第25話 社会人に向けて

「はぁぁ」

「桐絵さん、なにしているのよ。早く出発しないと、夜遅くなってしまうわよ」

「うっさいばか。なんなの、さっきのあの態度は」

「? なにがよ」


 アメリとの生活も5年目になろうとしている。今年からまた、新生活を始めることになっている。

 お互いに就職先は何とかなっている。アメリはご両親の会社で、桐絵はそれなりに自分に見合った企業だ。それはいいとして、また同居は続ける予定だ。引っ越し先も目星をつけている。


 そこで改めて一度お互いの家に挨拶をすることになった。それはいい。高校の延長時には電話で済ませて後日顔を合わせる機会に適当にしたが、さすがに社会人にもなって、すでにお互いの家族を顔見知りになっていることも踏まえ、挨拶をすることになるのはおかしくない。

 ないのだけど、本日の桐絵の実家での挨拶でアメリの物言いは、何と言うか、完全に婚約者のそれだった。


 何を幸せにするとか言ってくれているのか。家族はみんな、あ、そうだったんだ。やっぱりね。にやにや。みたいな反応だった。


 極め付けには、ちょっと生意気になってきた弟(14歳)が

別れ際に玄関での見送り時に

「さっきのってねーちゃんをください的なやつですか?」

とかふざけて聞いてきたのに対して

「ええ、そうよ。私、あなたのお姉さんがほしいの。あなたの姉であることは変わらないけれど、ずっと一緒にいたいのよ。もらってもいいかしら?」

 などと言って弟から言質をとっているし。


 とにかく家族の元を離れたくて車を出した桐絵だったが、5分ほど走らせた先で端に停車させたのだ。

 アメリは不思議そうにせかしたが、桐絵はサイドブレーキを踏んで完全に停車させた。


「さっきの挨拶、あれなんなのよ」

「あら、何かまずい言い方していたかしら? 言葉遣いには気を付けていたつもりなのだけど、緊張していたから……もしかして、ご家族の不興をかってしまっていて?」


 アメリは全く自覚がないのか、そんな風に明後日の方向に不安げに涙目になった。顔をのぞきこんでくるアメリに、すぐ泣きそうになるのは変わらないな、と慰めに頭を撫でてあげる。


「あぁ、いや、言葉遣いとか、不興とかじゃないんだけど……普通にさ、結婚の挨拶みたいになってたじゃん。自覚ないわけ?」


 桐絵のなでなでに薄目でほんわか嬉しそうな顔になっていたアメリだが、桐絵の問いかけにはっと目を見開いた。


「け、結婚だなんて。……だけど、別に、偽りを言ったつもりはないわ。私、あなたと一緒に暮らして、幸せにするつもりよ」

「う……」


 ほんのり頬を染めながらも、真剣な顔でそう宣言され、桐絵は手をとめて視線をそらしながら両腕をハンドルにのせて背もたれにもたれた。


 だから、それがもう結婚だろう。実質結婚。どこまで本気で、どこまで自覚して言っているのだ。


 アメリと出会ってもういきつけるところまでいって、相手の知らない部分のないくらいの関係になっても、いまだに決定的なことを確認できずにいた。

 だけどここに至って、もはやアメリも自覚しているのではないか、と思えた。


「あ、あのさ……その、もちろん、嫌ってわけじゃないよ。気持ちは、うん。嬉しい」

「ふふ。もったいぶるわね。だけどそんなの知っているわ」


 得意げなアメリは可愛い。だけどいつものようにじゃあいっか。と流せる話ではない。

 完全に桐絵の家族はそう勘違いしているのだ。ならはっきりさせて、違うなら違うと言っておかないといけない。


「う、うん。でもさ、やっぱりその、私がほしい、なんてのはちょっと、言い方がね? 誤解を招くと言うか。変でしょ? 完全に結婚の挨拶でしょう?」

「それは……その……本気だわ。私、あなたに一生、私のものでいてほしいの。いえ、すでに私のものだと思っているけれど。だから、何もおかしなことなんてないわ」


 きりりとした顔でそう言われ、桐絵の心臓が馬鹿みたいに高鳴る。

 桐絵がアメリのもの。それは甘美な物言いだった。体がぞくぞくして、期待で体が震える。


「っ、ど、どういう意味だかわかってていってるわけ?」


 だけど求める心とは裏腹に、言葉は攻撃的に突き放すように問いかけてしまう。


 だってもう何度、期待を砕かれた? もしかしてアメリも桐絵に特別な、恋心をもってくれるんじゃないか。そう思っても、いつもアメリはあっけらかんと、そっけないほどあっさりと好意をつげるから。何の裏もないのだと思い知らされてきた。

 桐絵はそのたびに挫けないと心を燃やしてきたけれど、がっかりしてそのたびに臆病になっていったのは、誤魔化しようがない。


 だから今回も、そうじゃなかったとして、取り乱さないように。いつでも怒ったふりでその場をなあなあにできるように。そう心の準備をしながら、アメリの言葉を待った。


「それが桐絵さんを手に入れる手段だと言うなら、私はあなたと、結婚だってしたいわ」

「!」


 決定的、すぎる。いくらアメリだって、結婚は生涯一人とだけする特別なものだってわかっているだろう。その相手を桐絵にすると言うのは、もう、勘違いの余地はない。

 アメリもまた桐絵をかけがえがない大切な存在、だけではなく、一生何があっても手放したくない存在として求めてくれていたのだ。


 それは、桐絵の涙腺を破壊するのに十分な衝撃だった。


「っ、ぅ」

「え、き、桐絵さん? どうして泣くのよ。なに……嫌、だった?」


 制御できずにあふれる涙を子供みたいに両手でぬぐう。化粧が落ちてしまうなんてことを気に掛ける余裕もなく、どんどん涙が出る。


「っ、ぐ、ぅっ」


 だけどもちろん嫌ではないので、それと伝えたいのに声が出なくて、詰まった喉でもがくようにして、首を振って必死に否定する。


「お、落ち着きなさいよ。私は、泣かしたいわけじゃないわ」

「うっ、わ、わか、ってる、んっ、う゛んん。う、ご、ごめん。なんか、感、極まっちゃって」

「……はっきり言ったこと、なかったわね。私、あなたが好きよ。だから、結婚しましょう。どんな形だっていいわ。あなたを私のものにできるなら、私は桐絵さんのものになってもいいわ」


 アメリは優しく桐絵の頭を撫でて顔を寄せてそう言った。その声音はまるで包み込むように優しくて、桐絵の涙はとまりはしても、以前あふれだしそうなほどの幸福に包まれていた。

 声が震えるのも構わず、桐絵は力強くうなずいた。


「う、うんっ。私も……ずっと、アメリが欲しかった。ずっと私だけのものでいてほしいって、思ってた」

「知ってるわよ。馬鹿ねぇ。泣かなくてもいいのに。ずっと前から、あなたは私のものだし、私だって、ずっとあなたのものだったわ」


 アメリは最後に残った桐絵の目元の涙をぬぐい、左手で桐絵の右肩をつかんで引き寄せ、右手で桐絵の顎をあげさせた。

 その自然な流れに、桐絵は目を閉じた。慣れた柔らかな口づけは、桐絵の心を優しく撫でるように落ち着かせてくれた。


「ん……ありがと。うん。でも、自信がなかった。そうなればよかったけど、アメリの気持ちがわからなかったから」

「ほんと、あなたって、変なところで馬鹿よね」

「うん……そうかもね」


 好意的な会話も、永遠を匂わせる単語も、ずっと出てはいたのだ。ただ、信じ切れなかっただけで。


 アメリはふっと口角をあげて、肩をつかむのをやめて桐絵を座席に押し付けるようにしてから身を乗り出し、また顔を寄せてくる。桐絵はうっとりとしながら目を細め、ちらっと見えたフロントガラス越しに人と目が合い見開いた。


「!? アメリ待った!」


 相手も気が付いて、はっと口元を隠して慌てて電信柱の陰に隠れたが、いや、丸見えである。


「なによ、桐絵さん。いまいいところなのだけど」


 とっさにアメリの肩と額を抑えた桐絵に、アメリは不満げに唇を尖らせるが、いや、そんな場合ではない。確かに家の近所だし、知り合いに見られたらいやだなと言うのはあったもしかしたら見られるかもとはあったけど、そう広くない一車線の住宅街の人通りも車も少ない道なので滅多なことはないと思っていた。

 しかし最悪なことに、今目が合ったのは、高校三年生の妹だった。


「落ち着いて聞いて。そこに、妹がいる」

「えっ。ちょ、ちょっと、気まずいわね」

「ちょっとどころじゃない。とりあえず席に戻って」

「え、ええ」


 さすがのアメリも、そんなのどうでもいいわ、とは言わずに大人しく席に戻った。

 窓を開け、腕を窓枠にのせる。こんこん、と指先で扉の外側を叩く。


「そこの覗き魔のお嬢さん」

「の、覗き魔じゃないし。ていうか、場所考えた方がいいよまじで」


 ゆっくり姿を現した妹、花菜絵は気まずそうに前髪を直して視線をそらしながら隣まで来た。


「そ、それは反省してる」

「普通に声かけようとしたらお姉ちゃん泣いてるし見てたらキスするし」

「う。家族には内緒にして。お願いだから」


 弱みを握られているのは桐絵なので、そう素直にお願いする。花菜絵はジト目からふぅとため息をついて了承してくれた。


「いいけど。てかやっぱり二人そう言う関係だったんだ。アメリさん、今後も姉をお願いします」

「ありがとう、花菜絵さん。お姉さん、いただくわね」

「どうぞどうぞ」


 にこっとわかりやすく猫をかぶった花菜絵が窓から顔を少しいれてそう言うと、アメリもにっこり微笑み返した。

 さっきも見たけど、アメリの猫かぶり顔はいつもの愛らしい感じがなくて、ただただ綺麗に整った感じが上乗せされて、圧倒的美人力が強調される。


 それにうっとりしたいけど、妹の前なので自重するが、しかしそれにしても、反応あっさりしすぎてないだろうか。


「う。てか、やっぱりってなに。家族誰も驚かないってどういうことなの?」

「いやまぁ、一緒に暮らすだけじゃなくて、旅行も遊びもずっと二人だし、たまの帰省でもずっとアメリさんの話だし、自覚あるのかはともかく、表情も完全にあれな感じだし、みんな察してはいたよ」

「え。う……そ、そんなわかりやすかった?」

「お姉ちゃん表情に出るし。あ、もしかして今日の挨拶ってそう言う? やだ、それなら今日の会ぶっちしたのに。私も桐絵さんをくださいのくだり見たかった」

「そ、そんなくだり……」


 ないから、と言おうとしたけどあった。弟とだけど。

 家族の反応も普通に受け入れていたのはそういうことか。確かにちょっとわかりやすくべったりしていたかもしれないけれど、恥ずかしい。だけど女同士なのにとかそういう反応一切ないけどそれはいいのだろうか。


「よかったら、花菜絵さんにもしましょうか?」

「あ、是非是非」

「花菜絵さん、桐絵さんを私にください。一生幸せにしますから」

「きゃっ。なにこれドキドキしちゃう」

「ちょ、やめて。ていうか、誰も言わないんだけど、その、女同士なのとか、みんな気にしてないの?」


 のりのりのアメリに胸を抑えて頬を染める花菜絵に、アメリの肩を抑えて花菜絵から見えないよう座席にもたれさせ、窓から顔を出させて尋ねる。

 花菜絵は、もう、と不満そうにしてから、えー? と何でもないように答える。


「えー? 別に、まあ最初にもしかして、となった時は一瞬そんな空気になったけど、まあ、相手がアメリさんだしね。お金持ちのお嬢様でこれだけ美人でスタイル完璧だったら、そりゃあねぇ? 友達とか相手で全然そんな気にならない私でも、アメリさんならキスくらい許せるもん。仕方ないかなってすぐなったよ」

「……そ、そう」


 顔とかスペックで好きになったわけでは、でも最初から顔はめちゃくちゃよくて正直顔がすごい好きなのは事実であるし、とやや葛藤しつつ頷いて流した桐絵。

 とにかく、家族公認になったのは嬉しい事実なのだ。そして念願の関係になったのも間違いない。


「まあ、反対されても諦められるようなのじゃないし、よかったけど」

「そうそう。幸せになってよ。応援してるからさ。まあ人目はもうちょっと気にした方がいいけど。同性とか関係なく、近所で路チューはどうかと思うよ」

「……ご忠告どうも。まぁ、ありがとう。幸せになるわ」


 素直に笑顔になりにくいので半笑いになってしまったが、花菜絵が善意で祝ってくれているのはわかるのでお礼は言う。その桐絵の顔に、花菜絵はくすっと笑った。


「うん。じゃ、お邪魔しちゃ悪いしもう行くよ。アメリさんも、また」

「ありがとう、花菜絵さん。またお会いしましょう」


 花菜絵は駆け足で帰って行った。角を曲がって背中が見えなくなってから、桐絵はため息をつく。


「はー、なんか、どっと疲れた」

「ちょっとびっくりしたわね。だけど、桐絵さんのご家族みなさんに認められていたのが分かって、嬉しいわ」

「ん、まあそれは……ちょっと待って。次、もしかして私がアメリの家に挨拶行くじゃない?」

「ん? それがどうかして?」

「もしかしなくても、それって結婚の挨拶になるんじゃ?」

「当然でしょう? 今はもう二人ともそれを自覚しているじゃない」


 明日はアメリの家の方に挨拶に行く予定だ。シェアルーム相手としての挨拶のつもりでしかなかったけれど、こうなってしまえば、アメリ側には普通にルームメイトですなんて言えるはずがない。

 理屈としてそれはわかっている。わかっているが、えぇ、今日の明日でもうそんな、結婚の申し込みに行くなんて心の準備全然できていないにもほどがある。


「そうだけど、でもずるくない? アメリはその意識ないままなし崩しにそうなっただけじゃない。私だけめちゃくちゃ事前の心づもり必要だしすごい緊張する」

「何言っているのよ。確かにまあ、最初は結婚の挨拶のつもりはなかったけれど、だけど生涯ずっと一緒に住む挨拶なのだから、大して変わらないでしょう?」


 確かに。正論だ。アメリはその意識だったのだろう。だからあんな紛らわしいセリフがでてきたのだし、あれだって十分言うのに勇気が必要で、弟にだって本気で対応してくれたのだ。

 そして結果的に素直になれたのだし、言ったことに文句を言うつもりはない。ないし、先にアメリを無難に済ませてからのこれになっても、それはそれで問題だっただろう。


 だけど急すぎる! 今日気持ちを確認できたのに、明日結婚の許可をもらいに行くなんて。


「う……あ、アメリの家族、どういうかなぁ。うちの家族みたいに能天気じゃないだろうし、大事な娘に、とか」

「大丈夫よ。私のお願いが断られたことなんて、一度もないのだから。なんならメアリお姉さまは喜ぶのではなくて? 本当に妹になるのだから」


 アメリは気安く言ってくれるけれど、それだけ甘やかされているほど大切な愛娘なわけで、今までずっと友人だと騙して暮らしていたようなものなわけで、激怒される可能性だって0ではないだろう。


 先ほどとは真逆の青い顔で頭をかかえる桐絵に、アメリはくすりと笑ってハンドルに押し付けられた桐絵の頭を撫でて、耳に軽くキスをして囁く。


「もう。桐絵さんは心配性ね。早く帰りましょう。そうしたら、勇気が出るよう、一晩中さっきの続きをしてあげるから」

「……か、帰るけど、さぁ」


 そして翌日、少々寝不足で逆に気合十分興奮気味に乗り込んだアメリの実家で、同じように察せられていたどころか、アメリは桐絵と一生一緒に過ごす前提の発言をしまくっていたらしく普通に歓迎された。

 反対されたら私が言ってあげるわ! と鼻息荒く宣言していたアメリもさすがに、アメリは桐絵さんしか見えていないし、この子の面倒を見られるのは桐絵さんしかいないと思っていた。とか親に言われるのは真っ赤になって俯いてしまっていた。


 まあそんなわけで、二人は無事思いを伝えあって、ラブラブな同棲生活を始めるのだった。


「え、絶対こっちのカップの方がいいって」

「何言っているのよ。新生活の記念なのよ? そんな安物じゃあ、全然足りないわ」

「は? これだからお嬢様は。値段しか見えないっての? 毎日使うものなんだから、何にでも合うこれがいいって」

「日常使いにだってできるわよ。高級品はたまにしか使わない、だなんてそれこそ偏見だわ」

「はぁ? 誰が洗い物すると思ってるわけ? 手入れしやすさが優先に決まってるでしょ」


 と、こまごましたことで揉めてしまうのは変わらないが、それでも二人は0距離のまま、一生一緒に暮らしましたとさ。





 今度こそおしまい。

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ポンコツ末っ子お嬢様と世話焼き長女なちびっこがツンツンしながら過ごす寮生活 川木 @kspan

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