第6話 間接キスをするお嬢様

「ちょっと、何寝てるの。起きなさいって」

「んー。食べさせて」


 アメリはずりずりと這い出して、角から顔をだしてくる。元々、アメリがこぼしたりした時のために対面では座らず、隣か角ごしの斜めが定位置だ。

 なので少し前に出てきただけで、アメリの頭は桐絵の膝のすぐ隣にある。なので可能と言えば可能だが、何故そんなことをしなければならないのか。


「なに、急に。甘えん坊か」

「あ、甘えん坊じゃないわよ。ただ面倒なだけ」

「家でどれだけ甘やかされてたの?」

「馬鹿じゃないの? 家で私の世話をするのは、それがお仕事の人なのよ? あなたみたいにずっと一緒にいて暇をしているわけではないし、食事をとるときに隣にいるわけないでしょう?」

「いや、むしろアメリが馬鹿でしょう」


 家より甘えてます宣言をされてしまったけれど、それでいいのか。あくまで自分はさせてあげていると言うスタンスを貫いているのではなかったのか。


「あのさ、あんた私に頼んでないとか散々言ってたくせに、最近だんだん普通に甘えてきてない?」

「ちがうわよ、これはその、あなたがそうしてほしそうだから、よりあなたに私の世話をさせてあげるようにしてあげているだけよ」

「どんだけあげてんの」


 まぁ、結局なんだかんだしてしまっているのは事実なので、そういう風にアメリが調子に乗ってしまうのも無理からぬことなのかもしれないが。

 ジト目で見るも、アメリは半目でじっと見返し、無言で催促をしているつもりか、口元をむにゅむにゅさせている。


 いらっと、しないでもない。だけど正直に言えば桐絵はそのアメリの甘えた姿は可愛いと思えてしまって、アメリに直接食べさせてあげるのはいいかも。と思ってしまった。


「……し、しかたないな。今回だけだよ。はい。口あけて」

「ふふふ。何を言おうと、あなたが私を大好きだと言うことはわかっているのだから、抵抗は無駄よ」

「黙って。あーん」

「あーん」


 にやにやと言われた言葉が図星なのが恥ずかしくて、強引にチョコレートでアメリの唇をつついて促すと、丁寧にあーんと言い返しながら開けてくれた。

 今まで意識しなかったけど、なんだかこうして間近に上から見るとエロティックに感じてしまって妙にドギマギしてしまう。誤魔化すように滑り込ませる。


「んっ。ちょっと。乱暴にしないで。喉にきたじゃない」

「え、ごめん。次はちゃんとするから」

「全く。罰として、こうしてやるわ」

「え、な、なにしてるの」

「だから罰よ。足がしびれるといいわ」


 罰、などと言いながらアメリは肘をついて匍匐前進するように身を乗り出し、桐絵の胴体に半ば抱き着くようにして、膝に頭をのせたのだ。

 正座ではなく、アメリに向かって崩しているのですぐにしびれたりはしないし、昔から兄弟たちにはしていたので構わないと言えば構わない。

 が、すぐ近くにアメリの顔があり、その妙に高い体温や、艶っぽい唇、長いまつげががいつも以上に気になってしまう。


「はい、次、あーんしなさい」

「わ、わかったよ」


 ここで逆らったところで、アメリが素直に引くわけでもないし、大きな問題があるわけでもない。膝枕くらい、友達同士がふざけてやっても問題ないのだから。

 だから過剰に反応したって、アメリにからかわれるだけだ。桐絵はことさら平静を装って、体勢をかえて上をむいてにんまり微笑むアメリに言われるまま次のチョコレートを口に入れてあげる。


 今度は途中で離さないよう、しっかりつまんだまま口元へもっていく。アメリは嬉しそうに口を閉じ、はむ、と桐絵の爪先ごと口ではさんだ。


「!?」


 思わぬ感触に反射的に力を抜いて指をぬいたが、チョコレートはしっかりアメリにくわえられていて落下を免れた。

 桐絵の同様など知らぬとばかりに、アメリは馬鹿っぽいと言っても過言ではない呑気な顔でチョコレートを堪能している。


「んー、やっぱりじっくりなめて味わうに限るわ」

「そ、そう。本当にチョコレートが好きだよね。ちょっとびっくりするくらい」

「そう? 普通でしょう? あなたこそ、チョコレート苦手なの?」

「そういう訳じゃないって。単に美味しいものは美味しく食べたいから、美味しい分量でやめてるだけだし」

「美味しいものは吐くまで食べたって美味しいに決まってるじゃない」

「馬鹿みたいなこと言わないでよ。はい、次。あーん」

「あーん。んー、ヘーゼルも美味しいけど、アーモンドも最高よね」


 同じように指先が唇に触れる。アメリはまったく気にしていないようで目を細めている。桐絵は自分がばかばかしく感じながらも、さっさと終わらせてしまおうとチョコレートをつまむ。


「よかったね。じゃあ次は」

「桐絵さん、元々あなたの分なのだから、少しくらい食べてもいいのよ?」

「ん? まあ、じゃあ一つくらい食べようかな」


 別に我慢していたわけではないけれど、嫌いと言うわけでもないので言われるままつまんだものを口に入れた。ほんのり苦い表面の中に、柔らかく風味豊かなホワイトチョコレート。

 美味しい。それは間違いない。だけどここで欲求のままもう一粒食べると、途端にもういいと言う気になる。だからこの味わいの余韻を味合うように、そっと指をなめる。


「あ」


 そうしてから、自分の指先がアメリの唇に触れていたことを思い出した。

 かっと体温が上がる。こんなの、行為としては全然大したことじゃない。妹たちが食べ残したものを妹たちの箸をつかって食べるくらい平気だったし、中学は普通の公立だった桐絵にとって友達と回し飲みだってマナー違反と言う人はいなかった。


 だけど今の相手は、妹なんかじゃない。今までの友人とも全然違う。

 アメリは、気が付いたら見惚れてしまうくらい美しくて、どんな我儘も許してしまうくらい可愛らしくて、このお嬢様学校のどのお嬢様より自堕落なのに気品に満ちていて、そんな目で見ることが許されるような、そんな気安い存在ではないのだ。


 何も違わない。アメリだってただの人間で、同級生で、ルームメイトで、むしろ見たことないくらいポンコツだ。本当に同級生なの? と言いたいくらいどんくさい。

 なのに、今自分の膝の上に載っているアメリの顔は、突然動きをとめている桐絵に不思議そうにきょとんとしているアメリの顔は、どの角度で見ても気を抜くと見とれてしまいそうだ。


「なに? どうかした? もしかして、異物混入、とか?」

「そ、そうじゃないよ。大丈夫。ただ、ちょっとびっくりしたっていうか」


 少し真剣な顔で聞かれてしまったので否定するけれど、まだ動揺していて心臓が妙に早いのでうまい言い訳が思いつかない。


「びっくり? 美味しすぎてと言うこと?」

「なわけないでしょ……いや、その、か、間接キスになっちゃったかな、なんて」


 曖昧に誤魔化そうとしても駄目なので、よく考えたら大したことではないのだから、普通に言って馬鹿ねー何言ってるのよ、くらいに言ってもらえれば落ちつけるだろう、と思って素直に冗談交じりにそう言った。

 が、それを聞いたアメリの反応は予想とは全く違った。


「なっ、か、ばっ……へ、変態!!」


 見る見る真っ赤になり、両手をばたばた振ってから慌てて自分の口元を隠した。

 ただでさえ大きなぱっちり瞳は大きく見開かれ、日本人にはありえない緑の瞳が、かすかにうるんで芸術的なほど美しい。

 指先をそろえて隠された口元の指先も、爪の先まで綺麗なピンクで、それが一層頬の赤みを強調させる。


 間接キスに気が付いたアメリは、女同士なのに何言ってるのと笑い飛ばしてくれるどころか、余計に桐絵の体が熱くなってしまうような色気をふりまいてきた。


「っ……そ、そんなんじゃないってば。変なこと言ったのは悪かったけど」

「……」


 そんな顔をされて、桐絵まで耳まで真っ赤になってしまった。隠したいけど、そうするとますます変態扱いされてしまうかもしれなくて、桐絵は視線だけそらしてとにかく何とか話題を終わらそうと試みた。

 アメリはしばし沈黙して、ゆっくり起き上がった。膝の重さがなくなり、代わりにアメリは床に手をついて前かがみでずいといまだ赤い真剣な顔を寄せてくる。


「……悪かったと思っているのね?」

「ん? まぁ。ちょっと、よくなかった、かもね?」

「ええ、そうね。そして、ずるいわよね」

「ん? な、にが?」


 そらしていた視線を、アメリに向ける。さっきの膝枕より近い距離でまっすぐに見つめられていて、桐絵は息も止まりそうだ。


「あなただけ、私の唇に触れて勝手に間接キスして、ずるいじゃない?」

「ず、ずるいって、食べさせろって言ったのはアメリなわけじゃない?」

「関係ないわ。だから、触るわね」

「え」


 そう言ってメアリは、右手の人差し指で桐絵の唇に触れた。ぷに、ぷに、とゆっくり押さえてから、人差し指で上唇にふれたまま、中指で下唇を撫でた。

 その突然の展開についていけなくて、真剣なアメリの顔を見ながら桐絵は固まっていた。

 緊張しているような固い表情で、少しだけ唇を半開きにして眉をよせた顔は、真剣なのにどこか艶っぽい。


 しばらくそんな風に桐絵の唇をもてあそんでから、ゆっくりと指先が離れる。

 無意識に見つめるその離れていく指先はつるつるの綺麗なもので、撫でられている自分の唇の方がかさついていたのではないか、と思って急に我に返った桐絵は恥ずかしくなってしまって、ばっと右手の甲で口元を隠した。


「な、にする、わ……」


 動揺しながらも羞恥をごまかすようにアメリに文句を言おうとする桐絵を無視して、アメリは熱に浮かされたように自分の指先を見ながら、ゆっくりと自分の唇にあてた。


「……」


 それはまるで美しく神聖な儀式の様で、だけどまるでアメリの表情はみだらな娼婦のようですらあって、そのちぐはぐさが桐絵に何とも言い難い感情を胸にあふれさせ口をつぐませた。


「……ん。ふふ。桐絵さん、あなた、何て顔をしているのよ」


 ぼんやりアメリを見つめる桐絵にようやく気が付いたそぶりのアメリは、目が合うとほっとさせるような柔らかな笑みを浮かべて悪戯っぽい声でそう言った。


「な、ん……ど、どんな顔、してるって?」

「まるで、キスをねだっているみたいな顔をしていますわ」

「ばっ、ばっかじゃないの!? へ、変態はどっちなのよ!」


 桐絵が思わず怒鳴ってしまったが、それをまるで小さな子の癇癪をなだめるようにアメリはさらに微笑んだ。


 その笑みは、無理やり桐絵を黙らせる暴力的なまでの美しさで、桐絵はただただ口を閉じて目を離せなくなった。

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