第24話 三年生の終わりに
時間が過ぎるのはあっという間だ。それはいつも、過ぎてしまってから気が付く。
アメリと出会ってから、思い返してもまるで早送りだったかのようだ。何気ないことも全部思い返せてしまう。アメリにまみれて、他の何も思い出せないくらいだ。
そんな馬鹿みたいに青春を無駄にした高校生時代は、だけどもうすぐ終わってしまう。
桐絵もアメリも高校三年生になり、それぞれの将来を考えなければならない時がきて、そして進学が決定して、あとは卒業を待つばかりの2月。
桐絵はとっくに推薦で秋には決まっていたので、アメリの進学を手伝ってあげていて、合格が発表されたのがつい昨日のことだ。
お祝いをして死ぬほどお礼をされて、そして目が覚めた今日。アメリの寝顔を見つめながら、桐絵はあと一か月もこうして一緒に暮らせる期間がない現実を直視せざるを得なくなった。
「……」
すやすや眠るアメリは、昨夜の執拗な攻めなんて嘘みたいな愛らしい顔をしている。思わずでこぴんしたくなるくらい、可愛い。
でこぴんの代わりに桐絵はアメリの額にキスをして、じっくりとアメリを見つめながら考える。
肩の荷が下りた。そう思っているのは嘘ではない。
アメリを合格させるために、アメリと同じ程度には努力した。なにせ教えるためにはアメリ以上の知識がなければいけないし、同じように席について勉強しなければ、させる側の威厳もないからだ。
だから無事合格して、ほっとした。もうアメリの受験応援なんて御免だ。それは本当に思っているし、事実だ。
だけどアメリと離れてしまうと思うと、胸が引き裂かれるようにすら思う。辛くて悲しい。
桐絵は地元には戻らない選択をした。ここから少し離れたところにある有名な大学に滑り込むことができた。
そしてアメリは自分の実家からもう少し離れるところにある歴史ある女子大学に決まった。
二つの大学の距離は、実のところそれほど離れていない。電車で一時間もかからない。
お互いの希望が判明した時からずっと桐絵は思っていた。一緒に住めないだろうか。間のあたりなら、大学まで30分は十分可能な距離だ。
だけどそれを言い出せないまま、今になってしまった。だってそうじゃないか。
別の大学に通うのに、わざわざそれぞれから離れたところで二人で住むなんて。ルームシェアだなんて言ったって、どんな言い訳したって、そんなのは告白同然だ。
アメリの頭がおかしいとしても、不自然さを感じないわけがない。結局のところ、桐絵は振られるのが怖いのだ。だからいつも決定的なことは言えないままだった。
だけどこのままでは、アメリと離れ、たまに会うだけの関係になってしまう。
だったら、ここで勇気をださないでどうする? 振られたところで、新生活が始まるのだ。なら勇気を出さずにいるのと何もかわらない。少しでも二人で過ごす可能性があるとするなら、今手に入れるしかない。
アメリの受験も終わり、困らせて迷惑をかけたくない、と言う事実と言う名の言い訳ももう使えないのだ。
アメリが起きて、ご飯を食べたら言おう。一緒に住もうと。その為に今まで、候補は見てもまだ引っ越し先を決めてすらいないのだ。
アメリが何かに気が付いたなら、もう告白してしまおう。いつまでもこの曖昧なままいられるわけでないなら、一気に変えてしまうのも悪くない案だ。
アメリの寝顔を見ていると、そんな風に前向きな勇気が出てきた。
この寝顔を、こんなに近くで見ているのは、生涯自分だけでいい。ずっと近くにいたい。それが偽らざる本音だ。
それにここまで来たのだ。アメリだって、恋愛と言うことではないにしろ、桐絵とずっと一緒にいることが当たり前みたいなことばかり言ってくれていた。なら、誘いに乗らないなんてありえない。大丈夫だ。大丈夫に、決まっている。
「ん……き、りえさん」
「! お、おはよう、アメリ」
「ふわぁ……」
桐絵が目を覚まし、その瞳に桐絵をうつす。それだけで少し慌ててしまったが、アメリはそれに気が付いた様子はないので、気づかれないよう心を落ち着かせる。
「ごはん、つくるから離して」
「ん……甘いのが食べたいわ」
「はいはい」
アメリはずっと抱きしめていた桐絵を離す。ぬくもりが離れて、寂しく感じられる。だけどこんなのは一瞬のことだ。
服を着て身支度を整え、手早く朝食をつくる。簡単にフレンチトーストだ。牛乳もこれで使いきった。明日の買い出しで買わないといけない。
「いただきます。うん。いい具合だわ」
「そりゃどーも」
「……ねぇ、桐絵さん。少し、提案があるのだけど」
「なに?」
「あなたってどこに住むか予定はあるの?」
「え、いやぁ、その、まだ決まってはいないけど」
大学が決まっているのに、こんなぎりぎりまで決めていないと言うのは珍しい。だから言いよどみながらも、アメリには食後にはそれを明かすのだから嘘をついても仕方ない。
桐絵が答えるとアメリはぱっと表情を明るくした。
「あら、そうなの! ……あの、だったら、一緒に住むのはどうかしら?」
「えっ!?」
そしてまさかの桐絵の脳内を先取りしたかのような提案に、全力で驚いてしまった。フォークから勢いよくアメリに顔を向ける。
アメリは少しだけ気まずそうに、眉をさげてだけど口元は強気に尖らせた。
「なぁに、その反応は。この私が、まだまだ一緒にいて上げると言っているのよ? 喜んで、お世話させてくださいと言うところじゃないかしら?」
勝算がないわけではなかった。
この三年間ずっとアメリと暮らして、彼女の生活を支えていたのだ。単なる友人だと思っていたとして、今更本当に一人暮らしをして新しく使用人を雇うより、一緒だった桐絵の方が話が早いし楽に決まっている。
だけど、だ。まさかアメリから言ってくれるなんて。どんなにアメリが桐絵を特別に扱うそぶりを見せてくれたって、わざわざ学校を出てからも一緒に暮らそうなんてのは話が変わる。
「……」
嬉しい。アメリもまた、桐絵と進学と言う仕方ない事態でもなお離れたくないと思ってくれていたのだ。
じわじわと喜びが湧き上がり、桐絵の体はむずむずしてくる。飛び上がってしまいそうだ。
桐絵はフォークを何とか音がならないようにおろして、再度アメリを見る。
アメリはじっと桐絵を見ている。その不安そうに揺れる瞳がどこかおかしくて、いつも自信満々で桐絵の好意を疑わないアメリでもそんな風な顔をするのが可愛くて、桐絵はくすっと笑って腰を上げてアメリにキスをした。
「ん。なによ。黙って。ちゃんと答えなさいよ。それとも、キスが答えだとでも言うつもりかしら? ずいぶんロマンチックなのね」
「うるさいなぁ。……あんたは、ロマンチックなのが嫌いなわけ?」
「……嫌いじゃあ、ないわ。だけど、言葉で聞きたいこともあるわ」
「好きだよ」
「えっ?」
言葉で、と言われて思わず告白してしまった。アメリは脈絡のない桐絵の言葉に驚いたように目をしばたかせた。
しまった、と思いながら、ここで慌てて返事をしてはいけない。好意を示すこと自体は当たり前に二人ともしている。だから、当たり前に流さないと。
「あー、まぁ、つまり、一緒に暮らそう。私、アメリの世話をするの嫌いじゃないし、一緒に暮らせたらって、私も思ってたよ」
ここで強情を張っても仕方ない。それにアメリから勇気を出したくれたんだ。それを台無しにはしたくない。
だから桐絵は素直にそう言った。アメリは徐々に頬を赤くしていき、花が咲いたようにほころんだ。
「! まぁ、そうだと思っていたわ!」
そのアメリの微笑みに、桐絵は言葉すら失う。だから言葉の代わりに、もう一度キスをした。
キスをするとき、どんなにささやかなものでも、必ず顔を寄せただけで律儀に目を閉じるアメリ。そういうところも、好きだ。
「ん……今のキスはなに?」
「別に。意味なんていらないでしょ。したくなったからする、いつものことじゃない」
「そうだけど……まあいいわ。ねぇ、住みたいところはある?」
「一応、いくつか下見はしたけれど。資料見る?」
「もちろんよ。自分が住むのだから」
随分前から放置している髪の資料を取り出して、パソコンを起動する。今もまだ入っていないのは、結構残っている。
このあたりの四月からの需要は一人暮らしが多いのか、大き目の部屋はまだ埋まっていないようだ。
「あら……? もしかして、あなた、最初から私と暮らす部屋を探していない?」
「……言ったでしょ? 暮らせたらって思ってたって」
「ふふふ。なら、もっと早く言えばよかったわね。合格するまでは、空手形になってしまうからって思っていたけど、あなたをやきもきさせてしまったかしら?」
「……別に。他所のこと考えていて、受からなかったら気まずいどころじゃないんだから当たり前でしょ」
それがあるから、言い訳だとわかってはいても、この話をすることははばかられたのだ。実際、それが決まってから落ちたアメリと一緒に暮らすとか微妙な気分になるに決まっている。
アメリは桐絵をにまにまと肘をついてみている。ひらひらと資料を揺らしているアメリに唇を尖らせてみせたが、笑みはますます深くなる。
「ふふ。まあいいわ。あなたは私が大好きだものね。うーん、確かに広さは十分な部屋ばかりだけど、でもちょっと駅から遠くないかしら?」
「駅近は二人で割ってもさすがに高いって。大学の中間地点だけど、関係なく元々いい立地だし、徒歩圏内で買い物がしやすい地域だし十分だって」
「何を言っているのよ。お金なんて全額家でもってあげるわよ、あなたが家事をしてくれるなら報酬として少ない位だわ。あなた、この私を馬鹿にしているのかしら?」
「してねーよ。別にお金に困ってるわけじゃないし、そういうのは嫌。それこそ駅なんか車で行きなさいよ」
親から金額を指定されているわけではないし、どうしてもここがいいのだと言えば、一人暮らしでもそれなりの金額を出してくれるだろう。両親は桐絵に限らず子供に甘い。
だけどそういう問題ではない。世間の一人暮らしの相場相応でやりくりしたいと言うのは、桐絵の性分だ。そこは曲げたくない。
そしてアメリの実家におんぶにだっこなんてのはもちろん論外だ。意味もなくそんな借りをつくりたくない。アメリと桐絵の関係は平等でなくちゃ意味がないのだ。
だけどアメリはそんな桐絵の言葉にやれやれとでも言いたげに肩をすくめる。
「学校には電車通勤が推奨されているのよ? 微妙なこの駅までの距離でわざわざ車は面倒じゃない。買い物こそ、今と同じで車を使ってもいいくらいだわ」
「人を呼ぶの面倒でしょ。今までだって買い物はバスの方が多いじゃない」
バスを逃したときは都度タクシーを呼んだりしているが、少なくとも降りる時はほとんどバスだ。その表現は誇張がすぎる。
しかし何故かアメリは得意顔になって目を細めた。
「ふふふ。呼ぶなんて言っていないわ。大学生になるってことは、私たちも免許をとれるのよ? 特別に、私の助手席は桐絵さん専用にしてさしあげてもよくってよ?」
「……いや、まだ死にたくないし」
その手があったか。と思いながら、アメリの提案にはすげなく答える。
いい案だとは思うけれど、あの運動音痴のアメリの運転する車にのるなんて、それはちょっとバッドアイデアと言わざるを得ない。
桐絵のジト目に、アメリはむっと一気に語気を強くする。
「どういう意味よ!」
「それなら私が取った方がましってこと」
「あらぁ、桐絵さんの体格でも運転できる車なんてあるのかしらぁ?」
「は? 馬鹿にしすぎでしょ」
桐絵はこの高校三年間、全く身長は伸びなかった。一方アメリはさらに伸ばし、もはや二人の身長差は頭二つ分。しかし桐絵は一般的にも低い方ではあるが、車に足が届かないなんてことがあってたまるか。
怒鳴るとアメリはにぃっと唇の端をつりあげて、挑戦的に告げる。
「じゃあこうしましょう。どっちが早くとれるかで決めましょう。どう?」
「上等じゃない。勝った方が運転手、負けたら一生運転なんてさせないから」
「いいわ。あなたを私の専属運転手にしてあげるわ」
「望むとこ、ん?」
あれ?
桐絵が首をかしげると、アメリは楽しそうに笑って、抱き着くように桐絵にキスをした。
二人の短い高校生活が終わり、長い二人暮らしが始まるまで、あと少し。
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