おつきさま ~若菜の回想~

苦手だった。

人と話すのが。

言葉で表すのが。

裏切り、裏切られ。

うつむいた人生を、今まで歩んできた。

……咲が現れるまでは。



塩崎 若菜。

引っ込み思案の上、人見知り、自分の意見をあまり表現しない。つまらない。

きっと周囲の人からはそういわれ続けられたのだろう。

私はそう悟ってきた。


この今南村の人々は代々何かを経営している家が多く、私の家では代々喫茶店を経営していた。

といっても30年ほど。咲のおばあちゃん・千代さんのように、あのご年齢となっても経営している方とは全く異なる。

母と祖母が経営していて、父は関西へと単身赴任している。

村ではごく一般の家庭……そう思うだろう。

しかし、その家庭には問題児がいた。

塩崎 若菜。私だ。

人と話せない。

私なんかが、自分の意見を言う権利なんてない。

他人が怖かった。

話したくない。怖い。

自分の一言で、一生消えない後悔に押し寄せられたら……?


それゆえに友達がいなかった。

村の夏祭りでさえも、本来なら友達と行くべきなのだろうが、私は一人でりんご飴を買って、帰っていた。

そんな日々に、一筋の光が差し込んだのはいつ頃だっただろうか。

あれは、確か……



じりじりと日差しが照り付ける、夏。

夏なんて季節は好きじゃない。

長い長い夏休み。

クラスメイトと会わないことに喜びを感じていたが、この期間の店の手伝いほど、憂鬱になるものはなかった。

そんなある日。

「少しだけ、買い出し行ってくるから」と一言告げられて、私は一人、店に置いて行かれた。

……最悪だ。

留守番の上、接客も伴う。

大体のお客さんは近所の人だから、話さなくてはならない。といっても、この年だから売買は行わないのだが。

嫌だ。絶対に嫌だ。

かといって抵抗できるわけもなく、母と祖母は笑顔で店を出て行った。

「だから……夏は嫌なのに」

いっそのこと、この時間を勉強に使いたい。

友達が来るわけでも、遊びに誘われるわけでもない。それなら……

カランコロン。

「お邪魔しまーす……あら」

お決まりのベルの音を響かせ、現れたのは見ず知らずのおばさんだった。

「塩崎さんの娘さん?かわいいわね!」

ああ……

終わりだ。

その絶望感が顔に出てしまったのか、おばさんは

「大丈夫?」

と私を気に掛ける。

小さく会釈するが、心臓の鼓動の速さは勢いを増していくばかり。

この空間で、しかも知らない人となんて。

「そうそう、いつも母がお世話になっていて。私はそこの駄菓子屋の娘なの。塩崎さんにあいさつしに来たんだけど……」

あいにく、買い出しに行っているんです。

なんて言えたらいいのに。

言えなかった。

「お留守のようね。ところで……」

おばさんは私の顔をまじまじと見る。

お母さんと同じくらいの年に見えた。

「同い年かな。ちょっと待っててね」

ばたばたとおばさんのせわしい足音を残して、この店を出てしまった。

「待つ、って……」

おもちゃか何かでも持ってくるのかな。

そう望みもなく、私はカウンターに立っていた、その時。

「こんにちは!小湊咲です!」

バンッと大きな音を立てて待ち構えていたのは、小さな女の子だった。

まるでお笑い芸人の登場のよう。

「ふふ、びっくりした?うちの子もあなたと同い年って聞いていたのよ。この夏、お世話になる予定だからよろしくね。あと、咲。人のお店のドアを乱暴に開けちゃダメ」

おばさんに叱られている女の子は、私のことをじっと見ていた。

「ねえ!なんでお仕事してるの?」

お仕事?

仕事……なんて考えたこともなかった。

「お留守番、だけど……」

「だってさ、お母さん、夏休みだったら普通、友達とたくさん遊ばないの?」

「こら、咲!」

おばさんは女の子を戒める。

しかし、構わないでというように、女の子はさらに続けた。

「お仕事、つまらなくないの?」

いい加減にしなさい、と隣で叱るおばさん。

言わなきゃ。

言わなくちゃ。

「……ない」

「え?」

女の子は、私に近づく。

……私の声を聴こうとしてくれている。

「つまんないよ……!でも、友達とか、遊ぶ人たちがいないの……」

思わずうつむいてしまう。

ああ、泣きそう……。

でもこんなところでは泣けない。私はがんばって我慢をした。

女の子はどんな反応をするんだろう……?

想像もしたくない。

なのに。

「そんなの……」

女の子は口を開いてしまった。

嫌だ。聞きたくない!

「私と友達になればいいじゃん!っていうか、なりたいの!」

「……え?」

なんで?

疑問に思った。普遍的に。

「ごめんね。でもこの子、今日初めて来たばかりで、この街に友達がいないの」

女の子は白い歯を見せて、太陽のように笑った。

なんだろう、こう、じわりと胸が熱くなる感じ。

それが目元まで来て、私はたまらなくなった。

「わあっ!泣かないでよ!」

女の子は私の背中をさする。

「……ありがとう」

この日、私は人生で最も大きい決断をしたんだ。

「私、おつきさまになる」




当然のことだけれど、あの後私は笑われた。

その場で理由なんて言えるわけがない。涙でぐしょぐしょに濡れた私の顔はひどかったけど、あの日を機に、私は変わった。

……と、思っていたけど。

「わか、見てよこのカエル!」

「ぎゃあああああ!!」

咲は私のすきを狙っては、このようにカエルを持ってくる。

野性的すぎる。私にとっては未知の世界だ。

「……よくそんなの持てるよね、咲は」

「わかが怖がりすぎなんだって」

咲と出会って、自分は人見知りであることを知った。

今ならこんなにも普通に、咲と話せるわけだし。「わか」なんて、呼ばれたこともないあだ名もつけられた。

「この川、ウナギとかいるのかなぁ……」

後から知ったことだけど、咲はあの駄菓子屋のお子さんで、あの夏に初めてこの村に来たそうだ。

「近くのうなぎ屋さんあるけど、紹介しようか?」

「ううん。自分で取りたいの!」

咲は母方の祖母、つまり、あの駄菓子屋のおばあちゃんの家によく居候している。

夏休みや冬休みはもちろん、通常の休日に顔を出しに来ることもよくあった。

東京から来たとは思えないほどの虫好き、田舎慣れ。

東京にも友達はたくさんいるのに。どうして毎年、こんな田舎に来てくれるんだろう。

「おーい、咲!しお!」

どこからか、透き通った声がする。

「ハル!」

咲はアユをしっかりと握りながら、その声のほうへと駆け寄った。

「理央は?」

「大樹兄と会議に行ってるよ。夏祭りの企画書つくってる」

それを聞いて咲は、口を思い切りへの字に曲げた。

思わず吹き出してしまう、私。

「なあ、あの神社行かね?大樹兄たち、神社の池で集まってるってよ!」

パッと、花が開花したように、咲は希望に満ちた顔を見せる。

「もちろん!行くしかない!」



夏の風が生ぬるい。

サウナに閉じ込められているかのような、蒸し暑さ。

しかし、一歩この地に踏み出せば、世界は一気に変化した。

照り付ける日差しは、木々の木漏れ日として私たちに降り注ぐ。

私たち村の人々を包み込むような、空高く伸びる木々。太陽光を受けて、成長は加速する。

まるで木々からのあおい慈雨を受けるように、咲は草原を走り回っている。

「この神社大好きなの!葉っぱが青くて、緑色で、赤くて白いの!」

足に急ブレーキをかけながら、咲はそう言う。

「……どういうこと?」

「葉っぱって、いろんな色を持ってるよね。特にこの神社の葉っぱは大好き!私にしゃべりかけてくれる感じがするんだよ。それに、虹のもつ七色がある気がして……」

咲はまだまだ話し続ける。話し出すと止まらない。

咲の感性というのは、ほかの人が持たないものだった。

いや、「持てない」ものだった。

豊富な知識もそうだが、私からしたら緑にしか見えない「葉っぱ」だって、咲にはいくつもの色が見えている。

ただただ、私は尊敬するしかなかった。


「理央〜!遊ぼ~!」

神社の隅にある、小さな池。

ほとりのベンチで、大樹たちは企画会議をしていた。

「咲!しおたちもか」

笑顔がこぼれるように、理央は笑う。

周りにはたくさんの人がいた。

おじいさん、おばあさん、おじさん……子供は、大樹と理央の二人だけ。

「理央、遊びに行ってきなよ。咲もいるから」

大樹はそっと、何かを託すように、理央の背を押した。



「お狐様きつねさま

ふと、理央が立ち止まってそう言った。

「ここにはお狐様がいるんだよ」

先ほどまではしゃいでいた咲も、好奇心をそそられたのか、ちらりとこちらを見る。

「この神社の守り神さ。村のみんなは『お狐様』を拝んでいるんだ。ほら、天気雨なんかも。不思議な力を持っているお狐様が、みんなを守ってくれるんだよ」

へえ、と咲は小さく感心した。

「……咲」

私も勇気を振り絞って、言う。

「お狐様はね、おつきさまに守られているんだよ。お月さまを照らしている太陽は、本当に、本当にすごいんだよ」

咲は黙っていた。

理央は……どんな顔をしていたのだろう。想像もつかなかった。

すると、小さな、蚊の鳴くような声で、聞こえたんだ。

「……私も、太陽になれるのかな」


空は、パレットに広げたような明るい青で広がっていた。

誰が照らしているのだろう?

私たちは、今日も空に惑わされている。

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