第11話 気付かないちびっこ

 宿敵期末テストを乗り越え、アメリは有頂天であった。中間テストで落ちてしまったので、それを戻すべく渋々桐絵に助けを求め、何とか乗りきったのだ。どころか、この手応えではいつも以上ではないだろうか。

 実家にいると両親や家のものの目があるのでどうしても規則ただしい生活や、だらしない姿と言うのは見せにくい。世話をされるのは仕事なので当たり前として、ベッドでごろごろしたり夜更かしなどはとてもできないものだった。

 そこへきてのこの気楽な生活で少々怠けてしまったが、アメリはやればできるのだ。


 しかしすっかり怠け癖ができていたので、今回頑張れたのは桐絵が一緒に頑張ってくれたのは大きいだろう。

 それはアメリも大いに認めるところだ。なので何かお礼をしたい。と思い立ち、桐絵の膝枕がお気に入りになったアメリは恩返しならぬ枕返しをしてあげることにした。


 やや強引かもしれないけど、他に返せるものが思いつかない。これで満足してほしい。寝るだけでいいので一石二鳥だ。

 強引にベットに入って腕を出すと、桐絵は戸惑っていたようだけど大人しく頭を置いてくれた。


「おやすみ」

「おやすみなさい、桐絵さん」


 と挨拶をして目を閉じたはいいけれど、これ、意外と重い。桐絵は小さくて軽いと思っていたアメリにとって、頭の重さは絶妙にずっしりくる。眠いけれど、気になってしまう。

 今は大丈夫だけど、このまま寝たら腕がしびれそうだ。桐絵が眠ったらこっそり腕を抜いてしまおう。と思いながら我慢していると、なにやら桐絵がもぞもぞ動き出した。


 もしかして桐絵も腕枕が眠りにくいのだろうか。そうだとしたら、これはむしろお礼にならなかったのでは? と考えていると、お腹の上の右手に何かが触れた。

 思わず反応してしまいそうになるが、一度先に桐絵を寝かそうととりあえず寝たふりを始めたからか、反射的にそのままじっとしてしまっていた。


 桐絵の吐息が聞こえてきて、自分の方を向いていることがわかる。そして手に触れているのは、桐絵の手だ。

 すっと撫でるようにしてくるくすぐったい手付き。それでもわかる、桐絵の小さな手。普段何気なく振れている時は全然気にならないのに、何だか妙な気になってくる。


 と言うか、何を勝手に人の手に触れているのか。別にアメリだってそんな気分の時はあって、膝枕してもらって頭を撫でられてる時に桐絵の手をとったことはあるけども。

 でもなんだか、そんな壊れ物に触れるようにされると、気持ち悪い。

 人差し指をつかまれて、それこそ赤ん坊がするみたいなことで、何だか桐絵の動きが可愛らしくて目を開けて今どんな顔をしているのか確かめたくなってしまう。


 だけどここまできたら意地だ。このまま寝るしかない。アメリは鉄の心でじっとする。と心に決めた瞬間、ずいっと肩に何かが迫ってきた。

 何か、などと濁したがすぐにわかる。桐絵の頭だ。すぅすぅと鼻息があたってくすぐったく、それと同時に恥ずかしい。

 どうして急にそんなに近づいたのだろうか。ほとんど抱き着くみたいに。と言うか今、匂いをかがれているのだろうか? そう思うとめちゃくちゃに恥ずかしいし、桐絵の匂いが気になる!


 と悶えていると、ふいに桐絵の頭が離れ、疑問に思うより早く、頬に柔らかなものが押し付けられた


「……おやすみ」


 それが何か、頭が理解するより先に離れ、小さな小さな、背筋を撫でるような声がそう言った。


 息が止まるかと思った。たまらず目を開ける。生きるために呼吸をする。ゆっくりと、隅々まで酸素をいきわたらせるように。

 そうして三回呼吸してから、ゆっくりと頭を回して桐絵を見る。目を閉じて、眠っているのか、寝ようとしているのか。とにかくアメリが起きていることに気が付いた様子はない。


 今、頬にキスをされた。見たわけではなくても、間違えるはずがない。


 梅雨が始まるころ、確かに一度、キスをしたことがある。だけどあれから桐絵はいつも通りだったし、間接キスすらなかった。

 別にアメリはあってもよかったのだけど、ないならないで、無理にキスをしたいわけではない。そんなことをアメリから思うなんておかしいのだから。


 だけど今になって、桐絵から? それもアメリが寝ていると思った状態で、寝込みを襲って、こっそりと頬にキスをするなんて。


 それに、どんな意味を見つければいいのだろう。アメリは母や姉たちから頬にキスされるくらいよくある話だ。大抵は音だけだけど、感情が高まると普通にされるし、おかしなことではない。

 だけど、だからこそ、こんなふうに、純日本人の桐絵から隠れるようにしてされた頬へのキスを、意味深に感じてしまうのは無理のないことだろう。


 別に、おかしなことはないのかもしれない。今すぐ起こして問いただせば、アメリの寝顔が可愛いからついしちゃった。みたいに言われるのかもしれない。

 そう軽く照れるでもなく言われたなら、アメリもなんだ、それなら仕方ない。と笑って流せるだろう。


 だけどもし、そうでなかったら、どうしたらいいのか。アメリにとって桐絵は特別な存在で、大事な友達で、今一番仲良しで、もっと仲良くなりたくて、もっと見てほしくて、もっとそばにいてほしくて。それが特別なことなのか、だけどそんなの、わからない。

 ただアメリにわかるのは、目を閉じてゆっくりと呼吸が穏やかになり、寝息に転じてゆるい顔で横たわっている桐絵は可愛らしくて、その唇にキスをしたいと言う自分の感情だけだ。


 だからそれに従って、唇をあわせた。柔らかくて、小さい。口を開けたら入ってしまうのではないかと思わせる。

 顔を離す。桐絵は目を開けない。こんなにアメリがどきどきしてフワフワして、何だかたまらない気持ちなのに。桐絵は本当に眠っているのだ。


 それが悔しいような気になって、そっと桐絵の瞼にキスをする。頬にする。鼻にする。もう一度唇に。

 改めて顔を見る。そのすべてが、可愛らしくて、きゅうっと締め付けられるような可愛さで、桐絵のすべてが自分のものになればいいのに。と思った。

 その感情に、名前はまだない。アメリはただ、桐絵のことを大好きだなと思って、じっと桐絵を見つめて、時々キスをした。眠気も疲れも、どこかで眠ってしまっているようだ。


 そうしてどのくらいたったのか、ぴく、と桐絵の瞼が動いた。びくっと体が震え、慌てて距離をとる。当たり前にしていて、もうキスをするくらい当然の距離間の気にさえなっていたが、当然そんなわけはない。

 そっと桐絵の様子をうかがうが、キスとは関係なく起きたようだ。


「……ふ、んっ!?」


 寝ぼけているのか、桐絵はアメリにすり寄るように顔を寄せてくる。可愛い。このまま、頭にならキスをしても気づかれないだろうか、と思っていると桐絵は顔をあげて目を開け、びくっとまるで猫が飛び上がるようにして離れた。


「び、びっくりした。おはよう、アメリ」


 桐絵はぱちぱちと可愛らしく瞬きをしてから、頭をかきながらそう挨拶した。

 その様子は可愛らしく、そして同時に、その顔のどこもかしこも、キスをしたのだと今更思って、急にめちゃくちゃ恥ずかしくなった。

 したいからしたのであって、別に後悔はしないけれど、しかしよく考えたらしすぎだし、ちょっとおかしかったかもしれない。

 赤くなってしまうのを誤魔化すために布団のを引き上げて顔を半分隠したけれど、赤面していたのはばれてしまったようで、つられたように桐絵まで赤くなっていて、そんな顔も可愛くてまたキスしたくなってしまう。


 どうしよう、と思っていると、つられただけなので当たり前だけどさっさと赤みを消した桐絵は何故か無慈悲に掛布団を取り上げた。そして何かを確認してから布団を返してきた。


 よくわからないけど、アメリのことも不思議がらずに流してくれることになってほっとした。

 寝かしつけられそうになったけれど、それは拒否して自分のベッドに戻ることにする。結局ずっと起きていたので、今になって少し眠くなってきた。


 うっかりと梯子を一段踏み外して足を地面に勢いよくついてしまったけれど、問題ない。痛いけれど、怪我はしていない。

 だけど腹も立ったのでそのまま勢いでふて寝することにした。


 そうして眠ってから、しばらくして目が覚めた。閉めたカーテンの向こうで、カリカリと何かペンを走らせているような音がした。

 その何気ないことが、この向こうに桐絵がいるのだな、と当たり前のことを実感させて、何故か少し気恥ずかしく感じられた。


 桐絵のことが大好きだと、素直に思えた。キスとかしちゃうのはなんだか少し変な気もするけれど、アメリにとって初めてで来た特別な友達で、大切にしたい人なのは間違いない。

 だからこそ、もっと仲良くなりたいし、もっとキスだってしたい。


 だけど桐絵はアメリが隣にいたって普通に眠っちゃうし、特別に意識してくれていない感じがして、何だかもやもやしてしまう。

 なんだか、自分ばかり桐絵のことが大好きなようで悔しくなったのだ。


 そして考えた。どうすればこの不平等さが解消されるのか。どうしたら、桐絵と対等になれるのか。もっと仲良くなれるのか。


 そして、ひらめいた。アメリの灰色の脳細胞は完璧な答えを出した。

 もっと桐絵がアメリを大好きになればいい。桐絵がアメリを大好きで、アメリとキスがしたくてねだってくるようになれば、一方的な思いではなくなる。

 それどころか、キスしてあげるからと言うことにすれば、色々とお世話してもらうこともチャラになるのではないか。何と言う、神がかり的発想だろうか。とアメリは自画自賛しながらベッドのカーテンを開ける。


 幸いもうすぐ夏休みだ。元々夏休みの間にも桐絵と何度か遊びたいと考えていたけれど、時間がたっぷりあるのだから、たくさん遊んで桐絵がアメリにメロメロになってしまうくらい大好きにさせる大チャンスだ。


「そうそう、桐絵さん、夏休みのご予定は? 空いている日はあるのかしら?」


 まさか断られるとは思っていなかったので本気で泣きかけてしまったが、結果的には一週間遊べることになったのだから問題ない。

 この夏休みで、桐絵ともっと仲良くなって、対等な大親友になるのだ。とアメリは意気込んだ。

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