夏季講習2
ジー……ジー……
ミンミンミンミン……
いくつものセミの声が、重なるように、降り注ぐように鳴り響く。
時は梅雨明け、太平洋高気圧が北上しつつあるところ。
「今日は、今年一番の気温となるでしょう」
どこかそれを待ち構えているような、夏物ワンピースを身にまとったアナウンサーの声。
「梅雨明け……?」
アナウンサーの声が残響するように、脳裏で重なる。
「太平洋高気圧は、相似……?」
まとわりつく暑さをよそに、セミの声は荒海の波のように、少女たちをなぐさめた。
「……全然なぐさめられてないんですけどー!!」
「お前、さっきから暑すぎて頭おかしくなったのかよ!?さっさと保健室でも行けって!」
はっ、と雄大に言われて、我に帰る咲。
「ごめん。だってこの部屋、これしかないんだよ」
咲が指差した。皆はいっせいに見上げる。
この炎天下の中、少年少女らに与えられた物はなんと、扇風機3台のみ。
グオングオンと耳障りな音を立てる。もちろん、彼らにとっては大迷惑なことだ。
「小湊さん、さっきからうるさいわね、とにかく黙って解きなさい」
かん高い川口先生の声。舌打ちとともに、セミの大合唱と共鳴した。
「そういえば、4日後に英語の講習もあるのよね」
「……え?」
咲は一人、この猛暑の中で凍った。
「嘘、ですよね?」
「まさか。小湊さんは、すべての講習に丸してあるけど。ほら」
ぺらぺらの一枚の紙には、すべての日程に丸がされていた。
もちろん、あの人の直筆だ。
「ええっ、おばあちゃん何も言ってなかったよ!?そうですよね、先生……!」
キーンコーン――
容赦なく響き渡るチャイムで、生徒5人は立ち上がる。
また5限にくるから、と川口は冷静に退散した。
「先生、逃げた……」
「……お前、夏休み前から佐々木に全部受けるとか言ってただろ」
「……」
そんなこと、凛に言ってたっけ。
思い出そうとするも、思い出せずに諦め、心をおどらせながら弁当づつみを開いた。
「板垣くんって凛と仲いいよね。
「はあ?佐々木と夫婦?」
鼻でわらった雄大の後ろでは、扉がスパーンと勢いよく開いた。
「よっ!遊びに来てやったぜ、雄大」
息を切らしながら入ってきたのは、春馬だった。
「3」と書かれたビブスを左手に、右手は胸元でシャツをつかみ、パタパタとせわしそうにあおいでいる。
「残念だな。汗だくなのに扇風機3台しかなくて」
「本当だよ!お前も練習に道連れにしてやる」
ふと、不意に目があった春馬と若菜。
しかし若菜は肩をひくつかせ、すぐにそらしてしまった。
「え?若菜ちゃ――」
「あ、あのさ、咲ちゃん。今度、
まるで彼女の気持ちに蹴りをつけたかのように、若菜は割り込むように話し出した。
「夏休み中だから、一緒に行かない……?」
「剣道?県大会?」
春馬は雄大の手を放し、身を乗り出して尋ねる。
「しお、マジで言ってる?前言ったよな、しおは手伝いも部活もあるし……」
「いいよ。……朝倉くんには言ってないから」
目も合わせずに、2つのふわふわな三つ編みをこちらに向けて言った。
春馬は固まる。予想外なことを言われたかのように。
咲はもちろん驚いた。
怒っているのだろうか。こちらに顔を向けようともしない。
「……ごめんね。私もうここにいたくないや」
そう言って立ち去った若菜は、何かを封じ込めせるように、拳を震わせていた。
* * *
「お母さん!お父さん!!」
少女は走り回る。
果てしなく、真っ赤に染まった空間。
「ねえ、どこにいるの……?お母さんってば!」
不透明な紅。
息を切らしながら、少女は両親を探し回る。
気道が引き締まる。肺が破裂しそうなほど、冷たく、痛みが走った。
「はあ、はあ……お父さあん……」
足には、見えない何かがまとわりつく。
走れば走るほど、沼に引きずり込まれるような感覚がした。
「……なんで、私は走っているんだろう……」
さらに踏み出すたびに、目的が少しずつ、自分の中から薄れていく。
なぜ自分はこんなに急いでいる?
なぜ、こんな空間にいるのだろう?
「……私、何をしてるんだろう」
もう何日間走り続けたことか。
いや、「何年」かもしれない。
時計も何もなく、ただただ、不透明な紅色の空間を、果てしないこの空間を走り続ける。
「はあ、はあ……もう……」
だめだ……。
足が、緋色の泥にずぶずぶと飲み込まれる。
「……へこたれるな!何かを探しているんだ!何かを……!」
でも、
……なんだっけ……。
思い出せるわけもなく、とまることもなく、少女は溺れていく。
意を決して、少女は瞳を閉じた。
「ごめん……」
口に泥水が入りこみ息さえもできなくなったそのとき、
一筋の黄金の光が、少女を救うように、さらさらと降り注いだ――
* * *
「……さん、小湊さん!!」
まるで針が10本ほど飛んでくるような、耳を突くかん高い声。
「うーん……むにゃむにゃ」
スパーン!!
「……!?」
大木をノコギリで瞬時に切り倒したような音が、咲の背を一気におそった。
「……いったー……って、板垣くん!?」
なんとその音の主は雄大だった。
丸めたノートを片手に、キッと咲をにらみつけている雄大。
「お前さあ、隣のやつに揺さぶられても、川口に怒られても起きないってばけもんかよ」
「へぇ!?夢!?夢だった!」
「川口、ねぇ……板垣くん……」
イラつく雄大、とぼける咲に怒りに満ちた川口先生。
ぽかんと口を開けたままの他5人の生徒もよそに、チャイムは鳴った。
「あーもう……小湊さん、もう保護者の方に連絡するから。それに板垣くん、次呼び捨てにしたら……どうなるかわかってるわよね?」
高いヒールの音を立てながら、ピシャンと教室の引き戸を閉めた。
「ごめん、変な夢見てたみたいで起きられなくて」
「……俺がノート丸めて人ぶったの、初めてなんだけど」
隣の席の若菜も、なんとも言えない苦い表情をしていた。
「ま、まあ、これで数学の講習も終わったわけだし。私はこれからおばあちゃんに叱られるんだろうけど……あっ、そうだ!」
咲は若菜にずいっと近寄る。若菜は驚いて少し引いたが。
「ねえ、今南村の夏祭り、一緒に行かない?」
「……え?」
若菜は目を丸くした。自分には関係ない、と言うように、雄大はスクールバックに教科書を詰め込んでいる。
「昨日の剣道の……県大会?はむずかしいかもしれないけど、夏祭りだったらみんな来れるよ!しかも浴衣で!ほら、あんたも」
肩を思い切り掴まれたのは、雄大。
表情から伝わるほど、苦いものを食べたような顔をしている。
「はぁ?なんで俺が」
「人多い方が楽しいからね!うちの駄菓子屋も出店するし!もちろん、朝倉くんにも来てもらわなきゃね。だいちゃんさんにも」
「大樹?咲ちゃん、大樹のこと知ってるの?」
珍しく若菜は声を張る。慌てて口をおさえたが。
「え……うん。よく駄菓子屋の手伝いに来てくれるんだよね。まだ一回しか会ってないけど」
「一回、会ったんだ……」
安堵と切なさが入り混じった、そんな表情をしていた。ただ一点を見つめてうつむく、若菜。
「……仲良さそうならよかった。というわけで。板垣くん、朝倉くん、若菜ちゃん、だいちゃんさんと私。このメンツでいい?」
「はぁ……別にいいけど」
雄大はふてくされつつも了承する。
若菜も首を縦に振った。
「よし!夏祭りは……9日後。あの神社集合ね!」
別れを告げた、夏季講習の放課後、誰もいない教室の中。
待望の1週間半。
咲は希望を託し、帰途のペダルに思い切り力を込めた。
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