと思った。


「…わたし、靜子さんが本当に殺されたのなら、真実は究明されるべきだと、ずっと思ってました。でも安全に遺産相続が済むなら、それに触れずにいるのがすうちゃんのためになるなら、と思っていたので、それを言わずにきたんです」


 それに、と、九王沢さんは自分の豊かすぎる胸に手を当てて決意を口にする。


「汚名を着せられたままでは、あの清麿の『家籠やごもり』も不憫だと思います。靜子さんの命を奪ってしまった刀だとしても、あれは六園家の女性を護る名刀です。絶対にすうちゃんを護ってくれるはずの、家宝ですから」


 人にだけではなく、物言えぬ古物にも情のこもった愛を注ぐ。九王沢さんはそう言う子だ。その気持ちは痛いほどに分かった。そうなれば僕に否やはない。


「よし!じゃあ明日、涼花ちゃんと一緒に行こうか」

 とても、嬉しそうに九王沢さんは頷いた。

「すうちゃんのためです。わたし、頑張ってみます」


 くしゅん、と九王沢さんが、可愛すぎるくしゃみをしたのはそのときだった。

「あれっ、大丈夫?」

「浴衣で冷えたみたいですね。…あっ、そう言えば(何かに気づいたらしい)」

「どうかしたの?」

 僕が聞くと九王沢さんはあわてて、首を振った。

「何でもないです…本当に、本当に何でも。あああっ、そうです(なんだそのとってつけたみたいな言い方?)。わっ、わたしもちょっと、今から一人でお風呂に入ってきますねっ?」

 いそいそと九王沢さんは脱衣場に消えた。それも、やけにしっかりと引き戸を閉めて。変だなあ、と思っていると、僕は直感的にあることを思い出した。


(待てよ…?)


 あの涼花の騒動ですっかり忘れていたが。

 さっき僕は、眠っているのをいいことに、九王沢さんの生乳を拝見しようと不埒な行動に及んでしまった。


 あのときは興奮と酔いで気づかなかったけど、よく考えてみるとさっきのことで、大きな違和感があったのだ。


 なぜ生のおっぱいが、ちゃんと見えたのか。


 トップは確認できなかったものの、僕は霊峰の頂の八合目くらいまでは確認出来たんである。


 悦びで思わず現実認識が狂ったが、冷静に考えてみると、九王沢さんの生乳が浴衣をめくったくらいで見えるはずがない。


 なぜなら女性は大よその場合、ブラジャーを着用するからだ。九王沢さんのそれはメロンでも包めそうだが、そう言えばさっき、下着ってしてたんだろうか。


 ふと僕は、例の特集雑誌が九王沢さんのバッグの下に放り出してあったのに気付いた。


『今度こそ彼氏に退かれない!エッチを成功させる10のポイント』特集である。


 文春文庫のしおりが挟んであったページを僕は、もう一度見た。


 さっきしおりが挟んであっただけで興奮して内容まで見ていなかったのだが、そこにはこう書かれていた。


『それでも中々踏み切れない彼氏に!ノーブラでもうひと押し!?』


 うおおおおっ!すぐ隣に涼花も寝てるのに思わず、真夜中の雄たけびを上げるところだった。と、言うことは、ですよ?落ち着け、落ち着いて下さいよ。まさかまさか。いや、間違いない。


 だって今九王沢さん、すんごいあわててお風呂に言ったじゃないか。つまりだ。


 さっきまで九王沢さん、ノーブラっ!?


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