第3話 帝国の宿将 ユウ・セセイ 

 やはりシン・カシアムの軍は異様だった。カルディア帝国の将であるユウ・セセイは、頭を垂れる黒甲冑の男が、いつ視線を自分に向けるのかを恐怖していた。

 応接の間にはユウとシンの2人しかいない。ユウがシンにカルディア帝国への登用の話を持ちかけたのも、この部屋だった。装飾が決して派手ではないのがユウは気に入っていた。客をもてなすのは当然だが、こんなところで威信を見せつけたり謙る必要もない。ただ、それ故に謂わば戦場のようでもあった。

 先の戦いでシン・カシアムは敵陣突破を図り、見事にそれをなし得て見せた。それは鮮やかな手前というよりは、おぞましいと思える光景だったのだ。

 敗戦の中、ユウは奮戦していたと言えた。副将であり、ユウの妹のユーリは殿軍として鬼気迫る働きぶりであったし、ユウの撤退指揮なくしては、カルディア帝国軍の瓦解は免れなかったであろう。ただ、敗戦は敗戦であった。

 

「申し訳ない。引き返そうと思ったが、そこはもう死地だった。働きぶりに不満があれば、金は受け取らん。ただ、俺も、兵達も必死だった。」

 

 真っ先に「活路を見出したの」のはシンだった。しかし、その戦場にいなかったものからすれば、単に逃げ出したに過ぎないとされていた。

 ユウには、シンの言葉が弁明には思えなかった。シンの武功は、帝国一だった。傭兵として、今回の戦に加わったに過ぎないにも関わらず、帝国のどの将よりも死地に赴き、王国の兵達を葬っていったのだ。

 そしてこのもののいいよう、頭に血が上ってくるのをセセイは感じていたが、何も言い返すことはできなかった。


「いや、貴殿はよくやってくれた。次の戦いでも、活躍を期待してる」

「それなのだがな、ユウ殿。俺の兵達も、先の戦いで疲弊しきっている。一旦流浪に戻りたいのだ。いや、再び戦場に出るまで、それほど時はかからんさ…」


 次は、この男が敵か。ユウは額に汗が伝わってくるのを感じていた。シンはもう、視線をユウに向けていた。瞳の中は、黒く燃えていた。これは、猛獣などという類で現わすことはできない。ユウは、これ以上言葉を返すことなく、シンに背を向けた。それは、自身が抱く焦りと恐怖の色を隠したかったからであった。

 ユウが応接の間を出ると、すぐに隣室の扉も空いて、女騎士が金色の長髪を靡かせながら駆け寄ってきた。ユウの副官であり妹のユーリだった。ユウの前に仁王立ちすると上目で睨め付けるようにしてユウの瞳を貫いた。


「兄上!シンは何と?!」

 恐らくそれは、シンにも届くような声だった。ユウは慌ててユーリの口を手で覆った。


「どうにもならんさ。あの男は、まことの野生だ。飼いならすことは無理だな」


「飼いならすなどど!シンの軍など、兄上の策があれば蹴散らすなど造作もないことです。その時は当然私が先鋒ですが」


 ユーリは、今度は応接の間の扉に向かって拳を突き立てた。間も無くして扉は開き、大柄の黒甲冑が姿を表すと、ユーリは青ざめながらその拳を引っ込めた。


「勇ましいな。流石はユウ殿の妹君だ」


「俺ですら彼女には打ち負かされるのだ。その分、聞き分けも悪く手を焼かされる」


「そうか。それは、いつか剣を交えてみたいものだな」


 シンがそう言うと、ユウは背筋が凍るような寒気さを感じた。


 ーこれは、勝てぬー

 息をつくように人を殺してきた男。その口調に何の感情もユウは感じ取ることはできなかった。シンは、武人としての手合いを望んでいるわけではない。刺激にさえも至らぬ。ただ、人を打ち負かし、殺すことで得られるほんの少しばかりの感触に、飢えているだけのことなのかもしれない。

 気づけばユウは、シンに今にも噛みつこうとしているユーリの手を引き、歩き出していた。このまま、シンの側に居れば、気が狂ってしまいそうだった。

 野に放った。それも、自分が招き入れた男だ。流浪の軍として、名を馳せていたシンの登用に成功した時は、帝国の勝利を確信していたが、浅はかだった。

 むしろ、与えてはならぬものを与えてしまった。正規の軍に交じりながらも、戦功第一の戦果を上げ、麾下の兵に損傷もほとんどなく、ただ名声と金、武器を与えるだけ与えてしまったのだ。今、殺すべきだったのかもしれないとユウは考えたが、頭を振った。シンと話している間、腰に掛けた剣に幾度も手を伸ばそうとした。しかし、もし剣を抜く素振りでも見せていれば、瞬く間もなく、首を跳ねられていたようにも思うのだ。隙のない男だった。 否、人ならざるもの。獣、鬼神なのかもしれない。自然と、ユーリの手を握るユウの手は、血の気がひいて、冷え切ってしまっていた。


「兄上、怖いのですか。あの男が」

ユウは、ただ唇を噛み、うなづいた。

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