第4話 戦の意義

 ザセイダの自室は、あまりに飾り気がなかった。空室であったと言われても、なんら不思議はないとゼラは思っていた。以前、ザセイダにその理由を尋ねた時には、自分は戦場に生きているのだから自室など必要ない。厩さえあれば、馬と共に眠ることができると豪語していたが、あながち冗談でもなかったのかもしれないと思い、ゼラは苦笑した。この世には、シン・カシアムのような狂戦士もいるわけだが、ザセイダもまた、別の意味で戦に取り憑かれてしまっているのかもしれない。


 ザセイダは、ゼラが自室に入ると、小さな白い丸テーブルの側に掛けるように促した。テーブルの上には、まだ煎れたばかりの茶が置かれていた。


「シーラとはまた、意表を突かれましたね。ザセイダ様」


 ゼラが言うと、ザセイダは蓄えられた白髭を撫でながらくくっと笑った。もう、この老将も齢70を超えた。それでも、まだ神聖騎士団の将達の誰よりも軍の指揮力に長けていた。総大将としても、一武将としても、彼は苛烈に戦える。三月前程に、帝国随一の怪力将軍と呼ばれたゴーンド将軍との一騎打ちを繰り広げられた時は、勝るとも劣らぬ膂力と、剣捌きで圧倒していたのだ。帝国軍の総大将、第一軍のユアン・ノットが介入しなければ、打ち取っていたかもしれない。ゼラは、この老将に敵う時がくるのは、まだ遠い先のことであることに、悔しく思うことはなかった。


「シーラ駐屯の任を受け、小躍りしておった彼奴は、今頃頭を抱えておるだろう。レーヴェンめ。流石一流の役者は、舞台に事欠かんな」

 

 ゼラは、レーヴェンが今頃副官のイリーナに、大袈裟に愚痴をこぼしている姿を、用意に想像することができた。

 レーヴェンは軍略において天賦の才を持っているが、知る人は単に怠け者の印象しかない。当人は飄々としているが、謀略にも長けている。レーヴェンを陥れようとしたものは何人もいたが、結局彼の出世の手伝いをする結果となった。

 レーヴェンであれば、帝国のシーラ進行の意図を看破しているかもしれないとゼラは思っていた。ザセイダもそれを考えているのだろうが、レーヴェンからの一報があるまでは、今でき得る準備を整えていくのが先決であるとの判断だろう。


「それで、ザセイダ様。此度の戦、如何様にお考えですか?」


「帝国の意図は、正直に申して儂にもわからん。ただ、第一軍のユアン・ノット、第二軍のユウ・セセイが出てきている。どうも陽動とは思えんのだよ」


「本国は、ザセイダ様が?」


「若い将とは気が合わんでな。ギグシュと守りを固めることにした」


 ギグシュも、ザセイダと同様に老練の将だった。守勢に強い。恐らく、この二人が王国首都“リア”を固めるのであれば、帝国も用意に奇兵を割くことはできないだろうとゼラは合点した。


「両将軍に本国をお任せできれば、我々は思う存分に暴れられます。当然、先鋒は私なのでしょう?」


「口うるさい爺がおらぬと分かると気も逸るようだな、ゼラ。悔しいがお前しかおるまい。“神速”の異名、大陸全土に知ら占めるには良い機会であろう」


「買いかぶりなのです。将軍も」


 言いながら、ゼラはシン・カシアムのことが気になっていた。帝国から出奔し、再び流浪に戻ったと伝え聞いていたが、真実とは思えなかった。シーラの戦線にシンが加われば、首都にギグシュを残し、ザセイダが前線に加わることになる。

 一介の流浪の軍にしては信じ難い影響力である。前回の戦で、第七軍の将トマの進言を聞いていなければ、王国軍の被害も甚大なものとなっていたかもしれない。シンを、完全に捉えていた。帝国軍を瓦解に追い込んだザセイダの用兵も見事であったが、ゼラはこれでシンの軍も包囲殲滅できると踏んでいたのだ。

 トマはゼラの前に立ちはだかってシンに退路を与えろと進言してきたのだ。剣の柄でトマを殴り飛ばしたが、それでもトマは額から血を流しながら止めようとした。シンの軍と実際に対峙していたのはトマの軍だった。だからこそ、シンの軍の異常を実感していたのだろう。ザセイダが、ゼラとトマの様子をみて、トマの進言を容れることを決断したとき、ゼラは剣を叩きつけて悔しがった。シンは勇名も、悪名も大陸全土に馳せていた。その男を、追い詰めておきながらなぜ逃がすのだ、とその時は思っていた。しかし実際のシンの手並みをみて、ゼラはその考えを改めることになったのだ。


「シンのことが気になっているのであろう。ゼラ」


「はい。だから買い被りと申し上げました。シンのような男がいる限り、私などは青二才の武将にすぎないのです」


「戦の世ではあるがな、ゼラ。シンや儂のような戦でしか生きられぬ男よりも、お前のような男の方が得がたい。お前は時に戦に疑念を抱く。それは将としては青いが、人間としては儂らよりもずっと成熟しているのだと思う」


「恐縮です」


「シンのことは確かに気がかりだ。だからこそ本国に儂が控えている」


「はい。そうでした。ザセイダ様ならシンとて……ただ、一騎打ちはやめてください。心臓に悪い」


「ゴーンドはあともう少しで打ち取れたのだ。ユアンの若造め、小賢しいことばかりしおる」


 ザセイダは、拳を握りしめていた。苦虫を噛んだかのように表情を歪めている。ゼラは微笑したが、底からは笑うことができなかった。

 また、厳しい戦いが始まろうとしている。こんな時、女神イレーヌとやらは何をしているのか。それこそ、人間への買い被りもいいところではないか。人間に好き勝手やらせれば、結局行きつくところは戦乱の世だ。奇跡の力、再生の力とやらを見せてみろ。この世を平和に導いてこそ女神の役割ではないのか。


「ザセイダ様。此度も、勝てるでしょうか」


「イレーヌ様が導いてくれるさ」


 ゼラはただ、黙ってうなづいた。イレーヌが、いつしか勝利の女神とされていることに、どれだけの人が疑念を抱いているだろうか。



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