空の顔とキャンバスの顔

「空の顔って、なんだよ。」

隣の少年はそう言った。

「だいたい、空に顔なんてあるわけねえだろ。意味わかんね」

「もう、理央ったら現実的なことしか考えないんだから」

少年の隣で、少女がクスッと笑う。

「そっか、あんた図工苦手なんだよね。そりゃあわかるはずもないか」

「お前なあ!」

冗談だよ、というように少女はまた笑う。

「空にはね、顔が浮かんでくるんだよ。怒ったり、泣いたり…笑ったり。それこそ人間みたいに、喜怒哀楽があって、面白いんだ。それに合わせて天気も変わる。笑ってたら快晴、泣いてたら雨」

少女は何か楽し気にそう語る。

何が楽しいのだろう?少年にはわからなかった。

「じゃあ、曇っていたらなんだよ」

「困ってるんだよ、空が」

「じゃあ天気雨は?」

天気雨?

少女の顔が曇る。

ほら。このざまだ。

少年は心の中で、いたずらに笑った。

「…それは、おきつねさまに聞かないとわかんないでしょ!」

少女はスックと立ち上がり、地面にあったキャンバスを手に取る。

「ありがとうね。あんたのおかげで新しいテーマが浮かんできたよ。またね、相棒!」

言い終わるか終わらないかの間に、少女はどこかへと駆け出して行った。

そんな少女の小さくなる背中を、少年は静かに見送った。


*      *      *


「あー、東京行って出世したい」

「出世って、あんた、まだ未成年でしょ」

「バレた!?」

私、小湊咲こみなとさきは現役中学2年生。

「でも私、一応東京住んでたんだよね」

「それがありえないくらい田舎慣れしてるけどね、咲は」

この通り、私は田舎にいる芋女だと思われがちだが、実は東京に住んでいたのである。ついこの間まで。

両親を事故で亡くし、身寄りがなくなった私は祖母のいるこの街に引っ越してきたのだ。

ある夏休みの一か月間だけ、この村に遊びに来たことがある。祖母が腰を痛め、彼女が代々60年間経営している駄菓子屋の手伝いをしに行ったときだった。

「それで?『運命の人』とは再開してないの?」

「ちょ、こら、凛!」

友人の凛はにやついている。

黒歴史だ。黒歴史をぶり返してきた。『運命の人』だなんて。

「小学校の時にこの村で会って、一回も話してないんでしょ?連絡先くらい交換すればよかったのに」

「携帯持ってなくて…」

横から、はあっと凛の大きなため息が聞こえた。

「本当に絶好のチャンスをのがしたよね。東京の人ならメールするくらい常識でしょうよ!」

凛は大きく天を仰ぐ。

「東京の人だからってわけではないでしょ」

なんて言っておきながら、本当に何やってるんだろう。

私が思ったこと、感じたことを、その人には何でも言えた。

名前は…なんだっけ。忘れちゃった。

別れも告げていない。この村に引っ越してきてから、理央とも会っていない。見たこともない。

ーー空の顔。

そう言えたのが最後だった。



「咲先輩、今日もすごいですよね」

美術部の時間、この後輩がいつもほめてくれる。

和泉いずみくんだ。

「あ、ありがとう」

「この空の色合いが好きなんですよ」

空…?

空の色合い。私は別に、意識したわけじゃない。

「…なんでそう思った?」

「え?なんでって…空って普通青なのに、先輩のキャンバスの色って違うじゃないですか。赤とか、紫とか。緑も、いろいろな色が混ざっていて」

「よくわかったね。その通り」

「キャンバスの顔、っていう感じがこう…しみるんですよね」

キャンバスの顔…?

顔…?

顔なんて…キャンバスに。


「ないでしょ!顔なんて!キャンバスに!」

帰り道、私は帰途を駆け足でたどっていた。何度もそう叫んだ声が、次第にかすれていく。

「キャンバスに顔⁉」

単に和泉くんが直感でそういっただけかもしれない。

自分でもなぜこんなに「キャンバスの顔」に執着しているのかはわからない。

「でも…空とはなんか違う顔…なんだよね」

空の顔。私がいつか呟いた。

どんな顔だったけ。空の顔。笑ってたり、怒ってたり、泣いていたり…。

「もう忘れちゃった。だいぶ昔の話だよね」

ふう、と深呼吸をし、さっぱり空気を入れ替える。

急がなきゃ。おばあちゃんだって待っている。

勢いをつけて走り始めた、その時。

「おい」

耳元ではじけた。その声は、鮮明に、私を呼び止めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る