7.宿泊

 目の前には、椅子に座るアイリスのお父様の姿が。

 睨みつけるようにこちらを見つめられ、萎縮してしまう。

 蛇に睨まれた蛙とはこんな感覚なのでしょうか……。あまり知りたくなかったですね。



「お帰り、アリシア」



 声は低いものの、口調は柔らかく、安心と恐怖を同時に感じる不思議な感覚に陥る。

 アイリスのほうへと向いていた瞳がこちらを向く。その鋭い眼光には、私を射抜かんとする意思すら感じられます。



「それで、君は誰だね?」

「は、はい! 私、アイリスさんのお友だちをさせていただいてます、セリア・リーフと申しましゅ!」



 思わず背筋をピンと伸ばし、気をつけの状態で、普段よりも声量が大きくなる。

 それに最後噛んでしまいました。もうやだおうち帰りゅ……。いや、家がないからアイリス宅にお呼ばれしてるんでした。



「友だち……?」



 語調が強くなる。

 もしかしたら、この場でやられちゃうかもしれません。



「うおぉぉん! 遂に、遂にアリシアにも友だちがー!」



 突然泣き出すお父様。その言葉の調子は、我が子を思う親そのもの。

 それにしても、本名は『アリシア』ですが、私が『アイリス』と呼んでも通じるようですね。

 お父様はこちらのほうへと歩き寄って来ると、私の肩へ手を置き、涙ぐみながらも笑顔で言う。



「これからも娘をよろしく。あと、娘の呼び方は呼びやすいほうで構わないよ」

「はい! 必ず幸せにしてみせます!」



 私たちの会話を聞くなり、アイリスがあわてた様子で駆け寄ってくる。



「ちょっと、お父さん! セリアさん! なんかいろいろおかしいですから!」



 おかしい……? この子はなにを言っているのでしょう。

 お父様より直々にお許しをいただいたのですから。



「アイリス、私と幸せになりましょうね」

「セリアさんがヘンになった!」



 アイリスが頭を抱えて叫ぶ。

 とても賑やかなお家でなによりです。初めは厳しそうだと感じたお父様も、とてもフレンドリーで接しやすく、私としてもありがたい限りです。



     ◇



「それで、今日はどうだったんだ?」

「なんとわたし、《百発百中》だったのです!」

「ほう、アリアと同じだったのか!」



 アリアとはどなたでしょう。お母様でしょうか。

 その名を聞くと、アイリスはうつむく。



「お母さん、わたしが物心つく前に死んじゃったもんね……」

「ああ。家が襲撃に遭ったときに、お前を守るために戦ってな。その戦いの最中に……。私は偶然外で仕事があってね。家にいてさえすれば……」



 なんだか暗い話ですね。私はあまり聞かないほうがいいでしょうか。

 席を外そうとした瞬間、お父様に呼び止められる。



「ああ、セリア君、暗い話を聞かせてすまないね」

「いえ、お二人ともご苦労なさったようで」

「昔の話だからね。今はなんとか吹っ切れてるいるよ」



 それを聞いて安心しました。

 最愛の人を失う悲しみは、私がよくわかっています。

 私が失われる側でしたけど、両親との時間を失った私も、悲しみは当然あります。



「それで、セリア君はどうだったかね」

「どう、とは? 《言霊》のことでしょうか?」

「ああ。言葉が足らずにすまないね。よければ、聞かせてもらえるかな?」

「あの……、驚かないでくださいね?」



 前置きしておかないと、驚きで心臓止まったりしたら大変ですからね。

 それにしても、教えてしまっても大丈夫でしょうか。

 まあ、アイリスのお父様であれば問題ないでしょう。



「私は――《全知全能》です」

「……それは本当かい?」

「もちろんです。アイリスに訊いていただいても構いませんよ」



 おや、思ったよりか反応が薄いですね。この《言霊》について詳しいのかもしれません。

 逸話をご存じなら、魔王がどうだと言い出しそうなものですが。



「そうか……。それは非常に貴重なものだ。あまり公にしてはいけないよ」

「もちろん、心得ております」



 センシティブな話に突っ込まないとは、とても素晴らしいお方です。

 こういった話は、みんな面白がって、根掘り葉掘り聞き出そうと躍起になるというのに。

 できた人間とは存在するものなのですね。



「それでね、お父さん」



 私たちの話が終わると同時に、アイリスは気まずげに話し始める。



「ん? どうしたんだ?」

「実は今日、帰り道で襲われちゃって」

「そうだったのか……。見たところ、怪我はないようでよかったよ」

「セリアさんがいたから無事だったの」



 お父様は目を見開きこちらを見る。

 あまり持ち上げられるのは、恥ずかしいのでやめてほしいのですが……

 間違いではないので、否定できませんし……



「そうなのか?」

「ええ、まあ。騎士団ギルドで王女護衛の依頼を受けたのですが、アイリスがその王女だとは知らず」

「確かに、小さい頃はアリシアを外へ出すことはあまりなかったからな……。知らないのも無理はないか」



 まあ、それ以前に、私がこの世界に来た日自体が今日なので、王様がどなたかすら知らなかったのですけどね。とはさすがに言えませんが。



「とはいえ、アリシアの護衛とはそれほどに危険が伴うが、君は大丈夫なのか?」

「それは承知の上です。ですが、アイリスは私にとって初めての友人。それだけで守る価値があります」

「セリアさん……!」



 ふふん。ここでアイリスからの好感度アップです!

 私は、恋愛ゲームも嗜んでいましたから、女性相手の対応はわかっているのですよ。

 とはいえ、アイリスを守りたい気持ちに嘘偽りはありません。責任はしっかりと果たしますよ。



「それで、セリア君はどうして家へ来たのかな?」

「諸事情で宿のほうが見つかっていなくて、そのことを相談したら、アイリスよりお誘いを受けまして」

「そうだったのか。それなら、ここに住むといい」



 結構話が飛んだ気がしますが……

 居住ではなく、宿泊のお誘いだと思っていたのですが。



「いえ、住むまではいかなくても……」

「君は娘の命の恩人なのだからね。それに、セリア君が来てくれれば、家も賑やかになる。どうだね?」

「私としてはありがたいお話ですが……」



 本当によいのでしょうか? やはり、一家団欒に私が入り込むというのも……

 ですが、ここで受けないほうが失礼な気もします。



「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」



 椅子から立ち上がり、お辞儀をする私に、「うむ」とだけ答える。

 見た目は厳しそうでも、大変お優しい方で助かりました。



「それで、部屋のことなんだが……」



 お父様がなにやら難しい顔をしておられます。

 突然のことなので、お部屋がないのでしょう。私はソファー、なんなら床でも構わないのですが。



「用意ができていなくてね。すまないが、セリア君はアリシアと同じベッドで寝てもらえるかな?」

「ええ、アイリスがよろしいのであれば……」

「もちろんいいですよ! お泊り会みたいで楽しそうです!」



 楽しそうなアイリスの様子を見て安心しました。

 普通は、死が目の前に迫るような事態に直面した人は、不安で平常心を保っていられないのですが、アイリスは元気が取り柄ですからね。こうでなくては。

 それにしても、アイリスと同じベッドで寝るんですよね。ふぅ……寝られるでしょうか。

 緊張からか、腹部に違和感が……



「すみません、お手洗いをお借りします」

「はい、そこの廊下にありますよ!」



 アイリスの指差すほうを見てみると、青と赤のお馴染みのマークが。



「ありがとうございます。では失礼して……」



 人間は、緊張するとトイレに行きたくなると聞きますが、まさか経験するとは。もしかしたら、水の飲みすぎかもしれませんが。

 用を足し終え手を洗っていると、なにやら外から騒がしい音が聞こえてくる。

 慌てて向かうと、そこには床に倒れるお父様の姿が。



「どうしました!?」

「せ、セリア君……、アリシアが……」

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